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2021年12月

2021年12月31日 (金)

今日も浅草へ

年越し蕎麦」を食べないと、一年が終わらない! 我が家では、数年前までは、毎年大晦日の夕暮れになると、浅草寺へ一年のお礼参りを兼ね、蕎麦屋へ行っていた。 しかし只今は、来年「白寿」の我が母と、「喜寿」に近づいた我、「還暦」は数年前に通り越した我が妻、老老老の三人暮らしである。 頭は呆けて、口は達者で、足はヨタヨタの母を残して蕎麦屋に行けず、蕎麦を買って家で食することにした。、、、、と言うことで、今日は私が浅草へ蕎麦を調達に行ってきた。 



・・・・・・・・・・・・こちらの「並木 藪蕎麦」は、おそらく1時間以上の待ち行列。 細く長く生きたいが、行列並んでノビないように!

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・・・・・・・・・・・・・今日も人出は多そう、、、、、昨日と比べると、着物姿の日本人は少なく、ミニスカにブーツ姿の韓国女性、着物姿のベトナム女性が目立つね! 皆さん、寒波の直撃で寒そうだ!

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・・・・・・・・・・・・ナント! 昨日までの賽銭箱を囲むように大きく衝立で仕切られ、白い布を被せて巨大賽銭箱に変身! 何億円入るのか(?)知りたいね

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・・・・・・・・・・・・浅草寺裏の駐車場に「はとバス」が並んでる! 久しぶりに見る光景

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・・・・・・・・・・・・「六区」の旧映画館街を抜けて、蕎麦屋で「年越し蕎麦」を買い、雷門通りに出ると、ラッキー我が家(浅草橋)の近くに停まるバスが来た!

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2021年12月30日 (木)

浅草、賑わい戻れ!

新年を迎える準備もほぼ終わり、あとは妻におまかせ! 今年もあと一日を残しているが、夕刻、ブラリ散歩を兼ねて浅草寺参りしてきた。、、、、近隣諸国の観光客は少なく日本語の会話が多いので安心し、年末だからか(?)コロナのせいか(?)若い人が多い特に女性が多く楽しいね、店の前には長い行列が商売繁盛で良かったね。 来年はかつての“浅草”が戻ってくる予感がする、景気回復も期待できそうだ、チョイト嬉しくなってきた。 



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2021年12月28日 (火)

荒川も寒い!

東京の朝は零下、今朝も5時に起床したが外は寒く、散歩に出る勇気なし! 家でブラブラするも、チョイト退屈、午後3時過ぎになると夕陽を見たくなり、荒川へ行ってきた。

京成押上線の四ツ木駅で下車し、荒川土手(京成押上線荒川橋梁)で写真を撮ってきた。、、、、川風が吹き、手は冷たく、マスクでメガネは曇り、底冷えと歳でおしっこは近くなり、厳しく辛い夕暮れの散歩となった! 5千歩

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2021年12月26日 (日)

都電でGO!

“寒波襲来!” 朝が寒く起きるのも辛いが、“おしっこ”で渋々起床。 トイレに行ったら目が覚める!、、、、今日の予定は、“医者は無し”、“正月の準備は終わり”、“寒いが晴れだ”、『よし、散歩してくる』

中央線大久保駅から、山手線の内側に入り、戸山、西早稲田を抜けて、都電早稲田停留場に出た。 都電を見たら乗りたくなって、早稲田から大塚まで乗車。 大塚駅から帰宅する。 1万1千歩




● 我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で乗り換えなしの24分で行ける「大久保駅」 しかし私には、乗降の機会が少なく馴染みの薄い駅である。、、、、明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業した。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は北口と南口の2か所。、、、、今日は、日曜日で通勤・通学客が少ないから、年末で学校が休みだから、それとも早朝でまだ寝てる時間だから、何しろ乗降客が少ない駅だ!

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】全国には「大久保」と名乗る駅が7駅ある。 ①東京都新宿区にあるJR東日本、中央本線の当駅  ②兵庫県明石市にあるJR西日本、山陽本線の駅(明治21年の開業で一番古い大久保駅)  ⓷京都府宇治市にある近鉄、京都線の駅  ④秋田県潟上市にあるJR東日本、奥羽本線の駅 以上の4駅の駅名は「大久保」。  ⑤東京都新宿区にあるJR東日本、山手線の「新大久保」  ⑥千葉県習志野市にある京成本線の「京成大久保」(旧駅名は「大久駅」である)  ⑦千葉県市原市にある小湊鉄道線の「上総大久保




● 大久保駅から駅前の通りを東に歩き、皆中稲荷神社」、「新大久保駅」、「コーリアタウンと歩く。 コーリアタウンはクリスマスで賑わったのか(?)、ゴミが散乱し汚い! 途中からコーリアタウンをはずれ、裏道を北へ向かう。

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● 大久保駅から北東の位置に、「都立戸山公園(大久保地区)」があり、東隣には「早稲田大学西早稲田キャンパス(理工学部)」もある。 その戸山公園を抜けて行く。、、、、都立戸山公園は、江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった処。 明治維新後、跡地には明治6年(1873)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用された。 戦後、軍事施設はすべて廃止された。 跡地に戸山ハイツの建設が開始され、昭和29年(1954)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」が開園した。

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● 戸山公園を抜け新宿区高田馬場1丁目に、真言宗豊山派寺院の「玄国寺」がある。 玄国寺は、龍池山上珠院と号し、慶長6年(1601)頃、当地に創建した。、、、、初詣の準備も進み、山門・本堂の前には提灯が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・山門を入ると右手が庫裡であるが、この建物は明治の元勲岩倉具視の旧邸の一部を大正15年(1926)に移築したもの。 洋風建築であるが、和風に改造されている。鬼瓦に笹りんどうの紋章がみられるのは岩倉邸で使用されたものの一部。

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・・・・・・・・・・・・玄国寺の西100m程の処に、同寺の墓地がある。 そこの地蔵堂に「田植地蔵尊」が祀られている。 田植え時期になると、この地蔵が旅僧の姿になって田植えを手伝ったところからこう呼ばれるようになったそうだ。

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● 玄国寺の東隣には、かつて玄国寺が別当であった「諏訪神社」がある。 諏訪神社は、平安時代初期小野篁により大国主命・事代主命を祀ったのがはじまりとされる。 源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将の信仰厚く、江戸時代には徳川歴代将軍の崇敬を受ける。、、、、小野篁は百人一首の十一番目の和歌の作者、また小野小町の父として有名な、政治家であり、歌人です。、、、、かつては付近一帯が当神社にちなみ諏訪町(すわちょう)と呼ばれていたが、住居表示により地名は消滅した。 現在では「諏訪通り」や「諏訪町交差点」などに名を残している。

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● 諏訪神社から西へ、西早稲田2丁目の裏道に「地蔵坂通り」と言う、チョッピリ急な坂がある。 その坂を下り終えると「早稲田通り」に出た。、、、、坂の上り口角に「源兵衛地蔵尊」が祀られている。 説明文によると、江戸時代、源兵衛と言う人が居て源兵衛村が出来、源兵衛さん他の菩提供養の為に、享保11年(1726)に地蔵尊が建てられたそうだ。、、、、子宝・安産、病気治癒、商売繁盛、交通安全などのご利益があるらしい。

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● 早稲田通りを横断し、西早稲田3丁目に入ると回遊式庭園「新宿区立 甘泉園公園」がある。 「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。 池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。       この地は、江戸時代宝永年間(1704~1711)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永3年(1774)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。 明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けた。 昭和44年(1969)には区立公園となり現在に至る。、、、、区立の無料の庭園であるため、チョイト手入れ不足だ! もう少し、樹々の手入れをすれば有料化できるかも、もったいないね!!

