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2022年2月

2022年2月26日 (土)

突然ですが

ウメもほころび暖かくなってきましたが・・・・・・・・

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私事で、散歩する時間をつくれなくなり、突然ですが「雅万歩」、しばらくお休みします。

    ・・・・・・・・・・ できるだけ早く再開できるよう、頑張ります!

2022年2月22日 (火)

江北橋通り踏破

江北橋通りの残りの区間(五反野~亀有)を歩いてきた。 1万3千歩




● 朝8時、東武伊勢崎線の「五反野駅」で下車した。 五反野駅は、大正13年(1924)10月1日に開業した駅だが、一日当たりの乗降客は36,000人程と少ない。 駅周辺には、区外から人を呼び込むほどの施設もなく、まさに“地域密着型の駅”。

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● 駅から南東に歩き、「西之宮稲荷神社」(足立区足立3)に寄って行く。、、、、西之宮稲荷神社の創建年代は不詳だが、弥五郎新田村(五反野付近の旧地名)には東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったと言われている。 この西之宮稲荷が当社に該当、明治時代初期には、東之宮稲荷、氷川社とともに本田之宮稲荷の境外社となっていたものの、本田之宮稲荷が荒川放水路河川敷として買収されたため、当社に本田之宮稲荷社を合祀、現在に至っているといいます。 昭和20年(1945)戦災により社殿焼失、同30年(1955)再建。 現在の社殿は平成12年(2000)の造営である。、、、、境内は広くはないが、立派な神社(?)

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・・・・・・・・・・・・西之宮稲荷神社から50m程南に「江北橋通り」に出た、『今日は、この道を歩くぞ!』

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・・・・・・・・・・・・江北橋通りが東武伊勢崎線と交差するガード脇に、比較的新しい六地蔵を彫った碑がある。 碑には「建碑の疏
」と彫られてる。、、、、謂れは?

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● 江北橋通りを東へ歩き西綾瀬3丁目に入ると、江北橋通り沿いに素朴な感じで心和む寺がある。 新義真言宗の「長性寺」で真光山荘厳院と号す。 長性寺は、当地の名主である岡村紀宿元春を開基として寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。 現在の本堂は大正13年(1924)に建てられた。

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● 江北橋通りを通す「五兵衛新橋」で綾瀬川を渡る。 橋から綾瀬川を見ると、周辺の住宅より水面の方が高い! 氾濫すれば、一発でお陀仏、怖い!

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・・・・・・・・・・・・長性寺の近くに立つ電柱。 上部の赤いテープ、判るかな?、、、、目の前には「最大5.0m  想定浸水深」の文字!

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● 五兵衛新橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と記した案内板が立てられている。、、、、この金子家は金子五兵衛(橋名の由来となった人物)の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。

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● 江北橋通りを挟み向かい側の足立区綾瀬4丁目に、真言宗豊山派の「
観音寺」がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建された。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作。 、、、、、慶応4年(1868)3月には江戸から退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊した。、、、、山門は閉ざされており、横の勝手口から入って参拝してきた。  綾瀬駅に近いが静かで落ち着いた雰囲気の寺だ。 庭の手入れが行き届いていて美しく、石仏も多い。

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● 江北橋通りに戻り、東へ東へ歩く、、、、綾瀬駅前、東京メトロ千代田線(北綾瀬支線)のガード、下河原公園の庚申塔、常磐線のガード、を通過。 これより、江北橋通りは常磐線の南側(葛飾区)を通ることになる。

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● 西亀有3丁目の交差点手前で、江北橋通りに小菅方面からの旧水戸街道が合流する。 その地点には「旧水戸佐倉道」の碑が建てられている。、、、、葛飾区教育委員会が建てた石碑。 旧水戸街道のルートを明示して、“
町歩き”、“街道巡り”の活性化につながるといいね。

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● 江北橋通りと曳舟川親水公園通りが交差する「道上小学校東交差点」から、環七通りにぶつかるまでの約500mの間は、史跡・石像・モニュメントなどが並んでいる。

