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2023年3月

2023年3月27日 (月)

桜は満開

先週、小田原で花見をしたつもりでいたが、その時は二分咲き程で寂しい花見であった。 妻が『やはり満開の花見もしたい!』と言うわけで、本所吾妻橋駅から隅田公園・牛嶋神社・桜橋・浅草と巡り、隅田川の両岸を歩いて来た。 1万歩の散歩




浅草橋から都営浅草線で三駅目「本所吾妻橋駅」から散歩を始める。 源森橋北十間川を越えれば、その先は「隅田公園」、、、、江戸の運河“北十間川”とは、下町らしいネーミングで好きだ!、橋名“源森橋”なんとなく職人ぽい名前で、これまたいいね!、、、、橋の手前には、我が母が私の大学受験合格祈願で幾度も通った「清雄寺」がある(50年以上前のこと)

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● 我が家を出てから15分「隅田公園」に到着。 「隅田公園」は、名前のとおり隅田川沿いにある公園で、川の両岸、墨田区側(左岸)は向島、台東区側(右岸)は花川戸・浅草に広がる。 公園は、大正12年(1923)の関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一部として整備された。 今は川岸に八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた、約1㎞に渡る桜並木が花見の名所となってる。、、、、「隅田公園」と言うと、墨田区側?、台東区側?どちらも「隅田公園」です!

● まずは、墨田区側の「隅田公園」、、、、墨田区側の隅田公園は、江戸時代、ここに徳川御三家のひとつ、水戸藩の下屋敷「小梅御殿」があった。 関東大震災後で下屋敷が全壊し、その後隅田公園として整備され、日本庭園に姿を変えた。

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● 隅田公園内に所在する「牛嶋神社」にお立ち寄り。 牛嶋神社は、貞観2年(860)創建。 本所地区の総鎮守で、墨田区のほぼ南半分と大変広い地域が氏子となっている。 祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命。 社殿は総檜権現作りの荘厳にして風格のあるもので、本殿前の木製の鳥居は、中央の鳥居の左右に小さい鳥居の付いた三輪鳥居。 江戸時代より牛嶋神社は「牛御前」と書かれ、その名の通り古くから牛にまつわる信仰がある。、、、、昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園の整備により、現在の桜橋近くの隅田川東岸にあったのを隅田公園の北側に移された。 その後、昭和20年の東京大空襲により神楽殿は焼失したが、本殿はじめその他の建物は一部被害を受けたが、概ね昭和7年移転当時のものである。、、、、拝殿では神前結婚! 我妻は撫で牛の頭を撫で撫で(どこが悪いの?)

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● 隅田川岸を歩く。 満開の桜並木。 桜橋を渡り墨田区(左岸)から台東区(右岸)へ。、、、、満開の桜を今年も堪能『余は満足じゃ!』 

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● コロナ規制も緩み、外人ばかりの「浅草寺」 『異国になったASAKUSA!』

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2023年3月22日 (水)

桜は二分咲き

東京に開花宣言が出た15日頃、妻が『今年は何処へ花見に行く?』 私が『小田原城はどうだ!』というと、即決した。 予想では27日頃が満開と思われ、28日に行くように計画したが ・・・・・ しかし最近の天気予報では23日から連日傘マークが出てる。 昨夜(21日)、妻が『28日頃雨だよ、散っちゃうよ! 明日、花見に行こう!』と言い。 これまた、即決! 急遽予定を変更し、昨日の今日で、朝から小田原行きとなった。 行きは小田急ロマンスカーで、帰りは新幹線で、日帰りの花見。、、、、万歩計では1万8千歩の花見




● 9時20分新宿発のロマンスカーで、10時40分小田原着、一人運賃900円:特急料金910円:計1810円也。、、、、小田原駅は大正9年(1920)10月に国府津駅を起点とする熱海線(現:東海道本線)の終着駅として開業した。 その後、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)が昭和2年(1927)に、大雄山鉄道(現:伊豆箱根鉄道)と箱根登山鉄道が昭和10年(1935)に乗り入れてる。 一日約15万人が利用するターミナル駅。、、、、小田急の「小田原駅」は、山側の新幹線ホームと海側のJR在来線ホームに挟まれた島式ホーム2面3線(小田急電鉄、箱根登山鉄道共用)の地上駅。 駅舎は大屋根に覆われた近代的な建物でJRと共用している。、、、、小田原駅に降り立つのは30年ぶりかも? すっかり変わって田舎者だ!

