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2022年7月

2022年7月27日 (水)

押上から平井

当たり前のことだが『夏は暑い!』 今年もその暑さに、プラス“コロナ”、も一つおまけで“さる痘”。 大阪では高齢者の行動制限も検討しているとか? 最近の東京は、朝から暑く、高齢者は外出をひかえた方が良いかもね。

それでも外出したくなるのは、仕事もなく、ひまで元気な高齢者。 私もその一人で、家に籠って『終活ノート』を書く気はさらさらなし。

今日も朝一で我が家(浅草橋)の周辺を散歩、5時の始発電車を駅で見送り、熟睡中の神様に詣で、立ち喰い蕎麦の仕込み作業をチョイト見て、朝の爽やか空気を吸って帰る。、、、、家内も起きて朝食の準備中。 

朝食時、家内から『今日は涼しいよ、散歩してきたら』と一声掛かる。 『もう、町内一周してきたからいいよ』と返すと、“町内一周”ではなく、足の運動で“雅万歩”の散歩をして来いだった! 『ヨシ、行ってくる』

7時過ぎに家を出たが、『さて、どこへ行こうか、ああ ここは浅草(橋) 思案橋ブルース』、、、、乗って降りたは (暑い暑いと)哭いているよな 押上の町。



● 京成電鉄が管轄する押上駅には、同社の押上線と、東京都交通局の都営地下鉄浅草線が乗り入れている。 都営の“敬老パス”を持つ私は、都営線内無料(実質は先払い)で、ここで降りる。、、、、押上駅は大正元年(1912)11月3日に京成押上線の起点として開業、都営浅草線の乗り入れは昭和35年(1960)である。、、、、現在の押上駅は東京スカイツリーの下に地下化され、東武伊勢崎線(東京メトロ半蔵門線)も乗り入れてる。 東武伊勢崎線から都営浅草線に乗り換える乗客が多く、改札は人が途切れることはない。

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・・・・・・・・・・・・ 地上に出ると頭上には東京スカイツリーが夏空に眩しく輝いてる

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● 押上駅から裏道を歩く・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・ 健生堂病院は、大正8年(1911)に健生堂医院として開設され、下町に安心の医療サービスを提供し続けている地域密着型の病院。 診療科目は主たる内科の他に、外科、整形外科、皮膚科、眼科、歯科などがある。、、、、建物も歴史がありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・ スカイツリーの足下を流れる北十間川から見上げる塔

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・・・・・・・・・・・・ 夏休み、水泳教室に向かう児童、、、、泳ぎの苦手な私には、辛かった思い出

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・・・・・・・・・・・・ 昭和30年代のカラーリングのリバイバルカラー車両が走る東武亀戸線の踏切。、、、、この踏切の向こう側は墨田区京島地区。

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● かつては、救急・消防車両も入れぬ典型的な「木蜜地域(=木造住宅密集地域)」と言われた墨田区京島地区。 住民・行政の努力が少しずつ実り、道路幅は広がり、木造住宅は耐火建築に変わり、“木蜜地域”から脱しようとしている。

・・・・・・・・・・・・ まだまだ残る木造長屋。 できる限り、早く耐火建築に!

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・・・・・・・・・・・・ 道路幅が広がり、両側の住宅は耐火建築に変わった処

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・・・・・・・・・・・・ 住宅が取り壊された跡は道路に変わるようだ!

