上中里~町屋
京浜東北線の上中里駅で下車し、目的地なく気ままに歩き、東尾久の町を抜けて京成本線の町屋駅まで、1万歩の散歩です。
● 上野の方から来ると、田端駅で山手線と京浜東北線は別れ、京浜東北線の次のが「上中里駅」である。 地理的には都心の駅とは言い辛いが、準都心駅である。 しかし、上中里駅の一日平均乗降客数は、東京23区のJR駅としては越中島駅(4,404人/2021年実績)の最下位と競って、ワースト2位(6,157人)である。 今日も、一電車から降りるのは最寄りの女子高生と数人の通勤客、乗るのも10数人ほど、と寂しい。、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、我が家の最寄り駅:浅草橋駅には、エスカレータが設置されてないが、ここ上中里駅にはエスカレータがある。 負けた!
● 上中里駅は台地の斜面部に造られており、線路・ホームは台地の下、駅舎は台地の上にある。 上中里駅から直線距離で300m程歩き、滝野川女子学園の前から、東北新幹線の高架と京浜東北線の線路の間を抜ける跨線橋「車坂跨線橋」がある。 この跨線橋を渡り、台地を下りると、京浜東北線および東北新幹線と尾久駅を通る上野東京ライン(宇都宮線)に挟まれた上中里2丁目の町がある。 また、ここにはJR東日本尾久車両センター、田端操車場、新幹線車両センターなどがある。 まずは、尾久車両センターと田端操車場の間を歩くことにした。
・・・・・・・・・・・・車両センターと田端操車場の間(北区上中里2-2付近)に「中里貝塚」がある(現在は埋め戻され、公園として利用されている)。、、、、縄文時代中期から後期(約4600~3900年前)の貝塚で、最大で厚さ4.5m以上の貝層が広がる、縄文時代の海浜低地に形成された巨大な貝塚である。、、、、大正15年(1926)、この地に操車場ができた時は「貝塚操車場」と称したそうだ。
・・・・・・・・・・・・尾久車両センターと田端操車場を結ぶ「東北回送線 王子街道南亘り踏切」
・・・・・・・・・・・・踏切から50m南に「西新井弘法大師道」の道標がある。 道標に沿って大師道を東に向かうと「第三下田端踏切」を越えて、田端新町3丁目交差点(明治通り)に出た。
● 荒川区西尾久1丁目に、江戸時代からの尾久の旧家に残る煉瓦造りの蔵がある。 この小柄な蔵は、明治中頃に建てられたそうだ。 震災・戦災を免れ、今日まで残った貴重な建物。、、、、荒川区尾久の隅田川沿いには、明治時代から多くの煉瓦工場があり、煉瓦は舟で東京市内に運ばれ近代化に貢献した。
● 西尾久一丁目交差点から「尾久本町通り」を歩き「町屋二丁目停留場」の前に出る。、、、、所々に昭和の建物が残る、チョイト寂れた商店街を歩く
● 「町屋二丁目停留場」から「町屋駅前停留場」までは都電通りを歩く。、、、、都電を見ながらのんびり歩く!
● 京成本線「町屋駅」から帰宅する、、、、昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現・京成電鉄)の町屋駅が開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。
「散歩」カテゴリの記事
- 荒川沿いの北千住(2024.09.17)
- 目白から長崎まで(2024.09.09)
- 鳳凰堂を模した燈明寺(2024.09.05)
- 与楽寺・吉祥寺(2024.09.02)
- 古代東海道を歩く(2024.07.17)