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2023年2月

2023年2月26日 (日)

練馬は大根

東武東上線の東武練馬駅から、南西に歩いて都営大江戸線の練馬春日町駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 東武東上線の「東武練馬駅」は、昭和6年(1931)12月29日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅である。、、、、東武練馬駅には各駅停車しか止まらず、しかも中板橋駅か上板橋駅で必ず快速電車を待ち・抜かされるので、池袋駅から20分もかかる。 極めて不便な駅だ。、、、、駅の所在地は板橋区徳丸、駅前の道路が板橋区と練馬区の境、練馬区の区役所は西武池袋線の練馬駅にあり、練馬駅と東武練馬駅は直線で約3.5㎞離れてる、極めて判りずらい駅だ。

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● 駅周辺には“夜”が楽しいお店が並び、昭和レトロな町である。 その町に「北町アーケード」という、L字型の商店街がある。 50m程の長さだが、両側にスナック、居酒屋が並んでる。 アーケード入口には「ショッピングセンター」と表示してるが、“ショッピング”できる店はない!、、、、夜来ると楽しそうだ、呑めない私も雰囲気だけは感じてみたい!

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● 東武練馬駅から南下し、飲食店街を抜け川越街道に出る手前の緑道脇に、「徳川綱吉御殿跡」の碑が建ってる。、、、、この付近一帯はかつて『御殿』と呼ばれた土地であった。 後に江戸幕府第五代将軍となる徳川綱吉が寛文年間(17世紀後半)にこの土地を鷹場として、宿泊所と「鷹場御殿」を建てたとして由来する。、、、、練馬と言えば“練馬大根”、その大根は綱吉がこの地の百姓に三浦大根の種を与えたことがきっかけだと、一説では言われてる。(ほんとかいな?)

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● 川越街道(=国道254号)に出ると、街道の南側はアンテナの鉄塔がたつ「陸上自衛隊 練馬駐屯地」、向かい側(北側)は自衛隊の官舎と思われる高層の集合住宅が道路に沿ってズラリと並ぶ。 道路を挟んで職場と住居、
通勤時間数分で職住接近が便利なのか?仕事帰りの寄り道が無くつまらないのか?、ドッチ!

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・・・・・・・・・・ 駐屯地の西門の前に残る「
連隊門哨所」、、、、第一普通科連隊『警察予備隊普通科第1連隊』は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移動した。 この哨所は、移駐から2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。

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・・・・・・・・・・ 練馬駐屯地を半周するように、長い塀沿いに歩き南へ向かう。、、、、塀の中には、自衛隊の車両が見えるが写真撮影はひかえた。(過去に、自衛隊の基地の中に外からカメラを向けて撮影したら、監視カメラに私が映り。 自衛隊職員が基地から飛んで出て、注意されたことが数回あり、これがトラウマとなる。 『スパイとして捕まったら大変だ!』)

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● 地下鉄副都心線・有楽町線の平和台駅前の交差点を越えて、環八通りの北側「春日町2丁目」の裏通りを歩く。

・・・・・・・・・・ 床屋さんの入口横に建つ、笠付角柱型青面金剛三猿の庚申塔。、、、、台座部分には、三猿が彫られ、正面金剛の下に「中田柄村 施主 吉田 施主 拾人」の文字。 側面には「奉造立庚申像一基 二世安楽祈依 元禄九丙子天 十二月十四日」の文字が刻まれている。 花立に赤や白の造花が供えられていた。

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・・・・・・・・・・ 住宅の前には、“道しるべ”と“布袋さま”、、、、どう見ても、最近の作品!

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・・・・・・・・・・ この付近では、畑は無く、練馬大根の姿を見ることもない。 代わりに目についたのが、広い駐車場と隣のアパート・マンション。 農家は大根を止めて、アパート・マンション経営に転職したか?

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● 春日町2丁目9番の環八通り角地に「一里塚子育地蔵」が祀られている。 一里塚といわれている元々「ふじ大山道」の道標があった場所である。 近くにあった一里塚子育地蔵がここに越してきて、今は地蔵の脇にふじ大山道の道標が建っている。、、、、川越街道から大山(神奈川県)へ向かう“大山道”がここにあった。 今は環八通り!

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● 都営大江戸線の練馬春日町駅に着く手前に真言宗豊山派寺院「練月山 愛染院 観音寺」(春日町4)がある。 愛染院は、永享9年(1437)能円坊尊岳が尾崎(現春日小学校付近)に開山、寛永年間(1624~1644)に権大僧都尊智によって当地へ移転した。 江戸時代には12石1斗の朱印地を拝領した御朱印寺。 御本尊の愛染明王は秘仏で観られない。 、、、、また寛政年間(1789~1801)の火災により、元禄10年(1697)の山門と元禄14年(1701)の梵鐘を残して建造物はことごとく焼失したといいます。昭和55年(1980)、3年の歳月を費やし本堂・大師堂・表書院・鐘楼・稲荷社・山門など諸堂伽藍が完成した。、、、、境内は結構広く、落ち着いた雰囲気の寺である。

