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2023年5月 6日 (土)

八広から平井

GW中は、観光地に行かず家でじっとしていようと思ったが、天気がいいと歩きたくなるね! 今日も天気が良さそうなので、人混みを避け、京成押上線の八広駅から、JR中央・総武緩行線の平井駅まで、人影少ない下町を歩いてきた。 1万1千歩




● 「八広駅」の乗降人員は京成線全69駅中34位。 押上線の駅では最も少ない一日当たり約5000人。 23区内の駅だが、残念ながら影の薄い駅。 おそらく都内在住の人でも、駅の所在を知らない人もいる、下車したことがない人も多そうだ。 高架駅のホーム先端からは荒川がスグ目の前に流れてる。 高架下の出口の前は下町の裏道だ! 駅の周辺には人を集める施設もなく、万年、静かな駅。

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● 八広駅から南東へ200m程、木根川橋の西詰に「日枝神社」が鎮座する。 400年程前の慶長19年(1614)の創建といわれ、歴史は古いが詳しい由緒は判らない。、、、、境内には人気無し、静かなGW!

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・・・・・・・・・・ 日枝神社の境内に、もう一社「木下稲荷神社(きのしたいなりじんじゃ)」が鎮座する。 こちらは、慶長19年(1614)の鎮座で元木之下村宝蔵寺境内にあって、日枝神社の摂社として創立された。 明治初年の改正により木下村に移転され、さらに大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)の用地に入ったために現在の場所に移転した。

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八広から東墨田の町をブラブラ

・・・・・・・・・・ 八広の裏通り、、、、東京スカイツリーのお膝元

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・・・・・・・・・・ 吾妻西公園の戦災殉難者之精霊供養塔、、、、太平洋戦争当時ここの公園は空地だったため、東京大空襲の犠牲者250名程が仮埋葬された。 昭和23年頃から改葬のために遺体は火葬されて東京都慰霊堂に合祀されたが、これらの犠牲者の冥福を祈り慰霊するために、平和地蔵尊と墓誌(慰霊碑)が建立された。

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・・・・・・・・・・ 荒川土手の下を歩く、、、、もちろん海抜0m以下 歩く人がいない!

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・・・・・・・・・・ 東墨田の革工場もGWで仕事は休み 人影がない!

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・・・・・・・・・・ 東墨田の連結送水管の専門企業にズラリと並んだ、“まっ赤なポルシェ”とはちょいと違うがまっ赤なポンプ車。 ポンプ車もGWでひと休み!

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● 葛飾区を北から南に流れ東墨田の東側で荒川と平行に流れ下る中川。 その中川が荒川でちょん切られ、下流側(墨田区側)が「旧中川岸辺公園」として江東区まで続く。、、、、煙突は「墨田清掃工場

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● 旧中川の南は江戸川区、江戸川区平井に「平井天祖神社」が鎮座。 平井天祖神社の創建年代は不詳だが、貞和4年(1349)に再興した旨の棟札が、江戸時代には残されていたそうだ。 江戸時代には中平井村の鎮守で、明治7年(1874)に村社に列格した。 祭神は天照皇大御神、合殿に布都主命、武甕槌命を祀る。、、、、ここも、人の姿が見えず、今日はGWだ!

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● 蔵前橋通りを越えるとJRの「平井駅」 今日の散歩はココまで!

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