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● ポカポカの春の陽気の下、駅から小田原城址公園に向かう。 来て見てビックリ、小田原城の桜はまだ二分咲きだった! 『満開の桜を通して見上げる天守閣』を期待して来たが、『つぼみの後ろに控える天守』であった。、、、、私は桜にチョピリ残念! 妻は小田原城に感動!、、、、小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、その後城内の多くの建物は解体された。 さらに、大正12年(1923)の関東大震災により、石垣などもほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われた。 現在の天守閣は、昭和35年(1960)に総工費8千万円をかけて、江戸時代の姿に復興した。 施工は松井建設。 3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1,822㎡である。、、、、、標高約60mの天守閣最上階からは、相模湾が一望でき、房総半島まで見ることができる。 私は高所恐怖症で落ち着いて、景色を見る余裕なし。(心の中では、早く地上に戻りたい!)

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● 城内の西側に二宮尊徳を祀る神社「報徳二宮神社」がある。 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。、、、、二宮尊徳は、報徳思想を信条とする団体「報徳社」を設立して農村の救済・教化運動を行っていたが、尊徳が安政3年(1856)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行っていた。 明治24年(1891)に尊徳に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳を祀る神社創建の動きが起き、明治27年(1894)、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座した。 明治42年(1909)には現在の本殿・幣殿を新築、拝殿を改築した。、、、、境内のカフェで、二宮金次郎と如何なる関係か知らねども、「きんじろうソフト」を味わう。 甘い、美味しい!

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● 報徳二宮神社から南に歩き、チョッピリ小高い天神山を越え、箱根駅伝でおなじみの国道1号に出る。 東海道線・箱根登山電車のガードの近くに「人車鉄道 軽便鉄道 小田原駅跡」の石碑があった。、、、、明治期、文豪・著名人が熱海(当時は温泉宿が約30軒あった)に行くとき利用したと言われてる人車鉄道・軽便鉄道の駅跡だ! 現在の小田原駅とは、小田原城を挟んで、正反対の側に位置する。 『アレ? 昔の人は、国鉄の小田原駅から、お城を半周して人車鉄道に乗ったのか?』と疑問が湧いた。 石碑の近く、呉服屋さんの店先に「豆相人車鉄道 温泉夢物語」と書いたパネルがあり、店の御主人が、その疑問に応えてくれた。、、、、明治期の東海道線は東京から国府津まで営業しており、その先は御殿場線経由であった。 小田原にはまだ東海道線は敷かれていなかったので、もちろん現在の小田原駅は無かった。 国府津で降りた客は、ここ人車鉄道の小田原駅まで歩いて来たそうだ。 人車鉄道の小田原駅は明治28年(1895)7月に開業した。 明治41年(1908)には、人が押す人車鉄道から、軽便鉄道に変わった。 人車鉄道で熱海まで所要時間4時間が、軽便鉄道になり約3時間となった。 御殿場線経由の東海道線が、現在のルートで小田原まで伸びたのは大正9年(1920)である。、、、、小田原から熱海まで、人車鉄道を押す車夫(?)の苦労は真似できないね!

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・・・・・・・・・・ 写真:手前左右に伸びる道路が国道1号、中央から奥に向かう道路が線路敷き跡、右端の家が小田原駅のあった処、左端(ヤオタメの隣り)が呉服屋さん、石碑は右端歩道橋の上り口にある。

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● 海岸近くに「西海子小路」(さいかちこうじ)と呼ばれる桜名所がある。 道路の両側約400mの区間に約50本のソメイヨシノが咲き誇る桜のトンネルが楽しめる道。 江戸時代は17の武家屋敷が軒を連ねていたそうだ。、、、、悲しいことに、ここの桜はまだ一分咲き!

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・・・・・・・・・・ 西海子小路に面して、「小田原文学館」があり、チョイトお立ち寄り! ここには、北原白秋の資料を展示している「白秋童謡館」、昭和を代表する私小説家・尾崎一雄の書斎(移築)もある。、、、、 まずは「小田原文学館(旧田中光顕別邸)本館」を拝見。 宮内大臣などを務めた政治家田中光顕の別邸であった。 昭和12年(1937)築のRC造3階建の本館部と木造平屋建の管理棟からなる。 本館はスパニッシュ瓦葺、東南隅にはサンルームがあり、3階にはベランダやパーゴラ等もある。 いかにも別荘という感じの建物。 登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 田中光顕の別邸で、「白秋童謡館」として活用。 大正13年(1924)に建てられた、木造2階建の入母屋造・瓦棒銅板葺家屋。 こちらも登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・ 西海子小路に面し、もう一軒「旧松本剛吉別邸」にもお立ち寄り。、、、、松本剛吉は、明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家(貴族院議員等を歴任)。 建物は、大正12年(1923)頃に建てられ、平成28年(2016)に小田原市の歴史的風致形成建造物に指定された。 主屋と別棟の茶室「雨香亭」、待合等の建物と、築山や水景を伴う庭園で構成されており、主屋は西側に張り出した主座敷の八畳と六畳の次の間から成る座敷がある数寄屋風書院造となっている。、、、、今日は、WBCの中継がありこちらに訪れる人もなく、客は我が夫婦二人だけ、こちらの茶室「雨香亭」でお茶ならぬ、抹茶パフェを静かにのんびり庭を見ながら頂いた。 思いで残る訪問で、妻、感動! 『秋になったら、また来よう!』(本当に来る気か?)

