桜は二分咲き
東京に開花宣言が出た15日頃、妻が『今年は何処へ花見に行く?』 私が『小田原城はどうだ!』というと、即決した。 予想では27日頃が満開と思われ、28日に行くように計画したが ・・・・・ しかし最近の天気予報では23日から連日傘マークが出てる。 昨夜(21日)、妻が『28日頃雨だよ、散っちゃうよ! 明日、花見に行こう!』と言い。 これまた、即決! 急遽予定を変更し、昨日の今日で、朝から小田原行きとなった。 行きは小田急ロマンスカーで、帰りは新幹線で、日帰りの花見。、、、、万歩計では1万8千歩の花見
● 9時20分新宿発のロマンスカーで、10時40分小田原着、一人運賃900円:特急料金910円:計1810円也。、、、、小田原駅は大正9年(1920)10月に国府津駅を起点とする熱海線(現:東海道本線)の終着駅として開業した。 その後、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)が昭和2年(1927)に、大雄山鉄道(現:伊豆箱根鉄道)と箱根登山鉄道が昭和10年(1935)に乗り入れてる。 一日約15万人が利用するターミナル駅。、、、、小田急の「小田原駅」は、山側の新幹線ホームと海側のJR在来線ホームに挟まれた島式ホーム2面3線(小田急電鉄、箱根登山鉄道共用)の地上駅。 駅舎は大屋根に覆われた近代的な建物でJRと共用している。、、、、小田原駅に降り立つのは30年ぶりかも? すっかり変わって田舎者だ!
● ポカポカの春の陽気の下、駅から小田原城址公園に向かう。 来て見てビックリ、小田原城の桜はまだ二分咲きだった! 『満開の桜を通して見上げる天守閣』を期待して来たが、『つぼみの後ろに控える天守』であった。、、、、私は桜にチョピリ残念! 妻は小田原城に感動!、、、、小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、その後城内の多くの建物は解体された。 さらに、大正12年(1923)の関東大震災により、石垣などもほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われた。 現在の天守閣は、昭和35年(1960)に総工費8千万円をかけて、江戸時代の姿に復興した。 施工は松井建設。 3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1,822㎡である。、、、、、標高約60mの天守閣最上階からは、相模湾が一望でき、房総半島まで見ることができる。 私は高所恐怖症で落ち着いて、景色を見る余裕なし。(心の中では、早く地上に戻りたい!)
● 城内の西側に二宮尊徳を祀る神社「報徳二宮神社」がある。 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。、、、、二宮尊徳は、報徳思想を信条とする団体「報徳社」を設立して農村の救済・教化運動を行っていたが、尊徳が安政3年(1856)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行っていた。 明治24年(1891)に尊徳に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳を祀る神社創建の動きが起き、明治27年(1894)、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座した。 明治42年(1909)には現在の本殿・幣殿を新築、拝殿を改築した。、、、、境内のカフェで、二宮金次郎と如何なる関係か知らねども、「きんじろうソフト」を味わう。 甘い、美味しい!
● 報徳二宮神社から南に歩き、チョッピリ小高い天神山を越え、箱根駅伝でおなじみの国道1号に出る。 東海道線・箱根登山電車のガードの近くに「人車鉄道 軽便鉄道 小田原駅跡」の石碑があった。、、、、明治期、文豪・著名人が熱海(当時は温泉宿が約30軒あった)に行くとき利用したと言われてる人車鉄道・軽便鉄道の駅跡だ! 現在の小田原駅とは、小田原城を挟んで、正反対の側に位置する。 『アレ? 昔の人は、国鉄の小田原駅から、お城を半周して人車鉄道に乗ったのか?』と疑問が湧いた。 石碑の近く、呉服屋さんの店先に「豆相人車鉄道 温泉夢物語」と書いたパネルがあり、店の御主人が、その疑問に応えてくれた。、、、、明治期の東海道線は東京から国府津まで営業しており、その先は御殿場線経由であった。 小田原にはまだ東海道線は敷かれていなかったので、もちろん現在の小田原駅は無かった。 国府津で降りた客は、ここ人車鉄道の小田原駅まで歩いて来たそうだ。 人車鉄道の小田原駅は明治28年(1895)7月に開業した。 明治41年(1908)には、人が押す人車鉄道から、軽便鉄道に変わった。 人車鉄道で熱海まで所要時間4時間が、軽便鉄道になり約3時間となった。 御殿場線経由の東海道線が、現在のルートで小田原まで伸びたのは大正9年(1920)である。、、、、小田原から熱海まで、人車鉄道を押す車夫(?)の苦労は真似できないね!
・・・・・・・・・・ 写真:手前左右に伸びる道路が国道1号、中央から奥に向かう道路が線路敷き跡、右端の家が小田原駅のあった処、左端(ヤオタメの隣り)が呉服屋さん、石碑は右端歩道橋の上り口にある。
● 海岸近くに「西海子小路」(さいかちこうじ)と呼ばれる桜名所がある。 道路の両側約400mの区間に約50本のソメイヨシノが咲き誇る桜のトンネルが楽しめる道。 江戸時代は17の武家屋敷が軒を連ねていたそうだ。、、、、悲しいことに、ここの桜はまだ一分咲き!
・・・・・・・・・・ 西海子小路に面して、「小田原文学館」があり、チョイトお立ち寄り! ここには、北原白秋の資料を展示している「白秋童謡館」、昭和を代表する私小説家・尾崎一雄の書斎(移築)もある。、、、、 まずは「小田原文学館(旧田中光顕別邸)本館」を拝見。 宮内大臣などを務めた政治家田中光顕の別邸であった。 昭和12年(1937)築のRC造3階建の本館部と木造平屋建の管理棟からなる。 本館はスパニッシュ瓦葺、東南隅にはサンルームがあり、3階にはベランダやパーゴラ等もある。 いかにも別荘という感じの建物。 登録有形文化財
・・・・・・・・・・ 田中光顕の別邸で、「白秋童謡館」として活用。 大正13年(1924)に建てられた、木造2階建の入母屋造・瓦棒銅板葺家屋。 こちらも登録有形文化財。
・・・・・・・・・・ 西海子小路に面し、もう一軒「旧松本剛吉別邸」にもお立ち寄り。、、、、松本剛吉は、明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家(貴族院議員等を歴任)。 建物は、大正12年(1923)頃に建てられ、平成28年(2016)に小田原市の歴史的風致形成建造物に指定された。 主屋と別棟の茶室「雨香亭」、待合等の建物と、築山や水景を伴う庭園で構成されており、主屋は西側に張り出した主座敷の八畳と六畳の次の間から成る座敷がある数寄屋風書院造となっている。、、、、今日は、WBCの中継がありこちらに訪れる人もなく、客は我が夫婦二人だけ、こちらの茶室「雨香亭」でお茶ならぬ、抹茶パフェを静かにのんびり庭を見ながら頂いた。 思いで残る訪問で、妻、感動! 『秋になったら、また来よう!』(本当に来る気か?)
● 春のポカポカ陽気を堪能して「小田原駅」に戻る。 帰りは新幹線を利用。、、、、一人運賃1520円:特急料金2290円:計3810円也。 ナント、新幹線は小田急ロマンスカーの倍以上だ! 『JRのぼったくり!』と、叫びたくなる(でも、小田原~東京間の所用時間35分は嬉しいね!)
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