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2022年1月

2022年1月24日 (月)

明治末期の架道橋

正月松の内も過ぎた頃から、オミクロン株の感染者が連日過去最高を記録し、高齢の私は家に籠って自粛を続けている。 しかし、今日は2カ月毎の循環器内科の受診日。 久しぶりに電車に乗って、水道橋のクリニックへ行ってきた。 “散歩”と言うほどの距離は歩いていないが、チョッピリ気晴らしができた!




● 誰もがみんな知っている東京ドームシティの最寄り駅、場外馬券売り場もある。 その名は「水道橋」。 駅名の由来は神田上水の掛桶(かけひ、水道の通る橋)が近くにあったことによる。、、、、明治39年(1906)9月24日、甲武鉄道の駅として開業したが、一週間後の10月1日には国有化により国有鉄道の駅となる。

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・・・・・・・・・・・・新宿方のホームにはホームドア取付け工事がすすめられている。 御茶ノ水方ホームはまだ工事が始まっていない。、、、、駅は度々改修されているが、ホーム上に古いレールを利用した架線柱などがあり昭和の雰囲気が残っている。

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・・・・・・・・・・・・改札口にズラリ並ぶ自動改札機。 野球・コンサートが始まる前は自動改札を出るとダフ屋がウロウロ! 終われば、改札前は帰宅する人であふれる。

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● 私が通うクリニックへ行く手前にJR中央・総武緩行線が走る「小石川橋架道橋」がある。 今日は、チョイト写真を撮ってきたのでご紹介する。
・・・・・・・・・・・・まず「小石川橋」とは、水道橋と飯田橋の間で、神田川に架かる橋。 ここには、かつて江戸城外濠の「小石川門」があった。 明治時代には門は撤去され、木橋が架かっていたが、関東大震災後(昭和2年)に鋼橋に架け替えられた。 平成24年(2012)には老朽化の為、現橋に改修された。、、、、この橋の正面に小石川橋架道橋がある。

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・・・・・・・・・・・・小石川橋架道橋は、神田川から分岐する日本橋川に架かる。 写真:右奥のトラス橋が小石川橋架道橋で手前の青い橋は道路橋の「三崎橋」 左端の奥にはグレーのシートに覆われた水道橋(工事中)がチラッと見える。 神田川に架かる小石川橋から撮影。

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現:三崎橋は、昭和29年(1954)に架け替えられ、その後昭和62年(1987)に橋の両側に歩道橋が新設された。

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・・・・・・・・・・・・三崎橋の隣りに架かるトラス橋が「小石川橋架道橋(ガード)」である。、、、、この橋が架けられたのは、甲武鉄道の時代(明治時代)で、日本で鉄道の建設はもっぱら諸外国に頼っており、お雇い外国人が活躍した時代である。 当時、鉄道建設は、北海道ではアメリカ、本州ではイギリス、九州ではドイツを手本として進められた。 橋梁は輸入品を使用した。 その輸入先の一つに、ドイツの橋梁メーカーであるハーコート社があった。 小石川橋架道橋を挟む両側架道橋部分のガーター橋に明治37年(1904)のドイツハーコート社製を示すプレートがついているので、中央のトラス橋部分も同時期のものと思われる。

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2022年1月14日 (金)

寒波とコロナで散歩は自粛


日本列島は、強い寒波が襲来し、当分の間東京も寒く厳しい日が続くようである。 そこに登場したのがオミクロン株、感染力が強く、東京では一日の感染者が4000人を越えた、全国では20000人を越えた。 基礎疾患のある高齢者の一人として、私も、しばし散歩は自粛することにした。 まだ、死にたくないので!

閻魔大王は、地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に落ちくる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰されている。 コロナが蔓延し、地球上のすべての人間が、閻魔大王に評価されているのかも? 
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    写真は上品寺(新小岩)の閻魔大王

2022年1月12日 (水)