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● 甘泉園を抜けると、都電「早稲田駅」の近くに出た!、、、、『風強く寒さ厳しく、身体は冷える。 都電の中は暖かそうだ、乗りたいね!』と思ったら、後は一直線! 大塚駅前まで都電でGO!!

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2021年12月21日 (火)

チョッピリ神田川

丸ノ内線中野富士見町駅の脇には神田川が、中野新橋、淀橋、北新宿、高田馬場と流れ下ってる。 今日の散歩は中野富士見町駅から、北新宿の末広橋(大久保通り)まで神田川沿いに歩き、最後はJR中央線大久保駅に出た。 1万4千歩




● 東京メトロ丸ノ内線「中野富士見町駅」で降りる。 1日平均乗降人員は20,202人(2019年度)と少ない。、、、、駅名には旧町名の「富士見町」が残っているが、昭和42年(1967)の住居表示により富士見町は「弥生5丁目」となった。 いずれ駅名も“中野弥生”とか“弥生5丁目”とかに変わるかも(?) なお、地名の「弥生」は、この辺りに弥生時代の遺跡がいくつか見られることに由来するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・駅の脇を流れる「神田川」と、架かる橋は「富士見橋」(昭和50年3月竣工)、、、、ここへ来るまでの電車の中で、今日の散歩は駅から神田川沿いに新宿方面に歩いてみようと決めていた。 この橋からスタートだ!

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富士見橋の下流には、「高砂橋」、「寿橋」など、目出度い橋が架かる。 「柳橋」もある、神田川に同名の橋がもう一つ最下流に架かってる。 台東区柳橋と中央区東日本橋を結ぶ橋。、、、、柳橋から下流の新宿の高層ビルを眺める

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● 川筋を歩き朱色に塗られた「中野新橋」を渡る。 朱塗りの欄干は、かつてこの辺りが花街であった風情を今に伝える。 橋の袂からは黒板塀の料亭が続く町並みも見えたそうだ、昭和50年代から花街は衰退し、現在はマンションが並ぶ普通の町並みとなってしまった。、、、、橋の近くには丸ノ内線「中野新橋駅」がある。

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● 神田川の右岸を下流に歩いて行くと、対岸に鳥居を嵌め込んだ台形のビルが見える。 「宝生山八津御嶽神社」である。 八津御嶽神社は、山梨県南巨摩郡南部町にある八津御嶽神社の分社として、平成24年(2012)に鎮座したといいます。、、、、チョイト見た目は新興宗教ポイね。 時刻は9時前、ドアも締まっており、内部は拝見せず、建物の外観を見てまた来ます!

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・・・・・・・・・・・・八津御嶽神社の北側に「東京工芸大学」(中野区本町2)がある。 本学は大正12年(1923)に創立した、100年程の歴史と伝統を有する大学。、、、、『日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには写真教育を行う専門の学校が必要である』という理想を提唱していた小西本店(現在のコニカミノルタホールディングス)創始者、六代 杉浦六右衞門が他界した後、その理想と遺志を後継した七代 杉浦六右衞門が豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷(現東京都渋谷区幡ヶ谷)の地に、「小西写真専門学校」を創設したのが始まり。、、、、昭和25年(1950)新学制による「東京写真短期大学」を現在地に設立。 同52年(1977)「東京工芸大短期大学部」と改称。 平成6年(1994)短期大学部を4年制に移行し「東京工芸大学芸術学部」を開設した。、、、、知りませんでした、日本では数少ない、写真学科を設置した大学だ!

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山手通りが神田川を越える「長者橋に来た。、、、、長者橋の名の由来は、橋の北側にある成願寺に
「中野長者」と呼ばれた鈴木九郎の住居があったことによる。

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・・・・・・・・・・・・
成願寺」は曹洞宗の寺。 成願寺は多宝山と号し、永享10年(1438)中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現、西新宿熊野神社)の敷地内に創建した。 江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称。 天正19年(1591)に徳川家康により武蔵太田庄成田に5石の寺領寄進を受け、四代将軍家綱以降5石の朱印状を受けた御朱印寺である。、、、、山手通りに面し、竜宮城のような明朝様式の門をくぐると、広い本堂前に出る。 何やら、多くの石仏、石碑が並び、堂も多く歴史がありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・成願寺には鍋島家(蓮池鍋島家)の墓所もある。 中野区在来の寺院で大名家の墓所があるのはこの成願寺だけとのこと。

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● 長者橋から神田川の右岸を歩き、西新宿に入ると、銭湯「羽衣湯」があった。、、、、西新宿の再開発による超高層ビルの下、創業は戦後間もない1950年前後、平成11年(1999)に現在の建物を新築オープンしたそうだ。 建物は木造ではないが“ゆ”の看板を掲げてる銭湯だ!、、、、『神田川』に『銭湯』となると、南こうせつとかぐや姫の ♪♪ 貴方は もう忘れたかしら ・・・・・・ 二人で行った 横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が 待たされた 洗い髪が 芯まで冷えて 小さな石鹸 カタカタ鳴った ・・・・・・ ♪♪、、、、歌詞を口ずさみ思う。 寒い北風吹く中、湯上りの身体も冷えて待つ彼女、外に出てきた私が抱いて、熱く燃やしてあげたいね!

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・・・・・・・・・・・・『神田川』の歌詞を頭の中で整理する『あれ、間違えたかな? 首に巻いたのは赤いマフラー? それとも、赤い手ぬぐい?』を、歩きながら気になるね。、、、、と言うことで、「神田川歌碑」を見て確かめよう! 下流の末広橋に碑があるはずだ!




● 西新宿の再開発、タワークレーンの下を歩いて「淀橋」へ。

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・・・・・・・・・・・・淀橋から先(北側)は北新宿。 こちらは、再開発はまだだ!

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・・・・・・・・・・・・「末広橋」西詰の小公園に「神田川歌碑」がある。 書かれてた『・・・・・赤い手ぬぐい マフラーにして・・・・・』と。、、、、神田川の散歩はココまで、大久保駅に向かう。

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● JR中央線の「大久保駅」から帰宅

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2021年12月19日 (日)

オペラを抜ける

参宮橋で下車し、京王新線の初台駅をとおり、荘厳寺(幡ヶ谷不動尊)、渋谷区と中野区の氷川神社に寄って中野富士見町駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 昨日に続いて小田急線「参宮橋駅」で下車、、、、北風冷たい日曜の朝、通勤通学客も無く、静かに数人が降りる。 駅前も静かだ。 改札前の道は江戸時代からの古道で代々木本村(元代々木)、代々木村西原に通じているのだが『さてさて、自分の行く先は?』 とりあえず歩き始めた!