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・・・・・・・・・・・・ 防火・防災に備えあちらこちらに点在する「手押しポンプ」

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● 京島地区を抜けると八広・立花地区。 墨田区の東端部に位置する家内工業の多い町。、、、、時刻は9時を過ぎ、太陽ギラギラ、汗ダラダラ、ついでに足はフラフラ。 このまま歩くと“死”へ一直線だ、近くの公園で水をかぶり頭・首を冷やす。

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旧中川に架かる「平井橋を渡り江戸川区に入る。 JR平井駅までは500m程。 『どうやら死なずに帰ることができそうだ!』一安心。

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● 「平井駅」に無事到着、、、、明治32年(1899)4月28日に総武鉄道の駅として開業した古い駅だが、私の住む浅草橋駅と同様で総武線各駅停車の駅では影がうすい方だ。 

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2022年7月21日 (木)

冷やし中華の発祥地

九段下から靖国通り沿いに歩き浅草橋(我が家)まで、1万歩の散歩です。



● 浅草橋駅から都営浅草線に乗り次の東日本橋駅(=馬喰横山駅)で乗り換え、都営新宿線の九段下駅で下車する。 今日の散歩は「九段下駅」からスタートする。、、、、、九段下駅は、東京メトロ東西線・半蔵門線、都営地下鉄新宿線の駅である。 駅名はその名のごとく九段坂の坂下に位置することに由来する。 昭和40年代頃までは、須田町方面と渋谷方面を結ぶ都電が走っており、30年代には私も通学に利用していた、懐かしの路線。、、、、地下鉄の開通は、昭和39年(1964)12月23日の東京メトロ東西線開通、昭和55年(1980)3月16日の都営新宿線、平成元年(1989)1月26日の東京メトロ半蔵門線が、順次開通した。 ホームは地下2階に相対式2面2線の東西線ホームがある、地下4階には半蔵門線と新宿線のホームが相対式2面2線の間に島式1面2線の構造で配されている。、、、、昭和47年(1972)、私が勤めるゼネコンが九段下駅~市ヶ谷駅間のシールドトンネル工事を施工しており、当時新人の私は、研修で九段下から工事現場に入らされた。 生まれて初めて、恐る恐る、ワクワク・ドキドキ、トンネルの工事現場に入った思い出ある地。

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・・・・・・・・・・・・ 地上に出ると、普段であれば『東西南北どちらに向かう?』と悩むのであるが、今日は、熱中症が心配なので寄り道せずに、靖国通り沿いに浅草橋(我が家まで)まで歩くことにする。、、、、九段下駅を出て、チョイト横丁に入ると、懐かしい構えの住宅(千代田区九段南1)があった。 2階の丸窓、最高!

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● 九段下から神保町に向かうと、まず首都高の下、日本橋川に「爼橋」が架かっている。 橋名の「爼橋(まないたばし)」は難読だ。 名前の由来は、橋が2枚の爼(まないた)を渡したような板橋であったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとする説がある。、、、、最初の爼橋は江戸時代初期に架けられたそうだ。 関東大震災後は、大正通り(=靖国通り)の拡幅に合わせ、昭和4年(1929)に爼橋も長さ25.6m、幅42.0mの鉄筋コンクリートのアーチ橋に架け替えられた。 昭和42年(1967)上部に首都高が建設され、さらにその後、地下には地下鉄が建設されたのに伴い、昭和58年(1983)に現在の鋼桁橋に架け替えられた。

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● 専大前交差点から駿河台下交差点までは、靖国通りの南側に平行する「さくら通り」・「すずらん通り」を歩く。

・・・・・・・・・・・・ 専大(=専修大学)前交差点の南側「さくら通り」入口前にある、うなぎ専門店「今荘」 玄関は角地を切り欠いて設けられ、正面には唐破風、その上の2階には丸窓、最上部は神社のような破風がある、遊郭のような建物。 昭和初期(昭和8年らしい)の建築。、、、、建物もいいが、蒲焼もいいね!

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・・・・・・・・・・・・ さくら通りの神保町側入り口脇に、社会鍋でおなじみの「救世軍日本本営」の建物がある。 以前の建物は、現在と同じ場所に4階建て(?)の中世のヨーロッパの城のような雰囲気の建物だった。 当時中学生であった私にとっては、軍服を着た人が出入りする建物なので、チョイト怖そうで近寄りがたかった。

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・・・・・・・・・・・・ 白山通りを横断し、すずらん通りに入ると「揚子江菜館」がある。、、、、神保町交差点を中心に、さくら通り・すずらん通り界隈は、明治・大正期から華人が住み中華料理店を営み“中華街”であった。 現在でも約30店の中華料理屋が点在する。 その内の1店が揚子江菜館だ。、、、、夏になると、ここが発祥の店と言われている「冷やし中華」を食べに行く。 今年は、先週末に家族で食べてきた。 旨い!