・・・・・・・・・・・・まずは、「曳舟古水上橋跡地」、、、、曳舟川親水公園の北端で、曳舟川の橋跡地です。 親水公園はここから四つ木方面へ約3㎞伸びている。

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・・・・・・・・・・・・「旧水戸街道 亀有上宿石碑」(亀有1)、、、、亀有上宿町(現:亀有1・2・3丁目の複合域)の北部を西から東に貫いているのが「旧水戸街道」。 現在の江北橋通りである。

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・・・・・・・・・・・・続いて「一里塚と水戸黄門」(亀有1)、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。一里塚は現在地から東へ10mほど先にあり、明治の末頃までは塚の跡が残っていた。 一里塚碑の隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントが建っている。

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・・・・・・・・・・・・「上宿七福神」、、、、旧水戸街道(江北橋通り)が拡幅され西亀有から環七を越え、新宿へと続く道も昨年完成した。 沿線の上宿商店会はこれからの更なる発展へと動き出す中で、上宿を中心とした、亀有および葛飾地域のますますの発展を願い、守り神様として商店会内の7つの拠点に七福神を安置し祀ることとした。 亀有1~3丁目の商店の玄関先、植え込み、店の角などに、小さな七福神の石像が置かれている。 七福神を探し歩くと面白い。(私は、全てを見つけてきた!)

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・・・・・・・・・・・・「こち亀銅像」は、亀有駅を中心に各所に建立されている、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物の銅像群の総称。 駅周辺に15体の像がある。 江北橋通りには2体の像。

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● 『ゴール!』 江北橋通りの東端「環七通り」と交わる「亀有二丁目交差点」に着いた。、、、、今日はココまで。

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2022年2月17日 (木)

未完の江北橋通り

江北橋を渡り扇大橋駅まで歩いた一昨日、今日は扇大橋駅から江北橋通りを歩き五反野駅まで、1万2千歩の散歩です。

江北橋通り、、、、江北橋通りは、足立区宮城の荒川に架かる江北橋の西詰の交差点から、葛飾区亀有の環七通りの亀有二丁目交差点に至る延長9kmの東西方向の道路で、補助第136号線として整備が進められている道路です。 本木北町付近から関原の森入口交差点(尾竹橋通りと交差)の西側手前までは工事中。

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● 日暮里・舎人ライナー「扇大橋駅」で下車し、駅前の交差点から「江北橋通り」を東に歩く。

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● 緑の金網のフェンスで囲われた“都有地”が所々に在る。 まだ、道路を広げるのかな(?)と思いつつ600m程歩き都営「扇一丁目第二アパート」を過ぎた処で、江北橋通りの正面にフェンスで囲われた工事現場が現れる。 江北橋通りの未成区間だ! ここからは迂回することになる。

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● 江北橋通りの南側に迂回すると、本木西町に真言宗豊山派寺院の渕江山星谷寺吉祥院がある。 吉祥院は、正応元年(1288)僧円真が開山した。 古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したそうだ。 最盛時には多くの寺領と末寺33を有し、明治以降も高い格式をもっていた。 、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物。

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● 迂回して江北橋通りの工事現場に戻った処は、本木北町の「田中稲荷神社の前である。 これまで、狭い裏道の奥にあった神社が、広い大通りに面するのだ、境内の地価も値上がりするかも(?)

