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2023年7月

2023年7月31日 (月)

夏休みです

寝ても暑い、起きても暑い、歩けばもちろんア・チッチ! 連日の猛暑、救急車のお世話にならぬよう自宅待機中! 遠出の散歩はできず、夏休み中です。

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ちなみに、私の自由研究のテーマは、『コンビニで売ってるアイスはどれが一番おいしいか?』、、、、毎日、研究中

2023年7月14日 (金)

東武亀戸線

朝の天気予報では、今日の東京は最高気温29℃で曇りであった。 『久しぶりの30℃割れ、しかも曇り空なら、熱中症の心配も薄らいだ。 ヨシ、歩いてくる!』と、自分に言い聞かせ、東武亀戸線の全駅制覇に出立。


東武亀戸線の歴史は ・・・・・・ 東京と関東北部を結ぶ東武鉄道は、明治30年(1897)に設立された。 当初、起点を東京湾に近い越中島とする予定で免許を申請したが、越中島~北千住間は審査に時間を要し、すぐには免許が下りなかった。 そこで、日本鉄道(現:JR常磐線)の北千住駅を起点に久喜駅までを東武鉄道の最初の区間として、明治32年(1899)に開業した。 明治35年(1902)には北千住駅から吾妻橋駅(後に浅草駅、業平橋駅と改称し、現在はとうきょうスカイツリー駅)まで延伸された。 越中島~北千住間の免許は明治32年(1899)に認可され、明治37年(1904)4月5日には、その一部である亀戸~曳舟間が開業した。 この開業と同時に、東武鉄道は総武鉄道(現:JR総武本線)亀戸~両国橋(現:両国)間へ乗り入れ、直通運転を行う。 また、東武鉄道の吾妻橋~曳舟間は廃止され、亀戸~曳舟間が本線格の扱いとなった。 明治40年(1907)乗り入れ先の総武鉄道が国有化されるが、引き続き東武鉄道の乗り入れは継続する。 東武鉄道は、ターミナルを開業当時の吾妻橋駅に戻すことになり、明治41年(1908)に吾妻橋~曳舟間が貨物線として再開する。 明治43年(1910)3月に吾妻橋駅を浅草駅に改称、そして浅草~曳舟間の旅客営業を再開。 これにて、亀戸~曳舟間は支線となる。 また、同年8月には、亀戸~越中島間の免許は失効した。



・・・・・・・・・・ 今日は東武鉄道亀戸線(全長3.4km)に、廃止、統合、現営業中を含め、10駅が存在した。 起点の曳舟駅から終点の亀戸駅まで全駅を歩いて来たので、順に紹介する。



曳舟駅 ・・・・・ 曳舟駅は明治35年(1902)4月1日、吾妻橋~北千住間開業時にできた駅。 明治37年(1904)4月5日、亀戸~曳舟間が開業。、、、、現在は東武伊勢崎線、亀戸線の停車場で、ホームは高架複合式3面5線構造。 伊勢崎線が発着する1~4番線(島式ホーム2面)と、亀戸線が発着する5番線(短い片面ホームが1面)から成っている。 2両編成の亀戸線が10分間隔で運行している。 通勤通学客で満員だ!

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・・・・・・・・・・ 亀戸線の使用車両は、8000系が中心。 昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラーとして朱色や緑色に塗られたものも存在し、来る列車、来る列車毎に色が変わる。

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虎橋通駅跡 ・・・・・ 現存の曳舟駅と小村井駅の間に、かつては虎橋通駅(とらばしどおりえき )と十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)があった。 その一つ、虎橋通駅は墨田区京島2の住宅と線路の間の狭い処にあった。 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和20年(1945)3月10日である。、、、、駅跡に何か残ってないか? キョロキョロ探すと、線路脇に並ぶコンクリート土台(?)跡があった。 おそらく70数年前に廃止となったホームの基礎部分であったと思う。 

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十間橋通駅跡 ・・・・・ 次は、
十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)の跡。 駅は、十間橋通と交差する踏切の北側(墨田区京島2)の線路脇にあった。 下町の元気な商店街:キラキラ橘商店街の入口に近い処だ! 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和33年(1958)10月22日である。、、、、線路脇には曳舟起点9㎞ポストがあった。 その周囲のバラストの中にコンクリート構造物が見える、ここもホームの基礎部分が埋まっているのか?

