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2023年9月

2023年9月25日 (月)

南千住

今日の散歩は、北の隅田川、南の都電荒川線に挟まれ、国道4号(=日光街道)の西側に広がる荒川区南千住1丁目と6丁目をブラブラしてきたので、気になった数件を紹介する。 1万2千歩 




● 江戸時代に“南千住”という地名はなかった。 慶長9年(1604)日本橋を起点として五街道が定められ、奥州街道の第一の宿場が千住宿であった。 千住宿の中心は本宿と呼ばれ、現在の北千住(足立区)である。 千住宿は次第に発達し、南北に伸びていった。 南に伸びた千住宿は、大川(=現:隅田川)の南(対岸)にあった当時の小塚原村・中村など村にも広がり、明治時代には“南千住町”となる。 つまり、南千住は千住の南外側に位置する町である。、、、、現:南千住駅は、JR常磐線、東京メトロ日比谷線、つくばエキスプレス線が乗り入れるターミナル。 西側の駅前には賑わいはなく、静かな駅だ!(駅の東側、汐入地区にはタワマンが建ち並び、ショッピング街もある) 

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● 南千住6丁目には、昭和37年に完成したプロ野球大毎オリオンズ(現:ロッテ)の「東京球場(=東京スタジアム)」があった。 35000人収容の東京球場は当時大毎オリオンズのオーナーで大映映画社長、永田雅一の発案により、竹中工務店の施工で、28億円の巨費を投じて建設され、その年から大毎オリオンズ(昭和39年から東京オリオンズ)のホーム球場となる。、、、、その後、球場は下町のファンに愛され続けたが、集客は伸び悩み、昭和46年(1971)、大映は球団の経営権をロッテに譲渡し本社の経営再建に乗り出すものの倒産。 関連子会社の東京スタジアムも赤字が膨らみ、経営権は翌47年に国際興業社主の小佐野賢治の手に移った。 小佐野は球場を使用するロッテに球場の買取を求めたが、ロッテとの交渉は決裂し、昭和47年球場の閉鎖となる。 開場からわずか11年目のことだった。、、、、昭和52年(1977)都が買収し、球場を撤去し、跡地は大半が荒川区の管理する荒川総合スポーツセンター・南千住警察署などに変わった。(現在、球場跡を示す遺構は何も残っていない)


・・・・・・・・・・ 東京救助跡地に建つ荒川総合スポーツセンター南千住警察署
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・・・・・・・・・・ 東京球場の建設は戦後の話、では建設前の東京球場の敷地は?、、、、ここ荒川区南千住には、明治12年(1879)に操業を開始した官営の千住製絨所(明治新政府によって設立され、被服生地を製造 )があった。 同工場は戦後は民間に払い下げられ、大和毛織が所有する生地工場となったが、昭和25年代(1950年代)に入ると業績が悪化。 工業用水として使用していた井戸の枯渇や様々な規制、労使間争議の慢性化などによって経営難に陥り、昭和35年(1960)に閉鎖された。 閉鎖された大和毛織の跡地は、当時の大映の永田雅一が約10億円で取得し、東京球場が建設されることとなった。、、、、東京球場跡の北側にある、スーパーマーケットのLIFE、都立荒川工科高等学校なども千住製絨所の跡地である。


・・・・・・・・・・ LIFEの脇に残る製絨所の煉瓦壁の一部。 都立荒川工科高等学校のグランド脇にも煉瓦塀の一部が残っているが、今日は煉瓦塀が仮囲いで覆われて、何やら改修工事してるようだ。、、、、貴重な文化財であり、産業遺産、風景遺産でもある煉瓦塀、大切に保存してもらいたい。

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南千住6丁目にある、私好みのチョイト古そうで興味をそそる建物

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● 南千住6丁目の南隣は1丁目。 南千住1丁目には都電荒川線始点・終点である三ノ輪橋停留場(みのわばしていりゅうじょう)がある。、、、、明治44年(1911)4月16日、東京鉄道の停留場として開業。当時は終点。 大正2年(1913)には、王子電気軌道の停留場が開業、東京市電との接続地点となる。 昭和17年(1942)に王子電気軌道が東京市に買収され、東京市電三河島線(現・荒川線)となる。、、、、お年寄りが多く利用する、昭和の下町の停留場。 バラが咲くころはカメラマンも多くなるね!