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・・・・・・・・・・・・ここからは、フェンスに沿って東に向かう

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● 尾竹橋通りから200m程西に入った足立区本木2丁目で、江北橋通りの未成区間の東端となる。、、、、約650mの未成区間はココまで。

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・・・・・・・・・・・・未成区間の先に、尾竹橋通りと交差する「関原の森入口交差点

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● 「関原の森」とは、昔懐かしい「愛恵まちづくり記念館」と現代的な「まちづくり工房館」(会議室)を核として、近年整備された足立区の区民活動の拠点。、、、、ここには、昭和5年(1930)から平成2年(1990)までの30年間にわたり社会福祉事業を続けてきた「愛恵学園」があった。「愛恵学園」は、昭和初期にアメリカ人女性宣教師:ミス・M・A・ペイン先生(肖像画を展示)によって創設された。 乳幼児を預かるナースリー・スクールや、医師による乳幼児の健康相談会、幼稚園など社会福祉事業を行ってきたが、時代の流れにより、その役割を終えた。 「愛恵学園」の功績を残すとともに、関原地区のシンボルにしようと区が買収し、整備改修をして誕生したのが「愛恵まちづくり記念館」だ。 昭和5年(1930)築の記念館は木造2階建ての洋風建物で園舎として使用された。 1階は会議室、2階は会議室と談話室、相談室などがある。 清水組(現:清水建設)の施工、、、、温かみを感じる記念館は、子供の声が聞こえるようだ。 チョイト内部も拝見!

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● 江北橋通りは東に向かって、ほぼ一直線に伸びている。 この辺りは、最近開通したのか、ガードレール、白線も新しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・道路沿いに真言宗豊山派寺院の「明王院」(足立区梅田4)がある。 明王院は、万徳山梅林寺と号す。 治承2年(1178)六条判官源為義の三男義広の草創で、五世久広のとき当院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めたことから、周辺の地名も梅田と呼ばれることになったといいます。 江戸時代には、鷹狩りの折の御膳所となり、また源家の古い祈願所でもあったことから寺領13石の御朱印状を拝領しています。

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● 東へ東へと歩き、梅田の交差点で日光街道(=国道4号)を横切る。 江北橋通りは葛飾区へ続く。、、、、私の散歩は、チョイト脇にそれて五反野駅へ向かう。

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● 東武伊勢崎線「五反野駅」に到着。 五反野駅は大正13年(1924)10月1日、小菅・梅島の両駅と同時に追加開業した。 ホームは高架島式1面2線構造で、複々線の内側を走る緩行線のみにホームがある。(緩行線しか停車しない!) ホームと改札階を結ぶエレベーターはない。 改札口は1ヶ所のみで地上1階にある。、、、、“田”と“野”の違いで、五反田は知る人多い、五反野を知る人は珍しい(?)

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2022年2月15日 (火)

荒川土手を歩く

三日前の散歩の続きで、新田三丁目バス停から江北橋を渡り日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR王子駅前から都バスに乗って、「新田三丁目」で降りる。 『さて、歩くぞ!』、、、、我が家からここに来るまでの間、車中で地図を見て、荒川右岸の土手が近いので、“コロナ対策”も兼ね土手上を歩くことにした。 バス停から、シャッターを下ろした商店の前をとおり土手に向かう。 正面に荒川土手が見えてきた、結構な高さだ!

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・・・・・・・・・・・・ここ付近(足立区新田3)では、荒川が氾濫すると最大6.5mも浸水するらしい。 2階で暮らしていても、溺れ死にする浸水深さ。 熟睡できない不安な町だ!

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● 本日は無風、気温もチョイト暖かくなりそう、ただし曇り空。 土手上は歩きやすい。、、、、荒川右岸の土手に立つと、正面には「荒川」が流れ、向こう岸には首都高が走っている。 左手(上流側)には「鹿浜橋」が見える。 右手(下流側)は首都高のアーチ橋「五色桜大橋」が小さく見える、土手の脇にはUR都市機構の賃貸住宅「ハートアイランド新田」がズラリ並び建つている。

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・・・・・・・・・・・・「ハートアイランド新田」は、隅田川と荒川に囲まれた、足立区新田に位置するUR都市機構が開発した団地。 総面積20haという広大な工場跡地に、新たな橋や道路、公園、学校などの整備が進む新しい街。 川岸を幅広く盛り土し、ゆるやかな傾斜地として荒川の「スーパー堤防」と一体的な造りとなっている。 平成16年(2004)から平成22年(2010)にかけ順次整備された。、、、、ド・デカイ団地で、何棟?、何戸?、まったく判らん!