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・・・・・・・・・・ 山門前の参道に「練馬大根碑」がある。 その説明板には『練馬といえば大根、大根といえば練馬といわれるほど、練馬の名は、大根によって、人々に親しまれてきました。 練馬大根のはじまりについては、将軍徳川綱吉が尾張(愛知県)から種子をとりよせ、百姓大木金兵衛に作らせたとか、上練馬村の百姓又六が作り出したとかの、話が伝えられています。 江戸の発展、さらに東京都なって、大量の大根が作られるようになりました。練馬大根の沢庵漬けは、特産として全国的に有名になりました。これを記念して昭和16年4月に建てられたのが、この大根碑です。 練馬大根の品種改良と普及育成に生涯をささげた鹿島安太郎の顕彰碑も、これと並んで昭和40年4月に建てられました。 この奥の練月山愛染院は、真言宗の寺です。江戸時代に寺領二十石を与えられました。境内の、沢庵石を磁石とした鐘楼には、元禄十四年(1710)鋳造の梵鐘が残されています。 平成2年10月 練馬区教育委員会』、、、、この説明では、徳川綱吉が尾張から種子を取り寄せたことになってる。 三浦大根を取り寄せた話はウソだった!

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● 都営大江戸線「練馬春日町駅」から帰宅。

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2023年2月21日 (火)

水戸の梅まつり

妻と二人で「水戸の梅まつり」(2月11日~3月19日)に行ってきた。 偕楽園、弘道館周辺を散策し、16,000歩。




● 上野から90分程車窓を楽しみ、9時半、「水戸駅」到着。 水戸城の城下に駅はある、水戸市の市街地の中心で、駅ビルも、自動改札もある、県庁所在地の大きな駅。、、、、水戸駅は、明治22年(1889)1月16日に水戸鉄道線(現:JR水戸線)の終点として開業。 明治25年(1892)に水戸鉄道が日本鉄道に営業譲渡し、さらに明治39年(1906)には日本鉄道が国有化され、官設鉄道の所属となる。 現在は島式ホーム4面8線を有する地上駅。 JRは常磐線と水郡線、水戸線は一部の列車が乗り入れ、私鉄は鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が乗り入れしている茨城県一のターミナル駅です。

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● まずは、梅まつりの「偕楽園」へ。、、、、偕楽園は天保13年(1842)に水戸藩九代藩主徳川斉昭が創設した。 園内には約100種、3,000本の梅の花が咲き誇っている。 園の中心には、斉昭自らが建築意匠に携わった、木造二層三階建ての「好文亭」がある。 “好文亭”という名は、斉昭の好きな梅の木の異名「好文木」からつけられたそうだ。、、、、好文亭は昭和20年(1945)の空襲で全焼し、昭和33年(1958)に復元された。


・・・・・・・・・・ 駅からバスに乗り、「好文亭表門」で下車する。 バス停からは静かな住宅地の細道を歩く、、、、正面に好文亭「表門」(天保13年:築)が出迎える(かつては、ここが唯一の入口であったそうだ。 しかし、今は車の時代、多くの観光客は車が通れる東門から入園するらしい。) 表門からは、竹林、クマザサが茂る散策路が好文亭へ続く。

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・・・・・・・・・・ 偕楽園の中にあり、徳川斉昭が自ら設計し、建てた好文亭は必見。、、、、斉昭は、文人墨客や家臣・領民を招き、養老や詩歌の宴を催していたそうだ。 その好文亭三階から、園内・千波湖をパノラマできる景色は素晴らしい。

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・・・・・・・・・・ 好文亭の前に広がる梅林。もうすぐ満開!、、、、妻は黄門さまとツーショット! 私は、若い可愛い「水戸の梅大使」と記念撮影!

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● 偕楽園とは地続きの隣りに、明治6年(1873)の創建「常磐神社(ときわじんじゃ)」がある。、、、、常磐神社は、高譲味道根之命(たかゆずるうましみちねのみこと、徳川光圀)と、押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと、徳川斉昭)を祀る神社。、、、、神社の売れ筋は、葵紋の印籠を模った印籠守だと言われてる。

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● 弘道館周辺に、いくつかの素晴らしい建築物がある。


・・・・・・・・・・ まずは、空堀に囲まれた水戸城三の丸跡にたつ「旧茨城県庁舎」で、現在は三の丸庁舎として使用されている、地上3階建ての庁舎建築。 昭和5年(1930)竣工。 設計は公共建築物を多く手がけ、ネオ・ゴシック様式を好んだ、置塩章(おしおあきら、 1881年2月6日 ~ 1968年10月20日)による。 現在ある宮崎県庁舎も置塩章の作品(建物のデザインなど、両庁舎似てる)

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・・・・・・・・・・ 旧茨城県庁舎の北側に、古風な建物で現役の剣道場である「水戸東武館」がある。、、、、東武館は明治7年(1874)、水戸藩の小澤寅吉によって開設された。 建物は太平洋戦争時に焼失し、昭和28年(1953)に再建された。(水戸市有形文化財)です。 道場で受け継がれている北辰一刀流剣術と新田宮流抜刀術は水戸市無形文化財に指定されている。、、、、以前、初めて“東武館”と聞いたとき、鉄道オタクの私は東武鉄道の直営旅館かと思った。 ゴメン!