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・・・・・・・・・・・・ すずらん通りの駿河台下側の入口には、「文房堂(ぶんぽうどう)」がある。、、、、明治20年(1887)神田小川町に創業。 日本で初めて大学ノート、便箋、五線譜などの文房具を製造発売した。 現在は画材関係の店として有名だ! 現在の建物は大正11年(1922)に完成した名建築。

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● 駿河台下からは靖国通りを歩き浅草橋へ・・・・・そろそろ暑くなってきた、熱中症の予防に「ソルティライチ」を飲みながら歩く。 小川町、岩本町を過ぎると浅草橋の交差点。

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浅草橋駅高架下のPCR検査場、予約なし・無料にもかかわらず、いままで閑古鳥が鳴いていたが、今日は行列ができていた。 東京都の感染者3万人超となれば、怖くなったのか!

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2022年7月18日 (月)

几号水準点巡り

例年より早く梅雨明けした東京、でも先週は『梅雨 再び到来』と言いたくなる連日の雨。 昨日、一週間ぶりに雨も上がった。 今日は、朝から『散歩してくるぞ!』

JR四ツ谷駅から、外濠通りを歩いて市ヶ谷へ、市ヶ谷からは外濠公園を通り抜け靖国神社へ、九段坂をおりて都営新宿線の九段下駅から帰宅。 1万歩の散歩



● 三連休の最期は『海の日』。 谷底のようなところにある「四ツ谷駅」ホーム、電車から降りる人は少なく、乗る人も少ない。 モグラのように駅ビル「アトレ」の下から地上に出る。、、、、四ツ谷駅は、明治27年(1894)10月9日、新宿駅~牛込駅間開通と同時に甲武鉄道の駅として開業した老舗。 現在のJR四ツ谷駅ホームはほとんどが千代田区麹町にあるが、駅ビル「アトレ」は千代田区と新宿区にまたがり、駅の正式所在地は新宿区四谷になっている。(利用者にとってはどちらでもいい話だ!)

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● 駅を出たら、どっちに向かうか? とりあえず、駅前の大通り「外濠通り」を市ヶ谷方向に歩く。 出がけにテレビでは、気温33℃の真夏日となる予報であったが、まだ暑くない。 今年初めてセミの鳴き声を聞く、“いいね、夏だ!”

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● 市ヶ谷駅手前で、道路の向かいのビルの間に「市谷亀岡八幡宮」77段の階段が見えた。 チョイト、寄って行く!、、、、市谷亀岡八幡神社は、太田道灌が文明11年(1479)に、市谷御門内(現:千代田区内)に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を、江戸城西方の守護神として勧請、鶴岡八幡宮の「鶴」に対して、亀岡八幡宮と称したそうだ。 しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転した。、、、、ここの神社の境内は樹木が多く、雑草も多く、ヤブ蚊も多い。 参拝するたびに痒~い、痒~い経験をしたことを思い出し、今日は慎重に参る。 でも、やられた!足の脛が痒~い。

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・・・・・・・・・・・・ 市谷亀岡八幡神社には、私が探し歩いてる「几号水準点がある。 当神社の手水鉢台座にあるはずだ、チョイト見て行こう!、、、、几号水準点のある場所は知っているが、改めて見ると何となく安心するものだ!

