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2022年6月

2022年6月24日 (金)

妙法寺参詣道

東京メトロ丸ノ内線新高円寺駅から南へ歩き堀の内の「お祖師さま」(妙法寺)に立ち寄り、門前から東にのびる妙法寺参詣道(堀之内道)を歩き鍋屋横丁まで、9千歩の散歩です。 帰りは丸ノ内線新中野駅から地下鉄で帰宅。



丸ノ内線「新高円寺駅から散歩はスタート。 駅の周辺には寺院が多く点在する、北には地名のごとく高円寺を中心に十数寺、南には西方寺華徳院など十寺前後、南東には「妙法寺」を中心にこちらも十寺前後の寺院がある。 いずれの寺院も、大正12年の関東大震災後、昭和20年の東京大空襲などで被災し移転したようだ。、、、、さて、私の散歩はどちらに向かうかチョイト悩んだが『妙法寺によって方南町の方に歩いてみよう!』と決めた。

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● 新高円寺駅から南東に向かうと、堀ノ内斎場がある、その先の大きな寺が日蓮宗の「妙法寺、、、、落語の「堀の内」は粗忽者がココ堀之内の“おそっさま”参りを題材にしたものである。、、、、【蛇足】日蓮宗では宗祖日蓮を「祖師」として「御祖師様」と呼ぶ。 私を含め江戸っ子は「おそしさま」と発音できず、「おそっさま」となる。 発音を意識すると、頭の中で発音反復し、考えすぎて『アレ?どうだったけ?』 結局は悩み、声が詰まり、間違った発音となるのがオチだ!

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・・・・・・・・・・・・今日は妙法寺本堂裏の北門(墓道門)の先に広がる墓地を見てきた、、、、見るべきものは二つ。 一つは北門から墓地に入るとスグにハナショウブとアジサイの花畑があり、今日はアジサイが迎えてくれた。

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、、、、、、、、二つ目は誰ぞの墓石の手前にある「庚申塔」 “庚申”の文字と三猿が刻まれてる。 時代を示す文字は見当たらず、造立年は不明。

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● 妙法寺山門前から東へ向かい環七通り妙法寺東交差点」に出ると、通りの向かいに「和田帝釈天通り」と書かれたアーチが見えた。、、、、新高円寺駅前で予定した方南町へ行くには環七通りを南下するのだが、「和田帝釈天」も見てみたい。 地図を取り出し調べてみるが、帝釈天がどこにあるのか不明! チョイト悩んで、和田帝釈天通りを行けるとこまで行ってみることにした。

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・・・・・・・・・・・・「和田商店会」の街路灯は続くが、和田帝釈天は見えない。 『どこだ!』、キョロキョロしながら歩く。 環七通りから250m程入った処に、赤い旗がなびく「和田帝釈天」があった。、、、、日蓮宗寺院の和田帝釋天は、神刀山と号します。 和田帝釋天の創建年代は不詳ながら、境内掲示では「この通りが妙法寺参道として賑わった江戸時代末期より祀られており」と記載されていた。 柴又の帝釈天をイメージした私には大いに期待外れ、ガッカリ!

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・・・・・・・・・・・・帝釈天前の通りは「妙法寺参道」と知ると、この参道の始点はどこだ? 終点はもちろん妙法寺。 『もう少し、この道を歩いてみよう』と思い、先へ進む。 帝釈天から100m程東に歩くと、「妙法寺参詣道(堀之内道)」の説明板があった。、、、、説明を読むと、この道は、江戸(東京)から日蓮宗妙法寺へ向かう代表的な参詣道で、堀之内道、妙法寺道と呼ばれていた。 青梅街道から鍋屋横丁(中野区)で分かれ、堀之内村の妙法寺へと続く道であった。 明治に入り甲武鉄道(中央線)が開通すると、中野駅から妙法寺へ向かう道が開かれ(堀之内新道)、東京から歩いて向かう参詣道であったこの道の利用者は減少した。 今の時代、この道を歩いて参詣する人はいないと思うね!

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・・・・・・・・・・・・とりあえず、今日の私は、方南町へ向かうことは取りやめて、この妙法寺参詣道を鍋屋横丁まで歩くことにした。、、、、青梅街道の南側を平行に進むこの道は、特筆するような特徴もない。

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・・・・・・・・・・・・妙法寺参詣道に面し、杉並区和田1に曹洞宗寺院の「常仙寺」がある。 山号は石雲山。 常仙寺は、中野竜昌寺四世祥岩存吉和尚(慶長19年寂)が開山となり慶長7年(1602)麹町に創建、明治41年(1908)当地へ移転した。 存吉和尚は出家前に山麓で狼に襲われた折、鳳来寺山麓に祀られていた薬師が虎(寅)に化身して救われたことから、存吉和尚は出家、この薬師を当寺の本尊に迎えたといい、このことから「災難除けの寅薬師」と呼ばれている。、、、、平成30年(2018)本堂瓦葺き替え工事に際し、屋根には鬼師(鬼瓦を作る職人)梶川亮治氏による寅の像が据えられた!