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・・・・・・・・・・ 東武館の隣りには、昭和7年(1932)に竣工した、水戸市内の低地域向けの配水塔である「水戸市水道低区配水塔」がある。 後藤鶴松の設計、高砂鉄工の施工。 高さ21.6m、直径11.2mの円筒形のコンクリート製。 国の登録有形文化財。 塔の外観や壁面の装飾などはお見事!、、、、塔の脇には、同時期に建てられた小さな「流量計室」も残ってる。

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・・・・・・・・・・ 旧茨城県庁舎の裏隣(南側)に「弘道館 鹿島神社」がある。、、、、鹿島神社は、安政4年(1857)5月に遷座祭が行われ、同時に弘道館の本開館式が挙行された。 鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀った。 昭和20年(1945)の戦災で社殿が焼失し、しばらく仮殿のままであったが、昭和49年(1974)の伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神宮別宮「風日折宮」の旧殿一式が特別譲与され、昭和50年(1975)伊勢神宮独特の「唯一神明造り」の社殿として再建された。、、、、伊勢神宮の宮殿の一つを水戸で見ることになった、アリガタヤ!

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● 水戸城三の丸城址の東端に「弘道館」はある。、、、、弘道館は、水戸藩の藩校として第9代藩主徳川斉昭により天保12年(1841)に創設された。 藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れた、いわば総合大学というべきものであった。 安政4年(1857)には鹿島神社と孔子廟を祀って弘道館の本開館式を行った。 当時の藩校としては国内最大規模のもの。、、、、私は、東日本大震災の直後に訪れたが、その時は、建物、外塀などが被災しボロボロ状態、拝観はダメで、『またのお越しをお待ちしてます!』と、残念な思い出がある。 今日は、綺麗に改修された弘道館を見ることができた。

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● まだまだ、いろいろ見て回ったが、当ブログはココまで。

2023年2月15日 (水)

ブラリ安房鴨川

暖かな春の陽気を期待して、昨日(2/14)から一泊で安房鴨川に行ってきた。 夫婦二人旅なので、宿と清澄寺・誕生寺の2か所の行先だけは決め、年寄りの、のんびり気まま旅とした。

 

● 9時に東京発の特急で約2時間、11時に外房線の終着駅「安房鴨川」に到着。 ポカポカの春を期待したが、ホームに立つと、ヒエビエとした冬の出迎えを受ける。、、、、安房鴨川駅は、線路は繋がっているが、内房線と外房線それぞれの終着駅である。 それゆえ、当駅から発車するのは全て上り列車、到着するのは全て下り列車。 クイズに出そうな駅だ!、、、、大正14年(1925)7月11日、北条線(現在の内房線にあたる)の駅として開業。 昭和4年(1929)4月、房総線の安房鴨川延伸により北条線を房総線に編入し、安房鴨川駅は房総線の駅となる。 昭和8年(1933)に房総線が当駅で房総西線と房総東線に分割される。房総西線所属駅となる。 昭和47年(1972)には路線名称変更により、房総西線が内房線、房総東線が外房線となる。

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● 『ちょっぴり寒いけど、どこへ行こうか?』 『街並み拝見は?』 とりあえず、駅前の観光案内所で聞いてみると、『見るべき街並みは無いですね。 一にシーワールド、二、三もシーワールド、これしかないですよ!』 そこまで言われて行かないと、『何しに鴨川へ来たの?』と言われそう。、、、、寺巡りは明日にして、今日は鴨川シーワールドへ行くことにした。




● テレビを見ていると、イルカ、アザラシなどが海岸に接近すると、その捕獲・保護などのニュースで、年に数回はここ「鴨川シーワールド」が登場してくる。 結構有名な施設だが、動物園?、水族館?となると、私の年齢ではあまり面白くないかも、入館にチョイト躊躇した。 同行する妻は『寺よりイルカ』、嬉しさを笑顔で表しチケット購入。、、、、入ってビックリ、見てビックリ、入館料2700円(老人一人)も安く感じた大規模レジャー施設であった。、、、水族館を回り、イルカ、シャチのショーを見て、孫の土産をチョット買い、楽しむこと4時間。

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・・・・・・・・・・ショーが始まる時間になると、広い館内から人がゾロゾロ・魁傑ゾロ、『平日なのに、こんなに大勢の人が来てるのか!』 若いカップルも多い、平和な日本を感じる一瞬。

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● 今日のお宿は、安房天津駅に近い旅館。 風呂に入って疲れを癒し、海鮮づくしの料理を食し、あとは寝るだけ、一夜の終わり。