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・・・・・・・・・・・・ 参拝を終えると、『そうだここまで来たら、今までどうしても見つけることのできなかった、市ヶ谷新見附橋の几号水準点を探しに行こう!』と決めた。 今日の散歩の行先は市ヶ谷新見附橋とした。



● JR市ヶ谷駅ホームの御茶ノ水寄りに立つと、前の濠に釣り堀がある。 その釣り堀の頭上に架かる橋が「市ヶ谷見附跨線水道橋」である。、、、、市ヶ谷見附跨線水道橋は、昭和4年(1929)に完成した。 外濠と複々線の線路を跨ぐこの水道橋は5径間の下路鋼鈑桁橋で、総長98.1mの橋には一本の送水管が載っている。 歩いて見ると、桁と高欄は見えるが水道管は見えない(新宿区側の正面からは見える)デザインで、景観を配慮したような粋な構造物だ!

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● 外濠通りから、濠の反対側(千代田区側)にある外濠公園を歩く。、、、、市ヶ谷新見附橋の几号水準点は、以前に『市ヶ谷駅と飯田橋駅の中間にある新見附橋の公衆便所近くにある』と聞いていた。 今日もその言葉を頼りに、JR線路東側の崖上の外濠公園(千代田区)を中心に探すことにした。、、、、地図を見ると、外濠公園には公衆便所は三か所ある。 一か所は市ヶ谷見附交番の隣り、もう一か所は新見附橋から飯田橋に寄った法政大学前、残る一か所は飯田橋駅前の牛込見附だ。 いずれも、これまで数回、几号水準点を探し回ったことのある公衆便所だ。

・・・・・・・・・・・ 市ヶ谷見附交番横の公衆便所周辺をキョロキョロ探すが、見つからず。 公衆便所を周りをキョロキョロ、チョイト、怪しい人物と思われたかも? 引き続き外濠公園内を歩く。 物置小屋のような建物周辺もキョロキョロ、ガサガサ。

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・・・・・・・・・・・・崖下には中央線快速、中央総武緩行線が走る。

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・・・・・・・・・・・・ 市ヶ谷駅と飯田橋駅の中間に「市ヶ谷新見附橋」がある。 周囲には公衆便所は無い。 この辺では無さそうだ! あきらめ次の便所へ探しに行くかと思いつつ、橋の横の「東京市 外濠公園」と標した石を撮影。 何気なく、そこから5m程離れた歩道上を見ると、几号水準点があった! 鮮やかに“不”の図形が刻まれている。 『やっと見つけた、でも便所は無い!』 後に判ったことだが、20年前には几号水準点の前に公衆便所があったそうだ。(歩道上に公衆便所の跡らしき形状で縁石が並んで写っている)、、、、これで私の几号水準点巡りに、1ヶ所プラスすることができた。

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● 予定より早く几号水準点が見つかったので、靖国神社の几号水準ても見て行こう!、、、、「靖国神社」では、16日まで盆に因んで英霊を慰霊する「みたままつり」が行われていた。 境内では大小3万を超える献灯、提灯や雪洞が掲げられていた。 壮観だ!(夜来るともっと凄いと思う!)、、、、提灯に書かれた、献者の名を見ていると、15年ほど前まで私の父が東京支部役員を務めていた「陸軍工科学校」同窓会の名があった。 書かれた文字を見てると、父の姿を思いだし、賽銭を奮発し改めて合掌する。

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・・・・・・・・・・・・ 靖国神社の神門をくぐり拝殿に向かって左右に灯篭がある。 その左側の灯篭台座に几号水準点がある。

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● 靖国神社の几号水準点を見たら、近くの田安門(武道館へ向かう門)にも几号水準点がある。 こちらも、チラリと見て行こう。

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● 「九段下駅」から都営新宿線で帰る。

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2022年7月11日 (月)

新宿御苑の外側

久しぶりに新宿駅東口に出た。 今日の散歩は、ここから新宿御苑の外周に沿って早稲田方面に歩く予定でスタート。 予定は変わるもの、四谷三丁目で暑さ厳しく熱中症が怖くなり、散歩を諦めJRツ谷駅から帰宅。 1万2千歩。