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● 春のポカポカ陽気を堪能して「小田原駅」に戻る。 帰りは新幹線を利用。、、、、一人運賃1520円:特急料金2290円:計3810円也。 ナント、新幹線は小田急ロマンスカーの倍以上だ! 『JRのぼったくり!』と、叫びたくなる(でも、小田原~東京間の所用時間35分は嬉しいね!) 

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2023年3月21日 (火)

速いぞ 時速130㎞

彼岸に入り、我が家ではいつもの如く八柱霊園(松戸市)、むさしの霊園(八王子市)へと、連日の墓参りを済ます。 一昨日の墓参りでは、帰路に孫と約束『21日につくばエクスプレスに乗りに行こう!』、、、、今日は、鉄道オタクの孫と時速130㎞のつくばエキスプレスの快速に乗ってきた。 起点の秋葉原駅から終点のつくば駅まで快速で片道45分の旅。 終点のつくば駅では、駅の近くの「つくばエキスポセンター」に寄り、プラネタリュームと内部の見学。 帰りも快速で秋葉原まで戻る。、、、、(万歩計は1万歩だった!)




つくばエクスプレスは、都心と筑波研究学園都市の間を結ぶ鉄道として、秋葉原~つくば間の全線58.3kmが平成17年(2005)8月24日に開業した。 路線は都心部では地下に建設され、江戸川を越えて千葉県、茨木県に入ると高架または掘割を走ることで、踏切は一切なしで、急カーブは少なくほぼ直線に近い。 秋葉原~つくば間の58.3kmを、最高速度130 km/h(通常125 - 129 km/h)と高速で運転し、所要時間45分で結んでいる。(我が孫はこの最高時速で走るつくばエクスプレスを体験したかったのだ!)

・・・・・・・・・・ つくばエクスプレスの「秋葉原駅」は、JR秋葉原駅と昭和通りの間に位置する。(知る人には「ヨドバシAkiba」前の都道の地下と云えば判ると思う) その地下33.6mに1面2線のホームがある。 

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・・・・・・・・・・ 孫も私も(二人の歳の差、約70)、先頭車両で高速運転を体感し、満足!

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・・・・・・・・・・ 終点「つくば駅」に到着、所要45分、やっぱり速いね!、、、、茨城県内初で、現在も唯一の地下駅としてつくば駅は平成17年(2005)8月24日に開業。 1面2線の島式ホームを持つ駅は筑波研究学園都市のセンター地区にある。 2018年度の1日平均乗車人員は18,849人である。

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● せっかく「つくば」まで来たのだから、このままUターンして帰るのはつまらない! 駅に近い「つくばエキスポセンター」を見て帰ろう!、、、、つくばエキスポセンターは、昭和60年(1985)に筑波研究学園都市で開催された国際科学技術博覧会(つくば万博)の閉幕後、最新の科学技術や身近な科学に親しみを持ってもらえるように開設された。 世界最大級の規模を持つプラネタリウムや、屋外に展示されている実物大のH-IIロケット(高さ50m)の模型が特徴である。、、、、プラネタリュームは約20年ぶりに見た私、久しぶりに見る満天の星空は素晴らしい!

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2023年3月15日 (水)

お釜のお寺!

地下鉄丸ノ内線方南町駅から裏道を歩き、京王新線の幡ヶ谷駅まで、1万歩の散歩です。




● 朝8時過ぎ、通勤通学のピーク時間、丸ノ内線分岐線の終着駅「方南町駅」に電車が到着すると、折り返しの池袋行きはスグに満席となる。 座れない乗客は、次の折り返し電車の到着を待ちホームに並ぶ。 こんな光景を見てると、自分のサラリーマン時代が懐かしく思いだす!