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・・・・・・・・・・・・続いて土手上から見えるのは、UR都市機構の「豊島五丁目団地」、、、、隅田川が大きく蛇行する膨らみ部分(北区豊島5)に広がる高層の集合住宅群。 昭和47年~昭和48年に建てられた、総戸数約5000戸の大規模団地。

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・・・・・・・・・・・・写真中央の「豊島五丁目団地」と右側奥に見える「ハートアイランド新田」

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・・・・・・・・・・・・次に見えるのは「五色桜大橋」、、、、五色桜大橋は、首都高中央環状線の江北ジャンクションと王子北出入口の間にある荒川を渡る橋。 世界初の2層構造のダブルデッキニールセンローゼ橋で、上層部が内回り(板橋方面)、下層部が外回り(江北方面)となっている。 右岸は豊島5丁目宮城2丁目を分かち、左岸は足立区江北2丁目に至る。、、、、何だかピンとこない“五色桜大橋”の名は、この付近の荒川堤一帯がかつて五色の桜が咲く名所だったことに由来するらしい。 橋は、平成2年(1990)に着工し、平成14年(2002)に開通した。、、、、残念ながら、歩いて渡ることはできない!

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・・・・・・・・・・・・五色桜大橋の下流側に架かるのは「江北橋
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・・・・・・・・・・・・「江北橋」は、都道307号王子金町江戸川線を通す。 左岸(北岸)は足立区江北、右岸(南岸)は足立区宮城。、、、、橋は大正12年(1923)に鉄筋コンクリート造の橋脚を持つ木桁橋として開通したが、開通直後の9月1日、関東大震災で損傷したために、大正14年(1925)に同じ形式の橋に架け替えられた。 そして、現在の橋は昭和47年(1972)に300m下流に架け替えられたものである。 橋長449m、幅員11m。

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● 江北橋を渡り江北2丁目に入ると、真言宗寺院「恵明寺」がある。、、、、恵明寺は宮城山円明院と号す。 恵明寺の創建年代は不詳だが、慶安元年(1648)寺領20石の御朱印状を拝領、末寺11ヵ寺を擁する中本寺格の寺院だったと言われてる。 明治維新後に延命寺を合寺、延命寺が管理していた阿弥陀堂の江戸六阿弥陀佛2番を当寺へ移設した。、、、、本堂は戦災で焼失し、戦後、鉄筋コンクリート造で再建された。、、、、境内は綺麗に手入れがなされ、なかなか趣きのある寺院です。 また、まだ咲くには早いが、見事な枝垂れ桜があり、その時期には多くの参拝客があるそうだ。

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● 都道307号(江北橋通り)を挟み、恵明寺の反対側(足立区扇2)に
浄土宗寺院の「性翁寺(しょうおうじ)
」がある。 性翁寺は、龍燈山貞香院と号す。 神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、正誉龍呑和尚が明応元年(1492)開山した。、、、、本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で東京都指定文化財。 この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。

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・・・・・・・・・・・・足立区と北区の寺社のいくつかには「足立姫」の伝説が残されている。 その伝説とは、、、、足立区のホームページには次のように書かれている、、、、『昔、足立の長者だった足立庄司には足立姫というとても美しいむすめがいました。ひめはとなりのぐんの豊島の長者である豊島左衛門尉(としまさえもんのじょう)とけっこんしましたが、左衛門尉の母にひどくいじめられ、川へ身を投げてしまいました。また、ひめのお世話のために一緒に豊島に来た人たちも、あとを追って身投げしました。 ひめの父は、ひめたちのたましいをなぐさめるために和歌山県にある熊野権現(くまのごんげん)におまいりしました。ゆめのおつげで神聖な木を見つけ、それを海に流すと、ふしぎなことに足立に流れつきました。いろいろな国を回っていた有名なお坊さんである行基(ぎょうき)にたのみ、その木に阿弥陀仏をちょうこくしてもらい、足立姫たちのたましいをくようしました。』、、、、性翁寺境内の墓地には、この足立姫の墓がある。

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● 性翁寺をあとにして、日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」に到着、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2022年2月12日 (土)

新田橋は架け替えか?