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● 今日(2/15)は昨日より厳しい寒さ、風も強いので宿から清澄寺までタクシー利用。 20分程で山門前に到着。、、、、「清澄寺」は、千光山と号し、鴨川市清澄にある日蓮宗の大本山の一つ。 「清澄寺」は“せいちょうじ”と読む、恥ずかしながら、私はこれまで“きよすみでら”と呼んでいた。、、、、日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺(山梨県身延)・大本山本門寺(東京都池上)・大本山誕生寺(千葉県鴨川)とともに日蓮宗四霊場と呼ばれてる。、、、、清澄寺は、天台宗の寺として不思議法師が刻した虚空蔵菩薩像を祀り宝亀2年(771)に開基、慈覚大師円仁が僧坊12祠堂25を建立し、房総第一の大寺としたといいます。天福元年(1233)には小湊出身の日蓮聖人が当寺に入門、建長5年(1253)には当山旭の森で立教開宗の第一声をあげています。その後徳川家康公の帰依を得た真言宗の僧侶仲恩坊頼勢法印が当寺を真言宗の寺として再興、10万石の格式と、寺領500石の御朱印状を受領、京都醍醐三宝院別院となり本山格の寺院だったといいます。明治維新後の廃仏毀釈や台風による被害などもあり衰微、昭和24年に日蓮宗に改め、宗祖日蓮聖人出家得度・立教開宗の霊跡、日蓮宗大本山となっています。、、、、天台宗に始まり、真言宗、日蓮宗と移り変わった清澄寺は変わり身が早いのか?


・・・・・・・・・・ 大本山なので、多くの信者がバスなどで参拝に来ているものと想像していたが、私たちが到着した朝9時には誰もいない!(門前の茶屋もシャッターが下りてる) コロナ禍の影響か? それとも、信者離れか? 寂しい大本山。 私たちが参拝を終えた頃、何人かの人が参拝に来た!

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・・・・・・・・・・ 文久3年(1863)建立の「仁王門」、、、、阿像(那羅延金剛)と吽像(密迹金剛)を祀る。大棟には十六葉菊紋が付され真言宗時代の格式の高さが窺える。

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・・・・・・・・・・ 天和2年(1682)の建立と伝えられる「本堂(摩尼殿) 」、大堂とも呼ばれる。

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中門」は正保4年(1647)に建てられ天保8年(1837)に改修された、茅葺の四足門である。

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・・・・・・・・・・ 清澄寺門前のバス停から見た景色、、、、歌川
広重が描いた景色と同じだ! 遠くに仁右衛門島も見える。

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● 清澄寺から山を下り、今度は誕生寺へ向かう。 安房鴨川駅の隣り駅「安房天津駅」からバスに乗る。、、、、昭和4年(1929)4月15日に開業した、現在は無人駅。 一日当たりの乗降客数は200人に足りず、チョイト寂しいね!

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● 清澄寺の次は「誕生寺」、、、、誕生寺入口のバス停から小湊の海沿いを歩き、旅館・ホテルが並ぶ通りに面して誕生寺がある。 日蓮宗寺院の誕生寺は、小湊山と号し、日蓮宗の大本山。 誕生寺は、日蓮の誕生を記念して出身地に建立された寺である。、、、、建治2年(1276)、日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立。 しかし明応7年(1498)の明応地震、元禄16年(1703)の元禄地震と2度の大地震、大津波により現在地に移転した。 現在、生家跡伝承地は沖合いの海中にある(日蓮は海の中で生まれたか?)。 その後、水戸光圀の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称した。 宝暦8年(1758)に、仁王門を残して焼失し、天保13年(1842)に現在ある祖師堂を再建した。

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・・・・・・・・・・ 総門を入り、まずは大きな「仁王門」、、、、間口8間、母屋造二重門で宝永3年(1703)の建立。 宝暦の大火の際焼け残った誕生寺最古の建造物。

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・・・・・・・・・・ 仁王門をくぐると正面に「祖師堂」が構えてる。、、、、天保13年(1842)建立の入母屋造、総欅造り、高さ95尺(高い! ??m)。 建材は江戸城改築用として、伊達家の藩船が江戸へ運ぶ途中遭難し、譲りうけたもの。

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● 清澄寺・誕生寺と参拝を終え、内浦湾(小湊)を眺めながら安房小湊駅へ向かう。

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● 帰りは「安房小湊駅」から乗車。、、、、安房小湊駅は、昭和4年(1929)4月15日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する地上駅。 特急も停車する駅だが、一日当たりの乗降客数は300~400名程。

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2023年2月11日 (土)

山あり谷あり

都営三田線の志村三丁目駅から、歩いたこともない知らない道を、上ったり下りたり、着いたところは東武東上線の東武練馬駅。 9千歩の散歩



● 雪もやみ、今日は晴天と聞いたので、三田線の「志村三丁目駅」から歩くことにした。 高架相対式2面2線のホームに降り、1階のたった一か所の改札口から道路に出る。 道路は濡れているが、雪は融けたようだ。 