荒川土手は、寒い寒い

北風が吹き、雪が舞い、雨が降り、連日の寒さは高齢者の私にはチョイト厳しい。 今朝も早々と5時には目が覚め、6時には朝食を済ませたが、7時になると我慢できず散歩に出たくなった。 先日(1/8)の続きで王子駅から歩こうと思ったが、新型コロナに感染したくないので、どうしようか迷う。 朝の京浜東北線は混んでる、王子駅は乗降客が多い、王子周辺は通行人が多い、てなことで、今日の散歩は人混みを避け、東武伊勢崎線の堀切駅から荒川土手を歩き京成押上線の八広駅か、JR総武線の平井駅まで歩くつもりで家を出た。 堀切駅前の荒川土手に立つと、北風が吹き付け、超寒い! 『コリャ、風邪をひくかも! 風邪になると新型コロナと間違え、病院に隔離されるかも?』 急遽、土手歩きは止めて、土手下の墨田区墨田の町を歩き八広駅までの散歩に変わった。 1万1千歩




● 暖かい電車の扉が開きホームに出ると、寒い北風が吹き付けてきた。 近くの大学の学生も何人か降りる。 皆、寒そうに2台の自動改札を通り抜けていく! 学生がいなくなると、ホームにいるのは私だけ、寂しい駅である。 東武伊勢崎線の「堀切駅」、下町の情景が残る駅

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● 堀切駅の前を流れる荒川の土手に上る。 午前8時、『ウヮ~ 寒い、寒い!』 予想以上に寒い、この土手を歩いて行くには、チョイト辛い。 風邪をひいたら一大事、医者には新型コロナと思い隔離されるかも、『止めた、止めた、土手歩きは中止!』、、、、土手に上がると、上流側には堀切橋、目の前には隅田水門首都高、青空の下にはっきり見える。 北風の姿、形は見えないが、間違いなくココに居る!

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● 荒川土手から土手下に下りて、墨田区墨田の町を歩くことにした。 堀切駅から南に約500m歩くと、墨堤通り沿いに“kao”と“kanebo”の物流倉庫が見える。 その広い敷地に隣り合わせて小さな「カネボウ公園」があり、園内に「鐘淵紡績株式会社 発祥の地」の石碑がある。、、、、石碑の裏には『発祥碑由来記 此の地は古くから沈鐘の伝説があり, 江戸時代に入って将軍徳川吉宗公が之の引揚げを下命しましたが成功せず鐘は毎夕月の出と共に燦然として光を放ったといわれます。  周辺の風光明媚を愛でて 徳川氏はこゝを将軍家専用の野菜畑とし御前栽と称しました。 明治二十年近代工業の先覚としてこの地に東京綿商社が設立せられ, 紡績機械ニ万九千錘を英国より輸入して東洋第一の紡績工場を建設, 明治二十二年社名を鐘淵紡績株式会社と改称しました。  爾来近代日本の進展と共に工場は拡大し, その技術は全国津々浦々に結実し製品はカネボウの名声と共に遠く欧米各国を席巻しました。 また過ぐる関東大震災, 東京大空襲当時その職に殉じて斃れた者は五十余柱に及びました。 いまこゝに時代の進運と共に工場の移転を実施するに当って鐘紡稲荷神社並びに慰霊観音像を奉安し八十余年に亘ってうけたこの地域社会の御かげを感謝すると共に老人と児童の憩いの場を設けて記念庭園とし永く先人の偉業を偲ぶよすがとなることを切願するものであります。  昭和四十年十月二十日  鐘淵紡績株式会社  社中一同』、、、、昔は世界有数の紡績会社であったが、昭和40年頃からは、チューインガムを販売したり、化粧品屋に変わったりしたが、平成19年(2007)に「カネボウ株式会社」は解散した。 現在「カネボウ」の商標権は花王の傘下となった「カネボウ化粧品」が保有しているそうだ。

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● カネボウ公園から南に200m程の処に、真言宗智山派寺院の「多聞寺」がある。 多聞寺は隅田山吉祥院と号す。 創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には現隅田川神社付近にあり、大鏡山明王院隅田寺と称していたと言われてる。 天正年間(1573~1591)に本尊を毘沙門天として隅田山吉祥院多聞寺と改称した。 本尊は、隅田川七福神の一つとなっている。、、、、茅葺の山門は区内最古の現存建造物で、風情ある寺だ!

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● 下町の裏道を歩き、鐘ヶ淵駅前をとおり墨田4丁目の隅田稲荷神社へ向かう。、、、、この辺りは何度も歩いているが、狭く複雑に入り組んだ裏道を覚えられず、行ったり来たり、右へ左へ、疲れる散歩だ!