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天神駅跡 ・・・・・ 曳舟駅、虎橋通駅跡、十間通駅跡とみて、次は、小村井駅の手前にある天神駅跡を探す。、、、、天神駅(てんじんえき)は、かつて東京都墨田区文化に存在した亀戸線の廃駅。 天神駅は、明治37年(1904)4月5日に開業し、昭和32年(1957)5月20日に廃止された。、、、、曳舟たから通りに面する「
iU 情報経営イノベーション専門職大学(墨田区文化1)」の建物の東側あたりに天神駅はあったと思われる。 この付近の線路敷きは、気持ち分だけ幅広になっており、ここに駅があったのかも(?) 線路敷きの両側は建物が並んでおり、線路内に立ち入って詳細に見ることはできず諦める。、、、、駅名の“天神”は亀戸天神のことだが、ここから亀戸天神までは1㎞以上あり、歩いて20分はかかるであろう。

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小村井駅 ・・・・・ 曳舟駅から1.4㎞にある小村井駅(おむらいえき)は、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあり、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 開業は昭和3年(1928)4月15日、、、、都会の中の小さな駅で、“ローカル”、“昭和レトロ”、“のんびり”などの言葉が合う駅だ! 駅名はチョイト読みづらいかな?

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東あずま駅・・・・・小村井駅の次は東あずま駅。 駅名は付近一帯がかつて吾嬬町(あづまちょう)だったことに由来し、周辺の東吾嬬小学校、第一吾嬬小学校などの学校や吾嬬神社にその地名が残っている。 本来は「東あづま」と表記すべきところ「東あずま」となった。 その理由は不明だが、たぶん誰かが“づ”を“ず”と間違えたのだろう!、、、、昭和3年(1928)4月15日 、平井街道駅として開業。 昭和20年(1945)5月20日、平井街道駅廃止。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は丸八通り(=都道476号)に面す、各ホーム間の連絡は構内踏切を利用。

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北十間駅跡 ・・・・・ 曳舟から亀戸へ向かい北十間川を越えた所(橋の南詰)、マンション脇のチョイ広の線路敷きに北十間駅があったと思われる(?) 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和21年(1946)12月5日。 70数年前の廃駅は何も残っていないようだ! 

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亀戸水神駅 ・・・・・ 現在の亀戸水神駅は北十間駅と旧亀戸水神駅を統合して、両駅の中間に昭和21年12月5日に移転した。、、、、“亀戸水神”は“亀戸天神”と紛らわしいが、全く別物で
駅の西方にある亀戸水神宮に由来する駅である。 お間違いなきよう!、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間には構内踏切あり。

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旧亀戸水神駅跡 ・・・・・ 亀戸へ向かう電車は、亀戸水神駅を出て右に大きくカーブする、そのカーブ地点の線路脇にキレイに並ぶコンクリート造の遺構がある。、、、、旧亀戸水神駅は昭和
3年(1928)4月15日に開業。 昭和20年には戦災を受け、昭和21年(1946)12月5日に北十間駅と統合し、現在の亀戸水神駅へ移転した。

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亀戸駅 ・・・・・ そして亀戸線の終点は亀戸駅。、、、、島式ホーム1面2線を有する地上駅。 改札は駅ビル「アトレ亀戸」内にある。 ちょこっとスロープを上ればホーム。 この構造はまさに都会のローカル線!

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● 東武鉄道亀戸線はコチラも見てね!・・・・・・・・・・ 昼の亀戸線(1918/6/25) ・・・・ 夜の亀戸線(1920/8/17)

 

 

● 東武鉄道亀戸線の全駅を歩いた、1万2千歩。 時刻は10時だが、すでに全身は汗でビショビショ。 やはり、真夏の散歩はチョイト、キツイね!

2023年7月11日 (火)

夏バテ !

ここ一週間、雨と熱中症に怯え散歩もできず、家でグダグダ! もう、夏休みだ!!