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・・・・・・・・・・ 今日の散歩は行先を決めてなかったので、とりあえず駅前の道路を高架橋と平行に西に歩く。 高架橋は途中で北に曲がる。

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● 志村三丁目駅から700m程歩き、首都高5号池袋線の下を抜けると、大きなマンション群がある。 デカイな~、と上を見上げてキョロキョロ歩いていると、いつの間にか「サンシティ」(板橋区中台)の敷地内に入ってた。、、、、「サンシティ」とは、昭和49(1974)に旭化成研究所跡地の再開発として、大型集合住宅の建設が開始された。 昭和55年(1980)に全棟竣工、入居が始まった。 三井不動産と旭化成グループにより開発分譲された、敷地面積約12万5千平方メートル(東京ドーム3個分)の敷地に立てられた14棟、1872戸、居住人口約6000人を擁する。 40年前の完成当時、板橋区で最も高い建築物だったそうだ。、、、、起伏にとんだ地形を生かし、中央の豊かな緑を囲むように住居棟を配し、チョイトした都会のオアシスを創り出している。

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● サンシティを通り抜けて、さらに西をへ歩くと、私の好きな狭い道幅の曲がりくねった裏道となった。(板橋区若木)、、、、この町も全体が起伏に富んだ地形らしい。 道は細くクネクネ曲がり、上へ下への坂道ばかり、足腰鍛え、呼吸はゼイゼイ!

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・・・・・・・・・・ 階段上ると「東京都住宅供給公社 中台町住宅」(板橋区若木)の中。 これまたすごい、南から北へ下る傾斜地に建つ10棟、総戸数400戸の団地。 斜面に建つ団地で、緑も多そうだ。、、、、団地の中でも、息はゼイゼイ、足腰疲れた!

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・・・・・・・・・・ 団地を抜けると、マタマタお股がマタ痛い! ナント今度は階段下り、下りた先には「環八通り」 歩道橋からその先見れば目前の崖を上る急階段2302110924030

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・・・・・・・・・・ 急な階段(板橋区若木2)上がってみれば、ナントこれまた絶景、ワンダフル! 手前に環八通りと歩道橋、その先の高台には中台町住宅、さらに左奥にはサンシティ 全部見せます、サービスで!

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● 都営若木二丁目アパートの近くの三叉路角に、かなり風化した庚申塔がある。 三角帽子に似た笠付きの庚申塔で、嘉永7年(1854)と彫られてる。

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東武東上線の「東武練馬駅に到着。 駅名は東武“練馬”だが、駅自体は板橋区徳丸にある。 東上線は板橋区と練馬区の区境上を走っている、東武練馬駅前の道路が区境である。、、、、昭和6年(1931)12月29日開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、今日は乗車券を販売していない無人の「東口」から入場。

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2023年2月 6日 (月)

赤羽から志村へ

京浜東北線の赤羽駅から西に歩いて、都営三田線の志村三丁目駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 朝8時、赤羽駅のホームでは通勤通学客があわただしく乗降し、駅を出て行く。、、、、のんきにブラブラしてるのは私だけ!(そこそこ健康で、職を持たず、やる事が無い人間はブラブラしてないと時間を持て余すのだ!)

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・・・・・・・・・・ 赤羽駅西口前には、緑と白のおなじみの色に塗られた国際興業のバスがズラリ!、、、、調べてみたら、赤羽駅西口前に発着する国際興業のバスは全部で25路線ある。 近くの赤羽台、桐ヶ丘の団地、高島平の団地など、北区、板橋区の各地から、多くの客をピストン輸送しているようだ。 スゲ~!(私の住む浅草橋は都営バスが一系統走るのみ、完敗!)

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● 赤羽駅から徒歩5・6分、弁天通りの脇に「亀ヶ池弁財天」がある。、、、、昔、赤羽駅の西口一帯に大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。 この池は近くの稲付城においては天然の防御であった。 昼なお薄暗く、池には無数の亀が住んでいたそうだ。 現在の亀ヶ池弁財天が祀られている池はその亀ヶ池の名残りといわれている。 今は、地元の有志が木彫の弁天像を創り、近くにある静勝寺の弁天堂の弁財天を勧請している。

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● 赤羽駅前から西へ「弁天通り」を歩く。、、、、2車線の道路だが、国際興業のバスがココにも走っている。

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・・・・・・・・・・ 赤羽西5丁目に「赤羽自然観察公園」がある。 平成15年以降にオープンした公園であるが、園内には民家が移築復原され、昔の農村風景を再現した体験学習施設となっている。、、、、伝統的な藁葺き屋根の民家がある静かな公園

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● 公園の中を抜け、桐ヶ丘団地の近く(赤羽西6)に「善徳寺」がある。、、、、浄土宗寺院の善徳寺は、獅子吼山専稱院と号す。 善徳寺は、享徳2年(1453)江戸城西坪根沢に起立、その後平河町、大船町、馬喰町への移転を経て、明暦3年(1657)浅草新寺町(松が谷1)へ移転した。 関東大震災後の大正14年9月22日、現在地へ移転。