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● 駅から少々歩くと、道の先に京王線の初台駅前にあるオペラシティが見える。 『とりあえず、あそこに行こう!』 目標を見失うことはないが、起伏の激しい裏通りを、喘ぎながらの散歩。

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・・・・・・・・・・・・裏通りから甲州街道に出る手前30m程の処に、甲州街道と並行して流れる玉川上水を暗渠化し、その上に造られた「玉川上水旧水路緑道」(昭和60年頃整備)がある。 緑道の一画に玉川上水の上に架かっていた橋が残されている。 欄干に「三字橋(みあざばし)」と記されている。 “三字”とは、新町・初台・山谷という三つの字を指している。

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・・・・・・・・・・・・甲州街道(国道20号)の地下には京王新線の「初台駅」がある。、、、、初台駅のホームは上り線と下り線で二層構造となっており、地下2階が上り線、地下3階が下り線である。 改札口は新宿寄りと幡ヶ谷寄りの2ヶ所にあり、幡ヶ谷寄りは中央口改札口で、新宿寄りは東口で東京オペラシティに直結している。、、、、今日は乗車するのではないので、東口改札をチョイト覗いて、地下道でオペラシティへ侵入。

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● 「東京オペラシティ(新国立劇場)」は初台駅・甲州街道の北側にある文化商業複合施設。、、、、当地には、元々は東京工業試験所、小田急百貨店配送センター、淀橋電話局、京王バス操車場などがあった。 昭和60年(1985)のコンペにより、設計されたのは新国立劇場と高層複合施設東京オペラシティビルである。 この2施設を合わせ、しばしば「東京オペラシティ」と呼ぶ。、、、、今日は散歩の途中であり、しかも早朝であるため、建物の中を通り抜けながら見てきた。 デカイ!

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● 東京オペラシティの北側に出ると、「不動通商店街」の先に「荘厳寺」(渋谷区本町2)がある、、、、真言宗室生寺派寺院の荘厳寺は、光明山真言院と号す。 宥悦(天文2年1533寂)が開山となり、創建した。 荘厳寺不動堂の本尊不動明王立像は、幡ヶ谷不動尊として信仰を集めている。 本堂は木造、不動堂は鉄筋コンクリート造。、、、、幡ヶ谷不動という呼び名ではあるが、距離的には初台駅が最寄り駅。

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● 荘厳寺から裏通りを歩き中野富士見町駅に向かうと、途中、二か所の“氷川神社”がある。 似たような神社だ!


・・・・・・・・・・・・「
幡ヶ谷氷川神社」は、渋谷区本町にある神社。 創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたと言われてる。 幡ヶ谷村の鎮守社であった。、、、、しめ縄、提灯、すでに正月の準備も終わったようだ、早いね!

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・・・・・・・・・・・・神明氷川神社」は、中野区弥生町にある神社。 文明元年(1468)太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請し、以来毎年祭日には、太田家より玉串を捧げられていたそうだ。 当地周辺(雑色村)の鎮守社。、、、、こちらも、正月の準備で忙しそうだ!

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● 中野通りを北上し、神田川を越える手前で西に折れると東京メトロ丸ノ内線「中野富士見町駅」がある。、、、、昭和36年(1961)2月8日の荻窪線(丸ノ内線)新宿~新中野間および中野坂上~中野富士見町間開業時に設けられた。 当初は終点だったが、凡そ一年後の昭和37年に方南町まで延伸し、中間駅となった。 ホームは相対式2面2線構造で地下1階、改札口・出口は1カ所のみで地上にある。、、、、地上に改札があるので、年寄り・身障者には優しいバリアフリーの駅だ! もちろん、ホーム行きのエレベーターもある。

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2021年12月18日 (土)

明治神宮

JR渋谷駅から、国立代々木競技場、明治神宮に寄って、小田急線参宮橋駅までの、1万2千歩の散歩です。




● 明治18年(1885)3月1日、日本鉄道の赤羽~品川間の開通と同時に「渋谷駅」が開業し、明治39年(1906)に国有化された。 その後、渋谷駅には、明治40年(1907)に玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業、明治44年(1911)には東京市電(後の東京都電)が開通、昭和2年(1927)に東京横浜電鉄(現:東急)東横線が開業、昭和8年(1933)には帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業、昭和13年(1938)には東京高速鉄道(現:東京メトロ銀座線)が開業した。 戦前までに、山手線の外から渋谷に乗り入れる路線の大部分が開通したことになる。 戦後になると、東京メトロの半蔵門線、副都心線の乗り入れ、JRでは埼京線、湘南新宿ラインの乗り入れなどが続いた。 いつの間にか、渋谷駅は地上も地下も電車が走り、東西南北の各方面と結ばれている。 駅の動線は複雑怪奇?、、、、そこで、只今渋谷駅の大改造が進められている。 鉄道各社の、線路もホームも駅ビルも、すべて見直しだ!、、、、先日は、10月22日終電後から10月25日初電にかけて実施された線路切替工事では、山手線内回りホームの線路を東側に横移動させた上で、同ホームの拡幅が大規模に行われた。 ホームの隣りでは東横デパートの取り壊しも行われており、まだまだ渋谷駅の改良工事は続く。

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・・・・・・・・・・・・渋谷駅北口の駅前広場の「忠犬ハチ公像」も、駅周辺の再開発工事で移動するらしい(?) いつ、どこに、私は知らん!、、、、渋谷のこの場所に佇むハチ公像に思い出がある人も多いはず。 デートで待ち合わせしたあの若い頃思い出。 今のうちにもう一度、ハチ公に御対面して記憶を懐かしんでみてはいかが。

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・・・・・・・・・・・・朝7時、気温3.5度、まだ薄暗い、駅前の「スクランブル交差点」に人は少ない!、、、、なにせ、寒い!

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● 「公園通り」をNHKの方に向かう、、、、店は閉まり、人影ちらほら、静かな通りだ!

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・・・・・・・・・・・・公園通りに中程に「日本キリスト教団 東京山手教会」がある。、、、、この建物は、私が建築科の学生だった、昭和41年(1966)に建てられた。 当時は正面外壁の十字架がある台形の面は青い色で塗られ、ひときわ目立つモダンな教会であった。 懐かしい思いである建物だ。、、、、周囲のより大きなモダンな建物に圧倒され埋没したようだ!

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・・・・・・・・・・・・公園通りの緩やかな坂を上がると、NHK放送センターの手前に「渋谷公会堂」がある。 渋谷公会堂は、平成27年(2015)から建替工事を行い、令和元年(2018)5月竣工、同年10月に開設した。 また、ネーミングライツ(命名権)を導入し、LINEが年額1億2000万円を渋谷区に支払い、通称名を「LINE CUBE SHIBUYA」とした。、、、、明るい印象を与える建物

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・・・・・・・・・・・・「NHK放送センター」は建て替え工事が始まり、仮囲いの中に消えた!、、、、代々木競技場から眺める

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・・・・・・・・・・・・新しい「NHK放送センター」は、地上17階、地下2階、高さ88.00m(最高91.00m)、延べ面積272,118㎡の新施設で、設計・施工は竹中工務店・久米設計設計施工共同企業体が担当する。 昨年(2020)9月に解体工事に着手し、本年(2021)5月に着工し、15年後の2036年12月に全体が完成する予定らしい。 私は天国で完成を祝うことにする。

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● 公園通りが行き着く先は、「国立代々木競技場」、、、、主塔が2本の第一競技場と1本の第二競技場がある。 どちらも、丹下健三の設計に寄り、昭和39年(1964)の東京オリンピックで建てられた。

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● 原宿駅前に出た、チョイト、「原宿駅」を見ていこう!、、、、年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとし、これまでの島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームにした。 さらに、旧駅舎はいったん取り壊し、新駅舎に建て替え、エレベーターとエスカレーターの増設、トイレや表参道改札口と通路の拡張などが行われた。、、、、一番気になる、大正13年(1924)に建てられた旧駅舎の運命は?、、、、旧駅舎は、新駅舎北側(これまで建っていた処)に、デザインを踏襲し、防火基準に即した建材で再建される予定。

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● 初詣にはチョイト早いが、「明治神宮」に参拝、、、、今日は原宿駅側の南参道を歩き拝殿へ、拝礼を済ませた後は神社の北側にある「宝物殿」(国指定重要文化財)をとおり、西参道から参宮橋駅に向かった。、、、、宝物殿は休館中で入れない!

