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2023年6月

2023年6月29日 (木)

福島の旅2

飯坂温泉の夜は静かに熟睡し、今朝は露店風呂でサッパリし、のんびり朝食し、言うことなし! 旅は二日目となった。 今日の目標は、摺上川(すりかみがわ)の上流に位置する摺上川ダムを見に行くこと。 伊達郡桑折町にある旧伊達郡役所の建物を見に行くことである。



● 宿から車で20分、摺上川を遡り、ダムサイトまでやってきた。 私達夫婦以外は、訪れる観光客はいない。 インフォメーションセンターの職員と、公園の芝刈りをする人だけだ! 堤頂に立つと鳥の声が聞えるだけ!、、、、「摺上川ダム」は、以前私が勤めていたゼネコンの仲間が造ったダム(私は工事に参加していない) 飯坂温泉に行くと決めた時、“摺上川”の名を見つけ、なんとなく昔の仲間に遭えるような気持でやって来た! もちろん、知る人が居るはずはないが、20年・30年前のゼネコン勤めを思い出しチョッピリ感傷的な気分。、、、、ダムの諸元は、河川名:阿武隈川水系摺上川、ダム形式:中央コア型ロックフィルダム、ゲート:オリフィスローラゲート×2門/ジェットフローゲート×1門、堤高・堤頂長:105m・718.6m、総貯水容量:1億5300万m3、管理者:国土交通省、本体着工/完成年:1994/2006年、施工会社:飛島建設+大林組、総事業費:1953億円、、、、貯水量は東北で4番目の規模。 福島市をはじめとする3市3町の飲み水など生活に必要な水道用水を供給しているそうだ。

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● ダムのあとは、再び福島駅に出て、
朝ドラ「エール」のモデルになった「古関裕而記念館」へ行く、、、、「長崎の鐘」「オリンピックマーチ」「とんがり帽子」や「栄冠は君に輝く」など、昭和を彩る名曲を生んだ作曲家:古関裕而の功績をたどる記念館です。 古関裕而のゆかりの品々や愛用のハモンドオルガン等を展示し、昭和63年(1988)にオープンした。 建物は“とんがり帽子”をイメージした外観が特徴らしい。、、、、楽器を使うことなく曲想を練り、頭に湧き上がるメロディーを五線譜に書きとっていたり、忙しい時は3つ並べた机で別々の曲を並行して作曲したそうだ。 こうして「君の名は」「高原列車は行く」などの多くの名曲が誕生したとのこと。

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● 古関裕而記念館の近くから桑折町方面に行くバスに乗り、「旧伊達郡役所」の建物を見に行く。、、、、旧伊達郡役所は、令和3年と令和4年の福島県沖地震により大きな被害を受け、令和4年4月から災害復旧保存修理工事が行われた。 昨年末に修理も完了しリニューアルオープンした国指定重要文化財である。、、、、総二階建で、塔屋を頂く大規模な疑洋風様式による近代役所建築。 明治16年(1883)に建てられた建物。 建築当初その威容を示していた塔屋は振動が大きい理由で明治20年解体撤去されていたが、昭和54年の工事によって塔屋が復元された。 基礎は切石を積み、北海道および東北地方の重要建造物と同様に、ベランダを張り出したペンキ塗下見板壁になっています。 正面は総二階建、中央塔屋を設け、軒は化粧垂木様飾りに円形刳り蛇腹、窓はすべてガラス入りの上げ下げ窓と洋風を模した建物。 その中で宿直室などいくつか和風を取り入れた「擬洋風建物」となっている。、、、、桑折町を南北に貫く旧街道の正面にデンと構える建物は町のシンボルであること、間違いなし!

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・・・・・・・・・・ 【チョイト雑談】 “桑折町”を“こおりまち”と読めた人はエライ! 私は読めなかったが、福島出身の私の妻は知ってた。、、、、“桑折”の語源は“郡(こおり)”で、奈良時代の郡衙(ぐんが=郡司が政務を執った役所)があった村落を意味し、全国に多く見られる地名。 “郡”が“桑折”になったのは、この地方は養蚕が盛んで、桑畑が多くあったことから改められたと言われてるそうだ。、、、、現在は「献上桃の郷」として知名度をアップしてる。



・・・・・・・・・・伝来寺・大安寺など歴史ある寺にも立ち寄り、駅に向かう

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● JR東北本線の「桑折駅」から、福島駅へ、そして東京へ。、、、、桑折駅は、明治20年(1887)12月15日に開業。 伊達郡内の駅では最も早く開業した。 単式ホーム2面2線の地上駅である。 かつては単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅であったが、中線は横取線となったため、フェンスで閉鎖されている。互いのホームは跨線橋で連絡している。 1番線ホームに煉瓦造りのランプ小屋(?)のような建物がある。