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・・・・・・・・・・・・妙法寺参詣道が鍋屋横丁通りに出た。 ここが参詣道の始点だ!、、、、交差点角には妙法寺参詣道を示す「お題目石」が残っている。 この石碑は、妙法寺参詣道の道標として享保3年(1718)に建てられたもの。 石碑正面に「南無妙法蓮華経」、脇には「是より妙法寺十八丁 ほりの内道」と彫られてる。、、、、300年程前からこの地に建てられた道案内、長いことご苦労さん!

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● 今日の散歩はココまで、「新中野駅」から丸ノ内線で帰る。

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2022年6月22日 (水)

杉並区の菩提寺?

今朝7時、霧雨もあがり曇り空、散歩に出ることにした。 数日前に、新高円寺駅近くの西方寺に、庚申塔を兼ねた珍しい「石造観音六面幢」があると情報を仕入れ、『今日は西方寺に行ってみよう』と決めていた。 荻窪駅から青梅街道(地下に東京メトロ丸の内線が走ってる)の南側裏道を歩き西方寺、新高円寺駅まで、1万1千歩の散歩です。



JR荻窪駅は、緩行線/快速線用にそれぞれ島式ホーム1面2線を有する地上駅。 改札口は新宿側の地下と、三鷹側の橋上(西口)にある。 地下改札(東改札)は地下通路の先に地上への出入口が南北にあり、南口、北口と呼ばれてる。 今日は南口から歩きはじめる。、、、、【雑談】中央線の前身:甲武鉄道は明治22年(1889)4月1日に新宿~立川間が開通した。 開通時には新宿・中野・境(今の武蔵境駅)・立川の4駅が開業した。 中野駅~境駅間(現在は、この間11.0㎞に6駅ある)には、駅は無かった。 開業から2年後の明治24年(1891)12月、中野駅と境駅の中間にある下荻窪村に「荻窪駅」が開業した。 開業当時の荻窪駅周辺は武蔵野の林と畑ばかりだったそうだ。

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● 駅を出て、青梅街道(この地下に丸ノ内線が走ってる)の南側の裏道を歩く。、、、、朝は急ぎ足、夜は千鳥足で歩く路

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・・・・・・・・・・・・昭和の歴史を残す旅館 西郊(国登録有形文化財)前を東に向かう。

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・・・・・・・・・・・・昭和初期あたりから、山手では伝統的な日本の家と欧米から取り入れた住まいが同居するような、新しいスタイルの家が建てられた。 その一つに、玄関脇に小さな洋館が造られ、主に応接間として使われたようだ。、、、、懐かしさを感じる建物が荻窪3に残っていた。

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● 青梅街道の裏道を歩いていていたが、チョイト尿意を感じ厠(公園)を探すが見つからず、地図を見ると青梅街道に面した杉並区役所が近い。 『お借りしよう!』 “前”を押さえる気持ちで区役所に飛び込む。 案内板に青で描いた男性のマークを指さすと、案内嬢が親切にもトイレの前まで誘導してくれた。 お礼はのちほど、まずはスッキリさせる。 一件落着。 案内嬢にニッコリ笑顔で頭を下げる。 先方からも笑顔を返され、心は通じたようだ! (年寄りは近いのだ!)、、、、現在の庁舎は平成4年(1992)3月竣工、設計は石本建築事務所、地下3階/地上10階建ての建物

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● 杉並区役所を出ると、身も心も落ち着き、再び裏道を行く。、、、、南阿佐ヶ谷駅(杉並区役所の前)の南東250m程の処に曹洞宗の寺院:「月光山天桂寺」(杉並区成田東4)がある。 天桂寺は、岡部小右衛門吉正(初代吉正)が、慶長年間(1596〜1614)に小庵を創建、寛永10年500石の加増を受けた際、中野成願寺六世鉄叟雄鷟和尚を開山に迎えて堂宇を整えたといいます。 現本堂は大正12年(1923)建立、、、、杉並の地名は、この岡部氏が青梅街道沿いに植えた杉並木に由来するといわれ、墓地には岡部家歴代の墓がある。 “杉並区”(の名付け親)の菩提寺か?