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・・・・・・・・・・ 方南町駅の改札・出入口は、ホームの両端に1ヶ所づつある。 東側の出入口は方南通りの商店街の並びにあり、幅も狭く、『こんなとこにあるの!』と言いたくなる。

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・・・・・・・・・・ 駅出入口の脇に、「方南銀座商店街」がある。 方南町駅から南に延びる、地域密着型の商店街。 通勤・通学の人が足早に駅に向かう。

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● 商店街を抜けた所に、「身代地蔵尊」と標した堂がある。 この堂は、安寿と厨子王の守り本尊の身代り地蔵尊を祀る東運寺の門前の地蔵堂。 守り本尊は東運寺の秘仏であり、4月8日の花まつりに御開帳するそうだ。 この地蔵堂はいわば御前立ともいえる普段お参りできる身代地蔵尊。 子育て地蔵尊も一緒に並んでる。

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・・・・・・・・・・ 地蔵堂の隣りの空き地に
、2基の石柱があり、「釜寺近道」、もう1基に「享和元年」と刻まれてる。 ここで、“釜寺”とはナンダ? この付近に“釜寺”と云う寺があったっけ? しばし考えるが判らない!、、、、数分後に判明した! “釜寺”とは地蔵堂の正面に山門がある東運寺の通称であった。 目の前にあって“近道”はないね!

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● 地蔵堂の正面(杉並区方南2)に「東運寺」の山門がある。 この山門は元禄の頃、元田村家の脇門であった。 明治末期、三井総本家がこれを今井町に移し元織田有楽齋如庵の茶室(国宝)の表門としたが、使用する機会は少なく『開けずの門』と言われてた。 昭和28年(1953)三井高公が東運寺に寄進したものである。

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・・・・・・・・・・ 浄土宗寺院の東運寺は、念仏山と号す。 東運寺は、天正元年(1573)備前の僧が、奉じていた安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を安置して当地に念仏堂としてはじまりました。 大正11年(1922)、下谷入谷町にあった東運寺と合併し、念仏山東運寺と改称した。 当寺には、釜ゆでにされそうになった厨子王をお坊さんになって助けたという身代わり地蔵尊が秘仏として祀られている。 また、本堂の屋根上には“釜”が逆さに置かれてる。 これが通称“釜寺”と呼ばれる謂れ。

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● 東運寺の南側を流れる「神田川」を越え、杉並区方南から中野区南台、渋谷区笹塚の町に入る。 この辺りでは、何か面白いものはないかと、裏道を歩いたが、何もない! 面白くないね!

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● 大通りに出た! 笹塚三丁目では「水道道路(都道431号)」、続いて「甲州街道(国道20号)」、どちらも横断すると、京王新線の「笹塚駅」だ! 

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・・・・・・・・・・ 笹塚駅から南に「笹塚観音通り商店街」を歩く。 その名が示すとおり、商店街の中に観音さまが祀られている。、、、、この観音さまは、江戸時代からあり大きなお堂だったそうだが、昭和20年(1945)の米軍の空爆により焼失した。 ところがこれが観音の力の凄いところで、堂は焼け落ちたものの、焼け跡から観音さまが焼けずに発見された。 そこで、当時貧乏な住民には堂の復元はならず、やっとこさ小さな堂を建立して再建した。 その地が、今の観音会館となっているそうだ。、、、、観音さまは、普段、ガラス扉の中に祀られており、毎月18日に御開帳になるそうだ。

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● 商店街を抜け、京王新線の幡ヶ谷駅近くに来ると、玉川上水を暗渠化した「幡ヶ谷緑道」、「西原緑道」がある。、、、、初台付近から代田橋付近まで、途切れ途切れに続く緑道の一部。、、、、これから暖かくなり、樹々が色づけば散歩に良いかも!

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● 「幡ヶ谷駅」は、大正2年(1913)11月11日、京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)京王新線開通に伴い、現在地に移設し、同時に地下駅となる。 駅本体は首都高速4号新宿線と国道20号(甲州街道)の地下にあり、ホームは相対式2面2線構造で地下2階にある。、、、、京王新線は、ここから都営地下鉄新宿線に乗り入れ、馬喰横山まで直行。 馬喰横山駅(東日本橋駅)から浅草線に乗り換え、次の駅が我が家のある浅草橋。 便利で、楽だ! 

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2023年3月12日 (日)

長い疲れる公園だ!