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・・・・・・・・・・ 善徳寺の隣りには、日蓮宗の「大恩寺」がある、、、、大恩寺は、寂静山と号す。 大恩寺は、寛永元年(1624)根津神社横に創建したが、明治維新後現在地へ移転した。、、、、境内は近年に大規模に整備したらしく、古き寺の風情はない。

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● 都営桐ヶ丘アパート34号棟(桐ヶ11)の南、都の敷地内と思われる所に小社「末廣稲荷大明神」がある。、、、、説明板には、『末広稲荷大明神設置の由来   京都の伏見稲荷大明神を本山に載くこの稲荷は、明治の初めから昭和二十年の終戦まで旧陸軍がそ有しておりました。 明治五年 赤羽郷に兵器支廠赤羽火薬庫が完成し、火薬庫の災難除けに稲荷神社を祀り、毎年初牛の日にお祓いをうけ無事を祈願していました。昭和二十年に終戦を迎え、火薬庫跡地は、海外引揚者や戦争被災者の住居用として転用され、稲荷神社も軍所有から桐ヶ丘氏子会へと移転されました。 その後、団地計画に伴い神社敷地が狭められたため、現在地に移転されました。以来近辺の守護神として鎮座しています。  平成二十六年五月吉日  鳥居奉納 末広稲荷神社 桐ヶ丘氏子会 総代 大橋ミツ』と、書かれてる。

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● 志村坂上で中山道(=国道17号)を横断し、板橋区志村の町に入る。

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● 志村坂上の凸版印刷工場群の西側に、真言宗豊山派寺院「見次山 松寿院 延命寺」がある。 延命寺は、大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が庭先でわが子の討たれる姿を見て、戦国の無情を感じ、居宅を寺として創建したと伝えられます。、、、、手入れの行き届いた綺麗な寺。 寺には、昔徳川吉宗が、荒川の方に猟に来たときに、滞在したそうだ。

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● 延命寺の方から坂を下って行くと都営三田線の「志村三丁目駅」がある、、、、昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線の最初の区間である巣鴨~志村(高島平)間が開業した時に設けられた駅。(
開業前の仮称は「志村四丁目」だった) ホームは高架相対式2面2線構造で2階にある。、、、、改札口、出口は1ヶ所のみ。 駅前は少し狭く、ごちゃごちゃした雰囲気。

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2023年2月 5日 (日)

十条ブラブラ

京浜東北線の東十条駅から西へ、埼京線の十条駅前を通り商店街を歩き赤羽駅まで、9千歩の散歩。 朝の食事で、私が『今日は東十条駅から西へ向かって歩いてくる』と一言。 『一緒に行く!』と妻の返事。、、、、東京生まれ、東京育ちの妻だが、東十条、十条、赤羽の三駅ともこれまでに下車したことがない、奇特な人間である。




東十条駅北口(山側)に出る。 、、、、崖の上の駅舎を出ると、妻はビックリ『こんなとこに駅があるの!』(驚くほどのことではない!)

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● 駅の西側に2車線の旧岩槻街道(=都道460号)が通ってる。 この道路に面して、地元では「おふじさん」の名で親しまれている「十条富士神社」がある。 神社には社殿が無く、道路際に石の鳥居があり、すぐ後ろには高さ6m程の富士塚があった。(2019年撮影の写真参照)、、、、今日、神社に寄って見たら、神社の境内は旧岩槻街道の拡張工事で鳥居も富士塚も消えていた。 どうやら、富士塚が邪魔して拡張できなかったようだ、一旦富士塚を取り払い、拡張する道路脇に再整備してる。 つまり、チョイトばかり富士塚の移転である。 最近では珍しい工事かも!

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● 旧岩槻街道から十条駅に向かう、下町の匂い漂う道幅の狭い「演芸場通り」を歩く。 平成10年までは「十条中央商店街」と呼んでいたが、商店街中程にある大衆演芸場の人気に因み「演芸場通り」と改称したそうだ。、、、、妻の疑問『こんなところに演芸場があるの?』(なぜここにあるかは知らねども、この地元に愛される大衆劇場だ!)

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・・・・・・・・・・ すでに、劇場前には数人の客が開場を待っていた。 演芸場前の狭い道幅、この狭さが下町だ、最高!、、、、演芸場のポスターもチョイト撮影、、、、妻の質問『この座長さんたちはテレビにでてるかしら?』(俺は、知らん!)

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● 演芸場通りの西端は埼京線の「十条駅」、、、、十条駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、それぞれのホームに改札口がある。 またそれぞれのホームを連絡する跨線橋もある。、、、、明治38年(1905)6月10日、日本鉄道の十条駅(初代・貨物駅)が開業したが、翌年廃止となる。 明治43年(1910)11月1日、国鉄の駅として2代目の駅が開業し、現在に至る。、、、駅前の仮囲いを見て妻曰く『なんの工事?』(私の応えは、タワーマンションの工事だ! ついでに、十条駅は高架駅になるらしいよ!)