新宿駅はいつ来ても必ずどこかで工事が行われてる。 今日は昨年秋に完成し、幅が広くなった東西自由通路を通り、東口に出る。 東西自由通路はこれまで改札内にあった北通路の幅を、17mから25mに広げ、改札を通路の南側に分散配置した。、、、、サラリーマンを辞めて13年、飲み会・同窓会も減り、新宿で降りる機会も少なくなった。 新宿駅東口(昭和39年完成の駅ビル「新宿民衆駅ステーションビル」、現在の「ルミネエスト」)の前に立つのは久しぶり。 約60年前、新宿駅は通学の途中駅で、よく映画を見に来た大学生の頃を思い出し、懐かしさを感じる!

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● 新宿駅東口から甲州街道下を通り抜け「新宿高島屋」前を過ぎ、「新宿御苑」西側の塀に沿って千駄ヶ谷駅の方へ向かう。 そろそろ通勤時間だ、新宿御苑前に建ち並ぶマンションから、足早に人が出て来る。 足の短い私を抜き去っていく!

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑千駄ヶ谷門から150m程西に「新井白石終えんの地」(渋谷区千駄ヶ谷6)がある。、、、、案内板には『新井白石終えんの地  新井白石は6代将軍徳川家宣・7代家継と2代の将軍に儒官として仕えました。学者としては先例のない政治への参加と、学問の大きな業績によって知られています。しかし、吉宗が8代将軍になると急速にその地位を失い、城中の御用部屋はもとより、小川町の賜邸も取り上げられてしまいました。 白石が享保2年(1717)幕府からこの土地を与えられ、享保6年(1721)移り住んだ頃は、周囲は、すべて青々とした麦畑でした。 ここで白石は失意の日々をおくったのですが、一方では多くの著作を行いました。絶筆となった『采覧異言』の修訂が終わった5、6日後の享保10年(1725)5月19日、69歳で戦乱に富んだ一生を終わりました。  渋谷区教育委員会』と書かれてる。、、、、案内板があるだけ、せめて石碑でも建ててあげればいいのだが! 渋谷区の財政は苦しいのか?

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・・・・・・・・・・・・【付録】新井白石の墓は中野区上高田の「高徳寺」にあり、長門裕之・南田洋子・山野愛子・柳家三亀松などの各氏と共に眠っている。(14/6/17撮影)

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● JR千駄ヶ谷駅前を通過。 首都高の高架下が駅前広場、普段は広々としているが、国立競技場・東京体育館などでイベントがあると手狭になるね。

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● 千駄ヶ谷駅から東へ、JRのガードをくぐり、今度は新宿御苑の東側沿いに歩く。

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑の「正門」がある。 正門は都道(外苑西通り)に面し、車での利便性は良いが、普段は閉じられている。 なぜ、なぜ、閉じている???、、、、正門は、新宿御苑がかつて皇室苑地だった頃、皇室をはじめ国内外の賓客の入園門として設けられていた。 しかし、戦後は一般に公開され、誰でも入園できる公園となっている。 そこで、普段の門は利便性の高い場所に出入口を作る必要から、新宿、大木戸、千駄ヶ谷の3ヶ所に入場門を設置している。 正門は電車・バスなどの交通の便が悪く、それほど入園者数も見込まれないため、国の特別行事を行うとき等を除き閉鎖してるそうだ。、、、、総理大臣主催の『桜を見る会』に招待されたら正門から入れるかもね!

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・・・・・・・・・・・・ 正門から150m程北に歩くと、大京町交番の北側の植え込みに、案内板があり『伝 沖田総司逝去の地  この場所には、高遠藩主内藤家屋敷(現新宿御苑)に沿って流れる旧玉川上水の余水吐(渋谷川と呼ばれる)に池尻橋がかかっていました。 多くの歴史小説や映画などで、新撰組隊士沖田総司(1844~1868)が晩年に療養し、亡くなったとされる植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷はこのあたりにありました。  平成二十六年三月 新宿区』と書かれている。、、、、イケメンの沖田総司は結核で亡くなったそうだ。 テレビ、映画などでは、色恋の少ないチョイト暗い役で、イケメン俳優が演じ、カッコいいと若い娘に好まれる人物で描かれている。 ニヒルな私も演じてみたくなる人物なり!

