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2023年4月

2023年4月29日 (土)

戸越銀座

一週間前の散歩が武蔵小山で終ったのを妻が知り、『こんどは戸越銀座だね!』の一言。 暗に“連れて行け!”と言ってる。 そして、今日の散歩は妻の期待に応え、武蔵小山から戸越銀座を抜けて大井町まで歩いて来た。 1万1千歩




● 今日からゴールデンウィークが始まった! 行楽地は人出が多く、年寄りは無理せず近場で暇つぶしと思い、妻と東急目黒線「武蔵小山駅」で下車。、、、、武蔵小山駅は、大正12年(1923)3月11日、島式ホーム1面2線で「小山駅」として開業。 翌大正13年4月20日に武蔵小山駅に改称した。 開業時の駅名“小山”は、当時すでに開業していた東北本線の“小山”(おやま)駅と紛らわしいので、“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」となったらしい。 なお、“小山”は近くの小山八幡神社に因み地名に由来する。、、、、私の住む、下町の浅草橋駅とは大違い、シャレた綺麗な駅で、乗客も皆、紳士・淑女に見える。 2棟のタワマンがたつ駅前も賑やかだ!

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● 駅前ロータリーから南東方向に「武蔵小山商店街 パルム」が伸びている。 パルムは、約230店が並ぶ全長800mのビックなアーケードが特徴! 両側の商店もオシャレナ構えの店舗が多く、若者受けする品揃えで、どの店も賑わっていた。、、、、商店街の歴史は古く、昭和12年(1937)には「武蔵小山商店街商業組合」が発足した。 しかし戦中には組合も解散し、戦後の昭和22年(1947)に、現在の組合の前身「武蔵小山商店街協同組合」が発足した。 昭和60年(1985)にアーケードの建替えを実施、さらに、商店街の愛称を「パルム」と定め、よりお客に寄り添う商店街として新たなスタートを切ったそうだ。、、、、歩いてると、買いたくなる食べたくなる入りたくなる店が多い。 私の妻もその一人!

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都道2号(=中原街道)にパルムがぶつかり商店街の出口となる。 国道に沿いに東へ200m程歩くと、次は「戸越銀座商店街」の入口が待ってる。、、、、チョイトどうでもいい疑問『商店街の“入口”と“出口”はどのようにして決める?』

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● 「戸越銀座商店街」は、都道2号側の西端から東南東方向に、東急池上線の戸越銀座駅、都営浅草線の戸越駅(国道1号の地下)をとおり西品川2丁目まで伸び、約400件の店舗が軒を連ねる約1.3㎞の長い長い地元密着型の商店街。、、、、戸越銀座商店街の成り立ちは、戸越周辺では、大正12年の関東大震災で被災地から移住した住民も増え、商店街を作ろうと云う機運が高まったいった。 ちょうどその頃、被災した銀座通りでも復興に向け、煉瓦舗装であった道路をアスファルト舗装にするため煉瓦を撤去することとなった。 戸越の人は、撤去する煉瓦を銀座から運び、谷間の湿地帯敷き詰め商店街を形成した。 昭和2年(1927)商店街は発足した。 つまり、“銀座の煉瓦”でつくられた、“戸越銀座”商店街である。、、、、“戸越銀座”(品川区)は、“砂町銀座”(江東区)、“向島橘銀座”(墨田区)とともに三大下町銀座と言われてる。


・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街の西詰(品川区平塚2)付近

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・・・・・・・・・・ スマホ屋さんの脇に、商店街の由来を記した碑が建っている。 そこには、ローマ字で 「SHINAGAWA」(区名ではなく、煉瓦製造元“品川白煉瓦株式会社”の社名) と刻まれた往時のレンガも展示されている。平成7年に戸越銀座誕生70周年を記念して商店街組合が建てたものである。

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・・・・・・・・・・東急池上線の「戸越銀座駅」は昭和2年(1927)8月28日に開業した。 ホームは地上相対式2面2線構造で、上下ホームは完全分離され、改札口・出口はホームごとに設けられている。、、、、【ついでの話】日本で最初に「銀座」という名前のついた駅は、ここ戸越銀座なのだ。 本家本元の地下鉄銀座線の銀座駅(昭和9年開業)より7年も早い、昭和2年に命名された。 元祖“銀座”と言うものだ、凄い!、、、、【おまけの話】木造駅舎の雰囲気をデザインした現駅舎は、2017年度のグッドデザイン賞、土木学会デザイン賞2018奨励賞を受賞した。

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・・・・・・・・・・ ほぼ東西に直線状に伸びる戸越銀座商店街の中程で、商店街を二等分するように交差するのは国道1号(第二京浜)。 この道路の地下には都営浅草線の「戸越駅」がある(戸越銀座駅と比べると、地上にポッカリ口を開けた面白みのない駅だ!)