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● 天桂寺から東へ歩き、東京メトロ新高円寺駅の南300m程に西方寺(杉並区梅里1)がある。、、、、浄土宗寺院の「西方寺」は、松苔山峯巌院と号す。 西方寺は、元蓮社享誉上人利阿貞儀和尚(万冶元年1658年寂)が開山となり、元和3年(1617)四谷追分(現新宿区新宿3)に創建した。 中央線の拡幅と道路の拡張のため大正9年(1920)当地へ移転。、、、、山門を入ると、右に鐘楼、明治38年建立の鳥塚、マリア観音と呼ばれる石仏、キリシタン灯籠、太平洋戦争の外南洋機動舟艇部隊殉難烈士供養塔などがあり、正面に鉄筋コンクリート造りの本堂が堂々と建っている。、、、、広い墓地は、近くの妙法寺と同じくらいある。 

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・・・・・・・・・・・・この寺に、今日のお目当て「石造観音六面幢」があるのだ。 しかし、場所が庫裏か?寺務所か?檀信徒会館か?、なにしろ黙って立ち入りできない建物の庭先にあるらしい。 突然、ぶらりとやってきた、無縁の男が、寺に黙って入れは家宅侵入罪で捕まるかも! 気も弱い私は『あきらめた!』、、、、境内を囲む道路から、塀越しに石幢の撮影に成功、ヤッター!、、、、【注釈】石幢(せきとう)とは、石塔の一つで、六角または八角の石柱と、仏龕 (ぶつがん) ・笠・宝珠などからなる。 一般に石灯篭に似た形のものが多い。、、、、ここの石幢は六角形の石柱各面に観音像が彫られ、観音の下に庚申と刻まれているそうだ。(近くに寄って確認することができず残念)

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● 青梅街道の地下にある、東京メトロ丸ノ内線の「新高円寺駅」は、昭和36年(1961)11月1日、帝都高速度交通営団荻窪線の駅として開業した。 ホームは相対式2面2線構造で地下1階にある。 各ホームは地下2階の連絡通路で結ばれている。 ホーム幅が狭く、少々せせこましい感じがするね。

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2022年6月19日 (日)

散歩は休み、御開帳

昨日(6/18)から、散歩は休み家族旅行で「善光寺御開帳」に行ってきた。

朝東京を出て10時半に長野駅到着、駅前のバス乗り場は長蛇の列、『アリャ、コリャ、ダメだ、タクシーで行こう!』と善光寺へ向かう。 運転手曰く『昨日の午後は、回向柱まで2時間ならんだようですよ!』  昨日は朝から天気良し、しかも土曜日、コロナが終息に近づき人出も最高潮が予測され、タクシーの車中で、回向柱ナデナデは既に諦めモード。 

● 善光寺大門前でタクシーを降りると、門前の人出は最高。 飲食店前は待ち行列ができ、昼食に蕎麦を予定していたがこちらも諦めることになる。

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参道では『回向柱 最後尾』のプラカードを持った警備員が行列の整理に大忙し。 『ここから、回向柱までは1時間以上かかるかも?』

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『ならば、回向柱は諦め。 本堂で手を合わせて早めに済まそう!』と、参拝の手抜きがはじまる。

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回向柱を撫でる姿を脇で見ていると、一人“三擦り半”程度で終らせ、『ハイ、次の方!』、、、、撫でてる人の尻を撫でた方が御利益あるかも?

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せめて、御開帳に参拝した証として、回向柱のミニチュア(1200円)を買って、ナデナデ! 回向柱前で写真もパチリ!

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本堂に上がり、手を合わす。 『東京から来ました、せめて電車賃ぐらいの御利益を、一等7億円当たりますように!』

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● 善光寺参りを済ませ次は「別所温泉」へ、目的は北向観音参拝と宿泊。

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北向観音」の縁起には次のような文章がある『本尊は千手千眼観世音菩薩で北斗星が暗夜の指針となるように、この北向きの、み仏は衆生を現世利益に導く霊験があり、南向きの善光寺と相対し古来両尊を参詣しなければ片詣りになるといわれている 』、、、、“善光寺詣りしたら北向観音も”、抱き合わせで参拝を求める“坊主大儲け”の商法(?)

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ココ北向観音まで来たら、500m程離れた処にある国宝「安楽寺八角三重塔」もチョイト拝見。

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● 昨夜のお宿は、建物が国指定の有形文化財である「旅館 花屋」、、、、6500坪の敷地に点在する客室と彩る草花に満足! 夜空を舞うホタルも観賞。

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● 今日(9/19)は、ガンガン照りの真夏日、熱中症に注意しながら、上田城跡北国街道などを巡り帰京。、、、、暑い、蒸れる、マスクが邪魔だ! 早く、マスク無しで歩けるようにコロナの終息を願う。

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● コロナがチョッピリ遠ざかり、旅行の楽しさを久しぶりに体感できた二日間であった。

2022年6月16日 (木)

がんかけ地蔵尊

西武新宿線の沼袋駅から、今日の散歩はスタート。 駅の西にある清谷寺に行ってみたが、境内に幼稚園があり通園時間にぶつかり、チョイト御遠慮した。 そのまま西に向かって歩きJR中央線荻窪駅まで、1万3千歩、7㎞の散歩となった。



● 「沼袋駅」は仮設ホームに下りたつ、ホーム下の地下18mでは地下駅を建設中。 地下の工事現場を覗いてみたいが無理!