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● 明治神宮の森を出ると小田急線の「参宮橋駅」は近い、、、、参宮橋駅の歴史は、大正4年(1915)の内務省告示に始まる。 告示では、代々木練兵場に隣接した南豊島御料地を境内地として明治神宫の造営が決まり、大正9年(1920)に鎮座祭が挙行された。 明治神宫造営中の大正8年(1919)に、西参道に近い京王線の代々木駅が神宮裏駅、改正橋駅が初台駅と改称された。 その後、昭和14年(1939)に神宮裏駅は西參道駅と改称される。 この間、小田原急行鉄道小田原線が代々木練兵場の脇を通ることになり、大正15年(1926)に西参道の跨線橋として「参宮橋」が架けられた。 そして昭和2年(1927)4月1日に參宮橋駅が開業した。 



・・・・・・・・・・・・跨線橋「参宮橋」、、、、下を走るは小田急線

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・・・・・・・・・・・・参宮橋から見る「参宮橋駅」ホーム

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・・・・・・・・・・・・参宮橋駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札は2番ホームに直結した場所にある西口と、跨線橋上にある東口(ICカード専用)の2か所ある。、、、、3年程前に駅改良工事が行われ、木調の駅となった。 木の香は漂わず、チョイト残念!

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2021年12月14日 (火)

チョッピリ木下街道

今朝、散歩に出るとJR総武線が動いていない。 浅草橋駅で動いているのは都営浅草線。 急遽予定を変更し、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線で鎌ケ谷へ、新京成線に乗り換え鎌ヶ谷大仏へ。 鎌ヶ谷大仏から木下街道を歩いて東武野田線の馬込沢まで。 馬込沢から船橋に出て、JR総武線で浅草橋へ戻る。、、、、歩く楽しさと、7路線にまたがり電車に乗る楽しさも満喫した散歩です。 1万2千歩


・・・・・・・・・・・・木下街道(きおろしかいどう)は、江戸から下利根川方面への最短路として江戸時代に整備された街道。 街道の途中、行徳、八幡、鎌ヶ谷、白井、大森、木下の6か所に宿場がおかれた。 街道は、銚子方面から日本橋の魚市場へと鮮魚を送る道としても重宝された。、、、、今日の散歩は、その一部分、新京成線の鎌ヶ谷大仏駅から、東武野田線の馬込沢駅までを歩いた。 




● 朝7時半過ぎ、キティちゃんをイメージさせるピンクと白の電車から「鎌ヶ谷大仏駅」に降り立つ。、、、、駅は昭和24年(1949)1月8日に開業した。 島式ホームを持つ地上駅で、現在は橋上駅舎を有する。 駅名はそのものズバリで、駅前に千葉県道59号市川印西線「木下街道」が走り、駅の近くには古くから鎌ヶ谷宿一帯のシンボルである鎌ヶ谷大仏がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前の木下街道は車がノロノロ、通勤通学客は駅へゾロゾロ、不慣れな私は車と人を避けオロオロ!

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● 駅の斜め向かい側、木下街道に面する墓地の入口奥に、日本一小さいといわれる「鎌ヶ谷大仏」が座している。 鋳造青銅製で高さ1.80m、台座含めて2.30m。、、、、案内文では、『安永5年(1776年)鎌ヶ谷村の豪商福田文左衛門が先祖供養のため作らせました。 伝聞では開眼供養の時には街道約3町(327m)を50人以上の僧侶が音楽に合わせ練り歩き供養したと言われています。 近年奈良や鎌倉の大仏様を想像して来訪される方がその質素なサイズにレプリカと間違われたりしておりますが、駅前に安置されているそれが鎌ヶ谷大仏の本体です。 同墓地内に同じく指定文化財の官軍兵士の墓もあります。 ※現在鎌ヶ谷大仏は福田家個人所有で、大仏がある墓地は当山(延命寺)の管理となっております』

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● 駅の北側には、寛永6年(1629)に創建された村社「鎌ヶ谷八幡神社」がある。 神社の長い参道と参道沿いにズラリ並んだ庚申塔が出迎えてくれる。 庚申塔は全部で100基あり、百庚申と呼ばれている。、、、、ところで、以前私がこの神社に訪れた時には、木々が鬱蒼と繁っていたが、平成29年(2017)に境内の樹木が伐採されたそうで、大木のない明るい境内となった。

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・・・・・・・・・・・・境内の片隅に、庚申塔に道標を記した「庚申道標」がある。、、、、三基ある中央の庚申塔、正面に「青面金剛王」、右側面に「寛政七卯年(1795)」、左側面に「十一月吉日」と刻印され、台座左右にはそれぞれ「東さくら道」「西こがね道」ど書かれている。
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● 鎌ヶ谷大仏駅から木下街道をチョイト江戸に向かって歩くと、鎌ヶ谷宿に明治時代に建てられたという「旧旅籠丸屋」が残されている。 鎌ヶ谷宿には、明治初年に旅籠屋が4軒あり、その内の一軒が丸屋。 当時の建物は火事で焼失し、明治30年頃に再建された丸屋。、、、、丸屋は、明治35年にはすでに旅籠としての利用を終え、明治末期に改修された後は、住居として使用され、さらに昭和31年にアパートとして改修され、現在の姿となっています。、、、、令和2年(2020)に国の登録有形文化財に指定された

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● 鎌ヶ谷大仏駅から400m程歩くと、鎌ヶ谷大仏を管理するに日蓮宗寺院「
延命寺」がある。 寛永年間(1624~1644:江戸時代)に市川中山法華経寺の末寺として建てられた日蓮宗の寺。 

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● 車の通行量は減ったが、幅の狭い歩きにくい歩道をスタコラサッサ!、、、、途中、戦後に建てられた馬頭観音もある