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2023年6月28日 (水)

福島の旅1

28日から一泊2日で、妻と福島へ行ってきた。 一日目は、阿武隈急行線と福島交通飯坂線の完全乗車を目指し、飯坂温泉に泊まり、二日目は飯坂温泉から摺上川を上って摺上川ダムを見て、福島へ戻り古関裕而記念館、桑折町の旧伊達郡役所を見てきた。 梅雨時の蒸し暑い中、チョイト通り雨にも遭いながらの旅である。、、、、まずは、旅の一日目



● 10時、福島駅到着、、、、冷え冷えの新幹線から、蒸し蒸しのホームに立つ、旅の始まり

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阿武隈急行線は第三セクター阿武隈急行が所有・運営する、福島(福島県)から槻木(つきのき、宮城県)までの24駅、54.9kmの交流:単線である。 国鉄時代は仙台方面から槻木までは東北本線、槻木から丸森までは丸森線として運行していた。 昭和63年(1988)丸森から福島まで延伸工事が完了し、第三セクターとなっていた阿武隈急行線が全面開通した。、、、、福島交通飯坂線は、福島駅から飯坂温泉駅までの12駅、9.2kmの直流:単線である。 温泉地への足として、大正13年(1924)開業。、、、、阿武隈急行線と福島交通飯坂線は、資本・会社系列など無関係の別会社、福島駅の券売機は別々、改札は共同利用、JR在来線隣りの島式ホームをそれぞれの線で片面ずつ使用。、、、、今回、私の旅の目的の一つは、廃止、バス転換がささやかれる前に、この両線の完全乗車にある。

・・・・・・・・・・ 両線共用の福島駅

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・・・・・・・・・・ まずは、阿武隈川に沿って走る阿武隈急行で槻木駅(つきのき)を目指す。 途中、大泉駅で下車。 また、中間の簗川駅では電車の乗り換えがあり。 福島から約1時間で、東北本線槻木駅に到着、阿武隈急行線の完全乗車達成!、、、、槻木駅から福島駅までJRで戻る。

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・・・・・・・・・・ 次は飯坂線、こちらは、車内に“飯坂温泉”の暖簾がさがる電車に乗って、約30分で福島駅から飯坂温泉駅に到着。 楽々、楽勝の完全乗車。、、、、今日は飯坂温泉で疲れを癒す!

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● 阿武隈急行に乗って大泉駅で下車したのは、チョイト寄りたいところがあった。 駅の近くにある国登録の重要文化財「旧亀岡家住宅」が見たかったのだ!、、、、この建物は、明治37年(1904)頃には完成していたそうで、もとは桑折町伊達崎にあったが、平成7年(1995)3月に現在地(保原総合公園)に移築復原された。 施主の亀岡正元は蚕種製造で財をなした豪農で、後に県会議員や郡会議員を務めるなど政治家としても活躍している。 この建物も正元の住居として建築されたが、社交や集会の場も兼ねていたと思われる。 もとは約4,600平方メートルの敷地に土蔵などが建ち並ぶ広大な屋敷であったが、今は主屋の一部のみが移築されている。 建物は座敷部と居住部からなる。座敷部は、桁行17.7m、梁間12.3mの木造二階建。正面中央に塔屋がある。居住部は桁行14.9m、梁間12.5mの木造平屋建で、土間と板間の炊事場と、井戸と石敷きの洗場を持つ台所がある。 内部は、一部に洋室を設けたりガラス障子を多用するなど洋風技法を採用するもの大部分は和風の座敷からなり、洋風の外観とは対照的な造りとなっている。 外から見ると洋風、内部は和風の、美しい、面白い、ハイカラな建物だ!

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● 飯坂温泉駅の前には阿武隈川水系摺上川(すりかみがわ)が流れてる、そこに架かる「十綱橋(とつなばし)」はわが国現存最古級の鋼製アーチ橋で国の有形文化財である。 スパン長40mの2ヒンジ鋼製アーチの両岸側にI形鋼桁を取付け、全長52mとする。 山形鋼を組合せたブレースドリブアーチと垂直材からなる繊細な外観が特徴。 大正4年(1915)完成。、、、、温泉街を代表するランドマークだ! その昔、この橋の上で記念写真を撮った新婚カップルも多かったであろう!

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・・・・・・・・・・ 飯坂温泉の街は、駅前から始まっており、チョイト歩くと、大きな共同浴場がある。 1000年を越える
歴史の「波来湯(はこゆ)」に「鯖湖湯(さばこゆ)」、入浴したかった、残念!