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● 三ノ輪橋停留場の脇には、長さ約400mの下町商店街「ジョイフル三の輪」があります。 都電荒川線の前身である王子電気軌道の開通が大きく影響して形成された商店街。 映画・TVドラマのロケ地としても使われている、昭和レトロな商店街。、、、、午前9時、どちらの店もまだ営業準備中で、静かな商店街!

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・・・・・・・・・・ 商店街の中程に、嘉永年間(1848~1854)創業のそば屋「砂場総本家」がある。 日本で1番古い「砂場」である。 営業時間内に来たら、ぜひぜひ食することをお薦め!

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・・・・・・・・・・ 商店街から一本裏道に入ると、開運・芸術・延寿の神として中島弁財天が祀られている。 東日本大震災で配管が壊れ廃業した至近の銭湯「弁天湯」から像を譲り受けた商店街が、ほこらを作って祭ったそうだ。 高さ70cm程、大正時代創業の「弁天湯」女湯脱衣場の庭にあった弁天さまらしい。 女を視る目には相当の年季が入っている神さまかも?
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● 南千住6丁目を中心に歩き疲れ、南千住駅前からバスで帰る!

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2023年9月24日 (日)

彼岸

彼岸の入りから雨模様、中日になり雨も上がり、私達夫婦は、“昨日は松戸、今日は八王子”と霊園巡り。、、、、御先祖さまの墓が、あっちに、こっちに、どっちに、と点在するが、守るのは私達夫婦二人。 年2回の年中行事も年とるにつれ、腰が重たくなってきた。 そろそろ、骨(こつ)を都心に集めて、楽な墓参りが実現できるといいね! 

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2023年9月17日 (日)

善光寺

夫婦二人旅の空模様は、晴天なれど日は暑し、16日に続き今日17日も猛暑日。 湯田中温泉を出て、まずは小布施へ、その後善光寺に参拝して帰京した。




● 午前中から31℃越えの小布施駅で下車。、、、、単式ホームと島式ホーム、計2面3線のホームを有する地上駅。 昭和60年(1985)に改築された駅舎は平屋建てで、小布施総合案内所が入居しており、観光案内のコンシェルジュが常駐している。、、、、電車から降りる人も少なく、小布施でのんびり町歩きできると思いきや、大変なことになる!

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● 小布施で降りた妻の狙いは二つ、まず一つ葛飾北斎の歴史を語る北斎館の見学、そして最大の目的である桜井観甘精堂のモンブランを食すこと。 駅から北斎館に向かう。

・・・・・・・・・・ 北斎館に向かう途中、桜井甘精堂、小布施堂、竹風堂などの有名和菓子屋の前を通ると、どこの和菓子屋も店の前はスゴイ人だかり。 『ナンジャ! みんなモンブラン、栗ソフト、栗おこわを食べに来た観光客だ!』 みなさん車で観光旅行。 電車で旅するは我が夫婦だけか! 道理で、駅前に人が少ない訳だ!、、、、妻の狙いであったモンブランは諦めることにした、残念!

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・・・・・・・・・・ 北斎館はスムースに入館できた。 どうやら、観光客には葛飾北斎より栗が勝るようだ!、、、、北斎館は内部撮影禁止

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● 再び長野電鉄に乗り善光寺へ、、、、善光寺には昨年6月、御開帳で訪れている。 今回も手を合わせて帰ることにした。

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・・・・・・・・・・ チョイト問題、、、、善光寺の宗派は何?、、、、善光寺は、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を本尊として、寺院が宗派に別れる時代以前から創建され、以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ておる。 善光寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られてるが、現在その護持運営は大勧進を本坊とする天台宗と、大本願を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われている。




善光寺参道の近代建築・・・・・大門町周辺の近代建築を数件紹介

・・・・・・・・・・ 旧藤屋旅館、、、、設計は藤井平五郎、大正13年(1924)竣工、国の登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 五明館、、、、現在は善光寺郵便局、昭和7年(1932)竣工

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・・・・・・・・・・旧信濃中牛馬合資会社、、、、現在は楽茶れんが館、中沢与左衛門の設計、明治45年(1912)完成、国の登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 第八十二銀行 大門支店、、、、平成9年(1997)に復元された銀行建築。 施工:瀬水建設