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● 鎌ヶ谷大仏駅と馬込沢駅の中間ぐらい、木下街道から100mぐらい入ったアカシア児童遊園内(鎌ケ谷市東道野辺6)に数基の「鉄道聯隊の橋脚」が残っている。、、、、説明板に次のように記されている『史跡 鉄道連隊橋脚  この橋脚は、昭和初期に旧日本軍の鉄道大隊が、訓練や物資等の輸送のため、建設した鉄道の一部です。近代の戦争では、鉄道は人や物資の輸送のために重要な役割を担っていました。千葉県でも、鉄道大隊から独立した第1鉄道連隊が千葉町(現在の千葉市)に、第2鉄道連隊が津田沼町(現在の新京成新津田沼駅の辺り)に配備され、昭和20年(1945年)第2次世界大戦終了まで活躍しました。この橋脚は、第2鉄道連隊が、大戦中、鉄道を敷く訓練として津田沼~松戸間に設けた路線の一部でしたが、終戦後は放置されていたため、この部分を除くほとんどを京成電鉄が買い受けました。その後、昭和21年(1946年)に京成電鉄の出資により新京成電鉄が設立され、当路線の整備を行いました。しかし、この部分は整備から除かれ、この橋脚だけが残りました。現在の新京成電鉄の全線が、整備を終え開通したのは、昭和30年(1955年)のことでした。平成11年3月 鎌ヶ谷市教育委員会』、、、、戦後75年が過ぎたが、今も残る戦争遺跡、後世に語り継がれるよう祈る

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・・・・・・・・・・・・旧陸軍の鉄道連隊橋脚がある公園の北側のマンション付近に、ここが陸軍の敷地である境界を示す「旧日本帝国陸軍の標柱」が残っている。 これも戦争の遺物。

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● 木下街道沿い鎌ヶ谷新田郵便局の近くに「清長庵」(寺は山号・院号不明(?))なる小さな寺院がある。、、、、ココの境内に、市内最古の道標である「道標地蔵」がある。 道標を兼ねた地蔵。、、、、木下街道がかつては「かしま道」とも呼ばれていた頃。 この道標地蔵には、次のように各面に道案内が彫られている。 右側面「志゛ん本うみち」(神保道) 正面「ゐんざい見ち」(印西道) 「加志ま道奈里」(鹿島道なり)  左側面 「可ま加゛い道」(釜ケ谷道)、、、、彫が浅く読みづらいが、読める!

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● 鎌ヶ谷市から船橋市に入ると馬込十字路交差点がある。 その交差点の手前に「戊辰戦争兵士の墓」(船橋市馬込町913)がある。、、、、慶応4年(1868)は途中の9月に明治に改元されるが、改元前の閏4月3日に、船橋地方は未曽有の大事件に巻き込まれた。 戊辰戦争の局地戦が船橋周辺で起こり、中心街の大半が兵火で焼失させられてしまった。 この戦闘は市川・船橋戦争と称され、4月11日の江戸城明け渡しと、5月15日の彰義隊の上野戦争との中間の時点で起こった。 現在では、戦争の遺跡はわずかに残る戦死者の墓のみで、船橋市では海神念仏堂・宮本了源寺・慈雲寺など7ヶ所にある。、、、、ここ馬込町の墓地もその内の1ヶ所、、、、“兵士”の墓で、有名人の墓ではないらしい、でも合掌。

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・・・・・・・・・・・・木下街道の散歩はココまで、馬込十字路交差点から馬込沢駅に向かい裏道を歩く
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● 東武野田線の「馬込沢駅」は大正12年(1923)12月27日に法典駅として開業した。 翌年、馬込沢駅に改称。、、、、駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅だが、築堤上にホームがあり、その下に改札口がある。、、、、終点の船橋駅まではココから3駅。 東武野田線の中では乗降客の多い駅の一つ。(1日平均乗降客数は約27,000人) ただし、急行は全て通過し、普通のみ停車する。

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2021年12月12日 (日)

銀座線渋谷駅

昼前に浅草で私用があるため、今日の散歩は恵比寿から渋谷までの一駅間を歩いてきた。 渋谷からは地下鉄銀座線で浅草まで。 1万歩




● 「恵比寿駅」は、島式ホーム2面4線の高架駅である。 山手線と埼京線・湘南新宿ラインが停車する。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」として利用されている。 出口は、1階に西口、3階に東口がある。、、、、降りたのは日曜の朝7時40分、まだ駅ビルの店舗はシャッターの中で準備中。 クリスマスの赤い花が目を楽しませてくれる、通路は乗降客も少なく歩きやすい。

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● 今日は渋谷まで歩くつもりで出たので、駅前で『東西南北どちらに歩こうか?』と考えることもなく、ほぼ北に向かって歩く。、、、、駅前の駒沢通りを横切り、飲食店街の裏に入ると小判型の敷地の中に小社「恵比寿神社」(渋谷区恵比寿西1)がある。、、、、地元住人に愛されているこの神社は歴史も長く、神社の説明によると「大昔から」とあるから、卑弥呼の時代か、紫式部の時代か、ガラシャ夫人の時代か、判らない? 大昔の頃より天津神社(大六天様)と称して家内安全、無病息災、五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られてきた。 戦後区画整理により記念事業として、現在地に社殿を新築致しこれを契機に商売繁昌、縁結びの神、事代主命(エビス様)を合祀し社名を恵比須神社と改めたそうだ。、、、、要するに、昔から“恵比寿神社”があったのではなく、戦後、地名にあやかり“エビス様”を呼んできて、「恵比寿神社」にした。

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・・・・・・・・・・・・【補足】渋谷区には、サッポロビール本社の東南(恵比寿3‐30)にも恵比寿神社がある。 こちらは、ビールにあやかったのか? 




● 恵比寿神社から北へ250m程、恵比寿西1丁目交差点の近くに、石積みの空き地のような処がある。 ココに、5基の庚申塔と馬頭観音が1基建てられている「恵比寿庚申塔群」である。、、、、屋根の下には、向かって右側より、寛文8年(1668)、延宝4年(1676)、延宝2年(1674)、寛文4年(1664)の庚申塔がある。 脇に野ざらしで建てられているのは、明治38年(1905)の庚申塔、馬頭観音と並んでる。

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・・・・・・・・・・・・恵比寿庚申塔群の前の通りを「庚申道」と言うらしい。 近くを走る山手線のガードは「庚申道ガード」と名付けられている。、、、、ガードを抜けた先、渋谷川に架かる橋が「庚申橋

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・・・・・・・・・・・・庚申橋から見る渋谷川

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・・・・・・・・・・・・庚申橋の西詰に「庚申橋供養碑」がある。、、、、案内板によると、『この橋供養碑は、寛政十一年(1799)にたてられた数少ない珍しいものです。 上部の青面金剛のほかに、四面すべてに、橋講中世話役や万人講及び個人の名が多数刻まれています。 それらの人々の地域を見ますと、渋谷はもとより麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ヶ谷方面から、目黒、中野、世田谷、荻窪といった広い範囲にわたっています。 こうしたことから見ますと、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったことが判ります。      渋谷区教育委員会』、、、、渋谷川は当時も深く、落ちて死に至る人も多かったのか?

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● 庚申橋の東側には明治通りがある。 その明治通りに面して、曹洞宗寺院「渋谷山 福昌寺」がある。、、、、福昌寺は、僧桂岩嫩(慶長2年1597年寂)が開山となり、当地に創建したといいます。 当寺には閻魔像があったことから、閻魔寺とも称された。、、、、近年、建て替えられたのか(?)、モダンで立派な寺だ!