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● これまた街のシンボル、土蔵造りの「なかむらや旅館」は国登録の有形文化財。、、、、なかむらや旅館は飯坂温泉発祥の地、湯沢地区にあり「鯖湖湯」に近い。 江戸末期建築の「江戸館」、明治時代中期建築の「明治館」の2棟からなり、白壁土蔵造りの木造三階建てである。 ここにも泊まってみたいもの!

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● まだまだあります街のシンボル「旧堀切邸」、、、、旧堀切邸は、江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家で、1775(安永4)年建築の県内で現存する最大で最古の土蔵「十間蔵」や近代和風住宅の主屋など、歴史的価値の高い建物が現存しています。 主屋の他にも、「新蔵」「中の蔵」「道具蔵」などがある。、、、、温泉街のちゅうしんに位置し、訪れる人も多そうだ!

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● 旧堀切邸を拝見してると、ものすごい雨。 アリャコリャ困った、これから今宵のお宿に行かなければならない。 電話し、迎えに来てもらう・・・・・将棋の名人戦が行われた宿だった、『一晩お世話になります!』

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2023年6月25日 (日)

日曜の朝

沖縄は梅雨明け、東京も梅雨明けしたかのような陽気、朝からギンギラギンの晴天。 今日は浜松町から、銀座、日本橋をとおり抜け、浅草橋の我が家まで、1万4千歩の散歩です。




● 通勤通学客の少ない日曜日の朝8時前、山手線の「浜松町駅」は人影も少ない。 浜松町駅は隣りの世界貿易センタービルの建て替え工事に合わせ、今後の混雑緩和の為、浜松町駅北口、地上3階に橋上駅改札が建設されている。 只今工事の真っ最中、完成まではあと数年、完成が待ち遠しい。

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・・・・・・・・・・ 浜松町駅のホームに立って思い出した! 『最近話題にならないが、あの小便小僧は健在か?』 チョイト御挨拶していこう! 居ました、レインコートを着て傘持って、相変わらず立ち小便してる。 昭和30年(1955)に新橋駅の嘱託歯科医だった小林光氏から寄贈され設置された。 ホームで立ちションをはじめて70年近い、“小便小僧”も“小便ジジイ”に変わったかな? 長い間疲れたでしょう、小便の出はいかが? 出が悪くなったら、泌尿器科で診てもらってね!

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● 浜松町駅から北へ、チョッピリ古いものを見ながら歩き、新橋まで

・・・・・・・・・・ 金井醫院(浜松町1)、、、、すでに閉院してますが、温かみある昭和初期の建物か?

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・・・・・・・・・・ 葵ビル(浜松町1)、、、、昭和52年(1977)竣工のビル

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・・・・・・・・・・ JR東日本 変電所(東新橋2)、、、、大正15年(1926)には存在していた、鉄道省時代の新橋変電所(旧:汐留変電所)

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・・・・・・・・・・ 新銭座ガード(東新橋2)、、、、変電所の脇にある山手線・京浜東北線のガード。 煉瓦造の橋台は明治43年(1910)頃に造られたか?

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・・・・・・・・・・ 左の盛土は東海道新幹線、右の高架橋はゆりかもめ、足の下には見えないが都営地下鉄大江戸線が走る「都道481号線」  正面に見えるは汐留の超高層ビル群。

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・・・・・・・・・・ 日比谷神社(ひびやじんじゃ、東新橋2)、、、、豊受大神・瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神を祀る神社。 創建年代は不詳。 元は現在の日比谷公園内の大塚山に鎮座していた。 慶長年間、江戸城の拡張に当たり、氏子とともに芝口(現在の東新橋)に移され、明治時代、鉄道(東海道線)の敷設に当たり新橋4丁目に遷座した。 さらに、境内地全域が計画道路の予定地にかかっていたことから、平成21年(2009)に東新橋2丁目の国道1号(第一京浜)沿いに遷座した、歴史は古く社殿は新しい神社。

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・・・・・・・・・・ 新橋駅前ビル2号館ゆりかもめ新橋駅(新橋2)、、、、JR新橋駅の東側にある新橋駅前ビル1号館・2号館は昭和41年(1966)にオープンした。 この2棟のビルを中心に新橋駅前(東側)の再開発が予定されており、いずれ取壊しがはじまると思われる。 1号館と2号館の間に割り込むようにゆりかもめの新橋駅がある。