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● 『この辺りにあるはずだ?』 道案内もなく、探し探して、やっと行き着いた「隅田稲荷神社」、、、、天文年間(1532~1553)、伊豆より逃れてこの地を開拓した堀越公方政知の家臣江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大神を勧請し氏神として祀った。、、、、現社殿は昭和18年(1943)に竣工。 周囲は下町の住宅がビッシリと立ち並び、地元の氏神様だ!

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● 四ツ木橋取付道路(=国道6号、日光街道)の下を抜けるトンネル、、、、四ツ木橋取付道路の下のトンネルは、ここと、荒川土手際の2か所にある。 長さは約22mで、現四ツ木橋竣工した昭和27年(1952)に造られたものと思われる。

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● 時刻は午前10時過ぎ、気温も上がり、北風は和らいだ。 『荒川土手に上がってみよう!』


・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋の際に出た、、、、新四ツ木橋は、昭和48年(1973)竣工、長さ472mの鋼箱桁橋

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・・・・・・・・・・・・下流側には京成押上線荒川橋梁が架かってる。 平成14年(2002)に架け替えて、竣工したこの橋の総事業費は398億円也。

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・・・・・・・・・・・・土手から見える京成押上線の八広駅、、、、駅の先にはスカイツリーも

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● 寒い散歩の終わりは京成押上線の「八広駅、、、、八広駅はホームに屋根はあるが、全体的に風通しが良く造られている。 ホームに立っても寒い寒い!

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2022年1月 8日 (土)

多彩な都電荒川線

雪が積もった一昨日、雪が凍った昨日、雪が融けた今日、いずれにしても寒い日が続いてる。 その寒い朝、散歩に出た。、、、、大塚駅から、都電荒川線に沿って王子駅までの散歩です。




● JR大塚駅の高架下に都電荒川線の大塚駅前停留場がある。 停留場は高架の真下にあり、大塚駅の南口・北口の両方から利用することができる。、、、、明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道により飛鳥山~大塚間(現:大塚駅前停留場)が開業した。 都電荒川線の始まりである。 大正4年(1915)4月17日には、飛鳥山~王子間も開通し、本日の私の散歩ルートの終点:王子まで延伸された。

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・・・・・・・・・・・・線路敷きにはまだ雪が残る

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● 大塚駅前の次は巣鴨新田停留場、、、、大塚駅前の一日当たりの乗降客数は約8000人(2021年7月現在、以下同じ)、巣鴨新田は約1200人と寂しい。 停留場前の都立文教高校の生徒も、大塚駅から徒歩通学しており都電をあまり利用しないらしい。 なお、都電の運賃は均一運賃で大人170円、子供90円なり。

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・・・・・・・・・・・・全線ほぼ専用軌道を走る荒川線には、小さな踏切も多い。 “裏道の先に見える踏切”は画になる、いいね!

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● 線路脇の狭い道を歩き庚申塚停留場に到着。、、、、ここは、おばあちゃんの原宿「巣鴨地蔵通り商店街」の北端で、乗降客は約2500人とチョイト多い!

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・・・・・・・・・・・・地蔵通り商店街の入口脇に停留場名となった猿田彦大神庚申堂がある。 猿田彦大神は道開きの神で、巣鴨のお地蔵様と合わせて、参拝すると御利益倍増か?(ボケを治して、天国へ導いてくれるかも)

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● 庚申塚停留場から約250m、白山通り(=国道17号、中山道)の整備に伴い昭和4年(1929)に設置された新庚申塚停留場。、、、、国道を挟み両側に上り・下りのホームがある。

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● 新庚申塚停留場の北側に数ヵ寺がまとまっている一画(西巣鴨4-8)がある。 三ヵ寺に寄ってきた。


・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗寺院の「
弘願山専称院西方寺」、、、、西方寺は、本所押上大雲寺(現江戸川区)末として、浅草聖天町に開山、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 西方寺が浅草に在ったころは、引き取り手のない吉原の遊女の死骸も引き取り、供養したことから、箕輪の浄閑寺とともに「投込寺」と言う悲しい名も付けられた。、、、、当寺には、吉原で嬌名をうたわれた2代目高尾太夫の墓所がある。 また、同じく吉原:三浦屋の薄雲太夫の逸話もある。 薄雲太夫は愛猫の死を嘆き西方寺に回向しました。(猫塚があります) その逸話が招き猫を生んだとされており、 西方寺も招き猫とゆかり寺とされている。、、、、只今、門・塀を改築中。