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・・・・・・・・・・・・福昌寺には、関東地方唯一といわれる「石棺仏」がある。「石棺仏」とは、古墳にあった石棺を流用して仏を彫った石仏の一種である。 福昌寺の石棺仏は、石棺の蓋を流用し、阿弥陀如来を彫ったものである。調査の結果、石材は兵庫県産で、彫られた時期は南北朝時代であることが判明している。

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● 明治通りを歩き「並木橋交差点」まで来ると、東急東横線の地下化(東京メトロ副都心線と直通運転)により、これまでの高架橋であった路線では、高架部分が取り壊され跡地は「渋谷リバーストリート」と名付けられた遊歩道に変わった。 遊歩道の所どころには、ナンバーが記されている。 ナンバーは旧渋谷駅から数えた、高架橋の柱(橋脚)の管理番号である。


・・・・・・・・・・・・並木橋にあるモニュメント、、、、橋脚の跡

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・・・・・・・・・・・・再開発中の渋谷駅まで続く

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・・・・・・・・・・・・脇を流れる渋谷川は、再開発中の超高層ビルの中から流れ出る!

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● 昨年1月から新しくなった東京メトロ銀座線の「渋谷駅」、、、、渋谷駅は大きく変わりモダンな駅となったが、見るもの全て初めて拝見、東京生まれの東京育ちの“江戸っ子”も田舎者となってしまった!

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2021年12月 9日 (木)

立派な瑞聖寺

京急品川駅で下車し、高輪台駅、白金台駅をとおり、JR恵比寿駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 我が家(浅草橋)から品川までは、JRを利用するルートと、都営浅草線を利用するルートがある。 今日は、浅草線に乗り京浜急行の品川駅で降りた(品川駅改良工事で取り壊される京急「品川駅」を見ておきたかった)、、、、2階のホームはまだ大きな工事が始まっていないようだ。

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・・・・・・・・・・・・1階の改札部分は大きく変わった様子はないが、ホーム下の「京急ストア」は昨年3月末で閉店した。 京急ストアは、昭和8年(1933)7月に「京浜デパート」としてオープン、10年後には「京浜百貨店」に改称、平成2年(1990)には京急ストアと改称した、地味な老舗デパートである。、、、、【おせっかいな注】 上大岡にあるのは「京急百貨店」(京急ストアとは同系列の別会社)、品川にあったのは「京浜百貨店」、、、、【ついでの注】 品川駅改築工事の為、JRの駅ビルにあった、JR初のコンビニNEWDAYSも閉店した。

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● 品川駅高輪口の正面から西に向かい、「グランドプリンスホテル新高輪」前まで、チョッピリ急な上り坂がある。 その名は「柘榴坂(ざくろざか)」、、、、長さ約440m、由来ははっきりしないが、途中にザクロの木があったためと思われる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上り口に、かつて京急が運営する「ホテルパシフィック東京」があった。 平成23年(2011)からは複合商業施設「SHINAGAWA GOOS」に変わったが、今年の3月に閉店した。 30階建て954室の建物は駅前のランドマークでもあった。 この建物も、いよいよ取り壊しとなる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上には、「カトリック高輪教会」がある。、、、、敬虔なる信者(?)は、モダンな教会を見ると、チョイト寄りたくなった。

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● 高輪の裏道をチョイトぬければ、都営浅草線「高輪台駅」。

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・・・・・・・・・・・・高輪台駅から白金台駅までは、コチラのルートもある!




● 高輪台駅から白金台の裏道を歩くと、白金台2丁目の二又の角に小さな祠があり、中に小さな「今里地蔵尊」が祀られている。、、、「今里」とは、この地の旧地名。 この辺りは、現在のシャレた地名「白金台」の前は「芝白金今里町」、さらに昔は「今里村」であった。 明治時代には、牛肉を食べる文化が入り、時の政府がココ「今里」に屠殺場をつくった。 そして、町の肉屋は競って、ココの屠殺場から肉を仕入れるようになったのである。 現在、老舗の肉屋で「今半」など、店名に“今”の字がつくのは、ココ「今里」との繋がりを示しているのだ。、、、、現在では、屠殺場の痕跡は何も残っていない。

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● 今里地蔵尊の二又の右側の道を150m程進むと「三田用水路跡」がある。、、、、三田用水路とは、玉川上水を現在の下北沢で分水し、渋谷・三田・目黒・大崎・高輪付近まで給水する上水路である。 三田用水は昭和49年(1974)まで利用されていた。 階段の脇に用水路の断面(U字型)がそのまま残された遺構がある。 この辺りは標高が低く、築堤で用水を流したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・三田用水路跡から100m程歩くと、白金台幼稚園の前には用水路上に架かっていた「今里橋」の遺構がある。 コンクリートも劣化し、取り壊されるのは時間の問題か?

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・・・・・・・・・・・・狭い裏道を200m程歩くと目黒通りに出る。 出た処はチョウド、地下鉄南北線・三田線の「白金台」駅前。 東京大学医科学研究所・旧国立公衆衛生院の前に出た!(今日は立ち寄らず、パス!)

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● 白金台駅の南側に位置する、禅宗寺院で黄檗宗系単立寺院の「紫雲山 瑞聖寺」に寄ってみた。 瑞聖寺は、青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)に創建。、、、、江戸時代には、山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であったが、文政年間に大規模な罹災あう。 現在の「大雄宝殿(本堂)」は島津家により再建された。、、、、その大雄宝殿は寺域の中心的建物で、寺格に相応しく雄大で形が美しい。 規模・構造は桁行約10間×梁間約9間で、面積約93坪(306㎡、1重周囲に1間の裳階(もこし)がつき、入母屋棧瓦葺き、裳階の屋根は本瓦葺きとなっている。 関東大震災で傷め長く放置されていたが、平成の初期に解体修理が行われ、往時の姿を取り戻した。 しかし建築年代は不明、また国の重要文化財に指定された。、、、、大雄宝殿の本尊脇に座る、山手七福神の一つとなっている布袋尊もビックリするほど立派な寺だ!

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● 東京大学医科学研究所と聖心女子学院に挟まれた裏道を歩き「外苑西通り(プラチナ通り)」に出る。 シロガネーゼの皆様が好きそうな、レストラン、ブティックなどが並ぶ道。、、、、イチョウの黄葉がみごと! 私の住む浅草橋には無い景色。

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● 首都高2号目黒線の下を抜け西に向かうと、港区白金台から渋谷区恵比寿の町に変わる。 急な坂道を上り、小ジャレタ住宅地を歩き、恵比寿ガーデンプレイスに出てきた。 まだ、10時前、店は開いてないはず。 通過して恵比寿駅へ向かう。

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● 「恵比寿」駅到着。 ご存じ、麦酒屋さんの駅、、、、明治34年(1901)2月25日、日本鉄道の貨物駅として開業。 ビール出荷専用の駅であった。 明治39年(1906)より旅客営業を開始する。、、、、島式ホーム2面4線の高架駅である。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」に覆われており、1階に西口、3階に東口、それぞれの改札口が設置されている。

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2021年12月 7日 (火)

残された退助

JR山手線でたった一駅間、大崎駅から品川駅まで歩いてきた。 ほぼ線路沿いに歩いたのだが、寄り道が多かったのか、1万2千歩の散歩となった。




● 品川駅は港区高輪にあり、目黒駅は品川区上大崎にある、これは有名な話。 では、大崎駅は品川区大崎にあるので『面白くない!』と思ったら、明治34年2月25日の駅開業時には、現在地の住所は“大崎町大字居木橋(いるきばし)”であった。 10年後の明治44年に開業した隣の五反田駅の当時の住所は“大崎町”であった。 当時“大崎町”の中心は、“上大崎”と呼んでいた目黒・五反田の辺りである。 本来“大崎”と名のるべきは五反田駅で、大崎駅は“居木駅”が妥当かな?、、、、以上、どうでもいい話!、、、、私は、朝7時半、「大崎駅」に下車し、散歩をはじめる。

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● 山手通りが目黒川を渡る橋、品川区大崎と北品川を結ぶ橋を、「居木橋(いるきばし)」という。、、、、橋名の由来は判らない?