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・・・・・・・・・・ 日本聖公会 長野聖教主教会、、、、教会のホームページによると『この教会は1892(明治25)年長野で宣教を始めたカナダ人宣教師ジョン・ゲージ・ウォーラー(J.G.Waller)師により創立されました。長野県内唯一最古のレンガ造りの聖堂は1898(明治31)年、ウォーラー師を中心として建設され聖別されました。以来百余年、この静かなたたずまいの聖堂は信仰の砦として、また「レンガの教会」として親しまれてきました。私たちは地域に開かれた教会をめざして、地域の子どもの自由な遊びの空間として会館を開放しています。』と説明されている。、、、、チョイト内部を拝見!、、、、外観の素晴らしさに魅せられ、素朴で癒される内部空間に驚いた。

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● 歩き疲れ、汗はダラダラ、足は棒、参道沿いの竹風堂でひと休み。 小布施で見送った栗みつまめを食す。 妻は笑顔、ニッコリ!

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2023年9月16日 (土)

旧志賀高原ホテル

まだ連日猛暑日が続く中、16日から一泊二日で志賀高原・小布施・善光寺へ行ってきた。、、、、旅行は三週間ほど前に、東京~長野間の新幹線切符が入手できた。 急遽、50年程前、何度か妻と泊まった旧志賀高原ホテルのその後が見たくなり、夫婦で長野へ行ってきた。




● 朝7時頃の新幹線で東京を立ち、8時半長野着。 長野電鉄に乗り換え湯田中へ。

・・・・・・・・・・ JR駅舎から出て、エスカレーター・階段・エレベーターを用いて地下1階の長野電鉄改札口へ、さらに地下2階のホーム階へ下る。 櫛形ホーム2面3線 (85m) の地下駅である。 この地下が造られたのは昭和56年(1981)だ。、、、、長野電鉄長野線の長野駅~権堂駅間の開通は昭和3年(1928)6月24日、に伴い、あと数年で100周年となる。

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・・・・・・・・・・ 現在の長野電鉄は、長野駅~須坂駅~信州中野駅~湯田中駅間の一路線だけの営業だが、かつては屋代駅~須坂駅、信州中野駅~木島駅の路線も運行していた。 私が小学校高学年(1957年頃)の時、屋代から長野電鉄に乗り山田温泉へスキーに行った記憶がある。 写真は今の須坂駅

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・・・・・・・・・・ 終着:湯田中駅に到着。 昭和2年(1927)4月28日、信州中野駅~湯田中駅間の開通に伴い開業。 単式ホーム1面1線の地上駅。 線路を挟み東側には旧駅舎、西側に現在の駅舎(昭和30年(1955)完成)がある。、、、、現駅舎には駅務室・待合室・観光案内所などがあり、駅前はバス乗り場もある。

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・・・・・・・・・・ 現ホームとは線路を挟み反対側に国の登録有形文化財として旧駅舎が保存されてる。

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● 湯田中駅からバスに揺られて志賀高原へ。 バスの終点蓮池で下車。 高原の爽やかな風を期待したが、厳し残暑の暑い・熱い・灼熱の空気。

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・・・・・・・・・・ 折角ここまで来たからには、3本のゴンドラを乗り継いで標高2000mの東館山(ひがしたてやま)の山頂を目指す。、、、、スキー場にとっては夏はオフシーズン、4人乗りのゴンドラは客も少なく我が夫婦のみ。 四方をガラスで覆われたゴンドラ内部はサウナ状態。 高所恐怖所の私は、恐怖とサウナで汗が滴り落ちる、助けてくれ~~!

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・・・・・・・・・・ 写真中央の頂が東館山(標高2000m)、、、、山頂が、1998年長野オリンピックのアルペンスキー大回転コースのスタート地点。 勇気ある者が滑るコースだ!

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● 東館山から蓮池に戻り、丸池の近くにあった旧志賀高原ホテルを訪ねる。 私たちが結婚後二人で、子供ができて三人で、泊まったホテル。、、、、旧志賀高原ホテルは、全国で11番目の国策ホテルとしてスキー場とともに開発され昭和12年(1937)に開業した。 客室数は174室であった。 ドイツ人の指導のもと清水組(現:清水建設)の設計・施工で造られた。 ホテルは、山小屋をイメージしたデザインで、中央玄関の奥にエントランスホール、ホールの左右両翼に客室が配置されていた。 正面玄関を入ると、3階までの3層吹き抜け空間に大きな暖炉が客人を出迎えてくれる。 木の梁と石材をふんだんに使用した空間は、白い壁と赤い絨毯と相まって、温かみと美しさのある高級感を兼ね備えていた。 2階と3階にはステンドグラスや日本画が飾られ、上品で落ち着いた内装である。 戦前から1960年代にかけて、皇族をはじめ国内外から多くの観光客が同ホテルを来訪し、1970年代以降は、スキーの大衆化と宿泊客の増加に合わせホテルの一部を改築。 平成のスキーブーム、その後のバブルの崩壊、そしてスキーブームの終焉により客足が遠のき平成11年(1999)に廃業した。 その後、建物はエントランスホールと一部客室を残して解体された。 現在、残った施設は平成14年(2002)に「志賀高原歴史記念館」として一般公開されている。 平成19年度、近代化産業遺産に指定された。、、、、二人で、ここでなに食べた?、泊まった部屋はどこだった? いろいろと思い出話をしながら見学。

