白鳥明神の加護
今日も猛暑日かも、熱中症が怖く日中の散歩は中止。 早朝の散歩で、鳥越神社に手を合わせてきた。、、、、蔵前橋通りを挟み、南に台東区浅草橋、北に台東区鳥越。 「浅草橋」と「鳥越」は隣町。
・・・・・・・・・・・・ 早朝の「蔵前橋通り」は車も少ない、通りに面し緑の樹々が茂るは鳥越神社。、、、、蔵前橋通りは、文京区湯島の本郷通り(順天堂病院の北側)から、蔵前橋、亀戸天神前、平井大橋をとおり、江戸川区北小岩の千葉街道に至る延長14kmの道路。
・・・・・・・・・・・・ 前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。 江戸時代までは約2万坪の広大な敷地だったが、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられてしまった。 鳥越神社が土地を失ったのは、江戸城築城と隅田川や当時鳥越のすぐ近くにあった姫が池の埋め立てのためにたくさんの土が必要になり、鳥越の丘を崩して使用したそうだ。 その後、江戸城の城下町を形成するのと、旗本や大名屋敷の御用地とするために 幾度となく幕府に土地を没収された。 それまで、鳥越の山にあった鳥越大明神と熱田神社と第六天神の鳥越三所明神のうち、 熱田神社が今戸に、第六天神が蔵前にそれぞれ移動させられた。 鳥越大明神だけがその地に残されて、今の「鳥越神社」になった。 第六天神は今の「第六天榊神社」である。 第六天榊神社の紋も鳥越神社と同じ七曜紋である。、、、、今日は、まだ、ラジオ体操の時間前なので、だれもいない静かな境内
・・・・・・・・・・・・ 「鳥越神社」の例大祭は、都内最大級を誇る“千貫神輿”と、夜に行われる宮入“夜祭り”で有名。、、、、千貫≒4ton、チョイト重たすぎるね!
・・・・・・・・・・・・ 【蛇足】 鳥越には、江戸時代初期頃まで、「鳥越刑場」(現:陣内神社付近かも?)があったそうだ。 鳥越刑場はその後、小塚原刑場(南千住)へ移転した。、、、、我が家の地面を掘り起こすと人骨が出て来るかも、くわばらくわばら!
« 朝だ! 朝だよ! | トップページ | 新宿の総鎮守 »