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・・・・・・・・・・ 新橋の親柱(新橋1)、、、、新橋は汐留川に架かる橋であったが、昭和36年(1961)に埋め立てられて姿を消した。 現在残っているのは大正14年(1925)の架け替え時の親柱である。、、、、親柱の脇には銀座の柳(二世)銀座の柳碑がある。 石碑には『植えてうれしい 銀座の柳』で始まる、四家文子(よつやふみこ)が歌って大ヒットした曲が記されてる。 この歌は、昭和7年発売された『銀座の柳』(作詞・西條八十、作曲・中山晋平)で、昭和4年発売のヒット曲『東京行進曲』の続編にあたる歌である。 『東京行進曲』は、『昔恋しい 銀座の柳』という出だしで始まる。 昭和43年(1968)には銀座通りの改修工事によって、柳の街路樹はすべて撤去されてしまった、都電もなくなり銀座の風情が変わった時代だ!

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● 日曜日の朝、8時半過ぎ、人も車も少ない中央通り(=銀座通り)を歩く

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店は開店前の清掃中。 『営業開始は10時30分です!』

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・・・・・・・・・・ 銀座四丁目交差点も静か、まだ眠たそうなライオン像

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・・・・・・・・・・ “銀座”の北端は、1丁目の「銀座一丁目交番」、、、、道路を挟んで交番前に保存されてる京橋の親柱(大正)をモチーフにした交番、いいね!

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● 銀座を抜けて、京橋日本橋を歩く、、、、9時過ぎた、人も車も動き始めたようだ、、、、気温も上昇し30℃。 汗びっちょり、熱中症が心配になってきたが、我が家まではあと30分程、もう一歩き、頑張るぞ!

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室町三丁目交差点で江戸通りに入り、浅草橋の我が家を目指す、、、、我が家の近く「浅草橋駅北バス停」に10時過ぎに到着! 『ただいま~!』 『スゴイ汗、早く、服を取り換えて!』

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2023年6月20日 (火)

モノレールとゆりかもめ

チョイ曇りの空に涼しい風が吹く梅雨の中休み、東京モノレール天王洲アイル駅から、海岸沿いに歩いて山手線の浜松町駅まで、1万3千歩の散歩です。



● “天王洲アイル”は、東品川2丁目の再開発地区の総称。 品川区の北東部の京浜運河、天王洲運河に面した東京湾沿岸に位置する埋立地。 総面積約22haの埋立地は、複数のオフィス商業複合ビル、商業店舗、飲食店、アートギャラリー、イベントスペース等が建ち並ぶ。 その埋立地の北側に、平成4年(1992)6月19日、現在の東京モノレール羽田空港線の「天王洲アイル駅」が追加開業した。、、、、ホームは高架相対式2面2線構造。 上下ホームは中央改札口のある通路のほか、南側の跨線橋でも結ばれている。、、、、りんかい線との乗り換え駅だが、りんかい線の天王洲アイル駅とはチョイト離れてる、さらに天空を走るモノレールと地下を走るりんかい線では上下の移動も大変そうだ!

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● 天王洲アイル駅から、「海岸通り」に沿って平行するモノレールを眺めながら歩く。 前歩を眺め、後方を振り返り、頭上を見上げ、すれ違う可愛い娘に視線が向いて、首はグルグル、眼はキョロキョロ、疲れること! 下から見上げる写真を撮ると、何だか盗撮しているようで、お巡りさんがチョイ怖い!

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・・・・・・・・・・ 港南4丁目交差点の先で、海岸通りの頭上に首都高1号線、東京モノレールが走り、さらにそれを横切るように東海道新幹線の車両基地への引き込み線、隣には東海道貨物線。 『スゲ~エ!、上空から見てみたい!』

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・・・・・・・・・・ 新幹線が来ないかな?、跨道橋を見上げながら下を抜けると、今度はモノレールの脇(東京港建設事務所前)にひっそりと船が保存されていた。 石碑には『 第一芝浦丸  この船は、東京港の埋立が盛んに行われていた大正15年(1926年)に建造された蒸気船です。 この船の目的は埋立に使う土砂を運ぶ船(土運船・バージ)を引くための船(引き船・タグボート)です。  東京都東京港建設事務所』と記されてる。、、、、約100年前に造船された船は、木製の船室のドア、鉄製の船体、垂直に立つ長い煙突、どれもいい味を出してる! 船の“大正ロマン”

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・・・・・・・・・・ オリンピックマーク五輪の五色にちなんで名づけられた「五色橋」の手前でモノレールとはお別れ!、、、、モノレールは首都高を跨ぎ、JR東海道線にすり寄っていく。、、、、私は、昭和37年(1962)に高浜運河に完成した、長さ93m、幅14.3mの鋼橋を渡り、海岸通りを引き続き歩く。