連日の好天、今日は妻を従え荻窪駅から歩きはじめる。 駅から南へ善福寺川緑地に入り川沿いに歩き、大宮八幡宮に参拝して、地下鉄丸ノ内線の方南町駅まで、1万4千歩の散歩です。




● 朝食時、『荻窪から散歩するけど、一緒に行く?』と妻に問いかけると、チョイト考え『行く行く、しかりついて行く!』(その心は、ランチは外で!)、、、、10時に「荻窪駅」で下車。 さて、駅からどこへ向かうか、下町育ちの妻には来る機会の少ない京王井の頭線方面に向かって歩くことにした。

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・・・・・・・・・・ 荻窪駅南口から「南口仲通り」を道なりに歩くと、善福寺川に架かる「忍川上橋(おしかわかみばし)」を渡ったところで、裏道を歩くことにした。 私が住む浅草橋よりは上品な感じの荻窪2丁目の住宅地

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● 荻窪2丁目の道筋に、日蓮宗寺院の「大光山 千葉院 中道寺」があった、、、、中道寺は、大光院日道が当地に天正10年(1582)草庵として建立、その後元和2年(1616)に大光山中道寺と寺号を称し、寛永13年(1636)当地に土着していた千葉氏の家臣宇田川氏より寺地の寄進を受けて堂宇を整えたと言われてる。 杉並区内では古い寺の一つである。、、、、2階建ての立派な鐘楼門は、安永2年(1773)の建築、階上に梵鐘が吊ってあり鐘楼を兼ねる。 現在の本堂は、昭和42年(1967)に完成した総欅作りの大堂で、八間四面の宝形(方形)造り、高さ約15m、頂上には火炎宝珠を頂いている。、、、、住宅地の中、静かに佇む寺!

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● 杉並区成田西3では「成田西ふれあい農業公園」で“
一休み”、、、、平成28年(2016)にオープンした公園は、区民が農に親しむ場として、気軽に土とふれあい、農を「見る」「ふれる」「楽しむ」ことができる公園ということだ。 農業公園では杉並らしい農のある風景を演出するとともに、農や食への理解や知識の向上を図り、また都市における農の魅力や農地の多目的機能の大切さを伝えていくとのこと。、、、、これから種蒔きをするのか、土が掘り返されていた。、、、、都会にある綺麗な“区民(市民)農園”、これはいいね!

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● 五日市街道沿い(杉並区成田西2)、関東バスの営業所近く、一段高い場所に柵に囲われ唐破風笠付角柱型の庚申塔がある。、、、、あまり風化しておらず、彫りもはっきりしている庚申塔。 大切に保存して! 

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● 五日市街道を挟み庚申塔の前から、「善福寺川緑地」に入る、、、、杉並区を流れる善福寺川の中流部の河川沿いを都立公園として整備したのが、善福寺川緑地。 都立善福寺川緑地として和田掘公園と合わせ、全長4.2km、総面積は18haを整備し、武蔵野の面影を残す木立と子供の広場が交互に配され、遊歩道で連続しています。 昭和39年(1964)に開園。、、、、蛇行する川に沿って公園があり、今日は上流側の「なかよし広場」から入園し、下流側の和田堀公園で園外に出た! 約1時間園内を散策、細長い公園はチョイト距離が長すぎ疲れる! 妻は『ハクモクレンが咲いてる! ヒガンザクラが咲いてる! 〇〇〇が咲いてる!』 知ったかぶりが多すぎる!

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● 和田堀公園の南側にある「大宮八幡宮」にチョイトお立ち寄り!、、、、神社は杉並区大宮にある。 町名“大宮”は大宮八幡宮に由来する。 その大宮八幡宮は、源頼義が奥州征伐の折、善福寺川へきて大空の白雲が八つ幡にの棚引くようであるのを見て戦に臨み勝利した。 康平6年(1063)その祈願成就のお礼のため源氏の氏神である石清水の八幡神を勧請した。 これが大宮八幡宮の始まり。 この神社は社域が広大であるところから“大宮”と呼ばれた。 だから“大宮”は大宮八幡宮だ! 

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・・・・・・・・・・ 今日は天気も上々。 成人を祝う御両親と娘さんが宮参り。 妻も私も、娘さんの容姿にしばし見とれる。 私が写真を撮らせてもらうと、妻は後ろ姿もリクエスト! 素敵な家族に『Beautiful !Wonderful!、Heartful!2303121219020


地下鉄丸ノ内線「方南町駅から帰る、、、、チョイト遅まきのランチは、ステーキだった!

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2023年3月 9日 (木)

妙正寺川を歩く

西武新宿線鷺ノ宮駅から、妙正寺川の水源:妙正寺池に向かい、そこより南下しJR中央線の荻窪駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 朝8時、「鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)」は出勤・登校時間で乗客も多い。 ホームは地上で、上りの1番線が片面ホーム、下りの2・3番線が島式ホームの変則2面3線構造である。 上りホームの乗客は下りホームの乗客に背を向けて電車を待つている。

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・・・・・・・・・・ 鷺ノ宮駅の出口は北口と南口の2か所。 南口の正面には妙正寺川が流れ、人道橋が架けられている。、、、、人道橋の上から妙正寺川を見ると、川底は深い、水は綺麗だがゴミが散見される、水量は少ない。 なんとなく『ヨシ! 今日は妙正寺川の上流を歩こう!』と決めた!

