« 完成まで、あと何年? | トップページ | かっぱ橋道具まつり »

2022年10月 1日 (土)

城下町 佐倉

青空の下、夫婦で城下町「佐倉」の町歩きをしてきた。 京成本線の京成佐倉駅で下車し、散策のスタート。 佐倉城址にたつ国立歴史民俗博物館、佐倉武家屋敷を見学。 佐倉の町を縦断して、佐倉順天堂記念館を見る。 佐倉藩主の邸宅である旧堀田邸にも立ち寄って、ゴールはJR佐倉駅。、、、、約5時間の町歩きです。



● 佐倉の城下町は、町の北側を走る京成本線と町の南側を走るJR総武本線に挟まれた、南北約1.8㎞の間にある。 今日の町歩きは「京成佐倉駅」からスタートする。、、、、大正15年(1926)12月9日、「佐倉駅」と称し開業。 昭和6年(1931)、「京成佐倉駅」に改称。 島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 佐倉市の玄関口となる駅だが、駅自体はさほど大きくはない。 駅前には広い大きなロータリーがあるが、周囲には大きな建物もなく閑散としている。、、、、城下町「佐倉」を大々的にうたい、駅前をもう少し整備して観光客を誘致すれば賑やかになるかも?

2210010930210

2210010937280-2



・・・・・・・・・・・・京成佐倉駅の橋上駅舎から西を見ると、線路の先、緑の丘の上に何やらコンクリートの構造物(写真のど真ん中)が見える。 これぞ、われらの目的地:国立歴史民俗博物館。

2210010934400



・・・・・・・・・・・・駅からの道すがら、民家の屋根の先に“歴博”の文字!

2210010947160



・・・・・・・・・・・・国立歴史民俗博物館への道に面し、茅葺屋根の建物

2210010950100



● 駅から歩いて15分、佐倉城址がある。 佐倉城は石垣のない城で、小高い丘の上にあり城の周囲には土塁が巧みに配されていた。 博物館はその丘の上の城跡に建てられている。 

国立歴史民俗博物館」は日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。 展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件。、、、、明治時代から東京、京都、奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館が存在したが、戦後、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見があり、日本政府は昭和41年(1966)に「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定した。 国の機関としての国立歴史民俗博物館は昭和56年(1981)に発足した。、、、、博物館の設計は芦原建築設計事務所が行い、昭和55年(1980)10月竣工。 敷地面積129,496m2、延床面積35,548m2、建築面積17,124m2。周辺は佐倉城址公園として整備された。 建物はなにしろデカイ! しかも丘の上にあるため、建物の全体像が目に入らず、巨大な要塞に訪れた感じがする。 城址の下から坂を上がってきても、見えるのは建物の一部だけ!

2210010955070

2210011001500

2210011003530



・・・・・・・・・・・・大人600円の入館料を払い中へ。 6室に別れた展示室を順に回る。 全室見るのに、早足で、展示物を横目で見て、つまらないのはパスしても、ナント2時間!(足が痛くなるね)  展示物が多すぎる! 入館料600円分は十分堪能、最高のコスパ! 入館者より館員の多いことにもビックリ!、、、、展示物の人形は気持ち悪くなるほどのリアルさ! 模型は大きく模型愛好者には大いに参考になる!

2210011006310

2210011010510

2210011048300

2210011100520

2210011114290

2210011118520



● 佐倉城址公園と武家屋敷の間にある、竹林の中を歩く坂道。 「ひよどり坂」と称し、江戸時代に武士が登城する道だったらしく、「サムライ古径」とも呼ばれている。 竹林は手入れも良くされており、階段も歩きやすい! 階段を上がると武家屋敷がある。、、、、京都の竹林とは違い、観光客も少ないようで、ゆっくりのんびり歩ける。(ちなみに、我が夫婦以外には歩く人無し!)