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● 港区の芝浦とお台場を結ぶ吊り橋「レインボーブリッジ(Rainbow Bridge)」が見える芝浦に来た!、、、、レインボーブリッジは昭和62年(1987)着工し、平成5年(1933)に竣工した。 橋長798m、幅 49m、高さ 塔高126m/橋げた52m(いずれも海面より)の吊り橋。 夜のライトアップはTVニュースなどで紹介され有名。 特にコロナの時は、緊急事態で赤くなったり、医療関係者に“ご苦労さま”と青くなったり、色々とライトアップで変化する橋でもある。

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● レインボーブリッジから浜松町方面には、新交通“ゆりかもめ”の高架を見上げて歩く。 芝浦ふ頭駅、日の出駅、竹芝駅と歩く。

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● 空は晴れてきた、暑い、熱中症が心配になる。 汗をかきかき、「浜松町駅」に着く。、、、、浜松町駅は、只今、大型再開発プロジェクトで大規模工事中(橋上駅舎となるそうだ!)

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2023年6月16日 (金)

京浜運河沿い

ギラギラと日が射す梅雨の晴れ間、京浜急行立会川駅から散歩を始める。 東京湾の運河沿いに歩いて、東京モノレール天王洲アイル駅まで、1万歩の散歩です。




● 京浜急行本線の「立会川駅」は、明治37年(1904)5月8日に追加開業した駅。 現在の駅は、平成2年(1990)12月に高架駅に改良された。 3階のホームは相対式2面2線構造、2階は改札口、1階の出口は1ヶ所だけである。

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・・・・・・・・・・ 立会川の駅名は、駅前を流れる立会川(たちあいがわ)から命名。 その“立会川”は、近くの鈴ヶ森刑場(慶安4年(1651)に設けられた)へ送られる罪人を、その親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)場所であることから“立会川”となったらしい。 立会川に架かる「浜川橋」(旧東海道が通る)は、ひそかに見送りに来た親族らが涙を流しながら、この橋でともに別れたという事から涙橋と呼ばれてたそうだ。、、、、現在のコンクリート橋は昭和9年(1934)竣工

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● 立会川駅に東側に、「坂本龍馬像」がある。、、、、なぜ、ここに龍馬が???、、、、嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬は土佐藩品川下屋敷(立会川駅の北100m程)の近く、立会川河口付近にあった浜川砲台の警護にあたった。

・・・・・・・・・・ 駅から職場へ向かう人々に、『カードは誰にも渡したらいかんぜよ!』と、大井警察署に協力し、注意を促す龍馬像。

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・・・・・・・・・・ 立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置された。 若き日の龍馬は、砲台の警護にあたってた。、、、、河口の脇、新浜川公園内に浜川砲台跡がある。 そこには「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」が原寸大(全長 3m、車輪の直径1.8m)で復元されてる。(実弾は発射できず、チョイト残念!)

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● 浜川砲台の前には「勝島運河」がある。 龍馬の時代には、もちろん運河はなく、大砲の先は東京湾であった。、、、、昭和初期、立会川河口の先で、埋め立てがはじまり、昭和17年頃、「勝島」が誕生する。 勝島運河はこの埋め立て地との間に誕生した運河である。 現在は、船溜まりとなっている。、、、、運河沿いには、地元の人により花が植えられ、お薦めの散歩道となってる。

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・・・・・・・・・・ 勝島運河が京浜運河に合流する手前に、勝島と東大井の町を結ぶ「鮫洲橋(さめずばし)」がある。、、、、今日は梅雨の中休み、気温は30℃、私の身体は、ムシムシ暑く、汗はダラダラ、歩きながら年齢を感じた!

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● 鮫洲橋から、京浜運河沿いに北に向かい、東京モノレール天王洲アイル駅に向かう。、、、、道の両側には新しい大きなビルが並び、私が知る、潮の香りが残る“昭和の景色”は無くなった。

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・・・・・・・・・・ 鮫洲橋の北詰には、運転免許証をもらいに何度も訪れた警視庁の「鮫洲運転免許試験場」がある。、、、、私は若い頃、京急の鮫洲駅で下車し、代書屋が多く並び客引きのおじさん・おばさんの声が飛び交う裏道を歩きながら、『すいてる代書屋はないか?』、『視力検査でダメになったらどうしよう?』、『スピード写真の写りは良いか?』など、いろいろ考えながら来たものだ!