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・・・・・・・・・・ 十条駅の植え込みに「駅開業70周年記念碑」(昭和55年建立)の動輪が置かれている。

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● 駅前からは「十条銀座」商店街を歩く。、、、、妻の目が輝き、一言『浅草橋より住みやすそうね!』(浅草橋の商店街は、50年前に無くなった!)、、、、妻は花器を買って、ニッコリ!(楽しそう)

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・・・・・・・・・・ 十条銀座の北端からは、アーケードのない「富士見銀座」商店街が続く。

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● 十条の商店街を抜けると、埼京線の西側、高台の住宅地を歩き「赤羽駅」に到着。

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・・・・・・・・・・ ちょうど、ランチタイムとなりました、ハイ、ココまでよ!(昼食はイタリアン、妻はニコニコ)

2023年2月 4日 (土)

江北から東十条

日暮里舎人ライナー江北駅から西へ歩いて、鹿浜橋、新神谷橋を渡り、京浜東北線の東十条駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 日暮里舎人ライナーの「江北駅」で下車、今日の散歩はココから!、、、、 江北駅(足立区江北4)は尾久橋通りの頭上に、平成20年(2008)3月30日に開業した駅である。、、、、駅周辺はキラキラ・ネオンが輝く街ではないが、駅前には大型スーパー、家電量販店、ホームセンターなどがあり、生活するには住みやすそうな町である。

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● 日暮里舎人ライナーが江北駅に着く手前から、車窓には、住宅地の中に巨大な建物が見える。 その巨大な建物を見てみようと、江北駅から西へ500m程歩くと、「東京女子医科大学附属足立医療センター」がある。 病院は昨年(2022)オープンした、30以上の診療科、約500床のベッド、約1000名のスタッフが働く総合病院である。、、、、足立、荒川、葛飾を中心とした下町の住人からは『神さま、仏さま、女子医大さま』と、期待される病院になるか?

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● 女子医大病院の西に、真言宗豊山派寺院の「瑠璃光山 薬王院」がある。 薬王院は元禄年間(1688~1704)に創建した。、、、、門前には三基の庚申塔と地蔵尊がお出迎え!、、、、当寺には、明治7年4月に小学校が開設され、現:江北小学校の前身として、昭和20年まで教育の場に当てられていたそうだ。

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● 薬王院の参道脇に「上沼田北野神社」が鎮座する。 神社の創建年代等は不詳ながら、薬王院の境内に「天神社」が祀られていたことから、薬王院が創建された元禄年間(1688~1704)前後に創建したものと思われる。 祭神は菅原道真。

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● 鹿浜1丁目に、真言宗智山派寺院の「五智山 寶光院 長楽寺」がある。 長楽寺は、江戸時代中期(正徳年間、1711~1715)に創建したと言われ、江戸時代より本尊の薬師如来は「鹿浜薬師」として信仰を集めているそうだ。(鹿浜薬師とは、知らなんだ!)

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● 荒川に架かる「鹿浜橋」は、足立区の新田地区と鹿浜地区を結ぶ環状七号線の橋。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.30mの橋。、、、、橋の上流には、川口市のタワーマンションを望む。、、、、昨日の冷たい北風もおさまり、立春らしく春の気分で橋を渡る。

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● 鹿浜橋で荒川を越え、新田地区に入ると、次は「新神谷橋」で隅田川を越える。、、、、橋名の“神谷”は北区の地名。 上流側の岩淵水門の管理橋に次いで、隅田川二番目の橋となる。 もともと神谷には「神谷の渡し」があった。 昭和初期には、現在の位置より100mほど南(下流側)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があった。 神谷橋は昭和25年(1950年)に鋼桁橋として改架された。、、、、現在の新神谷橋は、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 橋長 153.1m。 橋上は環七通り。、、、、今日は、隅田川の川面も穏やか!

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● 隅田川を越えると北区に入る。 「宮堀交差点」を渡り、「東十条銀座」の商店街を抜けると、「東十条駅北口」である。

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● 「東十条駅」は昭和6年(1931)8月1日に開業した京浜東北線の駅。 ホームは地上島式2面3線構造。、、、、 1日平均乗車人員は約20,000人で、京浜東北線の停車駅の中ではワースト5に入る少なさだが、駅前の商店街は活気があって、私の住む浅草橋より元気そうだ!