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・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街、国道1号の東側を歩く。 唐揚げ屋、リサイクルショップ、アンティークショップの多さが印象的だ!、、、、妻もアンティークショップで気に入ったものを発見! 『この陶器のフクロウの置物、買ってみようかな?』(可否を問う口調ではなく、断定的に聞こえた) 私の応え『好きにしたら』 この後、妻は、壊れないように包装してもらい、大きな袋を抱えて歩くことになる。

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・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街から、チョイトわき道に入り、戸越銀座温泉」、「戸越八幡神社にお立ち寄り。

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・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街の東端、ここで商店街巡りは終了

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● 戸越銀座から、歩みを南に向け東急大井町線の下神明駅を目指す。 妻が持つ置物が重たそうだ!


・・・・・・・・・・ 大きな賑やかな商店街のつぎは、小さな静かな商店街、その名は「平和坂通り商店会」、、、、品川区西品川2丁目の平和坂に沿って14店舗ほどの商店が並ぶ小さな商店街。 平和坂入口にある、目印の時計のモニュメントが印象的。

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・・・・・・・・・・ 下神明駅の北側に、弘田三枝子、島倉千代子、小向美奈子、工藤静香などの出身校:日本音楽高等学校」(本年、品川学藝高等学校と改称) の「1号館」校舎がある。 この建物は、もともと、味の素のうまみ成分であるグルタミン酸を発見した化学者:池田菊苗(1864年10月8日~1936年5月3日)の私邸だった。、、、、現在は個別レッスンの教室として利用

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・・・・・・・・・・ 下神明駅のすぐ脇に、新幹線・東急大井町線・湘南新宿ラインの3路線を同時に見ることができるポイントがある。 鉄オタの間では有名なポイントだが、その路線を3つの電車が同時に走る景色を見る事は奇跡と言ってもよいだろう。

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・・・・・・・・・・ 東急大井町線の「下神明駅」は、昭和2年(1927)7月6日に戸越駅として開業。 昭和11年(1936)、下神明駅に改称。

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● 重たい置物を抱えて「大井町駅」に到着。 浅草橋の我が家まで、あと30分、しっかり抱えて持ち帰りましょう!

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2023年4月25日 (火)

足利

花札は、2月はウメ、3月はサクラ、次の4月はフジの花。 我が夫婦も、花札にならい、2月は水戸のウメ3月は小田原のサクラと巡ってきた。 今日は二人で栃木県足利のフジを見てきた。 




● 朝7時浅草橋の我が家を出て、東武鉄道「足利市駅」に9時着。、、、、ここから、目的地の「あしかがフラワーパーク」までは、渡良瀬川を挟み対岸のJR足利駅から一駅隣の「あしかがフラワーパーク駅」で下車するようにと案内があった。 川を挟んで、足利市駅と足利駅とは、これまた不便なことだ、雨の日に来なくて良かった!

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・・・・・・・・・・ 渡良瀬川に架かる「中橋」を渡り、JR足利駅に向かう、、、、中橋は昭和11年(1936)に開通した、橋長296.08m、幅員11.00mのアーチ橋。 この橋は水防上の理由で、架け替え工事が始まった。 現在の橋は下流側に数メートル移設して歩行者と自転車の専用橋となるそうだ。

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・・・・・・・・・・ こちらはJR両毛線の「足利駅」、、、、足利市の玄関となる足利駅は、
明治21年(1888)5月22日に両毛鉄道の駅として開業した。 単式ホーム2面2線の地上駅で、互いのホームは跨線橋で連絡している。 現駅舎は昭和8年(1933)に完成した、昭和モダンの風情が漂う洋風木造建築。(平成31年(2019)には、土木学会選奨土木遺産に選ばれた)

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・・・・・・・・・・ 足利駅からたったの一駅隣が「あしかがフラワーパーク駅」。 その名の如く、フラワーパークのすぐ脇にあるが、フラワーパークの正面ゲートまでは“徒歩3分”(競歩の選手が計ったのか?)、、、、駅は、総事業費約15億円にて、平成30年(2018)4月1日に開業した、、、、電車からゾロゾロと客が下車し、みなさん向かうはフラワーパーク。

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● 「あしかがフラワーパーク」に着いた、ゲート前には既にツアー客を乗せた観光バスが数台停まってる。、、、、敷地面積は約82,000m2と広い、園の目玉はフジの花だが、フジ以外にも数多くの花々や植物で彩られていて、四季を問わず楽しめるそうだ。 樹齢160年の大藤をはじめ、多くのフジがが見事に咲いてる。 ツツジ、シャクナゲなども彩り豊かに共演してる。、、、、園内は、平日にもかかわらず混んでる! インバウンド客も多そうだ!

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・・・・・・・・・・ ゲート脇の土産物売り場では、“藤まんじゅう”のように、『藤〇〇』と銘うった菓子がズラリと並んでる。 “藤”を冠すると売れるようだ。 外人さんも買ってみようか?