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・・・・・・・・・・ 東京臨海高速鉄道(TWR)りんかい線の「品川シーサイド駅」前を通過する。 平成14年(2002)12月1日に開業した駅だ、開業後21年経過したが、鉄道大好き人間の私にとって、いまだに乗降したことがない駅の一つである。 死ぬまでに、一度はホームに立ってみたいね!

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・・・・・・・・・・ チョイト、橋の上から京浜運河モノレールを撮影

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● 東京モノレール「天王洲アイル駅」から帰宅する。、、、、天王洲アイル駅は平成4年(1992)6月19日に開業した、相対式ホーム2面2線を有する高架駅。、、、、駅に着いたら、汗ぐっしょり、チョイト恥ずかしいね!

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2023年6月13日 (火)

チョッピリ旧街道

朝から雨が上がり、梅雨の晴れ間か? 京浜急行梅屋敷駅から立会川駅まで旧東海道を歩いて来た。 1万1千歩



● 普通列車しか停車しない「梅屋敷駅」だが、駅の開業は明治34年(1901)2月1日と古い、今年で開業122年になる。 開業当時は道路上の停留所だったそうだ(私はまだ生まれておらず、知らない!) 今は立派な高架駅。

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● 京急線の東側に平行する国道15号(=第一京浜)を横断し、大田区大森中の「梅屋敷東通り」商店街を歩く。 戦後発足した地元密着型の商店街、まだ9時前なのでシャッターが下りてる店が多い。

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・・・・・・・・・・ 商店街の中に数件(5件以上ありそうだ)の八百屋がある。 なぜか、八百屋だけはどの店もシャッターを上げ営業準備中。、、、、そんな中に、一軒の粋な店があった、その名は『八百長』 屋号に“激安”を冠し、本当か?

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・・・・・・・・・・ 八百長の正面奥に、日蓮宗の寺「大林寺(だいりんじ)」がある。 創建年代は不詳、旧真言宗薬王院として創建され、長享2年(1488)に日蓮宗に改めた。 

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・・・・・・・・・・ 大林寺山門脇に「池上道道標」が残されてる、、、、享保14年(1729)に、大森村の日蓮徒で組織された甲子講の人々が建てたもので、東海道から分かれて池上本門寺に至る大森中宿の池上道の追分にあったが、京浜急行梅屋敷駅付近に移され、さらに道路拡張などの事情により現在地に移された。 道標の旧位置から、十五町(約1.5㎞)で池上本門寺に至り、更にそのまま品川宿に行けることを示している。 旧東海道の道筋にあった、現存する道標としては極めて少なく、しかも高さ1.6mという大型のもので貴重なものだ。

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● 大森警察署前交差点から「旧東海道」に入り、品川方向に歩く。 国道15号から1車線の細い道に入る、これが旧東海道。 現在は「美原通り」の愛称がある(以前は「三原通り」と呼ばれていた) 美原通りは、途中で環七通りと交差し、京急平和島駅の北側で国道15号に出る。、、、、旧東海道と言っても、街道の雰囲気を残す旅籠・茶屋などの建物はない。 チョイト残念!

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・・・・・・・・・・ 旧東海道(美原通り)の途中に大小二寺がある。、、、、まずは、浄土真宗本願寺派の「海松山 徳浄寺」 徳浄寺は、寛永4年(1627)四ツ谷に創建され、元禄年間(1688~1704)に現在地へ移転した。 ガンダーラ風の現本堂は昭和35年(1960)に建てられた。

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・・・・・・・・・・ もう一寺は、真言宗の寺院で昭和25年(1950)に建てられた比較的新しい寺。 こじんまりとした境内は、正面に本堂、右手にお稲荷さん、お地蔵さん。 そして、お百度石もある。 趣のある寺だ!、、、、でもチョイト一言、「美原不動院」と言う名は、私には、何となく“美原美容院”と聞こえるような?

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● 国道15号を北へ約400m歩くと、大森海岸駅の手前に「磐井神社(いわいじんじゃ)」がある。 チョイトお立ち寄り。、、、、磐井神社は、敏達天皇(在位572~585)の代に創建された、延喜式神名帳にも記載されている式内社の古社である。 貞観元年(859)に武蔵国従五位磐井神社官社に列し、武州八幡社の惣社に定められた。、、、、参道にはアジサイの鉢が並び、参拝者をお出迎え!

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・・・・・・・・・・ 神社前の歩道の縁にある井戸が社名の謂れとなった「磐井の井戸」 神社の真ん前の歩道にあるのだが、チョイト気づきにくい。 この井戸は、かつて神社の境内にあったが、国道15号の拡張で境内が削られたためこうなった。、、、、江戸期には東海道を行き交う人々の渇きを癒し、名水の名が高かった井戸である。

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● 大森海岸駅の付近で、北に向かってる私は大田区から品川区に入る。、、、、大森海岸駅鈴ヶ森刑場遺跡旧東海道天祖神社に立ち寄って、立会川駅から帰宅。(大森海岸駅から立会川駅までは、こちらをみてね!

