水戸の梅まつり
妻と二人で「水戸の梅まつり」(2月11日~3月19日)に行ってきた。 偕楽園、弘道館周辺を散策し、16,000歩。
● 上野から90分程車窓を楽しみ、9時半、「水戸駅」到着。 水戸城の城下に駅はある、水戸市の市街地の中心で、駅ビルも、自動改札もある、県庁所在地の大きな駅。、、、、水戸駅は、明治22年(1889)1月16日に水戸鉄道線(現:JR水戸線)の終点として開業。 明治25年(1892)に水戸鉄道が日本鉄道に営業譲渡し、さらに明治39年(1906)には日本鉄道が国有化され、官設鉄道の所属となる。 現在は島式ホーム4面8線を有する地上駅。 JRは常磐線と水郡線、水戸線は一部の列車が乗り入れ、私鉄は鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が乗り入れしている茨城県一のターミナル駅です。
● まずは、梅まつりの「偕楽園」へ。、、、、偕楽園は天保13年(1842)に水戸藩九代藩主徳川斉昭が創設した。 園内には約100種、3,000本の梅の花が咲き誇っている。 園の中心には、斉昭自らが建築意匠に携わった、木造二層三階建ての「好文亭」がある。 “好文亭”という名は、斉昭の好きな梅の木の異名「好文木」からつけられたそうだ。、、、、好文亭は昭和20年(1945)の空襲で全焼し、昭和33年(1958)に復元された。
・・・・・・・・・・ 駅からバスに乗り、「好文亭表門」で下車する。 バス停からは静かな住宅地の細道を歩く、、、、正面に好文亭「表門」(天保13年:築)が出迎える(かつては、ここが唯一の入口であったそうだ。 しかし、今は車の時代、多くの観光客は車が通れる東門から入園するらしい。) 表門からは、竹林、クマザサが茂る散策路が好文亭へ続く。
・・・・・・・・・・ 偕楽園の中にあり、徳川斉昭が自ら設計し、建てた好文亭は必見。、、、、斉昭は、文人墨客や家臣・領民を招き、養老や詩歌の宴を催していたそうだ。 その好文亭三階から、園内・千波湖をパノラマできる景色は素晴らしい。
・・・・・・・・・・ 好文亭の前に広がる梅林。もうすぐ満開!、、、、妻は黄門さまとツーショット! 私は、若い可愛い「水戸の梅大使」と記念撮影!
● 偕楽園とは地続きの隣りに、明治6年(1873)の創建「常磐神社(ときわじんじゃ)」がある。、、、、常磐神社は、高譲味道根之命(たかゆずるうましみちねのみこと、徳川光圀)と、押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと、徳川斉昭)を祀る神社。、、、、神社の売れ筋は、葵紋の印籠を模った印籠守だと言われてる。
● 弘道館周辺に、いくつかの素晴らしい建築物がある。
・・・・・・・・・・ まずは、空堀に囲まれた水戸城三の丸跡にたつ「旧茨城県庁舎」で、現在は三の丸庁舎として使用されている、地上3階建ての庁舎建築。 昭和5年(1930)竣工。 設計は公共建築物を多く手がけ、ネオ・ゴシック様式を好んだ、置塩章(おしおあきら、 1881年2月6日 ~ 1968年10月20日)による。 現在ある宮崎県庁舎も置塩章の作品(建物のデザインなど、両庁舎似てる)
・・・・・・・・・・ 旧茨城県庁舎の北側に、古風な建物で現役の剣道場である「水戸東武館」がある。、、、、東武館は明治7年(1874)、水戸藩の小澤寅吉によって開設された。 建物は太平洋戦争時に焼失し、昭和28年(1953)に再建された。(水戸市有形文化財)です。 道場で受け継がれている北辰一刀流剣術と新田宮流抜刀術は水戸市無形文化財に指定されている。、、、、以前、初めて“東武館”と聞いたとき、鉄道オタクの私は東武鉄道の直営旅館かと思った。 ゴメン!
・・・・・・・・・・ 東武館の隣りには、昭和7年(1932)に竣工した、水戸市内の低地域向けの配水塔である「水戸市水道低区配水塔」がある。 後藤鶴松の設計、高砂鉄工の施工。 高さ21.6m、直径11.2mの円筒形のコンクリート製。 国の登録有形文化財。 塔の外観や壁面の装飾などはお見事!、、、、塔の脇には、同時期に建てられた小さな「流量計室」も残ってる。
・・・・・・・・・・ 旧茨城県庁舎の裏隣(南側)に「弘道館 鹿島神社」がある。、、、、鹿島神社は、安政4年(1857)5月に遷座祭が行われ、同時に弘道館の本開館式が挙行された。 鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀った。 昭和20年(1945)の戦災で社殿が焼失し、しばらく仮殿のままであったが、昭和49年(1974)の伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神宮別宮「風日折宮」の旧殿一式が特別譲与され、昭和50年(1975)伊勢神宮独特の「唯一神明造り」の社殿として再建された。、、、、伊勢神宮の宮殿の一つを水戸で見ることになった、アリガタヤ!
● 水戸城三の丸城址の東端に「弘道館」はある。、、、、弘道館は、水戸藩の藩校として第9代藩主徳川斉昭により天保12年(1841)に創設された。 藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れた、いわば総合大学というべきものであった。 安政4年(1857)には鹿島神社と孔子廟を祀って弘道館の本開館式を行った。 当時の藩校としては国内最大規模のもの。、、、、私は、東日本大震災の直後に訪れたが、その時は、建物、外塀などが被災しボロボロ状態、拝観はダメで、『またのお越しをお待ちしてます!』と、残念な思い出がある。 今日は、綺麗に改修された弘道館を見ることができた。
● まだまだ、いろいろ見て回ったが、当ブログはココまで。
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