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● 昼過ぎ市内に戻り、足利氏の館跡「鑁阿寺(ばんなじ) 」、古の最高学府「足利学校」、東映の映画館があった「劇場通り」、破綻するまで銀行本店でその後は商工会議所として利用の「旧足利銀行本店」付近をブラブラ。

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● 帰りも、渡良瀬川を渡り足利市駅から浅草へ

2023年4月22日 (土)

池尻大橋から

東急田園都市線の池尻大橋駅からほぼ南に向かって歩き、東急目黒線の武蔵小山駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 「尻大橋駅(いけじりおおはしえき)」は、世田谷区と目黒区に跨る東急田園都市線の駅である。 頭上に走る首都高3号渋谷線が走る玉川通り(国道246号)の地下に駅はある。 ホームは相対式2面2線で地下2階、改札口は地下1階にある。 改札口は1ヶ所だけだが、出口はいずれも玉川通り沿いにあり、東西南北の4ヶ所ある。、、、、駅名は近くの目黒川に架かる“池尻大橋”に由来すると云うのはまっ赤な嘘。 “池尻大橋”という“橋”はない。 本当は、玉川線(田園都市線の前身)時代にあった池尻駅(世田谷区)と大橋駅(目黒区)の合成で、池尻大橋駅となった。、、、、今日は土曜日で通勤客が少ないからか、学生の多さに驚いた!

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● 池尻大橋駅から南側の住宅地に入ると、細い坂道の途中に「池尻庚申堂」(世田谷区池尻2)がある。 堂の中に庚申塔が2基、左側の庚申塔は元禄5年(1692)、右側の庚申塔は延宝8年(1680)の造立らしい。 堂の外には宝永元年(1704)の地蔵の像、常夜灯(大正元年銘)の上には猿の石像もある(狛犬ならぬ狛猿だ!)

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● 陸上自衛隊三宿駐屯地の北側、目黒区立東山公園がある、ここには、昭和33年(1958)から昭和54年(1979)までの間、建設省(現国土交通省)国土地理院がこの地にあった。 現在は「国土地理院跡地記念碑」がたってる。 分度器と丸い地球をデザインしたような記念碑だ! 記念碑の脇には、四個の石で囲まれた「一等水準点」もある。、、、、この地で、地形図などが作成されていたのかな?

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● 自衛隊三宿駐屯地沿いに南に向かうと“龍雲寺通り”に出る、その通り上の目黒区と世田谷区の区界に「庚申供養塔」があった。 彫った文字が読みにくいのでメガネをはずしてシッカリ読んだ、角柱型の正面には「奉納庚申供養 東 ▢戸道」、左側面「南 ゆふてん寺(祐天寺)道」、右側面「北 上めぐろ道」と彫られてる。 道標も兼ねていたようだ!、、、、道標に従い、細い道を南に向かうことにした(私は、幼少のころから素直な性格)

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● 道標に従って道なりに歩くと、目黒区五本木1丁目と世田谷区下馬5丁目の区界、道路中央に中州状の島がある。 そこには、「芦毛塚(あしげづか)之碑」が立っていた。 案内板によると、源頼朝が藤原泰衡を討伐するために鎌倉を出発して、奥州平泉へ向かってこの土地を通った時のこと、頼朝が乗っていた芦毛の馬が死んだので埋葬したと記されていた。(馬の墓だ!)

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● 「五本木一丁目商店街」、「五本木商店街」、五本木小学校前の東横線ガード守屋図書館、「中央中通り商店街」、「清水稲荷通り共栄会」と歩いて来たが、、、、“商店街”から店が消え、“消店街”となったのか!

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● 東急目黒線「武蔵小山駅」についた。 本日の散歩はココまで!

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2023年4月20日 (木)

藤まつり

昼から妻と、「藤まつり」の亀戸天神に行ってきた。 亀戸天神の境内には約50株以上の藤の木があり、一斉に咲いた景色は素晴らし、都会の中の藤の名所である。 今日は、天気は上々、花は満開、人出はまあまあ、絶好の花見だ!、、、、みなさん、写真撮影で忙しそう!

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・・・・・・・・・・ 花見のあとは、甘味処でクリームみつ豆でひと休み。

2023年4月19日 (水)

東海大と東大

小田急線の代々木上原駅から、東海大渋谷キャンパス、東大駒場キャンパスを通り、東急田園都市線の池尻大橋駅まで、1万歩の散歩です。




● 小田急線と、東京メトロ千代田線が乗り入れている「代々木上原駅」は、昭和2年(1927)4月1日に小田急の「代々幡上原駅」(昭和16年代々木上原駅に改称)として開業した。 昭和53年(1978)には千代田線の代々木公園~代々木上原間が開通し、小田急小田原線との相互直通運転開始。 ホームは高架島式2面4線構造で、2階にある。 改札口は1ヶ所のみで、1階にある。 地形が傾斜しているため、3階建てと間違えるかも?、、、、朝のホームは通勤客だけでなく学生が多い。 女子高生が目立つね!