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● 出がけに調べてみたら、駅近くの清谷寺には室町時代の銘の板碑があるそうだ。 『沼袋に行ったら 見てみよう!』と、期待しやってきた。

・・・・・・・・・・・・沼袋駅前、線路沿いにの細い道を歩く。 電柱には、『・・・・軽自動車以外と通り抜けできません』と表示されてる。

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・・・・・・・・・・・・駅からクネクネ折れて徒歩15分、真言宗豊山派寺院の「清谷寺」(中野区沼袋3)がある。 清谷寺の創建年代は不詳。 ただ応永6年(1399)の銘が入った板碑があることから、室町時代前期には既に存在していたものと推測されている。、、、、半分閉じられた門の前に立つと、本堂前から中年女性がこちらを見ている。 本堂脇には幼稚園があり、本堂前には遊具がある。 『ありゃ・こりゃ、幼稚園併設の寺だ!』 ちょうど数人の園児が母親と通園してきた。 『ヤバイ! 不審人物と思われているかも? ダメだ、今日は諦めよう』 境内に入ることもなく、逃げるように立ち去った(気が弱い男なの) 

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● 清谷寺から南西へ200m程、街角に佇む小さな地蔵尊がある。 バス通りの角地に「がんかけ地蔵尊」(中野区野方3)と染め抜いた赤い旗が立っている。 祠の中に地蔵尊庚申塔が、脇には二十三夜碑がたち、三点セットだ。 地蔵尊は延享元年(1744)銘、庚申塔は享保21年(1736)銘があり、二十三夜碑は昭和2年(1927)に建てられた。 庚申塔の台石には「右中村道 左さぎのみや道」と記され、道しるべの役もはたしている。、、、、がんかけ地蔵と言われると、私も願掛けしたくなり、賽銭10円、手を合わせて『宝くじ一等当選 よろしく!』

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● 環七通りと妙正寺川が交差する角地で「環状七号線地下広域調節池(石神井川区間)工事」が行われてる。 工事は、地下32m~40m程の位置に、妙正寺川を起点として石神井川まで、杉並区・中野区・練馬区を横断するように、
環七通り・目白通りの地下に内径12.5m、総延長5.4㎞のトンネルを構築している。 既にできている妙正寺川・善福寺川・神田川を結ぶトンネルと、現在構築中の石神井川と白子川を結ぶトンネルとそれぞれ接続し、神田川・善福寺川・妙正寺川・石神井川・白子川の5河川を地下トンネルで結び、巨大なトンネル状の調節池を造るものだ。、、、、東京都では、台風や集中豪雨による水害から都民の生命と財産を守るため、河川の護岸や調節池などの整備による治水対策を進めている。 施工はスパーゼネコンを主体とした、大成・鹿島・大林・京急建設JV、、、、地上から地下の工事現場は覗けず、ここでも残念!

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● 西武新宿線野方駅から南へ約300m、妙正寺川の左岸(北岸)に、100世帯にも満たない小規模な公団住宅がある。 スターハウス2棟と中層フラット3棟から成る、静かな佇まいのUR都市機構の「野方
団地」、、、、ここに、都内最後となると思われるスターハウスがある。 スターハウスは上から見るとY字型で、突き出た各部分を一戸が占めており、全ての住戸が角部屋という贅沢なつくりになっています。このタイプにスターハウスと名付けたのは実に優れたネーミングで、高度成長期における先進的な住環境「団地」を象徴する存在でした。しかし、形状の特殊性や1棟当たりの戸数が少ないため(5階建てでも15戸)、コスト重視の観点から次第に建てられなくなり、スターハウスが現存する団地は少数となった。(赤羽台団地のスターハウスは国の登録有形文化財に指定されてる)、、、、階段室は三角形の螺旋階段で、チョイト目が回るかも?

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● 野方団地から西へ歩くと、中野区若宮2に民家の塀に挟まれて庚申塔がある。 「享保十乙巳年十月吉日」(1725)の銘がある
月日青面金剛二鶏邪鬼三猿の「庚申大神」、、、、扉は閉まっていますが、鍵がかかっていないので、賽銭盗まれないように注意注意。

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● 裏道をクネクネ、中野区若宮2と中野区白鷺1の境を流れる妙正寺川に架かる「下鷺橋」を渡る。 橋に特徴があるわけではない、どこにでもある小さな橋だ。、、、、この橋から妙正寺川を眺めたら、川の右岸(南岸)に「妙正寺川鷺宮調節池」の文字が見える。、、、、妙正寺川は沿線では過去に浸水を繰り返しており、浸水防止のため都が整備した調整地。 川の水位が上がると、窓のような処から調整池に水が流れ込む仕掛けとなっている。 調整池の上は運動場と公園になっている。

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● 妙正寺川鷺宮調節地から150m程西に行くと、テラスハウスの「鷺の宮住宅がある。、、、、テラスハウス(terraced house)とは、日本流にいえば、いわゆる長屋だが、各戸が土地に接しテラスを有してる。 モダンな低層集合住宅の一つ。、、、、建築史では貴重な住宅、大切にして、ぜひ保存を! 

