新田橋は架け替えか?
昨日の都内の感染者は18,660人、前週比3日連続の減少で、感染のピークは過ぎたかな? 人口1000万の東京で感染者が2万人弱ならば、自分は3回目のワクチン接種も終わっているので、『今日は感染しないだろう(根拠なし!)』と都合よく解釈して、散歩に出た。
今日は、王子駅から北の方角に点在する地蔵さまと庚申塔を巡ることにした。 京浜東北線の王子駅から、隅田川に架かる新田橋まで、1万1千歩の散歩です。
● 浅草橋から通勤客の少ない電車で約25分、京浜東北線の王子駅で下車。 まだ8時前だからか、駅では乗降客も少ない。 JRのガード抜けて国立印刷局王子工場の前を東に歩く。
● 王子駅から東へ約500m、溝田橋交差点を越えると、「あすか緑地」の端(北区王子1-30)、路傍に庚申塔の小堂がある。 正面に大きく、彫も深く「庚申塔」の文字が見える。 右側面が大きく欠け、造立年は読み取れないが、古そうだ!
・・・・・・・・・・・・「あすか緑地」とは、石神井川の岸にあるやや大きめの小公園(?) 防災用の船着場らしきものがある。 対岸の頭上には首都高が走っている。
● あすか緑地から北へ100m程(北区豊島2-5)、ビルの一角に丁寧に祀られた「馬頭観音・庚申塔」がある。 新しい榊が供えられ、今年の庚申日が貼ってある、地元ではまだ庚申講が行われているのかな(?)
● 続いては、馬頭観音・庚申塔から東へ200m、石神井川岸の近く(北区豊島2-14)に、真言宗豊山派寺院の「西福寺」がある。 西福寺は、三縁山無量壽院と号す。 西福寺は、平安末期から鎌倉初期にかけて武蔵国豊島郡の豪族で鎌倉幕府御家人だった豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したと言われている。 境内参道脇には地蔵尊、庚申塔が祀られている。、、、、チョイト派手な山門・本堂のお寺でビックリ!
・・・・・・・・・・・・西福寺門前の道を石神井川に架かる「豊石橋」の手前に、戦後の昭和23年(1948)に建てられた「馬頭観音」がある。 なぜかガードレールに向いて建てられている。
● 西福寺から隅田川沿いに600m程歩くと、川沿いの高齢者用住宅の前(北区豊島4-16)にズラリ並んだ石仏群「下道地蔵堂」が出迎えてくれる。 寛文から享保(1661~1736)に亘る20基に近い石仏のお出迎え。、、、、このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れあたりで、川と田んぼが広がる風景の中、この石仏がたたずんでいたものと思われる。、、、、夜は提灯に灯がともり幻想的になるそうだ!
● 引き続き、下道地蔵堂からは北へ300m程、豊島5丁目交差点の手前に「地蔵堂」(北区豊島6-2)がある。 また、交差点の近くにも地蔵が祀られている、コチラは「ぽっくり地蔵(延命地蔵)」(北区豊島6-1)と呼んでいる。 どちらも、地蔵尊が祀られているが、由緒書きなどがなく、詳細は不明。
・・・・・・・・・・・・地蔵堂
・・・・・・・・・・・・ぽっくり地蔵
● 王子消防署前(王子神谷駅付近)から豊島五丁目団地に向かう「紀州通り」に、「紀州神社」(北区豊島7)がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、拝殿内には八咫烏の紋が見える。 サッカー日本代表とは関係ないかも?
● 紀州神社から北西に300m程、隅田川沿いに真言宗豊山派の寺院「医王山清光寺」がある。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重により再興した。、、、、ここには、豊島清光の館があったそうだ。 “豊島”の地名の本家本元はこの地、つまり豊島区ではない。
● 清光寺の裏(北側)に隅田川が流れ、北区豊島7丁目と足立区新田3丁目を結ぶ「新田橋(しんでんばし)」がある。、、、、新田橋は昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年(1961)に現在の橋に架け替えられた。 木橋時代の橋脚を模した珍しいA字型をした橋脚が特徴。、、、、架橋後60年、老朽化した新田橋の架け替え工事がいよいよ始まるようだ。 スグ横の上流側に、仮設の人道橋が造られている。
● 新田橋を渡り足立区に入ったが、疲れてきたので今日はココ「新田三丁目」まで、バスで王子駅に戻る!
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