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● 代々木上原駅からなんとなく南の方へ向かう。

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● “渋谷区上原”から“渋谷区富ヶ谷”に入ると、「東海大学渋谷キャンパス」がある。 大学本部はこのキャンパスにある。、、、、日本近代建築の先駆けといわれる建築家:故山田守(やまだ まもる、1894/4/19~1966/6/13)によって、昭和30年から昭和35年にかけ建てられた、50年以上の歴史を誇る代々木キャンパス。 中でも、電波塔の建つ2号館はシンボリックである。 ここから、初期のFM東海の放送が行われた。、、、、私には、昭和40年頃の受験性の雑誌『蛍雪時代』などに、校舎の写真が載っていたような記憶があるのだが?(60年前の話)

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● 東海大学から200m程南に歩くと「東京大学駒場キャンパス」がある。 ここまで来たら、チョイト、東大にもお立ち寄り。、、、、東大正門とは反対側の、野球場の脇にある警備員もいない北門から入る。 久しぶりに見る建築家:故内田祥三(1885/2/23~1972/12/14)の東大建築(詳細はコチラを見てね!、、、、構内は新入生勧誘の立て看板がズラリ! 五月病にならないように、入部して早く友達をつくり、学生生活を楽しんで欲しい。

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・・・・・・・・・・ 内田祥三の作品は建物の古い順に、旧制第一高等学校本館(現:1号館、昭和8年)、旧制第一高等学校図書館(現:博物館、昭和10年)、旧制第一高等学校特設高等科(現:101号館、昭和10年)、旧制第一高等学校同窓会館(現:ファカルティハウス、昭和12年)、旧制第一高等学校講堂(現:900番教室、昭和13年)

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● 東大前にある京王井の頭線の踏切を渡り、東急田園都市線の「池尻大橋駅」まで歩く。

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2023年4月14日 (金)

川柳発祥の地

今日は上野の病院で泌尿器科の定期検診日。 浅草橋の我が家から北北西に進路をとって、徒歩40分程で病院に着く。 検査結果はもちろん“問題なし”。 親切な医者で、帰りにはいつも3ヵ月分の薬の処方箋をくれる。 こちらも『どうも有難うございます』と頭を下げて退出する。 帰宅し調剤薬局へ行くと、薬代は約5000円。 病院の診察代は約500円、薬代はその10倍、何だか、フトコロに悪い薬だ!

病院の帰りも、我が家まで元浅草経由でチョイトぶらりと歩いてきた。 往復1万2千歩



● 私が通う「永寿総合病院」は台東区の中核病院(400床)で、私が急患として運ばれたことは数回あり。 『毎度、毎度お世話になります』と、お得意様になってる病院。

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● 病院の帰りに立ち寄ることが多い「下谷神社(東上野3)、、、、今日もチョイト祈願『一度でよいから、宝くじ一等当選しますように!』

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● 元浅草2にある日蓮宗
寺院の「長遠寺(ちょうおんじ)」に参る。 長遠寺は安立山と号し、文禄3年(1594)に創建された。 池上本門寺堀ノ内妙法寺とならぶ江戸の三大祖師の一つで、土富店(どぶだな)の祖師(自開眼開運日蓮大菩薩)。 「どぶだな」とは浅草新寺町、現在の元浅草二丁目辺りの俗称だった。、、、、「自開眼開運日蓮大菩薩」は、弘長元年(1261)伊豆に配流されていた日蓮聖人を尋ねてきた普門禅師(南禅寺開山の大明国師)に、日蓮聖人が自ら刻んで与えたものと伝えられている。 禅師が遷化した後、要法寺に伝わったという。 日樹上人がこの像を奉じて江戸に下り、養珠院(徳川家康の側室・お萬の方)などの外護を受けて祖師堂を建立し、天拝妙符を授与した。 この天拝妙符は6月6日の開運会においてのみ授与される。 以来、土富店のお祖師様として広く信仰を集め、寺観も整い、江戸屈指の巨刹して繁栄したが、文化年間、火災のために焼失した。その後、ようやく再建された伽藍も関東大震災、さらに先の大戦の空襲により三度灰燼に帰した。 しかし、自開眼日蓮大菩薩の尊像は大火の中でも一指も損ずることなく現在に伝わるという。 、、、、ありがたそうな話だ、一度でいいから祖師像を見てみたい。