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リニア中央新幹線工事現場、、、、、品川駅から大崎駅方向に向かう山手線・東海道新幹線と、大井町方向に向かう京浜東北線・東海道本線と、目黒川・山手通りに囲まれた三角地帯に、上空から見るとポッカリと大きな穴があいた工事現場がある(Googleマップの航空写真を見てね!) ココが、JR東海が工事中のリニア中央新幹線の工事現場で、穴(立坑、直径約36m、深さ約90m)は「北品川非常口」で、ほぼ完成している。 この立坑から「第一首都圏トンネル(北品川工区)」の掘削も行われている。、、、、仮囲いで覆われた現場は見ることも難しく、現場前の歩道橋、隣の墓地と、場所を変え・苦労して、穴の一部が撮影できた! 

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・・・・・・・・・・・・この現場のある処は、官営品川硝子製造所跡で、現在は工事現場の角に「近代硝子工業発祥の碑」がある。 説明書きによると、『日本における近代硝子工業発展のもとになったのは、明治6年に東海寺境内に創設された興業社である。興業社は、明治9年に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。 

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● 東海道本線とリニア中央新幹線工事現場の仮囲いに挟まれた狭い参道を進むと、三角地帯の先端に「東海禅寺大山墓地」がある。 ここには、沢庵和尚墓(国指定史跡)、賀茂真淵墓(国指定史跡)、井上勝墓、島倉千代子墓などが眠っている。

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・・・・・・・・・・・・・「沢庵の墓」は、自然の丸石を置いただけの無字の墓石で、人柄を窺わせる。 小堀遠州の設計といわれ、台石の上に直径1m、高さ50cmほどの大石を置き、周りに高さ約50cmの玉垣を巡らせただけの、凡そ正規の墓制にはない形だ。 これは本人の遺言だそうで、まさに沢庵漬けの漬物石だ。 沢庵最後の洒落か(?)

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・・・・・・・・・・・・「賀茂真淵の墓」は自然石である。 彼は元禄10年(1697)遠江国岡部新宮の禰宜の家に生まれる。 享保8年(1733)京都に上り荷田春満(かだのあずままろ)の門に入って神道国学を学び、国学を復興する。 後に江戸に下り、御三卿の田安家に召し出され優遇される。 その教えを受けた者300人を超えるそうだ。 後世、荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに〝国学の4大人(うし)〟と称される。明和6年(1769)に没し、東海禅寺塔頭少林院に神式で葬られた。

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・・・・・・・・・・・・「井上勝の墓」(鉄道記念物)は、墓地の北端で東海道新幹線を見守るように、自然石に「正一位勲一等子爵井上勝」と刻んである。初代の国鉄総裁で、鉄道の父と言われてる。 東京駅前に銅像が建っている。

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・・・・・・・・・・・・新幹線を見る井上勝の墓を見つめるように、「島倉千代子の墓」がある。 流雅之のデザインによるモニュメントのような墓。 今日は「藤あや子」、「坂本冬美」と書かれた生花が手向けられていた。

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● 東海禅寺墓地へ行ったら、近くの東海禅寺に寄らねばならない。、、、、臨済宗大徳寺派の「萬松山東海寺」は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山した。 寺領5,000石、境内地4万7000坪の別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭でだった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至っている。

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● 第一京浜(国道15号)に出ると、国道に面する小高い丘の上に「品川神社」がある。、、、、品川神社は、文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建された。 天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜わる。 明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京十社の一社に指定されている。、、、、現社殿は昭和39年(1964)に再建された

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・・・・・・・・・・・・品川神社社殿の奥に、かつて100円札のモデルであった、軍人・政治家の「板垣退助の墓」がある。 墓地は品川神社の境内ではないようだが、境内から行かないと墓地に辿り着かない! 神社では、板垣退助の墓について説明も、道案内もない。、、、、品川神社の隣り、板垣退助の菩提寺があったが、墓を残したまま移転してしまったらしい。 哀れな退助!、、、、『板垣死すとも自由は死なず 』 『坊主去れども墓石は残る』

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京急電鉄の品川駅地平化ならびに北品川駅の高架化工事が始まる、、、、工事では、品川駅の再開発に伴い、京急品川駅をJR品川駅と同じ高さに地平化し、客の動線をスムースにする。 また、北品川駅を高架化し八ツ山橋付近の踏切を撤去する。、、、、工事が始まったようだ、撮影し記録に残しておこう!

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品川駅にたどり着く直前に降ってきた。 カメラも濡れて、チョイト心配。、、、、今日の散歩はここまで!

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2021年12月 5日 (日)

拾うんじゃなかった!

都営浅草線戸越駅からJR山手線大崎駅まで、9千歩の散歩です。




● 昨日の続きで、都営浅草線「戸越駅」で下車する。、、、、戸越駅は、昭和43年(1968)の都営1号線(現:浅草線)西馬込~泉岳寺間開業時に設けられた駅。 この区間の開業によって浅草線は全通した。 ホームは島式1面2線構造で地下2階、改札は地下1階。、、、、近くには、戸越銀座商店街に面する東急池上線の戸越銀座駅(昭和2年開業)がある。 戸越銀座駅から約200m離れているが、こちらも商店街に近い戸越駅は“銀座”を付けず名乗るのみ。

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戸越銀座商店街は、東急池上線の「戸越銀座駅」に接する、全長約1.3kmにわたる関東有数の長さを誇る商店街で、3つの商店街振興組合で構成されている。 商店街沿いには約400件の店舗が軒を連ね、生鮮三品を扱う店も多い、地元密着型の商店街だ。 大正12年(1923)の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の下町や横浜方面の商業者たちが、当時発展の著しかった大崎周辺の工場地帯であるこの地に活路を見出して集まってきたことと、昭和2年に東急池上線「戸越銀座駅」が開業し、それまで散在していた周辺の商店が駅を中心に集まってきたことで、戸越銀座商店街が形成されてきた。、、、、朝8時前の商店街は、どこの店もまだ熟睡中! シャッターの下りている商店街を延々1㎞以上歩くのは面白くないので、商店街の裏を歩くことにした。

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● 商店街の南側(戸越2-1)に「戸越銀座温泉」がある。 数人の客が8時に開く、日曜の朝風呂を待っている。、、、、美人の湯として愛される天然黒湯温泉で、入浴料は460円、これは安い!、、、、昭和35年(1960)に創業した銭湯「中の湯」が、平成19年(2007)にリニューアルし、モダンな戸越銀座温泉に生まれ変わったそううだ。

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● 戸越銀座温泉から南東へ200m程の処にある「戸越八幡神社」に寄ってみた。、、、、鳥居をくぐり、拝殿へ、アレ? 変なのがある? 「仮拝所」と書いてある? 聞いたら『只今、御社殿は改修工事中』 仮拝所の後ろで、安政2年(1855)に落成した総欅造りの社殿の改修工事が行われていた。

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・・・・・・・・・・・・戸越八幡神社の隣りには、浄土宗寺院の「八幡山成就院行慶寺」がある。 行慶寺は、もと戸越八幡神社の別当であった。 大永年中(1521~1527)の創建。、、、、只今、モミジが色づいてます

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● 戸越八幡神社から南へ100m、「文庫の森公園」がある。 国文学研究資料館跡にできた品川区立公園。 元々は三井家の修史事業のために設立された「三井家編纂室」が、日本橋から「三井文庫」としてこの地に移転したのが始まりの「文庫の森」。 この地は、江戸時代には熊本藩細川家の下屋敷だった場所だ。、、、、池では水鳥が寒そうに泳いでた!