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● 西武新宿線鷺ノ宮駅とJR中央線阿佐ヶ谷駅を結ぶバス通り「中杉通り」に出た。 この通りを南へ歩き「早稲田通り」を越えると、「日大二高通り」がある。 日大二高通りを西へ歩くと荻窪駅の北側、細い路地のような「教会通り」を歩けば荻窪駅だ!、、、、シャレたお店が点在する、杉並区らしい通り。 

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● チョイト歩き疲れたが、JR荻窪駅西口に到着。、、、、JR荻窪駅の西の端(立川寄り)では2本あるホームを跨線橋で結んでいる。 その跨線橋階段を上がった所に「西口」と呼ばれる改札口がある。 この跨線橋は「古レール」を活用した、チョイト古そうな構造である。 西口は荻窪駅の勝手口のようなものだ!、、、、荻窪駅から我が家のある浅草橋までは緩行列車で約40分、乗り換えなしの一本なので寝て帰る!

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2022年6月13日 (月)

宗徳、無念!

東京メトロ有楽町線氷川台駅から西武池袋線桜台駅を通り抜け、さらに西武新宿線沼袋駅まで、1万3千歩、約6㎞の散歩です。



● 朝8時の「氷川台駅」、下りホームに降りる客は少なく、都心に向かう通勤通学客の流れが上りホームへ向かう。

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・・・・・・・・・・・・「氷川台駅」から、道路工事中でスッキリしない地上に出る。 駅前の通り(放射第36号線、地下に有楽町線が走る)は幅員40m道路に拡張工事中。 

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・・・・・・・・・・・・駅前で『さて? どっち方向に歩こうか?』 考えても答えなし、とりあえず駅裏を流れる石神井川に沿って上流に歩いてみよう! 駅脇の「正久保橋」に出ると、橋の横で何やら土木工事中。 『何の工事だ?』と興味が湧き、チョイト看板を拝見! 『お~~、懐かしい社名』 自分が30年程前まで勤めていたゼネコンだ! 放射36号線が石神井川を越える橋梁の下部工工事である。、、、、小さな声で『工事、頑張れよ! 事故起こすなよ!』

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正久保橋丸山橋四宮宿橋鎌田橋高稲荷橋と、順に石神井川を上る。、、、、いずれも昭和50年代、60年代に架けられた小さな橋で、書くべき特徴もない。 石神井川は水も澄み、川底が深くなければ泳げそうだ!

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・・・・・・・・・・・・高稲荷橋の右岸(南岸)の高台に「高稲荷神社」(練馬区桜台)がある。 高稲荷神社は、文政5年(1822)の頃より下練馬村三軒在家の守護神として、勧請されたものと言われてる。、、、、よそ者には、“下練馬村三軒在家”が判らんね!

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・・・・・・・・・・・・再び石神井川に戻り、早宮橋新大橋まで来た。 新大橋の南詰に「広徳寺塔頭 円照院」の山門があり、そこに広徳寺の墓地には柳生宗徳・十兵衛父子が眠っているとの記述があった。、、、、これを読んだら『広徳寺に行かねばなるまい!』

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円照院の裏手に回るように、敷地に沿って200m程歩くと「広徳寺」の総門がある。、、、、臨済宗大徳寺派の広徳寺は、円満山広徳寺と号す。 広徳寺は、箱根湯本早雲寺の子院として、元亀、天正の頃(1570-92)小田原に建立された。天正18年(1590)徳川家康に招かれ、神田昌平橋の内に広徳寺と称して建立、寛永12年(1635)下谷の地(廣徳禅寺遺趾)へ移転した。 江戸時代には「ビックリ下谷の広徳寺…」と隆盛し、塔頭15院を擁していたが、明治維新後衰退、関東大震災後の区画整理で、現在地(練馬区桜台)へ徐々に移転、昭和53年(1978)に移転を完了した。、、、、墓地も含めた境内はおよそ2万m2で、加賀前田氏や久邇宮家より譲り受けた建物や立派な庭園などがあるそうだ。 紅葉が美しく、その静寂に包まれた寺域は東京都内とは思えないほどの静けさと言われている。 

・・・・・・・・・・・・・総門から入ると奥に山門があり、山門の前には『拝観謝絶』と、門柱に『非公開』の文字。 私のように興味半分でブラリとやってくる参拝者は、境内を拝見すること叶わず、残念無念! 宗徳の墓も見られず、無念であるぞ、十兵衛!