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・・・・・・・・・・ 長遠寺山門前には、「二宮彦可墓碑跡」の案内板がある。、、、、“二宮彦可”(にのみやげんか)とはどんな人物だ? 私は知らなかった!、、、、説明文には、『二宮彦可墓碑跡  二宮彦可は江戸時代後期に活躍した医師。 宝暦四年(1754)三河国〈愛知県〉岡崎藩主の侍医で国学者でもある小篠敏の長男として、遠江国(静岡県)浜松近郊の又楽村に生まれる。名は献。字を彦可・齢順といい、号を印又米・擁鼻と称した。幼少時に乳母から梅毒が感染して、病弱のため廃嫡となるが、明和四年(1767)同藩の口中科医である二宮元員の養子となり家督を継いだ。 明和六年(1769)藩主の転封により石見国(島根県)浜田に移る。十九歳の頃から各地で医学を学び、口中科を山県良班(広島)、内科を忠美三自(広島)、眼科を三井玄猫(大坂)、産科を賀川玄五月(京都)、内科を山脇東門(京都)に学んだ。また赤松漁洲(赤穂)湯浅常山(岡山)、亀井南漠(福岡)を歴訪している。天明八年(1788)には長崎に留学して吉雄耕牛にオランダ外科を学び、さらに吉原杏陰境のもとで、収骨術の秘訣を伝えられた。 寛政三年(1791)帰国して浜田藩主の侍医を務め、同五年(1793)藩主に随行して江戸に赴き、木挽町五丁目(中央区銀座)に住居した。文化五年(1808)に『正骨範』二巻を出版したが、これは吉原書法陰支原に学んだ整骨術に改良を加え、中国・西洋の諸書を参考としてまとめたもので、骨術の古典として評価されている。 文政十年(1827)十月十一日没。七十四歳。浅草長遠寺に葬る。法号は従院了服目治居士。墓碑は大正12年の関東大震災などで焼失し、共同墓地に埋葬される。ほかに一族の墓碑の一部が残る。  平成18年3月  台東区教育委員会』、と書かれてる。、、、、口中科医とは、秘伝の治療法で公家や大名を治療する歯科医。 室町時代から存在したそうだ。 その歯科医が、内科、眼科、産科、外科の技術を学び活躍したのが“二宮彦可”、江戸時代のスーパードクターか?

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● 長遠寺の東(元浅草2)に、真言宗智山派寺院の「吉祥院」がある。 吉祥院は、摩尼山隆全寺と号す。 創建年代は不詳だが、慶長16年(1611)に中野寺町に寺地を拝領、寛永21年(1644)当地へ移転したと伝えられている。 小さな寺であるが、手入れの行き届いた緑多い庭が、非常に落ち着いた雰囲気を醸し出し、街中とは思えない。、、、、都会の庭の竹林にタケノコが伸びていた、素晴らし~~い!

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● 蔵前4丁目、三筋二丁目交差点の南東角に、「川柳発祥の地」の茶色の石碑がある。、、、、川柳は五七五の十七文字の定型で成り立つ短詩で、口語が主体。季語や「や、かな、けり」などの、所謂「切れ字」の制制約がない、詠む対象は社会諷刺や人間模様などが多い、などの点で俳句と趣を異にする。 本来七七の題(前句)に五七五の句を付ける遊び=「前句付」から七七を省略し、五七五として独立したとされ、江戸時代、柄井川柳が選んだ句から呉陵軒可有という人物が『誹風柳多留』にまとめて刊行したことにより盛んになった。 このことから「川柳」という名前で呼ばれるようになった。 この時代は前句付が非常に盛んで、川柳はその選者として活躍し、その選句の数は33年間に260万句という驚異的な数にのぼるという。 その柄井川柳の墓は、碑の近く、川柳横丁と書かれた裏道の龍宝寺にある。

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・・・・・・・・・・ 熱心に 歩いているが 腹は出る

2023年4月11日 (火)

東京ジャーミイ

2月6日に発生したトルコ南部の大地震で確認された死者の数は、隣国シリアとあわせて5万人を超えている。 東日本大震災の倍以上の死者だ。 日本からも救援隊が現地に向かい、救援物資も送られ、募金も集められた。 我が家でも、コンビニで買い物し募金箱へ、国連機関の募金はネットで、と機会ある毎に少々の募金をしてきた。、、、、先月、妻が『トルコ大使館へ行って募金しよう』と言った。 この時、私の散歩先が、ちょうど文化センターのある渋谷方面に向かっているから、『大使館でなくとも、トルコ文化センターでも受け付けてくれるから、しばし待て!』と言いきかせてきた。、、、、今日、その約束を果たすべく夫婦で、京王新線幡ヶ谷駅からトルコ文化センターである「東京ジャーミイ」へ行って、募金をしてきた。 帰りは最寄り駅である小田急線の代々木上原駅まで、8千歩のミニ散歩。




● 「幡ヶ谷駅」は甲州街道の地下にある京王新線の駅。 大正2年(1913)11月11日の開業。 新宿駅と初台駅が地下化された後も地上にあったが、昭和53年(1978)に京王新線が開通すると同時に地下化された。 ホームは相対式2面2線構造で、地下2階にある。 改札口は地下1階の1ヶ所のみである。 出口は甲州街道の両側に北口と南口がある。 特に北口では、地上へ上る途中の踊り場にパチンコ屋の入り口があり、駅直結のパチンコ屋で遊んで帰るのもありだ!