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2023年7月 5日 (水)

南千住から鶯谷へ

連日の30℃超えも今日はひと休みで、熱中症警戒レベルも下がったらしい。 早速、朝から散歩に出てきた。 我が家のある浅草橋駅前から、南千住行きの都バスに乗り、終点の南千住から散歩を始める。 荒川区東日暮里の町をとおり抜けJR鶯谷駅まで、9千歩の散歩。



● 「南千住駅」は、荒川区にあるJR常磐線・地下鉄日比谷線・つくばエクスプレス線の3線が乗り入れる駅である。 明治29年(1896)12月25日、日本鉄道の駅として開業。 以来、明治39年(1906)には、日本鉄道が国有化され官設鉄道の駅となる。 昭和36年(1961)に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線の駅が開業。 平成17年(2005)首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の駅も開業する。、、、、駅周辺の再開発も進み、駅もキレイになり、多くのタワーマンションもたち、住みやすい町となり、通勤通学客が多い。(かつては、日雇い労務者の街“山谷”に近く、ガラの悪い駅であったが、変わった!)

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● 南千住と言えば、江戸時代から明治初期にかけ、「小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)」が存在していた。 江戸時代にはそれぞれ江戸の入り口に存在した大和田刑場(八王子)、鈴ヶ森刑場(大田区)とともに三大刑場といわれた。 刑場では、死体は丁寧に埋葬せず申し訳程度に土を被せるくらいだったので夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様だったらしい。 この刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が隣接する場所に常行堂(後に回向院となる)を創建した。 小塚原刑場の跡には、首切り地蔵のある「延命寺」、多くの刑死者を弔った「回向院がある。 、、、、今日、私は朝8時前に来たので、延命寺は開門前であった。 門の隙間から首切り地蔵をパチリ。 回向院では、吉田松陰・鼠小僧などの刑死者が弔われている史蹟エリアをパチリ。

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● 南千住5丁目の裏道を歩き、南千住駅と三河島駅の間に、明治29年(1896)開通の日本鉄道土浦線(現:常磐線の旧呼称)の煉瓦造のガードが3ヶ所残っている。 その一つ、アーチ型の「第3三の輪ガード」の前に出てきた。、、、、トンネル上部の笠石には、雁木(がんぎ)といわれる煉瓦を傾けて凹凸をつける装飾的な煉瓦積みが施されているのだが、煉瓦積みが劣化し脱落を防止するためネットで覆われている(チョイト判りにくいね) 貴重な鉄道遺産なので、キレイに改修してほしいね!

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● ガードを抜けると浄閑寺の裏だ!、、、、浄土宗寺院の「浄閑寺は栄法山清光院と号す。 明暦元年(1655)に創建、近くに吉原遊廓が誕生した明暦3年(1657)よりも2年早い。 病気などで死んだ遊女は、吉原遊廓の場合、投げ込み寺と呼ばれた浄閑寺に、文字通り投込まれたそうだ。 また、大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の東京大空襲で死んだ遊女の霊もまつられている。 吉原遊女約11,000人を埋葬。、、、、遊女を祀る「新吉原総霊塔」の石垣には、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句が刻まれている。、、、、また、近くの“山谷”の労務者を弔う「ひまわり地蔵」もある。 

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● 地下鉄日比谷線の三ノ輪駅に近い浄閑寺から、荒川区東日暮里の町を南西方向に歩く。 千住の方から来た常磐線が上野駅に入る手前:日暮里駅付近で大きくカーブする処である。 東日暮里の町は、町工場の多い下町であり、朝鮮半島の人の多く住む町であり、かつては昭和レトロな建物も多く残っていたが最近は建て替えが進んでいる。

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● 東日暮里の町には、私の足を止めるようなものもなく、ただただ歩いて来た! そのまま、JR「鶯谷駅に到着。、、、、明治45年(1912)7月11日に、東北本線の駅として開業。 北口は地上駅舎のようになっているが、南口は橋上駅舎になっている。、、、、北口はラブホテル街のイメージが強いが、根岸の方から都道をまっすぐ歩いてくると、キョロキョロしない限り、そこまでラブホ・風俗の雰囲気はない。

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