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● 鷺ノ宮駅から妙正寺川に沿って歩きはじめた。

・・・・・・・・・・ 駅の西400m程に、妙正寺川を挟んで左右両岸に集合住宅が建ち並ぶ都住宅供給公社の「鷺宮西住宅」がある。 昭和36年(1961)築の5階建て建物、19棟(約690戸)が並んでる。 2DKの間取りで、家賃は5万~7万円ほどらしい。 建物は古くなったが、住みやすそうな広々とした住環境だ!

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・・・・・・・・・・ 鷺宮西住宅を過ぎると、妙正寺川は中野区から杉並区に入る。 「井草橋」(昭和41年架橋)付近を通過。 散歩道の所々には、『チョイト一休み』用のベンチが置かれてる、優しい心遣い。

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・・・・・・・・・・ 「日向橋」(下井草3)の近くに「地蔵堂」がある。 この地蔵堂は、正徳3年(1713)に観泉寺(今川2-16-1)持として、旧下井草村字向井草の現在地に創立された。 天保5年(1834)には、すでに、観泉寺が下井草村の年寄田中惣兵衛にこの堂の管理をまかせていた。 その後、天保12年(1841)に間口5間・奥行3間の堂を焼失。 翌天保13年(1842)、田中惣兵衛が村民の代表者となって、鳥見役にその再建を願い出たという記録が残っている。 明冶初年には、観泉寺廃室となり、慈照という尼僧が住むようになった。 その当時は、境内は90坪の年貢地でしたが、明治10年代初めには、境内は130坪となり、信徒も31人を数えるにいたった。 その後、観泉寺から独立し、現在の境内は3坪、堂宇は2間四方となる。 地元有志約30人で結ばれた地蔵講中が今もあり、毎年11月24日に夜、堂前左右に行燈を立て、燈明を献じ、般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしが続いているそうだ。、、、、堂の中には本尊の地蔵菩薩が祀られているらしい。(像の姿は見えず!)

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・・・・・・・・・・ 「寺前橋」(本天沼3)の近くには浄土真宗本願寺派寺院の「応供山 等正寺」がある。 等正寺は、江戸湯島に元和8年(1622)創建、元禄17年湯島内を移転したといいます。 関東大震災で罹災、区画整理に伴い、昭和4年井荻へ移転、昭和16年には当地(本天沼3)へ移転した。、、、、本堂は昭和46年(1971)に建立したモダンな建物

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・・・・・・・・・・ 「妙正寺橋」(清水3)を過ぎると、上流側にレンガ調のデザインの「落合橋」があり、その先には「妙正寺公園」があり。 公園内に妙正寺川の水源になる「妙正寺池」がある。 妙正寺池は古来より武蔵野台地の湧水池のひとつとしてあり、文和元年(1352)に池のほとりに日蓮宗の寺院である妙正寺が建てられた。 池の名前・川の名前はそれに因んでいる。

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● 「法光山 妙正寺」(清水3)は、日蓮宗の寺で十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている。 約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺(千葉県)の上人が、妙正池のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが草創であり、正保三年(1646)には社殿を再建して、広く信仰されるようになった。 慶安二年(1649)、御朱印寺となる。、、、、静かな住宅街の中にあり、緑豊かな寺。 規模も街中にある寺にしては大きな方だ。

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・・・・・・・・・・ 墓所には「
本因坊六世知伯の墓」がある、、、、本因坊とは本因坊算砂日海を初代とする囲碁の家元である。徳川家康がことに碁を好み、京都にいた初代の算砂を江戸へ呼び寄せた。 三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが、四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊は豊島区巣鴨の「本妙寺」に葬られているはずだが。 『アレ? 六世知伯の墓はどっちだ! 分骨したのか?』

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● 妙正寺から「荻窪駅」まで歩き、中央・総武線で帰宅。

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2023年3月 7日 (火)

小槌と地蔵に願掛け

大江戸線の練馬春日町駅から、南に向かい西武新宿線の鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩。




● 浅草橋の我が家から、中央・総武線で東中野駅へ、そこで大江戸線に乗り換え「練馬春日町駅」まで、所要時間約50分、チョイト遠いね! 練馬春日町駅は都道443号と環八通りが交差する地点の真下にある、出口は環八通りを挟んで東西にある。 駅は平成3年(1991)12月10日の開業、約30年過ぎたが、目立った汚れも無く清潔そうな駅だ。、、、、今日は豊島園方向に歩こうと思い、東側の出口に出た。 

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● 「豊島園通り」を歩きはじめたが、すぐに気が変わり裏道を歩く。、、、、静かな住宅地をぬけ、気が付けば豊島園とは反対の方向に向かってた。 “豊島園”はアキラメタ! 