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● 芸能人も多い高級住宅地の「渋谷区西原」の町をブラブラ。 この辺の住宅は、塀ばかりで、家の中は見えない! 吉永小百合が通った「渋谷区立西原小学校」もある。

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● 西原の町を抜けて大山町に入ると、「東京ジャーミイ」がある。 “ジャーミイ”とは、イスラム教の礼拝場で、トルコ語で「モスク」こと。 この現在の東京ジャーミイは、オスマン様式の壮麗な様式で、平成12年(2000)6月30日に開館した。、、、、がシンボリックで、モスクの存在をアピールしている。 重厚な玄関は、チョイト入るのをためらうかも。

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・・・・・・・・・・ 1階はトルコ文化センターになっており、トルコ文化を紹介する書籍・工芸品・絵葉書などが置かれている。 暖炉や噴水の置かれたコーナーもある。 品揃え豊富なハラールマーケットもある。、、、、トルコ地震の募金箱に気持ちの紙幣を入れてきた。

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・・・・・・・・・・ 礼拝堂は2階。 なんといっても、最大2000人を収容する礼拝堂は、規模もさることながら、内外装はまさに芸術品。 中に入り、柔らかな床の絨毯に腰を下ろし、天井を見上げると息をのむ美しさに暫し時を忘れる。

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・・・・・・・・・・ 女性の礼拝所は3階、男子は立入禁止。 女性は全員スカーフ着用で、髪を覆うのが礼儀。 入口にはスカーフが置いてあり自由に借りられる。 私の妻も、一応、女性なので3階に上がり下を見下ろしてきた。

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・・・・・・・・・・ 東京ジャーミイは、建物の上階に礼拝堂を設け、大ドームを乗せた広大な空間を構成している。 建物の設計はトルコで建築会社代表を務めるハッレム・ヒリミ・シェナルプ。 建物の躯体工事は鹿島建設が実施した。 内装や外装の大部分は、トルコから送られた資材が用いられ、100人近いトルコ人の建築家や職人によって仕上げられた。、、、、東京ジャーミイは日本最大のモスクであり、最高の芸術品である。 敷地面積は734平方メートル、建物床面積は1,693平方メートル。、、、、騒々しい東京下町に住む私には、ここで一人静かに祈りを捧げてみたいね!

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● 東京ジャーミイから徒歩15分、小田急線代々木上原駅から帰宅・・・・・

2023年4月 5日 (水)

豪商の別邸

昨夜は弥彦温泉に泊まり、今日は越後線で新潟に出た。 行く先の宛てのないまま、まずは日本海に出た。 その後は、市内をブラブラしながら駅まで歩き、1万6千歩の新潟散歩。




● 越後線に揺られて約1時間、11時に「新潟駅」に下車する。  新潟駅は16年間にわたり高架化工事が進められ昨年完了した。 しかし、高架下の店舗の整備、駅前の整備などは現在進行形。 まだまだ、利用者には“工事中”と理解されていると思われる。 よそ者の私には、タクシー乗り場はどこだ? 観光案内所はどこだ? とウロウロするだけ。、、、、とりあえず、日本海を見に行こうと、タクシーで海に向かう。 

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● 新潟駅から最も近いと思われる「寄居浜」で日本海を見る。 ただ、静かな海が広がっているだけ、日本海の荒海はお休みらしい。、、、、記念に海岸の石を拾ってきた(ただの石っころだ!)、、、、『ここから、駅まで歩こう!』

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● 海岸の公園、松林の中に「竹内式部(たけのうちしきぶ,1712~1767)の座像」があった。 竹内式部は、新潟出身で、江戸中期の思想家らしい。 私は、ここで初めて名を知ったので、いつ何をした人物か全く知らなかった。(知識がなく、ゴメン!)

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・・・・・・・・・・ チョイト歩くと、西大畑公園の一画に「旧新潟刑務所跡地」のモニュメントがある。 モニュメントがあるこの小路を「地獄極楽小路」と呼ぶらしい。、、、、海沿いの住宅地に刑務所跡があった、冬は寒そうだね!

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・・・・・・・・・・ ここまで来て、観光案内所でもらった地図を見ると、近くには見るべき処も多くありそうだ。 何ヶ所か観て行こう!




● みなとまち新潟の豪商:斎藤家が大正時代に建てた迎賓館であった「旧斎藤家別邸」を見学。 1300坪の広大な敷地に築いた日本庭園と木造和風建築をみる。 京都の寺に来たような佇まい。、、、ガイドの方いわく『秋の紅葉は最高に素晴らしい処』

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● 旧斎藤家別邸の向かいには「北方文化博物館 新潟分館」がある。 こちらもお立ち寄り。、、、、油田採掘で知られる清水常作が明治28年(1895)に、別宅として建てたもの。 その後、伊藤家が取得し、歌人・美術史家の會津八一が晩年暮らした邸宅である。 国登録有形文化財。

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● 北方文化博物館新潟分館の南、1軒おいた隣に「旧金井写真館本店」の建物がある。 明治21年に創業した写真館で、北側に壁がガラス張りのスタジオを備えているそうだ。 現在は非公開で、内部は拝見できず。 創業者の金井弥一が、明治30年(1897)に写真館本店として建設した木造2階建ての洋風建築。、、、、改修工事中なのか足場が架かってる、ぜひ内部を見てみたい!