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・・・・・・・・・・・・西方寺の東側には、法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は、長徳山と号し、寛永元年(1624)赤坂に起立し、その後四谷鮫ヶ橋南町へ移転する。、、、、四谷怪談で有名なお岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。 この寺も四谷にあったが、明治42年(1909)に現在地に移転した。 お岩様の墓に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。(境内掲示版に書いてあった)

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・・・・・・・・・・・・妙行寺の北隣りには、天台宗寺院の「薬王山延寿院善養寺」がある。 善養寺は、天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。

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● 三ヵ寺を巡った後は、またまた線路際の狭い道を歩き、「西ヶ原四丁目停留場」に向かう。、、、、ここの乗降客数は一日当たり約2500人。

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・・・・・・・・・・・・人二人分の幅の狭いホームにはホームドアなど設置できないね、必要ないか?

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・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場を過ぎると飛鳥山停留場まで一直線。 正面に飛鳥山が見える!

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● さて次は、一日の乗降客が1600人ほどの「滝野川一丁目停留場

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・・・・・・・・・・・・停留場の先には、今は珍しくなった桜丘高校の円形校舎がある、、、、その先は、ツバキか?、サザンカか?知らないが、赤い花咲く線路際を歩く。

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● 線路の正面に飛鳥山公園が立ちふさがる「飛鳥山停留場」(乗降客は約1000人)、線路はこの先で大きく飛鳥山を回り込むようにカーブして王子駅前停留場に向かう。

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● JRのガードをくぐり、JR王子駅の横、東北新幹線の高架下に「王子駅前停留場」がある。 王子駅前停留場の一日当たりの乗降客数は約9200人也。、、、、カラフルな塗装の都電を見ながら、1万1千歩の楽しい散歩でした。

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2022年1月 5日 (水)

寅さんの柴又へ

この正月は、元旦から昨日まで家にこもって寝正月。 人混みの中を歩きコロナに感染し死ぬのはイヤだ!、、、、でもそろそろ、今日あたりは仕事始めの企業も多く初詣の人も少なくなったと思い、夫婦で柴又の帝釈天に行ってきた。



● 浅草橋駅裏の「銀杏岡八幡神社」の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代には、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったが、享保10年(1725)公収され町内(福井町、現:浅草橋1・2丁目)の産土神となった。 神社は我が家の氏神様である。 まずは氏子として、神社に新年の挨拶をしてから、帝釈天に向かう。(神様を怒らせると天罰が怖いからね!)

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● 都営浅草線の浅草橋駅から約40分で京成金町線の柴又駅に到着。、、、、高砂駅から乗った乗客の9割は当駅で下車。 電車がホームから走り去ると、一斉に構内踏切を横断する乗客、その光景を見て『コリャ、混んでいるかも?』 チョイト、不安がよぎる。

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・・・・・・・・・・・・駅前に出ると、多少の人出はあるが、不安に思った程ではない。 駅前の寅さん像もゆっくり見れる。 『寅さんとツーショットもできる!』

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・・・・・・・・・・・・参道は空いてるでもなく、混んでるでもなく、初詣にちょうど良い人出だ。 また、天気は良く、店は賑わい、正月らしい。 『いい時に来たね!』

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・・・・・・・・・・・・時刻は12時チョイ前、『帰りは混みそうだから、参拝前に食べて行こう!』、、、、『正月だ、“”だ!』

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・・・・・・・・・・・・参道では、「はしご乗り」も行われ、正月気分は上々!

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・・・・・・・・・・・・団子屋、飴屋、佃煮屋、どこの店も売り子はマスク美人! 客は顔半分しか見えず残念、売り子は半分隠れて一安心!

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・・・・・・・・・・・・山門前から行列が始まった、お堂前まで10分程の待ち時間、、、、三ヶ日は寺の境内を囲むように行列ができたらしい!

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・・・・・・・・・・・・帝釈堂も祖師堂も、黄色い仮囲いに囲まれて屋根しか見えない『何じゃコレは?』 目の前にあるのは賽銭箱のみ!

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・・・・・・・・・・・・駅前の「さくらの像」に別れを告げて、我が夫婦の初詣はココまで!

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