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2023年6月 6日 (火)

雑色から梅屋敷

京浜急行の雑色駅から、裏通りを歩いて、糀谷駅前を抜け梅屋敷駅まで、1万歩の散歩です。




● 京浜急行本線の「雑色駅(ぞうしきえき)」で下車し、散歩を始める。 駅前に立ってはみたが、行先決まらず『さて、いずれの方向に歩くか?』 しばし、駅前で考え、これまでに歩いたことのない裏通りを歩いて見ることにした。、、、、雑色駅は普通列車のみが停車する駅だが、乗降客は比較的多く、京急線全72駅中16位である。 

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・・・・・・・・・・ 駅からの通勤客の多くは、駅前の国道15号(=第一京浜国道)を横断し、海側の工場が多い町へ向かって行く。 私も、
昭和の雰囲気が残る商店街「水門通り」を歩く!

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● 水門通りから、東六郷の町の裏道に入る。、、、、細い裏道、おはよう!、路地にアジサイ、通学時間、ゲートボール 

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● 東六郷・
荻中(はぎなか)の町を抜けると、京浜急行空港線の「糀谷(こうじや)駅、、、、今日は駅前を通過!

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● 糀谷駅前の商店街から横に入ると「西仲天祖神社」がある、チョイト手を合わせて行こう!、、、、西仲天祖神社の創建年代は不詳、村民久左衛門が創建したといわれてる。 村民久左衛門とは?、謎の人物か? 

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・・・・・・・・・・ 天祖神社から北へ、呑川に架かる宝来橋を渡ると東蒲田の町である。、、、、橋の両側は大田区の下町で、景色も大差なし!

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● 裏通りから東蒲田の「大田区総合体育館」の脇に出てきた。、、、、大田区総合体育館は以前の体育館が老朽化したため、平成24年(2012)に、現在のモダンな体育館に、「みる」スポーツと「する」スポーツを基本コンセプトに建て替えられた。 総工費は約51億円。 収容人数:約4,000人、設計者:石本建築事務所、施工:フジタ・幸建設・河津建設・甲田建設JV、鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造、地上2階/地下2階の建物である。

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● 大田区総合体育館の正面に駅名:梅屋敷の由来となった「梅屋敷跡」がある。、、、、現在は「聖蹟蒲田梅屋敷公園」となっている。、、、、公園の案内板には、『梅屋敷と和中散売薬所跡  「和中散」は、食あたり、暑気あたり等に効く、道中常備薬としてつくられ、旅人に珍重された。 元禄から正徳にかけて(1688~1716)大森村中原、谷戸、南原に三店が開業した。 このうち南原にあった店が、のちに北蒲田村の忠左衛門に譲られ、この地に移転したという。 文政年間(1818~1830)の初め、忠左衛門の子の久三郎の代に庭園に梅の銘木を集めて、休み茶屋を開いた。 亀戸の梅林とともに梅の名所「梅屋敷」として有名になり、広重の浮世絵にも描かれた。 昭和50年3月19日指定 大田区教育委員会』と記されてる。

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・・・・・・・・・・ 梅屋敷跡から約300m歩き、京浜急行本線の「梅屋敷駅」から帰ることにした。

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2023年6月 4日 (日)

鰻が菖蒲に勝った

台風は消え去り、ポッカ・ポッカのポッカレモンのような爽やかな晴天。 夫婦で久しぶりに堀切菖蒲園に行くことにした。 家を出る前の予定は『四ツ木まで電車で行き、そこから菖蒲園まで歩き、入園後は再び歩いて、堀切橋を渡り北千住まで歩こう! 昼飯は北千住で食べよう!』と、二人で合意。 私の推定では、健康的な1万3千歩程の散歩となる予定だった。、、、、Let's Go




● 9時過ぎ京成押上線「四ツ木駅」で下車し、散歩を始める。 

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・・・・・・・・・・ 町工場の多い葛飾区四つ木・堀切の町を歩く。 日曜日で、人も車も少なく、歩きやすい!