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・・・・・・・・・・・・ 沖田総司逝去の地から北へ150m程、新宿区内藤町に「多武峰内藤神社」がある。 祭神は、古の政治家で大化の改新の中心人物:藤原鎌足公(ふじわらのかまたりこう)である。 神社の創建は江戸時代初期、幕府の重臣であった内藤清成が、家康より現在の新宿御苑の地に広大な屋敷地を拝領し、家祖である藤原鎌足公を敷地内に祀り、内藤神社として創始したのが始まり。、、、、チョイトお立ち寄り。、、、、境内には「三菱鉛筆」の創業の地をしめす碑もある。

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● 新宿駅から新宿御苑の西側・南側・東側を回り、「四谷四丁目交差点」に出てきた。 『さて、これから早稲田方面に向かって歩こう!』と、再び歩き出す。、、、、500m程歩いて「四谷三丁目交差点」に来た頃は、暑さと湿度の高さで、身体中から汗が吹き出してる。 私の感による適当な観測では、気温は30℃超、湿度は80%超。 このまま歩いたら、熱中症になるかも?、、、、『ここで救急車には乗りたくない!』 『今日の散歩はこれ以上は無理だ!』 進路を四ツ谷駅に変更。

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● JR四ツ谷駅に着いた頃は、汗でビッショリ。 『早く帰って身体を拭きたい!』

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2022年7月 9日 (土)

ポンポン船の音

昨日は、昼から衝撃的なニュースが飛び込み、夜までテレビに釘付けとなった。 安倍元首相 ご苦労様でした。



今朝4時に起床し、静かに資源ごみを出してから散歩に出た。

・・・・・・・・・・・・ ご近所の皆さん熟睡中、、、、田舎であれば、早起き鶏がコケコッコー!

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・・・・・・・・・・・・ 車の少ない江戸通り(国道6号)を横断する。 交番ではお巡りさんが二名お話中。 徹夜の勤務明けか?

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・・・・・・・・・・・・ 蔵前の「榊神社」で手を合わせる、、、、誰もいない、賽銭箱がある、チャンスか? 人間「つい、出来心」となるかも?

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・・・・・・・・・・・・ 隅田川に出る、日の出を拝み、ブラブラ、、、、昔なら、カモメの鳴き声と、ポンポン船の音が聞こえる時刻だ!

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2022年7月 7日 (木)

新宿の総鎮守

猛暑日の連続、雨の連続、コロナ感染者増加の連続、外出できずボヤキの連続。 そんな連続を終わらせようと、今日は曇り空の下、散歩に出た。 東京メトロ新中野駅から、福寿院、十二社熊野神社に寄ってJR新宿駅まで、1万歩の散歩です。



● 東京メトロ丸ノ内線「新中野駅」は、昭和36年(1961)2月8日の荻窪線(現:丸ノ内線)新宿~新中野間の開業に合わせ設けられた。 開業時は丸ノ内線の終着駅であったが、昭和36年11月1日には南阿佐ヶ谷まで延伸し中間駅となった。 ホームは相対式2面2線で地下にある。 各ホームの両端に改札があるので、計4ヶ所の改札がある。 また、各改札毎に1ヶ所の出口があり、こちらも計4ヶ所。、、、、一日当たりの乗降客数は3万6千人程で、東京メトロ全130駅中100位前後。 都心にあっては、チョイト少ないね。

