美女“手児奈”
一週間ぶりの外出は、北総線矢切駅からJR総武線市川駅まで、1万3千歩の散歩です。
● 北総線「矢切駅」は、平成3年(1991)に開業した、島式ホーム2面4線の地下駅である。 地下から階段を上がると、駅前にはバス停があるのだが、なぜかバス停に背を向け、何もない民家の空き地側に出るような配置となっている。 階段の取り付け方向を間違えた設計か?
● 今朝の天気予報では、最高気温30℃、湿度60%、終日曇り空であった。 熱中症の心配はなさそうだが念のため、途中で倒れても誰か(できたら若い女性が)助けてくれるように住宅地を歩くことにした。 そこで「国際医療福祉大学 市川病院」の東側をぬけ、「国分尼寺跡」、「国分寺」、京成本線「市川真間駅」まで歩く(この道は昨年3月に歩いたルートとほぼ同じ)。 、、、、暑くないと思い歩いていたが、途中から汗が吹き出し、あわててペットボトルを買い、頭から水をかぶる(服はビショビショ)。 冷えてたので気持ちいいこと、Good!
・・・・・・・・・・・・ 途中に点在する庚申塔、、、、襲われると怖いので、“ちかんに注意”して歩く!
・・・・・・・・・・・・ 国分寺から南へ、国府台の台地を下ると、手児奈(てごな)という美しい女性を祀った、「手児奈霊堂」がある。、、、、 今から1300年ほど前、真間の井(亀井院)に水を汲みに行く一人の女性がいた。 名は手児奈。 身なりはそまつだったが、とても美しい女性だったそうで、多くの男性からプロポーズされたそうだ。 「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に身を投げてしまった。(当時は真間山(台地)の下は海だった) 多くの人が、これを悲しみ手児奈霊堂を建てて祀ったと言われてる。、、、、女性が不細工であったなら、この話は無かったと思うよ!
● 市川真間駅から南の千葉街道に出る途中に、国登録有形文化財の「西洋館倶楽部(渡辺家住宅)」がある。、、、、大正時代の東京株式取引所の仲買人であった丸水渡辺商会の店主・渡辺善十郎により、日本家屋の母屋に隣接するゲストハウスとして建てられたもの。 かつてこの地域一帯には、黒松林の中に洋館が点在していたが、時とともに姿を消し、完全な形で残っているのは、この建物だけとなっている。 建物は昭和2年(1927)に建てられた木造3階建て洋館。 玄関ホールはベイウインドウ状に張り出しており、その上には手摺りを廻らせたバルコニーが設けられている。また、南・西・北側の3面は、破風の拝みを押さえた袴腰型切妻破風を中心とする屋根で、側面の軒先に千鳥屋根を設けた構成の特徴ある外観を備えている。、、、、現在はギャラリーやコンサートに利用されてるそうだ。
● JR総武線「市川駅」は島式ホーム2面4線と快速ホーム(3・4番線)外側に本線2線を有する高架駅。 明治27年(1894)7月20日に総武鉄道(私鉄)の起点駅として開業。 明治40年(1907)に鉄道国有法により買収され、国有鉄道の駅となる。、、、、久しぶりに1万歩超歩いたので、駅到着時にはチョイト足が痛い、男は我慢!