矢切から高砂まで
晴天の日曜日、散歩の“感”を取り戻すべく、夫婦で北総線矢切駅から『野菊の墓文学碑』を訪れ、江戸川土手を歩き常磐線の金町駅へ、金町から裏通りを歩き京成本線の高砂駅まで、久々に1万歩超えの歩きとなった。 1万3千歩の散歩
● 浅草橋から約25分、北総線の矢切駅で下車。 降りる人も少ない。
● 矢切駅の北、500m程にある「矢切神社」(駅名・歌は濁って“やぎり”、地名・神社名は濁らず“やきり”)、、、、宝永元年(1704)の長雨により、江戸川氾濫し多数の死者が出た。 村人は災害から逃れるため高台に移住し、稲荷を勧請し祀ったのが矢切神社である。、、、、お賽銭をチョッピリ奮発、二人揃って『長生きできますように!』 二礼二拝一礼
● 神社近くの「矢喰村庚申塚」、、、、室町時代には、この地の地形から“谷切れ”(ヤキレ)と称したそうだ。 しかし、この地が北条氏と里見氏の国府台合戦の主戦場となったことから、この地の民は弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。 その矢喰村に残る庚申塔群。、、、、戦乱のない安らぎと健康を願い祀り、祈られてきた庚申塔群。 中央の大きな庚申塔は寛文8年(1668)銘も庚申塔、、、、ウクライナとロシアの戦、早期終結を願い、合掌
● 庚申塔から西へ300m程、江戸川を望む高台、真宗大谷派の西蓮寺境内に、「野菊の墓文学碑」がある。、、、、明治時代の矢切地方の風情が豊かに描かれた伊藤左千夫の処女作「野菊の墓」の文学碑。 左千夫の門人であった土屋文明の題字と小説の一説が刻まれている。(小説は15歳の政夫と、その従姉である17歳の民子の悲恋の物語。 興味あったらぜひ読んで!)
● 農業用水の坂川に架かる矢切橋を渡り江戸川土手を目指す。、、、、暑い、暑い! 初夏の気温だ!
● 江戸川土手に上ると、菜の花がお出迎え! 散りはじめたサクラの下でお花見する家族。、、、、対岸には金町のタワーマンションが見える。
● 金町浄水場の取水塔を見ながら、新葛飾橋で江戸川を越え金町に入る。、、、、ここまで、約8千歩、チョイト疲れた! しばらく散歩しないと、足が弱くなってきた!
● 京成金町駅を通り、京成金町線の西側(帝釈天とは線路挟んで反対側)の住宅地を抜けて、柴又の「古録天神社」前を通り、京成高砂駅にでる。、、、、久しぶりの1万3千歩はキツイ!
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