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● 新中野駅出口の東側50m程に、青梅街道と鍋屋横丁通りが交差する「鍋屋横丁交差点」があり、交差点角には「鍋屋横丁の由来」の碑が建てられている。、、、、「鍋屋横丁」は、江戸時代前期に現在の杉並区堀ノ内にある妙法寺に向かう参道として栄えた。 江戸から青梅街道を経由して妙法寺に向かう際、現在の鍋屋横丁交差点を左折することになるが、その目印となったのが「鍋屋」という名の茶店であったことから、「鍋屋の横丁」として名がついたそうだ。、、、、地下鉄丸ノ内線が開通する以前は、この交差点に都電の「鍋屋横丁」停留場があり、14系統(新宿駅前~荻窪駅前)の都電が運行していた。 当時、学生であった私は“鍋屋横丁”とはどんな横丁か知らず、停留場名から何となく新宿の「思い出横丁」のような“呑んべい横丁”を想像していた。 社会人となり、鍋屋横丁に行く機会が訪れ、現地で普通の商店街と知り期待を裏切られ、仲間に気まずい思いをしたことを覚えている。

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● 鍋屋横丁交差点の裏側に、色とりどりの旗に囲まれた赤い鳥居と小さな社が二つ並ぶ神社がある。 ここで問題、神社名の「五柱五成神社」と「天五色辨財天」の読みは?、、、、写真向かって右側の神社「五柱五成神社」は“ごしゃいなりじんじゃ”と読む。 右側の「天五色辨財天」は“あめごしきべんざいてん”と読む。、、、、文政6年(1823)京都伏見稲荷大社より槇屋平兵衛が、勧請し、自宅に戻り、その後譲り受けた大塚平兵衛が一族一門の守護神から衣食住一切を司る稲荷の大祖神として五柱の神々を「天圀蔵五柱五成大神(あめこくぞうごしゃいなりおおかみ)」と名付け奉り広く世の人々がその御神徳を分かった。 昭和48年に「五柱五成」と改名し現在の社殿となった。、、、、鳥居の左右、派手な五色の旗は、大願成就すると必ず五色の旗をあげるよう定め伝えられているらしい。

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● 新中野駅から南東方向に約600m、中野新橋駅の北200m程に、真言宗豊山派の寺「西光山福寿院医王寺 」がある。 神田川を南に見る台地の上にあり、境内は広々と明るく、見晴らしも良い。、、、、本尊は弘法大師の作と伝えられている薬師如来坐像。 大師が諸国巡錫中久しく当院に泊り、自ら薬師如来像2体を彫り、一体を当院に、もう一体を梅窓院(新井薬師)の本尊とした。 また開基の智真上人が本山大和初瀬長谷寺から持参したという。 創建は元応元年(1319)といわれているが定かではない。 初めはもっと西の雑色村(?)の境のところにあった。 明和の火災で堂塔伽藍悉く焼けて、安永の頃現在地に移転した。、、、、鉄筋コンクリート造の本堂は昭和51年(1976)に建立。

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● 中野区本町2丁目、住宅地の中に新宿の超高層ビルを見渡す公園「本二東郷やすらぎ公園」がある。 中野区の東南部、旧郵政宿舎跡地を活用し平成30年(2018)に開園した、面積約6,954㎡の公園。、、、、サッカー、野球などができそうな芝の広い公園。

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・・・・・・・・・・・・この辺りから、新宿の超高層ビルを眺めながら神田川沿いの裏道を歩く。 「熊野神社前交差点」に出てきた。

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● 都庁の西側に広がる「新宿中央公園」、その一画に「熊野神社」がある。

・・・・・・・・・・・・当熊野神社は中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394~1428)に創建されたものと言われてる。(天文・永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったという異説もあり) 鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。当神社の付近の地名「十二社」(じゅうにそう)はこれに因んでいる。、、、、かっては、神社境内に大きな滝があり、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつの池があった。 江戸時代には付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。、、、、十二社熊野神社の氏子範囲は、西新宿、新宿駅、歌舞伎町などを含む地域で、新宿の総鎮守。、、、、境内は綺麗に整備され、チョイト休憩するにも最適!