昨日の都内の感染者は18,660人、前週比3日連続の減少で、感染のピークは過ぎたかな? 人口1000万の東京で感染者が2万人弱ならば、自分は3回目のワクチン接種も終わっているので、『今日は感染しないだろう(根拠なし!)』と都合よく解釈して、散歩に出た。

今日は、王子駅から北の方角に点在する地蔵さまと庚申塔を巡ることにした。 京浜東北線の王子駅から、隅田川に架かる新田橋まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋から通勤客の少ない電車で約25分、京浜東北線の王子駅で下車。 まだ8時前だからか、駅では乗降客も少ない。 JRのガード抜けて国立印刷局王子工場の前を東に歩く。

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● 王子駅から東へ約500m、溝田橋交差点を越えると、「あすか緑地」の端(北区王子1-30)、路傍に庚申塔の小堂がある。 正面に大きく、彫も深く「庚申塔」の文字が見える。 右側面が大きく欠け、造立年は読み取れないが、古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・「あすか緑地」とは、石神井川の岸にあるやや大きめの小公園(?) 防災用の船着場らしきものがある。 対岸の頭上には首都高が走っている。

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● あすか緑地から北へ100m程(北区豊島2-5)、ビルの一角に丁寧に祀られた「馬頭観音・庚申塔」がある。 新しい榊が供えられ、今年の庚申日が貼ってある、地元ではまだ庚申講が行われているのかな(?)

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● 続いては、馬頭観音・庚申塔から東へ200m、石神井川岸の近く(北区豊島2-14)に、真言宗豊山派寺院の「西福寺」がある。 西福寺は、三縁山無量壽院と号す。 西福寺は、平安末期から鎌倉初期にかけて武蔵国豊島郡の豪族で鎌倉幕府御家人だった豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したと言われている。 境内参道脇には地蔵尊、庚申塔が祀られている。、、、、チョイト派手な山門・本堂のお寺でビックリ!

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・・・・・・・・・・・・西福寺門前の道を石神井川に架かる「豊石橋」の手前に、戦後の昭和23年(1948)に建てられた「馬頭観音」がある。 なぜかガードレールに向いて建てられている。

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● 西福寺から隅田川沿いに600m程歩くと、川沿いの高齢者用住宅の前(北区豊島4-16)にズラリ並んだ石仏群「下道地蔵堂が出迎えてくれる。 寛文から享保(1661~1736)に亘る20基に近い石仏のお出迎え。、、、、このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れあたりで、川と田んぼが広がる風景の中、この石仏がたたずんでいたものと思われる。、、、、夜は提灯に灯がともり幻想的になるそうだ!

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● 引き続き、下道地蔵堂からは北へ300m程、豊島5丁目交差点の手前に「地蔵堂」(北区豊島6-2)がある。 また、交差点の近くにも地蔵が祀られている、コチラは「ぽっくり地蔵(延命地蔵)」(北区豊島6-1)と呼んでいる。 どちらも、地蔵尊が祀られているが、由緒書きなどがなく、詳細は不明。

・・・・・・・・・・・・地蔵堂

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・・・・・・・・・・・・ぽっくり地蔵

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● 王子消防署前(王子神谷駅付近)から豊島五丁目団地に向かう「紀州通り」に、「紀州神社」(北区豊島7)がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、拝殿内には八咫烏の紋が見える。 サッカー日本代表とは関係ないかも?