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● 広徳寺でチョイト・ガッカリ。 総門をあとにして南に向かい、石神井川に戻るのを忘れてしまった! 練馬区桜台の裏道を歩き、西武池袋線の「桜台駅高架下を通り抜ける。

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● 桜台駅からは、バス通りを南へ歩き、西武新宿線の「沼袋駅」を目指す。、、、、広い通りは見るべきものなし、ただただ歩くのみ!

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● 西武新宿線の中井駅~野方駅間(約2.4km)の連続立体交差化工事が平成26年(2014)1月から着手された。 「沼袋駅」はその工事区間に含まれ、島式ホーム2面4線の地下駅となる。 工事は現在の駅の真下、地下約18~19m、幅約28~36mの地下駅を構築している。、、、、残念だが地下の工事の様子は見られない。 令和8年(2026)度に、地下ホームに切り替える予定らしい。、、、、事故を起こさないように頑張って!

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2022年6月 9日 (木)

霧雨の安養院

朝の天気予報で『日中は雨もあがり曇り空』 予報を信じて散歩に出る。 東上線の中板橋駅から、途中板橋区東新町の安養院によって、東京メトロ氷川台駅まで、1万1千歩、4㎞の散歩です。 予報はチョイト、ハズレて、時折霧雨が降る『雨中行軍』



東武東上線「中板橋駅、乗客の姿もまばらな鈍行電車から下りホームに降り立つ。 向かいの上りホームには、跨線橋から多くの乗客が降りて来る。 当駅からは『終点:池袋まで座れません!』

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● 駅前のお散歩案内図を見て「案養院」へ行ってみたくなり、しっとり濡れた駅前の中板橋南口商店街を西へ向かい歩く。、、、、石神井川に架かる「下頭橋(げとうばし)」にでる。、、、、“下頭(げとう)橋”とは珍しい橋名、チョイト由来を調べる。 橋名の由来は3つある。 その①:この橋の近くに六蔵という者がいた。 その六蔵は、この場所に村人の為に橋を架けることを願い、旧川越街道を通る人々に物乞いをして金を貯めたそうだ。 その頭を下げた物乞いの姿はから“物乞い=下頭”となる。 六蔵は志し半ばで他界してしまう。 六蔵死後、六蔵の世話をしていた人が、その遺志に気づき、足りない分は寄付で賄い橋を完成させたそうだ。  その②:旅の僧(弘法大師?)が持っていた榎の杖を突き立てて去ったところ、その杖が根付いて〝逆さ榎〟となった。 逆さ榎だから頭が下で“下頭榎”と呼んだという。  その⓷:川越藩主が出府の際、江戸詰めの家老らがこの橋畔で頭を下げて出迎えるという仕来たりがあり、その様から名付けられた。  有力な説は①で、橋は寛政10年(1798)それまでの丸太を2本架け渡しただけの橋が、六蔵が残した金を基にして半永久的な石橋に架け替えられたそうだ。 その後橋は、明治時代に木橋に、昭和2年(1927)には再び石橋に、昭和54年(1979)に現在の鋼橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・下頭橋のたもとに、六蔵の遺徳を讃えて建てられた「下頭橋六蔵尊」が祀られている。、、、、地元の人々に愛され、丁寧に祀られている六蔵尊

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● 下頭橋から旧川越街道を歩き、環七通りの「板橋中央陸橋交差点」に出ると、交差点角から石段を登り、小高い処に「長命寺」(板橋区東山町)の本堂がある。、、、、長命寺は真言宗豊山派の寺で、東光山医王院と号す。 江戸時代前期の創建と言われ、江戸時代には東新町の氷川神社の別当寺だった。、、、、当寺周辺は、室町時代「お東山」にあったといわれる「板橋城跡」の伝承地の一つである。 本堂前から交差点を見下ろすロケーションは、“城跡”というのも納得できるね! かっては、川越街道・環七通りまで境内は広がっていたそうだ、道路に敷地を取られ小さくなった哀れな寺!

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● 長命寺の裏側(西側500m程)に、かつて長命寺が別当であった「板橋東新町氷川神社」(板橋区東新町)がある。、、、、武蔵一宮氷川神社より勧請した祭神:速須佐之男命を祀る旧村社。 創建は明らかでないが、文政6年(1823)の文書に神社は記載されている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿は破損し、昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造の覆殿・内拝殿・幣殿を造営した。 境内は広く“杜”を成し、 整備も行き届き、綺麗で清々しい神社。、、、、チョイト、雨が降ってきたが、傘はいらない程度。

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● 板橋東新町氷川神社鳥居前の道を西へ歩くと、真言宗豊山派寺院の「
武王山最明寺安養院」の門前に出る。、、、、鎌倉中期正嘉元年(1257)に、最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」を此地に安置し一宇を建立して創建したと言われてる。 延宝年中火災により諸堂宇灰燼に帰したのを、元禄元年(1688)に再興し、阿弥陀三尊を本尊として、本堂・庫裡・大師堂・鐘楼・山門等を造立して寺院の形態を整え、安養院と称した。、、、、池袋から4㎞程の地にこんなステキな寺があるとは驚き! 今日は、霧雨がチョイト邪魔だ!