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・・・・・・・・・・・・鳥居を出れば新宿中央公園。 かつては、ホームレスなどが多く、のんびり散策する気になれなかった公園。 今は、整備され、園内にはスターバックスなども店を出し、親子でスポーツ、カップルで散策、一人で読書、何でもできそうな楽しい公園に変わった!

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● 新宿駅西口に到着、散歩はココまで。、、、、再開発で小田急デパートは壊される運命!

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2022年7月 2日 (土)

白鳥明神の加護

今日も猛暑日かも、熱中症が怖く日中の散歩は中止。 早朝の散歩で、鳥越神社に手を合わせてきた。、、、、蔵前橋通りを挟み、南に台東区浅草橋、北に台東区鳥越。 「浅草橋」と「鳥越」は隣町。 



・・・・・・・・・・・・ 早朝の「蔵前橋通り」は車も少ない、通りに面し緑の樹々が茂るは鳥越神社。、、、、蔵前橋通りは、文京区湯島の本郷通り(順天堂病院の北側)から、蔵前橋、亀戸天神前、平井大橋をとおり、江戸川区北小岩の千葉街道に至る延長14kmの道路。

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・・・・・・・・・・・・ 前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。 江戸時代までは約2万坪の広大な敷地だったが、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられてしまった。 鳥越神社が土地を失ったのは、江戸城築城と隅田川や当時鳥越のすぐ近くにあった姫が池の埋め立てのためにたくさんの土が必要になり、鳥越の丘を崩して使用したそうだ。 その後、江戸城の城下町を形成するのと、旗本や大名屋敷の御用地とするために 幾度となく幕府に土地を没収された。 それまで、鳥越の山にあった鳥越大明神と熱田神社と第六天神の鳥越三所明神のうち、 熱田神社が今戸に、第六天神が蔵前にそれぞれ移動させられた。 鳥越大明神だけがその地に残されて、今の「鳥越神社」になった。 第六天神は今の「第六天榊神社」である。 第六天榊神社の紋も鳥越神社と同じ七曜紋である。、、、、今日は、まだ、ラジオ体操の時間前なので、だれもいない静かな境内

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・・・・・・・・・・・・ 「鳥越神社」の例大祭は、都内最大級を誇る“千貫神輿”と、夜に行われる宮入“夜祭りで有名。、、、、千貫≒4ton、チョイト重たすぎるね!


・・・・・・・・・・・・ 【蛇足】 鳥越には、江戸時代初期頃まで、「鳥越刑場」(現:陣内神社付近かも?)があったそうだ。 鳥越刑場はその後、小塚原刑場(南千住)へ移転した。、、、、我が家の地面を掘り起こすと人骨が出て来るかも、くわばらくわばら! 

2022年7月 1日 (金)

朝だ! 朝だよ!

猛暑日が続く東京、日中の外出は年寄厳禁。 連日、早朝散歩で足の退化を予防。 今朝も4時に起き、我が家(浅草橋)の近くをブラブラ!



・・・・・・・・・・・・ ご近所はまだ寝てるようだ、人影は見えず!

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・・・・・・・・・・・・ 我が家の氏神様「銀杏岡八幡神社」も、しっかり戸締りして爆睡中(?)、、、、賽銭盗まれないか心配だ!

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・・・・・・・・・・・・ 早朝のエンジン音は民間の廃品回収車だ、企業が出す事業系のごみ収集。 早々と仕事がはじまってる。

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・・・・・・・・・・・・ 車の少ない江戸通り(=国道6号)、人影少ない駅周辺!、、、、終電に乗り遅れた酔っ払いもいない、静かな浅草橋駅周辺だ!

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・・・・・・・・・・・・ 柳橋に回って隅田川

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・・・・・・・・・・・・ ♪♪ 朝だ 朝だよ 朝日がのぼる 空にまっ赤な 日がのぼる みんな元気で 元気で起きよ ・・・・・ ♪♪ (昭和16年、ラジオ放送で発表された国民歌謡、作詞:八十島稔、作曲:飯田信夫)

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