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● 紀州神社から北西に300m程、隅田川沿いに真言宗豊山派の寺院「医王山清光寺」がある。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重により再興した。、、、、ここには、豊島清光の館があったそうだ。 “豊島”の地名の本家本元はこの地、つまり豊島区ではない。

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● 清光寺の裏(北側)に隅田川が流れ、北区豊島7丁目と足立区新田3丁目を結ぶ「新田橋(しんでんばし)」がある。、、、、新田橋は昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年(1961)に現在の橋に架け替えられた。 木橋時代の橋脚を模した珍しいA字型をした橋脚が特徴。、、、、架橋後60年、老朽化した新田橋の架け替え工事がいよいよ始まるようだ。 スグ横の上流側に、仮設の人道橋が造られている。

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● 新田橋を渡り足立区に入ったが、疲れてきたので今日はココ「新田三丁目」まで、バスで王子駅に戻る!

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2022年2月 5日 (土)

野方


一昨日にモデルナを接種し、その夜は何事もなく熟睡。 開けて昨日は上野の病院の受診日。 何だか寒く、チョイトだるい! 副反応が出たか?、体温は家でも病院でも平熱。 とりあえず、病院から帰って大人しくしていた。 さて、今日は朝から快調。 中野の病院に朝一で駆けつけ、8時半からの診察は“1番目”、会計は“25番目”、診察結果も良好。 気分良く散歩する気になってきた。、、、、病院を出て、人通りの少ない中野区野方の裏道を歩き、西武新宿線の野方駅に出た。 『ここまで来たら、もう少し歩くか!』と、線路沿いに2駅先の鷺ノ宮駅まで。 1万1千歩の散歩。



● 土曜の朝、通勤する人は少なく、中野駅前ではバスから降りてくる人も少ない。、、、、まずは、区役所前を抜けて、病院へ。 玄関では手の消毒に体温測定、今日も平熱異常なし。

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● 診察も終わり、体調良好。 病院前で『どっちに向かって歩こうか?』、目に入ったのは病院前の「妻恋御社」、今日は神社の脇から裏道を歩いてみることにした。

・・・・・・・・・・・・「妻恋御社」(中野区野方1)は早稲田通りに面して鎮座する小さな神社。 祭神は、日本古代史の英雄である日本武尊と、その妃である弟橘姫命と、食べ物の神である倉稲魂命。 創建の年代は不明だが、江戸時代には既にこの地にあったらしい。 文京区湯島の「妻恋神社」からの分霊を勧請したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・野方の裏道は、右へ左へ曲がり乱れ、『行き止まり』、『道幅せまい』の標示も多く迷路だ!、、、、迷路を楽しみながら、中野工業高校の裏から環七通りに出る。

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● 環七通りがホームの下をアンダーパスで通り抜ける野方駅。 「野方駅」は昭和2年(1927)4月16日に開業した、島式ホーム1面2線の地上駅。、、、、駅前の商店街は『そろそろ店を開けるか!』とシャッターが上がる音も聞こえる。

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・・・・・・・・・・・・時刻は10時、もう少し歩いてみよう! 線路沿いに隣の駅へ




● 野方の隣り駅:都立家政駅に向かう、、、、線路脇には庚申塔(正徳四年、1714年)がある

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● 「都立家政駅」は、駅近くに旧制東京府立高等家政女学校があったことから、昭和12年(1937)12月25日に府立家政駅として開業。 昭和18年(1943)に都立家政駅に改称。 現在、家政女学校はなく、東京都立鷺宮高等学校となっている。 駅名も“都立鷺高”などに変えてみては?、、、、都立家政駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。

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・・・・・・・・・・・・都立家政駅から隣の鷺ノ宮駅までは、西武新宿線内で最短の500m程。 ここまできたら、もう一駅!




