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2022年5月29日 (日)

美熟女の御年寄

川口元郷駅から荒川を渡り赤羽駅まで、今年最初の真夏日、熱中症に警戒しながら1万1千歩の散歩です。



● 朝8時30分、すでに気温は25度超、埼玉高速鉄道「川口元郷駅」に降り立つ。、、、、ブラブラ隠居の年寄りが口から泡ふき、熱中症で救急搬送される自分の姿を想像すると耐え難く恥ずかしい。 『今日は 無理せず 無茶せず 無謀せず』、大人しく静かに散歩することを駅前で胆に銘じスタート!

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● 駅前ロータリーの西に架かる「さくら橋」で芝川を越えて、川口本町の裏道を歩くと錫杖寺がある、チョイト寄って行こう!

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・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院「錫杖寺(しゃくじょうじ)」は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられてる。 寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、宥鎮和尚が中興となった。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領し、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していたそうだ。、、、、寺院の顔である現山門「御成門」は明治41年(1908)に再建された。 戸田忠寛(七万七千石)の居城であった宇都宮城の資材を移し建立したもので、柱には戊辰戦争の名残として刀傷が見られる。、、、、徳川十三代将軍家定の寄進による前本堂は老朽化に耐えられず、昭和50年(1975)に現在の本堂に建て替えられた。 内陣正面に本尊「延命地蔵菩薩」が安置されているのだが“遠くて、よく判らん!”

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・・・・・・・・・・・・江戸城大奥の総取締役である御年寄「瀧山」の墓が錫杖寺本堂裏にある。、、、、御年寄「瀧山」は文政6年(1823)に16歳で大奥へ上がり、類い稀なる才幹をみとめられ、大奥の総取締役“御年寄”に昇進した。 瀧山は十三代将軍家定が世子(世嗣)の頃から西の丸の御年寄をつとめ、家定が将軍位を嗣ぐとそのまま家定に従って本丸に移り御年寄となり、十四代将軍家茂の代にわたって御年寄をつとめた。 十四代将軍継嗣問題で、紀州の徳川慶福を擁立する「南紀派」と一橋慶喜を擁立する「一橋派」が対立し、幕府の重臣や有力諸侯はもちろん、江戸城大奥の中にも激しい対立と抗争がおこり、瀧山はこの対立抗争にあたって、大奥の慣例に従い慶喜の擁立を阻止したことで知られている。 結果として十五代将軍位を慶喜が嗣ぐことに伴い大奥を退いた。 瀧山は大奥を退いた後は侍女の「仲野」の生家があった川口で過ごし、明治9年(1876)に71歳で歿し、錫杖寺に葬られた。(写真:中央が瀧山の墓、左は侍女仲野の墓、右は大奥に仕えた叔母の染島の墓)、、、、NHK大河「篤姫」では稲盛いずみが演じ、フジ「大奥」では浅野ゆう子が演じ、その他に栗原小巻、草笛光子などが演じている御年寄、テレビで見る瀧山は“年寄”ではなく“美熟女”揃いだ! 大奥ていいな!

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・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の道路隅に「凱旋橋の跡」がある、、、、明治39年(1906)1月に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡が残されている。 この凱旋橋跡は、江戸時代に日光御成道川口宿の北の玄関口に位置し、錫杖寺前に当時流れていた錫杖寺杁(いり)用水に架けられた石造アーチ型橋の遺跡。 現在は欄干が残るのみ。

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● 錫杖寺をあとにし、川口市本町1丁目の裏道を歩く。 


・・・・・・・・・・・・明治35年頃竣工した「中西日進堂薬局」 大正時代に掛けられた看板は、右から左に書かれていて味わい深いものである。

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・・・・・・・・・・・・住宅の奥、木立に囲われ洋館風の建物も見える。 煉瓦造の小屋のような建物も・・・・・?

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・・・・・・・・・・・・日光御成街道の宿場町だった川口宿の跡が御成街道からチョイト入った処にある。 築300年が過ぎ、現在も現役の門として残る「旧川口宿本陣表門」である。 建物は地元有力者の家である。

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・・・・・・・・・・・・本町1丁目の増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。 説明文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、ウクライナに持っていったら活躍するかも?

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● 埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ「新荒川大橋」を渡り、北区に入る。、、、、新荒川大橋は、川口市舟戸町と北区岩淵町との間で荒川および新河岸川(隅田川の上流)に架かる、橋上は国道122号(岩槻街道・北本通り)が走り、連続するの2本の橋である。 下り線が昭和41年(1966)竣工、上り線が昭和45年(1970)竣工の橋。、、、、長い・長い橋! ジリジリ・ガンガン照りの日差しが私の頭上を直撃し、橋の上で倒れるかと心配になる。 

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● 新荒川大橋で北区に入ると、去年立ち寄った「寳幢院で手を合わせ、飲食店の並ぶ「一番街」を抜け、JR赤羽駅に向かう。 今日は熱中症が心配なので、ここまでとする。

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