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2023年2月 1日 (水)

七曲がり

久しぶりに10℃を超える今日、夫婦で東武伊勢崎線の竹ノ塚駅から西新井大師まで伸びる「七曲がり」を歩き、さらに日暮里舎人ライナーの江北駅まで歩いてきた。 1万3千歩。 


「七曲がり」とは・・・・・「七曲がり」という道路名から受ける印象は、七か所のカーブがある曲がりくねった歴史ある“古道”を想像してしまう。 しかし、その実態は用水路沿いの道だったらしい。 足立区のホームページには、区内47路線の道路に愛称名を付けたことが2015年に公開されている。 その一覧表には、32番目に愛称名:七曲がり(ななまがり)、起点:伊興四丁目1番、終点:栗原三丁目10番として掲載されている。、、、、この道を歩くのは、私は三度目であるが、妻は初めて。 妻は“竹ノ塚”の駅で下車するのも初めてなので、今日はガイドになって道案内した。




● 高架駅に変わった「竹ノ塚」で下車する。 午前10時、上り電車を待つ人が多い、これから出勤するのか?、、、、妻から質問『竹ノ塚の名産は何』 『そんなの知らん! 駅周辺に都営住宅、公団住宅が多いから、子作りの町かも』

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● 竹ノ塚駅から北に400m程歩くと、曹洞宗の「東岳寺」(足立区伊興本町1)がある、南昌山と号す。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建したと言われてる。(我が家の近くだ!)、、、、境内には「東海道五拾三次」の浮世絵で有名な初代安藤広重の墓所がある。、、、、境内はさほど広くはないが、鯉が泳ぐ池、東屋、茶室等があり、街中とは思えない風情がある寺。

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● 東岳寺の近く、尾竹橋通りと赤山街道が交差する伊興町前沼交差点近くから、「七曲がり」の道は始まる。

・・・・・・・・・・ 伊興町前沼交差点、、、、左右に向かうのは尾竹橋通り、手前から中央奥へ結ぶ赤山街道。 写真中央のビルの間から七曲がりは始まる。

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・・・・・・・・・・ 七曲がりの起点、、、、電柱には「七曲がり 伊興4-1」、愛称名と起点の住所が表示されている。 その表示の下には、足立区で表示した「七曲がり」の愛称名。 さらに、小さな文字で『この道路愛称名は公募によって選ばれました』と書いてる。

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・・・・・・・・・・ まずは緩やかなカーブがあった! これは、七曲がりの一つか? 七つの場所を明示してほしいね!

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・・・・・・・・・・ 起点から400m程歩くと、「六万部経塚(題目塚)」が七曲がり道に面して建ってる。 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来もここにある。 この塚の南西にある寿福山長勝寺の僧が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたとされる。 右側の古い小さな石柱が宝永2年の経塚碑。、、、、お経を何回唱えたか、数え忘れるとどうなるか?

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・・・・・・・・・・ 七曲がりは伊興4丁目の実相院山門前で、直角に折れ南に見に向かう。、、、、真言宗豊山派寺院の「実相院」は、寶光山実相院横沼寺と号す。 西新井大師:総持寺の末寺。 実相院は、天平年間行基菩薩による開山といわれてる。、、、、山門前に立つ、仁王の石像は表情豊かなもので、国宝級?

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・・・・・・・・・・ 七曲がりの稲荷神社、、、、伊興3にある小祠 御利益は期待しない方が良さそうだ!

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・・・・・・・・・・ 緩やかなカーブが続く七曲がり、、、、何ヶ所の曲がりがあったか、数え忘れた!

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・・・・・・・・・・ 七曲がりの庚申塔(西新井3)、、、、堂内の庚申塔は駒型で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されている。 宝暦13年(1763)の造立。 塔の下部には「向左 千住一リ半 向右 草加一リ半」と刻まれている。 この地が千住と草加宿の間の中間地点であることを示す道標だ。

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・・・・・・・・・・ 「雷神社」(いかづちじんじゃ、西新井2)、、、、この神社は、東京都で唯一「雷」の文字が付く神社。 読みは“いかづち”、、、、江戸時代の中期正徳3年(1713)、度重なる落雷に襲われ田畑は荒れ果、草木は枯葉て荒地と化し、享保の飢饉となる。 そこで、将軍吉宗の享保の改革では、新田開発も行われ治水も進むなかで村人達は寄り合い協議の上、雷なりの大神を建立し氏神様として祀り神社境内の中央に御神木として椎の木(スダヂイ)を植樹し郷人達の大安と五穀豊穣を祈願したと伝えられる。 現在の社殿は昭和5年(1930)の造営。

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・・・・・・・・・・ 歩く先に、大師線の高架橋が見えた。 カマボコ屋根の駅舎も見える!

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・・・・・・・・・・ 七曲がりは西新井大師前交差点で環七通りにぶつかり、ハイ終点(足立区栗原3)です!、、、、ヤリマシタ! 七曲がりの完全踏破!

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● ここまで来たら西新井大師「五智山遍照院総持寺」に参る。、、、、真言宗豊山派の別格本山、関東七ヶ寺の一つ。天長3年(826)弘法大師の創建と伝えられ、川崎大師と共に開運厄除の霊場として名高い。 本尊は十一面観世音像、、、、今日は天気も良く、チョイト遅ればせの初詣なのか? 人出が多いね。

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● 手を合わせてあとは、ゆっくり食事。 その後、日暮里舎人ライナーの江北駅まで歩く。

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