残された退助
JR山手線でたった一駅間、大崎駅から品川駅まで歩いてきた。 ほぼ線路沿いに歩いたのだが、寄り道が多かったのか、1万2千歩の散歩となった。
● 品川駅は港区高輪にあり、目黒駅は品川区上大崎にある、これは有名な話。 では、大崎駅は品川区大崎にあるので『面白くない!』と思ったら、明治34年2月25日の駅開業時には、現在地の住所は“大崎町大字居木橋(いるきばし)”であった。 10年後の明治44年に開業した隣の五反田駅の当時の住所は“大崎町”であった。 当時“大崎町”の中心は、“上大崎”と呼んでいた目黒・五反田の辺りである。 本来“大崎”と名のるべきは五反田駅で、大崎駅は“居木駅”が妥当かな?、、、、以上、どうでもいい話!、、、、私は、朝7時半、「大崎駅」に下車し、散歩をはじめる。
● 山手通りが目黒川を渡る橋、品川区大崎と北品川を結ぶ橋を、「居木橋(いるきばし)」という。、、、、橋名の由来は判らない?
● リニア中央新幹線工事現場、、、、、品川駅から大崎駅方向に向かう山手線・東海道新幹線と、大井町方向に向かう京浜東北線・東海道本線と、目黒川・山手通りに囲まれた三角地帯に、上空から見るとポッカリと大きな穴があいた工事現場がある(Googleマップの航空写真を見てね!) ココが、JR東海が工事中のリニア中央新幹線の工事現場で、穴(立坑、直径約36m、深さ約90m)は「北品川非常口」で、ほぼ完成している。 この立坑から「第一首都圏トンネル(北品川工区)」の掘削も行われている。、、、、仮囲いで覆われた現場は見ることも難しく、現場前の歩道橋、隣の墓地と、場所を変え・苦労して、穴の一部が撮影できた!
・・・・・・・・・・・・この現場のある処は、官営品川硝子製造所跡で、現在は工事現場の角に「近代硝子工業発祥の碑」がある。 説明書きによると、『日本における近代硝子工業発展のもとになったのは、明治6年に東海寺境内に創設された興業社である。興業社は、明治9年に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。 』
● 東海道本線とリニア中央新幹線工事現場の仮囲いに挟まれた狭い参道を進むと、三角地帯の先端に「東海禅寺大山墓地」がある。 ここには、沢庵和尚墓(国指定史跡)、賀茂真淵墓(国指定史跡)、井上勝墓、島倉千代子墓などが眠っている。
・・・・・・・・・・・・・「沢庵の墓」は、自然の丸石を置いただけの無字の墓石で、人柄を窺わせる。 小堀遠州の設計といわれ、台石の上に直径1m、高さ50cmほどの大石を置き、周りに高さ約50cmの玉垣を巡らせただけの、凡そ正規の墓制にはない形だ。 これは本人の遺言だそうで、まさに沢庵漬けの漬物石だ。 沢庵最後の洒落か(?)
・・・・・・・・・・・・「賀茂真淵の墓」は自然石である。 彼は元禄10年(1697)遠江国岡部新宮の禰宜の家に生まれる。 享保8年(1733)京都に上り荷田春満(かだのあずままろ)の門に入って神道国学を学び、国学を復興する。 後に江戸に下り、御三卿の田安家に召し出され優遇される。 その教えを受けた者300人を超えるそうだ。 後世、荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに〝国学の4大人(うし)〟と称される。明和6年(1769)に没し、東海禅寺塔頭少林院に神式で葬られた。
・・・・・・・・・・・・「井上勝の墓」(鉄道記念物)は、墓地の北端で東海道新幹線を見守るように、自然石に「正一位勲一等子爵井上勝」と刻んである。初代の国鉄総裁で、鉄道の父と言われてる。 東京駅前に銅像が建っている。
・・・・・・・・・・・・新幹線を見る井上勝の墓を見つめるように、「島倉千代子の墓」がある。 流雅之のデザインによるモニュメントのような墓。 今日は「藤あや子」、「坂本冬美」と書かれた生花が手向けられていた。
● 東海禅寺墓地へ行ったら、近くの東海禅寺に寄らねばならない。、、、、臨済宗大徳寺派の「萬松山東海寺」は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山した。 寺領5,000石、境内地4万7000坪の別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭でだった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至っている。
● 第一京浜(国道15号)に出ると、国道に面する小高い丘の上に「品川神社」がある。、、、、品川神社は、文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建された。 天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜わる。 明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京十社の一社に指定されている。、、、、現社殿は昭和39年(1964)に再建された
・・・・・・・・・・・・品川神社社殿の奥に、かつて100円札のモデルであった、軍人・政治家の「板垣退助の墓」がある。 墓地は品川神社の境内ではないようだが、境内から行かないと墓地に辿り着かない! 神社では、板垣退助の墓について説明も、道案内もない。、、、、品川神社の隣り、板垣退助の菩提寺があったが、墓を残したまま移転してしまったらしい。 哀れな退助!、、、、『板垣死すとも自由は死なず 』 『坊主去れども墓石は残る』
● 京急電鉄の品川駅地平化ならびに北品川駅の高架化工事が始まる、、、、工事では、品川駅の再開発に伴い、京急品川駅をJR品川駅と同じ高さに地平化し、客の動線をスムースにする。 また、北品川駅を高架化し八ツ山橋付近の踏切を撤去する。、、、、工事が始まったようだ、撮影し記録に残しておこう!
● 品川駅にたどり着く直前に降ってきた。 カメラも濡れて、チョイト心配。、、、、今日の散歩はここまで!
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