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● 旧斎藤家別邸の近くを歩いてると、2本の尖塔がある「カトリック新潟教会」の建物が見えた。 教会好きの私は躊躇なく、内部を拝見する。、、、、カトリック新潟教会は、ローマカトリック教会の新潟司教区(秋田県・山形県・新潟県)の司教座聖堂(カテドラル)となっている。 聖堂は、チューリッヒ出身の建築家マックス・ヒンデル(1887~1963)の設計で、ロマネスク様式を取り入れた和洋折衷の木造建築として、昭和2年(1927)に献堂された。、、、、シンプルで、可愛らしい教会だ!

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古町の商店街人情横丁などをブラつき信濃川に出る、、、、何となく東京の“浅草”に似た雰囲気の街だ! 

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● 信濃川に架かる「萬代橋」、、、、信濃川にかかる六連アーチ橋。 御影石の化粧張りがされた橋の姿は新潟市のシンボルである。、、、、明治19年(1886)竣工の木造の初代萬代橋は、明治41年(1908)の新潟大火により半分以上が焼失した。 翌年に2代目が架橋された。 現在の3代目鉄筋コンクリート橋は昭和4年(1929)に完成し、昭和39年(1964)の新潟地震にも耐えた。 現橋の橋長306.9m、橋幅22m。 平成16年(2004)には、国の重要文化財に指定された。、、、、“新潟”と言ったら名所は“萬代橋”、土産は“笹だんご”、夜遊びは“古町花街”

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● 夕刻、新潟駅から新幹線でサヨウナラ!

2023年4月 4日 (火)

またまた桜

一週間程前に彌彦神社の桜が開花と聞いて、近くの岩室温泉にも行ってみたいと、夫婦で話をした。 直後に岩室温泉の宿泊を調べると『空室無し』だが、弥彦温泉は『宿泊可』が有り、急遽予約して行くことにした。

JR弥彦線に乗ることもでき、運良く満開の彌彦神社へ参拝することもでき、さらに弥彦山に登り日本海意を望むこともでき、お宿は弥彦温泉の割烹旅館で疲れを癒し、大満足。 




● 上越新幹線燕三条駅で、2両連結の弥彦線に乗り換え、盲腸線の終点「弥彦駅」で下車する。 弥彦駅は越後国一宮である彌彦神社の最寄駅で、大正5年(1916)10月16日に越後鉄道(弥彦駅~吉田駅)間開通と同時に開設された。 駅は、単式ホーム1面1線の地上駅である。彌彦神社の本殿を模した木造寺社造り(入母屋造)の駅舎は大正5年の開業時からのもので、門柱や梁などが朱色に塗色され、鬼瓦には兎が彫り込まれるなど凝った造りの駅である。 春の花見と秋の紅葉狩りシーズンには乗客も増えるが、通年では1日平均乗車人員は152人(令和3年度)と少ない。、、、、駅前は満開の桜で出迎えてくれた、綺麗で、お見事!

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● 弥彦駅前から彌彦神社へ向かう参道沿いには満開の桜、、、、参道沿いの店にも客が集い、春が来たであろう

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・・・・・・・・・・ 参道からチョイト脇道に入ると、「弥彦公園トンネル(弥彦隧道)」がある。 このトンネルは、紅葉で名高い弥彦公園内にある。 レンガ造り、馬蹄形アーチの周縁、壁柱、笠石を花崗岩で飾った延長55m、幅員3.1mの人道トンネルで、大正7年頃の築造。 国の登録有形文化財、、、、彌彦神社は、明治45年に社殿を焼失し、大正5年(1916)に現在地に再建され、弥彦公園は大正7年に越後鉄道常務・久須美東馬が私財を投じて築いたそうだ。 このトンネル、もしかしたら軽便鉄道を通すために造られたものかも?

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● 弥彦山山麓の
鎮守の森に鎮座する「彌彦神社」は、樹林に覆われ神聖な空気が漂っていた。、、、、越後一宮として古くから信仰を集めてきた彌彦神社。 祭神は天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)。 創建は古く、詳細は不明らしい、2400年以上の歴史を有すると言われてる神社で、日本最古の万葉集にも詠われている。、、、、神社の日本海側(西側)の弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し、弥彦山を神体山として祀る神社である。、、、、本殿・幣殿・拝殿・瑞垣・裏門・神饌所、その他摂社なども含め、大正5年(1916)建造で、平成10年に国の登録有形文化財に指定された。、、、、境内参道では桜の花は見ることが無かった、杉などの常緑樹で覆われている。

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・・・・・・・・・・ 神社の駐車場周辺には50種の桜が、車を隠すように見事に咲いていた、、、、今年は各所の“桜”を堪能した、これ以上は消化不良を起こすかも!