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・・・・・・・・・・ 練馬区高松1丁目の道角に「庚申塔」があった。 説明板には『高松の板碑型庚申塔 江戸時代の寛文三年(1663)に建てられた庚申塔で、区内では古いものです。青面金剛上部は山形、横から見ると船形状で、裏面は石を整形した鐫の痕がそのままになっています。正面中央に「みざる・言わざる・いわざる」の三猿浮き彫りされ、その上部には現在は風化して判読が難しいですが、「寛文三年」「十一月吉日」の年記が刻まれています。(以下省略) 』と書かれてた。、、、、なんとなく昔からここにあったと思われる情景。

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・・・・・・・・・・ 「西田中橋」(平成9年(1997)完成)で石神井川を越える、、、、石神井川の水はきれいだが、護岸が高すぎる!

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● 西田中橋の南西(貫井5)に「円光院」と云う寺があった。、、、、円光院は、南池山貫井寺といい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王である。 昔、寺の南に大きな池があったので「南池山」と号し、土地の名が貫井であるので「貫井寺」と称した。、、、、堂宇は昭和20年の戦災で焼失しその後再建された。

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・・・・・・・・・・ 本堂前に権現小槌観音様の化身とされる小槌の石像がある、、、、打ち出の小槌なら、願掛けて一言、『宝くじ、一等当選、よろしく!』

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● 円光院から南へ約500m歩くと西武池袋線の「中村橋駅」がある。 中村橋駅は大正13年(1924)に開業。 平成7年(1997)に高架化工事が完了し、現在は高架駅となっている。

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・・・・・・・・・・ 以前中村橋駅の街路灯の案内板にあった、平成9年(1997)まで使用されていた旧駅舎の写真

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● 中村橋駅から南に西武新宿線の鷺ノ宮駅前へ伸びる「中杉通り」と呼ばれるバス通りを歩く。 商店街の延長のような通りであるが、バスの運行頻度は多く、引っ切り無しにバスと遭遇した。、、、、交通量も多そうだ、年寄りは事故に注意! 

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・・・・・・・・・・ 途中、中野区上鷺宮1の中杉通り「こぶし園入口」交差点の角に「子連れ願かけ地蔵」ある。 北向きに建っているので「北向地蔵」ともいわれ、大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で「正徳五乙未十月」(1715)と刻まれている。 小さい舟型地蔵尊は80㎝ほどの高さで、造立年は不明。 この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子ども(小さい方)の地蔵を倒すのだそうだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれるという。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行く。 昭和30年(1955)まで、この奇妙な風習は続いたそうだ。、、、、私も、地蔵を倒すことはしないが、願をかけてきた、『宝くじ、一等当選よろしく!』

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西武新宿線「
鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)」に到着。 鷺ノ宮駅は、昭和2年(1927)4月16日の開業した、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。

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2023年3月 1日 (水)

上信電鉄

天気に恵まれた3月初日、世界遺産の富岡製糸場を妻と見てきた。 高崎~富岡~下仁田間を走る上信電鉄の全線乗車と、下仁田の町をチョイトブラブラも併せて実行。




● 午前9時過ぎ、高崎駅に到着、新幹線改札から西口へ出て、上信電鉄の高崎駅へ向かう。 上信電鉄の「高崎駅」は、JRの在来線地上ホームがズラリと並ぶ1番線の隣りに0番線として頭端式の上信電鉄専用のホームと改札がある。 チョイト細長い、懐かしい硬券の『一日フリー乗車券』を購入し、発射直前の700形電車(2両編成)に乗り、目指すは上州富岡駅へ。

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・・・・・・・・・・ 発車して車内を見渡すと、乗客は2両合わせて10数人。 これじゃ~、儲からないよな~!

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・・・・・・・・・・ 上州福島駅では、錆が浮き出た貨車を見て、チョイト悲しいね!