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● すでに多くの人で賑わっている「堀切菖蒲園」に到着。 見事に咲いてる菖蒲、いいね、最高! (4年前の『堀切菖蒲まつり』はこちら!)、、、、【堀切菖蒲園の歴史】堀切の菖蒲栽培の始まりには二説ある『①室町時代、堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じ、陸奥国郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて栽培を始めた。 ②江戸時代、百姓の小高伊左衛門が趣味で各地の花菖蒲を集めて庭で栽培したのが始まり。』 どちらを始まりとするかは自分で決めて! その後、堀切の菖蒲栽培は「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。 戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。 昭和34年(1959)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。 昭和50年(1975)葛飾区に移管され現在に至る。

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・・・・・・・・・・ チョイト、綺麗どころを代表して!

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・・・・・・・・・・ 園内をほぼ一巡し、次は、ここから北千住まで歩く予定だ。 『そろそろ出ようか』と、出口に向かう。 この時、管理事務所のアナウンス、私は難聴で聴き取れなかったが、妻は良く聞こえたらしい『聞いた?柴又へ行けるよ!』。 私『・・?・・』 どうやら、菖蒲園の脇から、同じ葛飾区のしばられ地蔵”(菖蒲の名所:水元公園に近い)柴又帝釈天へ行くシャトルバスがまもなく出発するらしい。 妻の思考回路は、“柴又帝釈天” → “川千家” → “鰻”、で昼食は決まり! 急遽、北千住行きは柴又行きとなる。、、、、バスに飛び乗り、出発進行!、、、、途中の“しばられ地蔵(水元公園)”の菖蒲は見ずに、柴又へ向かう。

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● 帝釈天の参道を足取りも軽く歩く妻、万歩計の数値を気にする私。 とりあえず、帝釈さまに手を合わせ、義理を済ませば、いざ“鰻”。、、、、今日の散歩は、“鰻”が“菖蒲”に勝った! 万歩計は8千歩であった

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2023年6月 1日 (木)

雑色へ

東急池上線池上駅から、京急本線雑色駅まで、9千歩の散歩です。




● 今日は、2年前の令和3年(2021)に駅ビル「etomo池上」が開業した「池上駅」から散歩を始める。、、、、駅ビルは相対式ホーム2面2線の地上駅の跨ぐように、線路上に建てられた5階建てビル。 1階はホーム、2階は改札、3階はスーパー、4階は区立池上図書館、5階は池上総合病院付属クリニックが入居している。 レトロな雰囲気の残っていた木造の旧駅舎はモダンな駅ビルとなり、本門寺参拝の風情はなくなりチョイト残念! これも時代の流れかな!

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● 池上駅から、本門寺を背にして、南の多摩川へ向かって歩く。

・・・・・・・・・・ 駅前の踏切を越え、池上6丁目の町を抜ける。 私の興味を引き付けるものは見当たらない。 

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・・・・・・・・・・ 東矢口1丁目に入っても、街並みは変わらず、もくもくと歩くだけ! 『何か面白そうなものはないかな!』、、、、【おまけの話】“東矢口(ひがしやぐち)”の地名は、“矢口”の東側の町だから。 では、“矢口”の地名の由来は、日本武尊が東征のとき矢合わせ(矢合戦)をしたところといわれている。 多摩川の対岸の川崎市には、“矢向”・“矢上”の地名が残っている。 話の真偽は???

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・・・・・・・・・・ 東急多摩川線の踏切を越えると新蒲田の町

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・・・・・・・・・・ 新蒲田3丁目に「道塚神社」がある。 道塚神社の創建年代は不詳だが、江戸期には日月宮と称し、隣接する大楽寺が別当寺を勤めていた。 天保2年(1831)天祖神社と改称し、大正3年(1914)に近隣の油山稲荷大明神、神明宮、熊野大権現、茅場稲荷大明神を合祀し、旧地名に因んで道塚神社となる。、、、、“道塚”は新蒲田に変わる前の旧地名

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・・・・・・・・・・ 道塚神社の隣りにあるのは、真言宗智山派寺院の「金剛法山 大楽寺」。 天応3年(1319)、当地に一宇を建立したのが始まりと伝えられている。、、、、山門は2階式の立派なもの。 本堂は黒塗りの鉄筋コンクリート造、、、、ペットの霊園もある!

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・・・・・・・・・・ 池上から道なりに真直ぐ歩き、西六郷の町に入る。 町の西側には多摩川が流れてる。 私は東側に折れ、雑色駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ 東海道線・京浜東北線の「雑色踏切」を越えると雑色駅は近い

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● 踏切を越え、商店街を抜けると、京浜急行本線の「雑色駅(ぞうしきえき)」、、、、雑色駅は、明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋 ~ 官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)にかけ、ホームの高架化を行い、相対式ホーム2面2線の高架駅となった。、、、、“雑色(ぞうしき)”とは辞典によると『 平安時代以後、公家・武家の家の従者。 雑役をつとめる

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