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● 彌彦神社の御神体山「弥彦山」にロープウェイで登る。 標高634mは東京スカイツリーと同じ高さ、『大したことのない低い山だ!』と、言ってはみたが、高所恐怖所の私にはロープウェイが怖い。 クワバラクワバラ! ツルカメツルカメ!、、、、日本海の先に佐渡ヶ島を望む

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● 温泉で疲れをとって明日に備える! 『写真で不快な思いしたら、ゴメン!』

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2023年4月 1日 (土)

遅かった!

昨日(3/31)SNSを見ていたら、視界360度に花桃の花が咲き誇る『古河 桃まつり』の動画があった。 綺麗な景色・綺麗な桃むすめ、チョイト調べてみたら「古河(こが)桃まつり」は4月2日(明後日)までの開催だ。 夕食時、妻に『明日(4/1)古河に花桃を見に行こうか?』 妻の返事は、もちろん『Yes』 ・・・・・ と言うことで今日(4/1)は、JR宇都宮線古河駅で下車し、古河公方公園の桃まつりを見て、そこから市内をブラブラ見て来た。 1万6千歩




● 東京駅から約1時間、宇都宮線の「古河駅」(“こがえき”と読む)で下車。 古河駅は茨城県の最西端に位置する駅で、南隣の栗橋駅は埼玉県、北隣の間々田駅は栃木県である。、、、、明治18年(1885)7月16日、日本鉄道の大宮駅~宇都宮駅間の開業と同時に開設された。 その後国鉄となり、昭和59年(1984)には島式ホーム2面4線を有する高架駅となる。、、、、コロナで乗降客も減り、令和2年(2020)の一日平均乗車人員は9,709人である。 コロナ前と比べ約3,000人減った!

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・・・・・・・・・・ 駅の観光案内所で、桃まつりの会場である「古河公方公園」へのアクセスを聞くと、まつり期間中は駅前から臨時バスが出てることを教えてくれた。 その時ついでに、『来るのが遅かったですね、“矢口”は散りましたよ!』と言われた。 “矢口”とは、花桃の一種で園内の8割をしめる、桃まつりの主役的な花だ! 私も妻も、そんなことは知る由もない。 チョイト不安だが会場に向かうバスに乗る。 乗客は私達と二人連れの女性の計四名、ますます不安だ!!

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● 「古河公方公園」に来た!、、、、「古河総合公園」とも言うそうだ。 公園は景観学者の中村良夫(東工大名誉教授)の設計。 面積は約25haと広大である。 公園内には、古河公方足利氏の御所跡(古河公方館跡)、徳源院跡、御所沼、民家園(旧飛田家住宅・旧中山家住宅)、芝生の広場、遊具広場、大賀ハスの蓮池、約1600本の花桃が植えられた桃林等がある。 この桃林は、江戸時代に藩主土井利勝が桃の植樹を推奨したことに始まる「古河桃園」を再現したもので、『古河 桃まつり』の会場である。

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・・・・・・・・・・ 大勢の人が集まり、何やらやってるぞ! 地元保育園児の踊りだ! 可愛い児童が歓迎してくれたのか?

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・・・・・・・・・・ 花桃はどこだ! 昨日SNSの動画で見た360度、花桃の景色を見たい!、、、、なんと、観光案内所の人が言ってたように、花桃は散り葉桃になっていた、残念!

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・・・・・・・・・・ 散ったのは約8割、まだ咲いているのは約2割。 1600本の2割は320本。 残りの320本に期待して、さらに“桃むすめ”に期待して。、、、、花も娘も美しい、見れば見るほど、1600本一斉に咲いた処が見たかった! 

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・・・・・・・・・・ 園内の桜は花吹雪

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・・・・・・・・・・ 園内の民家園には、常陸太田市から移築した国指定重要文化財の旧飛田家住宅がある。 曲がり家形式の農家で、1700年代の建築と推定される。、、、、隣には延宝2年(1674)の建築と推定される坂東市の旧中山家住宅もある。

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● 古河公方公園から、市内を歩き「古河歴史博物館」を見てきた。 古河市の歴史を物語る資料の質・量ともに一級品の常設展示を見る。 展示品を見ながら館内を見渡すと、『地方の博物館なのに、入館する若い女性の多いこと!』 古河市民は歴女が多いようだ。、、、、常設展示に続き、『かえってきた 堀川國廣』が開かれていた。 刀工堀川國廣の作品を集めた特別展である。 ナント!ルーペを片手に持った刀剣女子がわんさかいるぞ! 刃物が好きな女性の多さに、ビックリしたな、も~う!

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● 市内では、長谷寺、古河藩家老・鷹見泉石記念館、旧古河藩土井家菩提寺の正定寺永井路子旧宅篆刻美術館、うなぎ屋:武蔵屋(重要文化財)、日光街道古河宿道標を見て歩く。、、、、古き良き古河の街歩きに満足して帰る!

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