● 「鷺ノ宮駅」は、昭和2年(1927)4月16日の開業。 駅舎は昭和54年(1979)に橋上駅舎に改築され、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。

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2022年2月 3日 (木)

ワクチン接種

連日各地で“過去最多”の記録を更新している新型コロナの感染者数。 私は、正月過ぎあたりから外出が怖くなり、家に籠ってパソコンゲームと写真整理で時間をつぶし、外に出るのは医療機関とコンビニに行く程度。 しかし、今週はチョイト忙しくなりそうだ。 三日前と昨日は、母を介助して病院へ、帰ってからは自分のリハビリで整形外科へ。 今日は午後から夫婦そろってワクチン接種、家の近くの区民館へ。 明日は上野の病院で泌尿器科の検診、明後日は中野の病院で眼科検診。 連日家に籠っての暗い自粛生活に比べると、医療機関が多いけど暇な年寄りには“良い気分転換”となる。



● 先週(1月下旬)、高齢者のワクチン接種券が送られてきた。 早速、予約センターに電話すると、『ファイザーは3月以降になります。モデルナは2月以降の接種が可能です』との返事。 我が夫婦は1回目・2回目はファイザーであった、モデルナを打つと交互接種となり、チョイト怖かった。 『急がば回るな、すぐに行け!』で、『何でもいいから打ってくれ!』と、今日の接種予約となった。 会場は我が家(台東区浅草橋)から、ゆっくり歩いても15分程の区民館(台東区台東)、接種会場には医師・看護師も含め、年寄りばかりで色気なし、14時の予約で40分程の時間で接種完了。、、、、このブログを書いている、只今時刻は22時、いまだ夫婦ともに副反応は出ていない。 いろいろ心配してみたが、終わってしまえば、ハイそれまでよ~~。 




● 接種会場となった「台東一丁目区民館」は、蔵前橋通りと凸版印刷本店の間に位置する複合施設。 低層階が台東地区センター、図書館、老人ホームなどで上層階はUR賃貸住宅のアクシス台東(106戸)になっている。、、、、この地は、平成2年(1990)に廃校となった二長町小学校の跡地である。 植え込みには、二長町小学校の校歌の碑がある。、、、、「二長(二丁)町」の由来は、この地が江戸時代より「二丁町」と呼ばれていたが、明治5年(1872)に、対馬の宗家厳原藩と伊勢国の久居に陣屋を構えた久居藩の邸地そして周辺の武家地を合併して「下谷二長町」とした。 「にちょう」とは、この地を東西に横切る小路に付けられたとされているが、その謂れは明らかではない。、、、、二長町の名は、昭和39年(1964)に消滅し、現在は台東区台東となっている。

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・・・・・・・・・・・・区が設置した案内板には旧町名:二長町の町域が緑で示されている。

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● 区民館の南側には、凸版印刷本社がある。 この地には江戸時代の芝居小屋「市村座」があった。、、、、凸版印刷の向いがわには、東京帝国大学附属病院の跡地で、明治39年(1906)に三井家総代三井八郎右衞門により設立した「三井慈善病院」(現:三井記念病院)がある。 私の腹を切り開いてくれた病院。

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● 三井記念病院の東側(千代田区神田和泉町2)には、終戦時まで「国立衛生試験所」があった。、、、、現在はスパーの「
LIFE」が建っている、、、、歩道に設置された案内板には、『国立衛生試験所発祥の地  国立衛生試験所(現、国立医薬品食品衛生研究所)は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、東京司薬場として、1874年(明治7年)3月、現在の中央区日本橋馬喰町に発足し、1875年(明治8年)に現在の千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始しました。 1945年(昭和20年)3月の東京大空襲に罹災し、世田谷区上用賀に移転したのち、2017年(平成29年)10月に川崎市に移転しています。』と記されている。、、、、写真では立派な建物だ、残念ながら、戦後生まれの私には記憶に無い建物である。

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・・・・・・・・・・・・三井記念病院の西側には、大正11年(1922、関東大震災の前年)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建てを、煉瓦造り風に改修した「東京都下水道局和泉町ポンプ所」がある。、、、、建物は古いが、重要なインフラ施設。

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● 今日の東京の感染者は20,679人、身の回りに感染者がいても、おかしくない状態になってきた。 まだしばらく自粛は続きそうだ!

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