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2023年5月 4日 (木)

部民の居住地

GWの真っ只中、若いカップルはデート、子持ち夫婦は家族旅行、熟年夫婦は温泉旅行、さてさて我が初老夫婦はどうする! 『何処に行っても混んでるから東京にいよう!』 『GW中は我が家でジットしてよう!』 『夫婦で東京の留守番だ!』、、、、と、話しながら二人静に朝食をとる。 TVのニュースでは今日の天気は気温25℃の行楽日和と話してる。 外出したくなってきた、人の少ない所へ行くか! 私が『今日は、千葉へ墓参りに行こう』と提案すると、妻は『行く、行く』の返事、即決(妻は、どこでもいいから外出したかったのだ!)

千葉には私の祖父母の墓があり、久しぶりの墓参である。 JR総武線西千葉駅で下車し、作草部の寺まで歩き、帰りは千葉駅から帰る。




● 浅草橋(我が家)から中央・総武緩行線(各駅停車)の電車に乗って、乗り換えなしの18駅目、所要45分で「西千葉駅」に到着。、、、、西千葉駅は昭和17年(1942)10月1日に国鉄の駅として開業。 開業当初は地上駅であったが、現在は1面2線の島式ホームを有する高架駅である。 駅付近では高架橋の高さが低く、駅出口は半地下となっている。、、、、駅の東側には千葉大学西千葉キャンパス、千葉経済大学などがあり、平日は学生の多い駅。 今日は連休でもあり、駅前はガラガラ。

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● 西千葉駅前のロータリーの脇に「西千葉稲荷大明神」が鎮座している。 大きな社ではなく極々小さなお稲荷さん。 この場所は駅前の一等地だ!、、、、ここらはその昔(江戸時代)佐倉藩の刑場跡だったそうだ。 大明神の由緒書きによると、『江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した』のがはじまり。

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● 西千葉駅前から「ゆりの木通り」を歩くと、千葉都市モノレールの「作草部駅(さくさべえき)」がある。 作草部駅の開業は平成3年(1991)6月12日。、、、、“作草部”は古くからある地名で、普通に読んだら“さく・くさ・べ”で、“く”の一音が無くなってる!

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● 作草部駅から東へ約500m、「作草部神社」がある、、、、神社の由緒書によると、作草部の地は、平安期に下総国千葉郡七郷の一つとして、福草部(三枝部)という部民の居住地があったことに由来するらしい。 鎌倉末期まで皇室領であった。 かなり、歴史ある土地のようだ。、、、、社殿は文久元年(1861)の建築で、御祭神の12神(大雷神・大山祇神・高龗神・伊邪那岐命・伊邪那美命・事解男命・高皇産霊命・猿田毘古命・應神天皇・菅原道眞・素戔嗚命・市寸島比売命)が祀られている。 狭い社殿に12神とは、すし詰め状態、チョイト可哀そうだ!

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● 作草部神社の近くには四基の馬頭観音がある。 写真右から、弘化元年(1844)、昭和4年(1929)、安政3年(1856)、天保13年(1842)の馬頭観世音、、、、200年近く、この地の住民に見守られてきた馬頭観音に合掌

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● 私の祖父母が眠る寺に来た。 静かだ、観光客はいない(あたりまえだ!)、線香を手向け、合掌!

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● 墓参りを済ませ、千葉駅に出て帰宅。 1万2千歩

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