京浜運河沿い
ギラギラと日が射す梅雨の晴れ間、京浜急行立会川駅から散歩を始める。 東京湾の運河沿いに歩いて、東京モノレール天王洲アイル駅まで、1万歩の散歩です。
● 京浜急行本線の「立会川駅」は、明治37年(1904)5月8日に追加開業した駅。 現在の駅は、平成2年(1990)12月に高架駅に改良された。 3階のホームは相対式2面2線構造、2階は改札口、1階の出口は1ヶ所だけである。
・・・・・・・・・・ 立会川の駅名は、駅前を流れる立会川(たちあいがわ)から命名。 その“立会川”は、近くの鈴ヶ森刑場(慶安4年(1651)に設けられた)へ送られる罪人を、その親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)場所であることから“立会川”となったらしい。 立会川に架かる「浜川橋」(旧東海道が通る)は、ひそかに見送りに来た親族らが涙を流しながら、この橋でともに別れたという事から涙橋と呼ばれてたそうだ。、、、、現在のコンクリート橋は昭和9年(1934)竣工
● 立会川駅に東側に、「坂本龍馬像」がある。、、、、なぜ、ここに龍馬が???、、、、嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬は土佐藩品川下屋敷(立会川駅の北100m程)の近く、立会川河口付近にあった浜川砲台の警護にあたった。
・・・・・・・・・・ 駅から職場へ向かう人々に、『カードは誰にも渡したらいかんぜよ!』と、大井警察署に協力し、注意を促す龍馬像。
・・・・・・・・・・ 立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置された。 若き日の龍馬は、砲台の警護にあたってた。、、、、河口の脇、新浜川公園内に浜川砲台跡がある。 そこには「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」が原寸大(全長 3m、車輪の直径1.8m)で復元されてる。(実弾は発射できず、チョイト残念!)
● 浜川砲台の前には「勝島運河」がある。 龍馬の時代には、もちろん運河はなく、大砲の先は東京湾であった。、、、、昭和初期、立会川河口の先で、埋め立てがはじまり、昭和17年頃、「勝島」が誕生する。 勝島運河はこの埋め立て地との間に誕生した運河である。 現在は、船溜まりとなっている。、、、、運河沿いには、地元の人により花が植えられ、お薦めの散歩道となってる。
・・・・・・・・・・ 勝島運河が京浜運河に合流する手前に、勝島と東大井の町を結ぶ「鮫洲橋(さめずばし)」がある。、、、、今日は梅雨の中休み、気温は30℃、私の身体は、ムシムシ暑く、汗はダラダラ、歩きながら年齢を感じた!
● 鮫洲橋から、京浜運河沿いに北に向かい、東京モノレール天王洲アイル駅に向かう。、、、、道の両側には新しい大きなビルが並び、私が知る、潮の香りが残る“昭和の景色”は無くなった。
・・・・・・・・・・ 鮫洲橋の北詰には、運転免許証をもらいに何度も訪れた警視庁の「鮫洲運転免許試験場」がある。、、、、私は若い頃、京急の鮫洲駅で下車し、代書屋が多く並び客引きのおじさん・おばさんの声が飛び交う裏道を歩きながら、『すいてる代書屋はないか?』、『視力検査でダメになったらどうしよう?』、『スピード写真の写りは良いか?』など、いろいろ考えながら来たものだ!
・・・・・・・・・・ 東京臨海高速鉄道(TWR)りんかい線の「品川シーサイド駅」前を通過する。 平成14年(2002)12月1日に開業した駅だ、開業後21年経過したが、鉄道大好き人間の私にとって、いまだに乗降したことがない駅の一つである。 死ぬまでに、一度はホームに立ってみたいね!
・・・・・・・・・・ チョイト、橋の上から京浜運河とモノレールを撮影
● 東京モノレール「天王洲アイル駅」から帰宅する。、、、、天王洲アイル駅は平成4年(1992)6月19日に開業した、相対式ホーム2面2線を有する高架駅。、、、、駅に着いたら、汗ぐっしょり、チョイト恥ずかしいね!