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・・・・・・・・・・・・公園内には「旧三井文庫第二史料庫」(国の登録有形文化財)の建物が残されている。 建物は大正11年(1922)に完成した、鉄筋コンクリート造3階建て。

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● 文庫の森公園から、再び戸越銀座商店街に出て。今度は商店街の北側の裏道を歩いた。 ここからは、19/2/8に歩いたルートを逆に歩いてきた。、、、、西品川三丁目石造庚申供養塔」、「貴船神社」、「文政11年(1828)銘の道標」、「大正六年銘道標 」と巡る。

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● 品川方面に歩いて行こうと思い、百反歩道橋を渡ると、可愛らしいポシェットを拾ってしまった。 中には、児童スポーツ教室の会員証と会費の領収書だけ。 拾った所に置いて行こうと思ったが、会員証に親の名前と児童の名前さらに住所に電話番号が画いてある。 コリャ、個人情報がヤバそうだ!と思い、拾ったことを電話で知らせてやろうと掛けてみたら。 留守のようだ! 拾った私が、どうしたものか困った! ヨシ、交番に届けておこうと、交番探すも見つからない。 人に訊ねると、大崎駅前にあると教えてくれた。 やれやれ、品川方面へ歩く予定が逆戻りだ! 交番を探し届けると、今度は書類を書いて、状況説明、ナンダカンダで30分のロス! 拾わなければ良かった!!!、、、、散歩を継続する気分は薄れ、帰る!

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大崎駅から帰宅、、、、気持ちは疲れた!

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2021年12月 4日 (土)

夢見る白蛇

JR大森駅から、北の方角(山手線の駅に向かい)に歩いてみようと、裏通りを歩き都営浅草線の戸越駅まで、1万歩の散歩です。




大森駅から今日の散歩を始める、、、、今日は、どこか山手線の駅まで歩いてみようと思い、大森駅は山王北口から出ることにした。 出口はホーム北端の階段上にある。 池上通りに面する山王北口は、雑居ビルの入口のような構えで、またJR東日本のコーポレートカラーである緑の駅名表示がないので、駅入り口とは思えない。

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● 大森駅山王北口から250m程の処にある山王交番前交差点から北に入る裏通りがある。 交差点角には、明治・大正の政治家:井上馨の別荘地を譲り受けて開校した現在の「大田区立山王小学校」(大田区山王1)がある。 山王小学校には何度か来たが、地図を見ると、この小学校前の裏通りは大田区山王、品川区西大井の町を北に向かって伸びている。 何となく旧街道の雰囲気が漂う道だ『決めた! 今日はこの道を歩いてみよう!』、、、、ということで、この無名(?)の裏通りを道なりに歩いてみた。

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・・・・・・・・・・・・商店街として名があるわけではないが、道沿いにはシャレた店舗が点在し、大森駅へ向かう通行人も多そうだ!

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・・・・・・・・・・・・山王交番前から400m程歩くと、大田区山王から品川区西大井の町になる。 西大井に入ると、道幅はさらに狭くなるが、旧街道のような雰囲気は残ってる。 チョイト古びた家もある。

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・・・・・・・・・・・・西大井4丁目に入ると道幅も多少広く、車は交互通行可能となった。、、、、横道の奥に赤い鳥居が見えた。 昭和10年(1935)にこの地に祀られた「金子山稲荷神社」という小さな神社。 地元の文化財。

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・・・・・・・・・・・・道の先には東海道新幹線の高架橋が見える。 新幹線の下では、切通しの中を横須賀線が走る。 頭上に新幹線、足下に横須賀線の三重構造。 その切通しに架かる「金子跨線橋」を渡ると西大井5丁目。、、、、おそらく、この跨線橋は昭和39年(1964)の東海道新幹線開通以前に架け替えられたものと思われる。

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・・・・・・・・・・・・新幹線の下をぬけ200m程歩くと、「品川区立伊藤小学校」がある、、、、明治の元勲である伊藤博文は、晩年、現在の西大井付近に居住し、別邸・墓所も近くにあったことから、町名を「大井伊藤町」とした。 その伊藤町に昭和11年(1936)に開校した小学校で、東京市伊藤尋常小学校と命名された。 大井伊藤町の町名は昭和39年(1964)に西大井となる。、、、、地名として、“西大井”より“伊藤”の方が歴史を感じる、復活できるといいね!

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・・・・・・・・・・・・伊藤小学校の先、西大井5丁目で歩いてきた裏通りはT字路にぶつかり、『道なりに』はココまで!

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● 西大井の町から進路を北へ! 品川区二葉の町に入ると「蛇窪神社(天祖神社)」の前に出た。、、、、私の大嫌いな“ヘビ”の神社。 寄って行こうか、素通りするか、決断の時が来た! 神社の前で躊躇すると、若い娘が二人鳥居をくぐる。 これで決まり、寄って行こう!、、、、蛇窪天祖神社は、文永8年(1272)以降、当地蛇窪村を開拓した北条四朗左近太夫陸奥守重時五男の時千代の家臣が、元享2年(1322)の旱魃時の雨乞祈願による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建された。 江戸期に入り、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村したが、当社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。

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・・・・・・・・・・・・撫で撫でしたくない「撫で白蛇」 これを撫でたら、今夜夢見る気がした、怖いのでやめておく!、、、、この他に、白蛇清水の銭洗い所、境内社の蛇窪龍神社、白蛇弁財天社など、ヘビ尽くし。 コリャ、本格的に夢見るかもね?

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● 早々に蛇窪神社の参拝を終え、裏通りを北へ向かうと、戸越6丁目に「子育て地蔵」という地蔵様を祀ったお堂がある。 昭和初期までは、この地蔵様は今の処より少し南にあり「首なし地蔵」と呼ばれていた。、、、、江戸時代から明治時代にかけて、この地蔵様は願かけ地蔵として評判を呼び、願いをかける人が地蔵様の首を畑のあぜに転がしたり、ときには胴体も倒し、願がかなったときに元通りにするという、変わった風習があった。 ところが、願掛けしたが叶わなかったためしばらく首がない状態が続いた。 大正末期になって、地蔵様の熱心な信者だった目黒の植木職人が、「このままでは、地蔵様がかわいそうだ」と他の首をつけた。 その後、願かけのために首を外す習わしはなくなり、今では子育て地蔵として慕われている。

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● 東急大井町線の戸越公園4号踏切を越える、、、、戸越公園付近では、鉄道の立体化が求められており、都・区などで基本計画がまとめられているそうだ。

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国道1号の地下に都営浅草線「戸越駅」がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、近くに有名な戸越銀座商店街があるが、駅は商店街とは無縁なのかあまりパッとしない造りである。

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