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・・・・・・・・・・ 高崎から約40分、世界遺産でモダンに改築した「上州富岡駅」に到着。 降りたのは私達夫婦と他一人、三人だ! 駅前にはコンビニ無し、観光案内する人もいない、世界遺産で観光客も多いと予想していた私にはチョイト信じられない光景!、、、、上州富岡駅は、明治30年(1897)7月2日、富岡駅として開業、大正10年(1921)に駅名を上州富岡駅に改称。、、、、現在の駅舎は、富岡製糸場が世界遺産に登録された、2014年に完成。 駅舎は富岡製糸場をイメージして煉瓦を多用するデザインとなっている。 建築作品として、2014年度グッドデザイン賞、2015年度日本建築学会賞、第56回BCS賞特別賞などを受賞している。

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● 富岡の町をブラブラ


・・・・・・・・・・ 駅の斜め前に群馬県立世界遺産センター「セカイト」がある、、、、歴史的な倉庫群を再利用・再開発した世界遺産のPRセンターと思われる。 お客は私達ともう一組だけ!

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・・・・・・・・・・ 上州富岡駅から富岡製糸場への道筋に「諏訪神社」がある。 神社の創建は不詳だが、江戸時代まで歴史は遡れるそうだ。 

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・・・・・・・・・・ 行きかう人・車も見えない富岡の中心街。 世界遺産があるのだから外人を含め観光客が多いと思ったが、やたらめったら静かであった。

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・・・・・・・・・・ チョイト裏通りへ、富岡の花街「三町通り」 この横丁は幅1.6mの狭い道であるが立派な県道である。 左右には芸者も出入りする料亭などがあったそうだ。 かつての華やかなりし頃を想像して歩くと、『昔は良かった!!』

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・・・・・・・・・・ 富岡製糸場の手前にある、近代日本の黎明期に操業した民間の機械製糸場「旧韮塚製糸場」、、、、この建物は、保存・改修により当時の面影に甦ったそうだ。 明治初期からは富岡製糸場を模範として全国で20ヶ所以上の製糸場が建設されたそうで、こちらはその一つ。 

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● 本日の目的地、世界遺産の「富岡製糸場」、、、、富岡製糸場は日本初の本格的な機械製糸の工場である。 明治5年(1872)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存する工場跡として、日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献したことを物語っている。、、、、富岡製糸場は昭和62年(1987)操業を停止した後、平成17年(2005)に敷地が国の史跡に、そして翌年平成18年(2006)には創業当初期の建造物が国の重要文化財に指定された。 重要文化財のうち繰糸所、東置繭所、西置繭所の3棟は平成26年(2014)に国宝となった。 現在は富岡市が所有。、、、、施設の関係者の数より、来場者のほうが少ないと思われる程、閑散とした中で、のんびり、ゆっくり、見学できた! ちなみに、3月1日の来場者数は279人だったそうだ(公式HPによる) 世界遺産登録時の熱は冷めたね!

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● 上州富岡駅から再び上信電鉄に乗り終点の「下仁田駅」へ向かう。 

・・・・・・・・・・ 500形電車で上州富岡駅を出発!

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・・・・・・・・・・ 明治30年(1897)9月8日開業の「下仁田駅」は、頭端式ホーム1面2線の地上駅。 駅構内は、貨物営業を行っていたころの名残で比較的広く、側線が4本ある。 一日の乗車人員は250名程である。、、、、『100年の歴史を誇り、妙義山、荒船山の登山客に親しまれる上信電鉄終着駅』として関東の駅百選に選定されてる。

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● 下仁田駅から西へ諏訪神社まで、下仁田の町をブラブラ


・・・・・・・・・・ 駅前から見える老舗の割烹旅館「常盤館」は、下仁田ネギのすき焼き、しゃぶしゃぶやこんにゃく尽くしの食事を味わえるそうだ。 画家の竹久夢二も泊まったことがあるらしい。、、、、妻曰く『帰りに下仁田ねぎ食べて帰ろうか』 私『なに! 下ネタねぎを食べるのか?』 妻『あなた、耳が悪いね!』 私『おまえ、発音が悪い!』

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・・・・・・・・・・ 常盤館の脇から諏訪神社へ向かう「中央通り」は、下仁田の飲食店街。 ところどころにかつての花街の名残りが見られる。 かつては鉱山の工夫や工女などの娯楽の場として賑わっていたらしい。

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● 中央通りを抜けると正面に「諏訪神社」が鎮座している。、、、、諏訪神社の創建は戦国時代、武田信玄が信州諏訪大社の分霊を勧請したのが始まりと言われてる。 江戸時代には、幕府から朱印地として6石が安堵され、享和2年(1802)には嵯峨御所から挑灯と絹幕が寄進されている。、、、、現在の諏訪神社社殿は江戸時代後期の天保8年(1837)に再建されたもので、建物全体にみごとな彫刻が施されている。

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● 駅に戻って、帰路に就く。

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