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2022年7月11日 (月)

新宿御苑の外側

久しぶりに新宿駅東口に出た。 今日の散歩は、ここから新宿御苑の外周に沿って早稲田方面に歩く予定でスタート。 予定は変わるもの、四谷三丁目で暑さ厳しく熱中症が怖くなり、散歩を諦めJRツ谷駅から帰宅。 1万2千歩。



新宿駅はいつ来ても必ずどこかで工事が行われてる。 今日は昨年秋に完成し、幅が広くなった東西自由通路を通り、東口に出る。 東西自由通路はこれまで改札内にあった北通路の幅を、17mから25mに広げ、改札を通路の南側に分散配置した。、、、、サラリーマンを辞めて13年、飲み会・同窓会も減り、新宿で降りる機会も少なくなった。 新宿駅東口(昭和39年完成の駅ビル「新宿民衆駅ステーションビル」、現在の「ルミネエスト」)の前に立つのは久しぶり。 約60年前、新宿駅は通学の途中駅で、よく映画を見に来た大学生の頃を思い出し、懐かしさを感じる!

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● 新宿駅東口から甲州街道下を通り抜け「新宿高島屋」前を過ぎ、「新宿御苑」西側の塀に沿って千駄ヶ谷駅の方へ向かう。 そろそろ通勤時間だ、新宿御苑前に建ち並ぶマンションから、足早に人が出て来る。 足の短い私を抜き去っていく!

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑千駄ヶ谷門から150m程西に「新井白石終えんの地」(渋谷区千駄ヶ谷6)がある。、、、、案内板には『新井白石終えんの地  新井白石は6代将軍徳川家宣・7代家継と2代の将軍に儒官として仕えました。学者としては先例のない政治への参加と、学問の大きな業績によって知られています。しかし、吉宗が8代将軍になると急速にその地位を失い、城中の御用部屋はもとより、小川町の賜邸も取り上げられてしまいました。 白石が享保2年(1717)幕府からこの土地を与えられ、享保6年(1721)移り住んだ頃は、周囲は、すべて青々とした麦畑でした。 ここで白石は失意の日々をおくったのですが、一方では多くの著作を行いました。絶筆となった『采覧異言』の修訂が終わった5、6日後の享保10年(1725)5月19日、69歳で戦乱に富んだ一生を終わりました。  渋谷区教育委員会』と書かれてる。、、、、案内板があるだけ、せめて石碑でも建ててあげればいいのだが! 渋谷区の財政は苦しいのか?

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・・・・・・・・・・・・【付録】新井白石の墓は中野区上高田の「高徳寺」にあり、長門裕之・南田洋子・山野愛子・柳家三亀松などの各氏と共に眠っている。(14/6/17撮影)

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● JR千駄ヶ谷駅前を通過。 首都高の高架下が駅前広場、普段は広々としているが、国立競技場・東京体育館などでイベントがあると手狭になるね。

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● 千駄ヶ谷駅から東へ、JRのガードをくぐり、今度は新宿御苑の東側沿いに歩く。

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑の「正門」がある。 正門は都道(外苑西通り)に面し、車での利便性は良いが、普段は閉じられている。 なぜ、なぜ、閉じている???、、、、正門は、新宿御苑がかつて皇室苑地だった頃、皇室をはじめ国内外の賓客の入園門として設けられていた。 しかし、戦後は一般に公開され、誰でも入園できる公園となっている。 そこで、普段の門は利便性の高い場所に出入口を作る必要から、新宿、大木戸、千駄ヶ谷の3ヶ所に入場門を設置している。 正門は電車・バスなどの交通の便が悪く、それほど入園者数も見込まれないため、国の特別行事を行うとき等を除き閉鎖してるそうだ。、、、、総理大臣主催の『桜を見る会』に招待されたら正門から入れるかもね!

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・・・・・・・・・・・・ 正門から150m程北に歩くと、大京町交番の北側の植え込みに、案内板があり『伝 沖田総司逝去の地  この場所には、高遠藩主内藤家屋敷(現新宿御苑)に沿って流れる旧玉川上水の余水吐(渋谷川と呼ばれる)に池尻橋がかかっていました。 多くの歴史小説や映画などで、新撰組隊士沖田総司(1844~1868)が晩年に療養し、亡くなったとされる植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷はこのあたりにありました。  平成二十六年三月 新宿区』と書かれている。、、、、イケメンの沖田総司は結核で亡くなったそうだ。 テレビ、映画などでは、色恋の少ないチョイト暗い役で、イケメン俳優が演じ、カッコいいと若い娘に好まれる人物で描かれている。 ニヒルな私も演じてみたくなる人物なり!

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・・・・・・・・・・・・ 沖田総司逝去の地から北へ150m程、新宿区内藤町に「多武峰内藤神社」がある。 祭神は、古の政治家で大化の改新の中心人物:藤原鎌足公(ふじわらのかまたりこう)である。 神社の創建は江戸時代初期、幕府の重臣であった内藤清成が、家康より現在の新宿御苑の地に広大な屋敷地を拝領し、家祖である藤原鎌足公を敷地内に祀り、内藤神社として創始したのが始まり。、、、、チョイトお立ち寄り。、、、、境内には「三菱鉛筆」の創業の地をしめす碑もある。

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● 新宿駅から新宿御苑の西側・南側・東側を回り、「四谷四丁目交差点」に出てきた。 『さて、これから早稲田方面に向かって歩こう!』と、再び歩き出す。、、、、500m程歩いて「四谷三丁目交差点」に来た頃は、暑さと湿度の高さで、身体中から汗が吹き出してる。 私の感による適当な観測では、気温は30℃超、湿度は80%超。 このまま歩いたら、熱中症になるかも?、、、、『ここで救急車には乗りたくない!』 『今日の散歩はこれ以上は無理だ!』 進路を四ツ谷駅に変更。

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● JR四ツ谷駅に着いた頃は、汗でビッショリ。 『早く帰って身体を拭きたい!』

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