2210011214290



● ひよどり坂を上ると、江戸時代の数棟の「武家屋敷」が並んでいる。 並んで残っている三棟の武家屋敷は、いずれも2DKの間取り程で、質素な造り、江戸城の周囲に残る大名の武家屋敷とは月とスッポン、提灯に釣鐘、雲泥の差。 華美を排した佐倉の武士の心意気かも!

2210011231580

2210011233470

2210011238400



● 佐倉の町のほぼ中央に残る「旧川崎銀行佐倉支店」(現:佐倉市立美術館)は、大正7年(1918)の建築。 昭和12年(1937)、この建物は佐倉町に売却され、佐倉町役場となった。、、、、現在は、佐倉市、房総地区ゆかりの作家の作品を集めた市立美術館の一部として活用してる。

2210011255450



・・・・・・・・・・・・旧川崎銀行佐倉支店前の通りは旧成田街道。 旧街道沿いには歴史のありそうな建物も残っている。

2210011258180

2210011304300

2210011349270

2210011352290

2210011352310



● 旧川崎銀行から東に1.5㎞程歩くと「佐倉順天堂記念館」がある。 佐倉順天堂は佐倉藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾兼診療所。 西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中(後に、東京で順天堂医院を開く。順天堂大学の前身)をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出した。 現在、安政5年(1858)に建てられた建物の一部が残っています。 記念館では、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具(骨を切るノコギリ、止血用の焼きごて)などを展示しています。、、、、ノコギリで切られ、焼きごてで止血される外科手術は痛そうだ! 私が患者なら、手術台を見て失禁し、手術台の上で失神し、手術終れば失敗だ! 

2210011357560

2210011413000



・・・・・・・・・・・・記念館の隣りには「佐倉順天堂醫院」がある。、、、、順天堂の創始者である佐藤泰然先生の子孫の方が、ここで病院を経営しているそうだ。 佐藤家が“順天堂”を引き継ぎ、守っているのかも!

2210011413230



● 順天堂記念館から南西に約1㎞、明治23年(1860)に竣工した最後の佐倉藩主:堀田正乱倫の邸宅であった「旧堀田邸」(国指定重要文化財)も見学。 明治期の旧大名の邸宅、伝統的和風建築である。 建設工事は明治22年(1889)着工、翌23年に竣工している。 、、、、木造平屋建て(一部二階建て)の建物5棟(玄関棟、座敷棟、居間棟、書斎棟・湯殿)が廊下で結ばれている大きな和風住宅。 私が数えると、「××の間」と呼ばれる部屋数だけでも20部屋程度、「雪隠」は6ヶ所もある。 往時の旧堀田邸は約3万坪の広さがあったそうだ、羨ましいね!

2210011430260

2210011431160

2210011439220

2210011440310

2210011441230

2210011447120




● 疲れた足で、JR総武本線「佐倉駅」に到着。、、、、1894年(明治27年)7月20日:総武鉄道の市川駅 - 当駅間開業により開設。 1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道が買収され、帝国鉄道庁の駅となる。 佐倉駅は、総武本線を建設した私鉄である総武鉄道により、明治27年(1894)7月20日に開設された。 高台の上にある市街地とは約1㎞離れた位置に駅があり、地元が鉄道建設に反対したためにやむなく隣村の根郷村六崎の田んぼの中に駅が建設されたそうだ。、、、、京成佐倉駅より駅舎は立派!

2210011508520

2210011510590




● 今日の散策は1万9千歩であった。 同行した妻は1万7千歩。 同じ万歩計で計っているのに、私の歩数は妻の歩数より約1割アップ。 先日、桐生に出かけた時も同じ現象で、私の方が1割ほど多い。 妻の身長155㎝、私の身長165㎝。 身長の大きな私の方が、当然歩幅も大きいはず! 何か変だ?、、、、結論妻曰く『計測に誤りなし。 単に歩幅が短いだけ。』 私『身長が高く、歩幅が短ければ、短足ということか!』(残念だが、カッコ悪いね!) 

« 完成まで、あと何年? | トップページ | かっぱ橋道具まつり »

散歩」カテゴリの記事

千葉県」カテゴリの記事