・・・・・・・・・・・・山門、、、、昭和59年(1984)新築、総檜造り四脚門。 参道両側にはしっとり濡れたアジサイが梅雨の季節を演出!

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・・・・・・・・・・・・本堂、、、、昭和59年(1984)新築、入母屋
総檜造り、本尊は阿弥陀如来。、、、、本堂前には6本のケヤキが天を指す!

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・・・・・・・・・・・・書院・客殿、、、、明治34年(1901)麹町松平元則候の屋敷として新築。 昭和9年(1934)安養院書院として移築。 玄関は唐破風車寄せで、今日は車が寄せられ邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・起伏にとんだ緑多い約5000坪境内には、他に護摩堂多宝塔鐘楼・庫裏・墓地などが配されてる。 境内のいたるところ多くは苔で覆われ、雨に濡れた苔が鮮やかな緑を放って、山の中にいるような寺だ!

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● 安養院前の区立いこいの家に残る、「上板橋村役場跡」、、、、昭和2年(1927)から5年間この地に役場が置かれていた。 当時の石の門柱が残されている。 この門柱、平成14年(2002)に板橋区の文化財に指定されたそうだ。 “たかが門柱、されど門柱” しかし、わざわざ、見に行くには及ばず!

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● 安養院から
台橋にて再び石神井川を渡り練馬区に入る、羽根木で三度石神井川を越える。 この辺り、石神井川が蛇行している。、、、、練馬区に入ったら、雨も上がったようだ!

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● 東京メトロ有楽町線と副都心線が乗り入れる「
氷川台駅(ひかわだいえき)」に到着。 当駅を含む和光市駅~小竹向原駅の区間は、有楽町線と副都心線が線路を共有している。 練馬区内にナント『元町・中華街行き』の電車が走っているのだ、横浜中華街直行できるなんて便利で羨ましいね! 

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2022年6月 4日 (土)

身上を築く坂

京浜東北線赤羽駅から西へ向かい、都営三田線本蓮沼駅前の中山道に出た。 中山道を横断し、南へ向かい東武東上線の中板橋駅まで散歩。 1万3千歩、6㎞



● 通学する学生の姿が目立つ土曜日の赤羽駅で降りたつ。 西口のロータリーに出て『さて! どちらに向かって歩こうか?』

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・・・・・・・・・・・・駅前の都道460号(=岩槻街道)南に歩いてみる。(北に向かって歩くと、先日歩いてきた新荒川大橋を渡り川口市に戻ってしまう)、、、、駅前から500m程歩くと、細い通り(普門院参道)の奥に普門院の鐘楼門が見える。 今日は素通り!

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● 普門院参道の先に赤羽西交番(北区赤羽西2)がある。 交番前の舟型庚申塔が目に入る『あれは?』 庚申塔の後ろに、「真正寺坂」の案内があり、この庚申塔の説明も書かれてた。『真正寺坂 しんしょうじざか  岩槻海道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これより いたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻海道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて、稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といってのぼったそうです。 平成五年三月 北区教育委員会 』、、、、稲付の人ではないが、私:浅草橋の人も「身上昇る」にあやかりたく、坂を上ることにした。

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・・・・・・・・・・・・真正寺坂は岩槻街道(交番前)から西に向かって上り、約270mの緩やか勾配だが、ジグザグに曲がり昔の山道の名残か?、、、、行き交う車は少なく、歩きやすかった! 坂の上まで歩いたので、身上を築けるね!

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● 真正寺坂を上ると「三岩通り」に繋がり「西が丘サッカー場交差点」を直進し、「蓮沼アスリート通り」と称して都営三田線「本蓮沼駅」前で中山道に出る。


・・・・・・・・・・・・「三岩通り」は、“さんいわどうり”と読み、名前の由来は沿道にかつて「第三岩淵小学校(現:西が丘小学校)」があったため。、、、、もうすこし、歴史、由緒ある名前かと思ったが??? 期待はずれ!

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・・・・・・・・・・・・三岩通りから北側の脇道を見ると、坂が下り、その先の台地にUR都市機構の赤羽台の集合住宅が見える。

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・・・・・・・・・・・・西が丘サッカー場交差点を過ぎると、「蓮沼アスリート通り」と道路の愛称は変わるが、“アスリート”らしさを感じることもない。

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・・・・・・・・・・・・蓮沼アスリート通り中山道(=国道17号)にぶつっかる。 ここは、三田線の「本蓮沼駅前。

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● 本蓮沼駅から北へ200m程歩くと、真言宗智山派の寺院「寳勝山南蔵院(板橋区蓮沼町)がある、、、、大きな寺だが、古い堂宇は残っていない。 チョイトお立ち寄り。 『身上を築けるよう、賽銭を奮発して、くれぐれもよろしく』 合掌3回!

