ワクチン接種
長かったコロナ禍の日々は終わり、私も世間もウキウキ浮かれて『もうコロナは終わった!』 でも、念のためか『65歳以上の第6回ワクチン接種』のお知らせが先月、区役所から送られてきた。 私は5月初めにワクチン接種の予約をしたが、最短で取れた予約が“本日”だった。 今日は、新型コロナワクチン接種の日。 接種場所は浅草寺の境内にある浅草寺病院ということで、午後から夫婦で病院へ
● 接収会場の「浅草寺病院」は、私の住む浅草橋とは同じ台東区にあるが、我が家からは徒歩40分程の距離にある。、、、、その名の如く浅草寺直営(?)の病院。 金龍山浅草寺の御本尊:観世音菩薩の抜苦与楽のお誓いをいただき、浅草寺が始めた医療社会福祉事業である。 病院の歴史は、明治43年(1910)に浅草寺境内念仏堂において浅草寺診療所が設立されたのに始まる。 大正13年(1924)には病床36床で浅草寺病院が落成した。 さらに、昭和12年(1937)には病院の建物も新築された。 平成13年(2001)には現在の浅草寺病院の建物が落成した。 現在は内科、小児科など、7科を有する総合病院。、、、、お寺と病院、助かって良し、成仏して良し、どちらに転んでも安心できる組み合わせ!、、、、正面玄関部分のタイル張り外壁、左右の丸窓など、デザインは旧病院のデザインを踏襲したらしい。 旧病院を知る私には懐かしいね!
・・・・・・・・・・ 浅草寺病院と浅草寺本堂は互いに背中合わせでたっている。 浅草寺本堂側から見る病院。
● ワクチン打たれ、15分休まされたが夫婦そろって異常なし、早々に病院を出る。 発熱するか、腕が痛むか、泡吹いて倒れるか、チョイト心配になる。 心配事は、神さま、仏さまに任せましょう!、、、、浅草寺境内の神仏に手を合わせて帰りましょう!
・・・・・・・・・・ まずは、本堂裏の西側に祀られてる「銭塚地蔵」、、、、享保年間(1726~1735)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で寛永通宝がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。 銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもの。 ワクチンの副作用とは関係ないか!
・・・・・・・・・・ 銭塚地蔵尊の脇に祀られてる「カンカン地蔵」にも手を合わせる。 この地蔵さま、姿は原型をほとんど残していない。 古来より参拝の方が、付随の小石で御身を軽く「たたき」祈願する。 石で軽く打ち祈ると「カンカン」という音が鳴るので俗にこのように称されてる。 私の願いは一つ『コロナで死ぬことがないように、南無阿弥陀仏!』
・・・・・・・・・・ 次は浅草神社の裏にある、新門辰五郎が勧請した伏見稲荷。安政元年(1854)辰五郎の女房が重病で床に伏した時、山城の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気は全快、翌年お礼の意味を込めて勧請し、小社を創建して「被官稲荷社」と名付けたという。 被官は“出世”の意味だとか。 今や70歳を越えた我が身『出世は諦めた、健康をくれ!』
・・・・・・・・・・ 先週、“三社祭り”で賑わった「浅草神社」、、、、明治初年の文書によると、祭神は土師真中知命、桧前浜成命、桧前竹成命、東照宮である。 浜成と竹成は隅田川で漁猟中、浅草寺本尊の観音像を網で拾い上げた人物、真中知はその像の奉安者といわれている。 三神を祀る神社なので「三社様」と呼ばれた。 しかし鎮座年代は不詳。 東照宮は権現様すなわち“どうする家康”のことで、慶安2年(1649)に合祀された。 以来、三社大権現といい、明治元年(1868)三社明神、同6年浅草神社と改称した。、、、、御利益はなんでもありで『コロナに罹りませんように、ついでに宝くじ一等当選よろしく!』
・・・・・・・・・・ そして最後は「浅草寺」、、、、『今日も賽銭を持ってきました、たまには宝くじ当選の御利益ください!』
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