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● 南蔵院前で中山道を横断し、板橋区大原町、板橋区泉町を、裏道を選んで歩きぬける。

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・・・・・・・・・・・・板橋区前野町1丁目の交差点角の工事現場に、車止めのような角柱の石がある。 よく見ると何やら文字が彫ってある。、、、、さらによく見ると、正面に「奉待大青面金剛」、右側面には「〇里ま道 寛政三年〇〇」と読めた。 『オゥ! こりゃ、庚申塔で道標だ!』 後に調べてみると、「角柱型庚申塔」と称し、「奉待大青面金剛 講中諸願成就所」、「清水講中 女拾四人 右 大日道 世話人 山上□□」、「左 祢里ま道(ねりま道) 寛政三年十一月」と彫ってあるようだ。、、、、寛政3年は1791年、230年前の庚申塔! 工事現場では可哀そう、道の脇にでも移設し、大切にしたらどうだ!

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● 中板橋駅の北側、「向屋敷橋(むかいやしきばし)
」で石神井川を越える。

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東武東上線「
中板橋駅に到着。 ローカル色が残る、懐かしさを感じる駅。、、、、駅前の中板橋商店街も活気があり、いいね!

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2022年6月 1日 (水)

嫁入り舟

雨も上がり、晴天の下、夫婦で潮来花嫁さんを見に行った。 東京(我が家)から電車に乗って2時間10分で佐原(千葉県)に到着、ここからさらに鹿島線に乗り換え9時30分に潮来(いたこ、茨城県)で下車。 『水郷潮来 あやめまつり』の観光です。 『あやめ園』、『嫁入り舟』を見た後は、佐原に出て名物を食し、伊能忠敬旧宅のある町並み観光。、、、、往復5時間のガッタンゴットン電車移動と1万7千歩のブラブラ歩きは、チョイト疲れた!



● 佐原駅で成田線から降りると、鹿島神宮行き2両連結の鹿島線がお出迎え。 慌てて乗らなくても空いている。

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・・・・・・・・・・・・「潮来駅」は島式ホーム1面2線の高架駅。 駅は昭和45年(1970)8月20日に国鉄の駅として開業。 あやめまつりが行われる観光シーズン以外は、一日の乗降客数は300人程と少ない!、、、、潮来駅周辺にはビジネスホテル、観光ホテルなどもあるが、観光スポットは少なく静かそうな町だ!

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● まずは駅で教えてもらった地元の「旧家磯山邸」を見に行く、、、、『明治32年(1899)建築の古民家』ただそれだけ!

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● 『水郷潮来 あやめまつり』は「水郷潮来あやめ園」で開催されていた。、、、、潮来といえばアヤメといわれるほど、潮来のアヤメはよく知られており、あやめ園は「前川」と呼ばれる川沿いにあり、園内には利根の河原に群生していた原種を改良した約500種100万株の花菖蒲のほか、カキツバタなどが植えられていた。 今日は、白、紫、黄の色とりどりの花が一斉に咲き、一番の見頃だったかも!、、、、私達、夫婦を地元の美女がお出迎え。 こちらの花も美しい!!! 

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花村菊江が歌う「潮来花嫁さん」 ♪♪ 潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 舟でゆく 月の出潮を ギッチラ ギッチラ ギッチラコ ・・・・・♪♪、、、、この地:潮来では、昭和30年前半までは水路が交通手段であった。 そのため、嫁入りする際の花嫁や嫁入り道具等を運搬するときにもサッパ舟が使われており、これが「嫁入り舟」のはじまりと言われている。 その再現が、『あやめまつり』の開催に合わせ毎年行われるそうだ。 花嫁さんは、モデルではなく、その年に結婚するカップルの応募から選ばれるそうだ。

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● 潮来から「佐原」に戻る、、、、明治31年(1898)2月3日に、成田鉄道の駅として開業し、大正9年(1920)には国に買収され国有鉄道の駅となる。、、、、駅舎に面した単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線ならびに単式ホームの南西側香取方を切り欠いた切欠きホーム1線の計2面4線を有する地上駅。 駅南側に、平成23年(2011)、佐原の町並みをイメージした和風の2代目駅舎がオープンした。 雰囲気が出ている、良い感じの駅舎である。

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・・・・・・・・・・・・古くから水郷の町として栄え、市街地の小野川沿いは「重要伝統的建造物群保存地区」 『小江戸』とも呼ばれる当時の町並みが残っている。 「伊能忠敬の旧宅」が残る『地図の町』でもある。、、、、川沿いの風景はあまりにも有名!

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・・・・・・・・・・・・町歩きの途中で食す。 旨い、満腹だ、満足した!

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