・・・・・・・・・・ 志賀高原歴史記念館のパンフレットにあったホテル当時の写真
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・・・・・・・・・・ 現在の建物

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・・・・・・・・・・ 内部は、暖炉も、椅子も、照明も、全てホテル時代のまま

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・・・・・・・・・・ 旧志賀高原ホテルをあとに、丸池の先、サンバレーのバス停からバスに乗る。

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● 旅の疲れは、湯田中温泉で、、、、三連休の初日、どこのお宿も満員御礼! 

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2023年9月15日 (金)

下町商店街

今日は10週間ぶりに、上野駅近くの総合病院で泌尿器科の検診日。 特別悪いところなし、前立腺肥大の薬をもらい、また来てね!、、、、9時過ぎ外は暑そうだが、浅草橋駅近くの我が家まで歩いて帰ることにした。




● 昭和31年(1956)紀元節(2月11日)に地下鉄銀座線の稲荷町駅付近に開院した、チョッピリ古い永寿病院。 その後、名前は永寿総合病院と変わり、現在地の東上野へ移転した。 病院の運営母体である公益財団法人ライフ・エクステンション研究所は、生活習慣病検診の草分けであり、「活動年齢の延長」が理念である。 病院は、内科系・外科系・産科、婦人科・小児科等の科を有し、400床の総合病院。 台東区唯一の中核病院でもある。、、、、我が家の隣りの老夫婦、我が家の向かいの御老体、我が家から二軒先の御老人、みんなこの病院で亡くなった(合掌)

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● 病院から南東へ春日通りに面し、つくばエキスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅出口の脇に佐竹商店街のアーケードが見える。 春日通りは商店街の北端で南端は清州橋通り。 全長330mの全蓋式アーケードの商店街である。、、、、佐竹商店街は、台東区台東3丁目・4丁目の東側に、明治31年(1898)に商店街組合を結成した、金沢の片町商店街に続き日本で2番目に古い商店街である。 ちなみに、都内では人形町の商誠会は明治42年(1909)、渋谷道玄坂商店街が明治45年(1912)である。、、、、商店街名の“佐竹”は、江戸時代に当地に出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)があったことに由来する。、、、、私が記憶している佐竹商店街は、戦後の下町情緒豊かな商店街であったが、今は近くにできた大型量販店・スーパー等に負け、店主の高齢化もあり廃業した店も多い。 地元の住人としてはチョイト寂しいね!

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● 佐竹商店街を抜けた先にある都営住宅「台東小島アパート」は、東京五輪の昭和39年(1964)に建てられた。 整然と窓が並ぶ四角い巨大な建物は、頑固爺のような威厳を感じさせる。 そろそろ建て替えの時期かも? この建物の1階には、かつて三味線堀マートというスーパーがあったが、今は無い。、、、、名前の“三味線堀”は、寛永7年(1630)に近くの鳥越川を掘り広げて造られ、その形状から三味線堀とよばれた物資の集積場に由来する。  

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● 佐竹商店街南端から南へ150m程歩くと、コレマタ、おなじみの「おかず横丁」(台東区鳥越1)がある。 蔵前橋通りの北側に平行する通称「おかず横丁」、正式名は「鳥越本通り商盛会」。 戦火を免れた古い建物(看板建築・銅板建築・出桁造り)も残る下町の商店街。 何かとTVでおなじみの人も多いかと思う。、、、、しかし、この商店街も変わった! 商店街には私の小学校の同級生も多くいたが、どこも代が変わり、客も変わり、店は変わり、建物も変わり、知る人も居ない。

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● おかず横丁を抜けると、鳥越神社までは約150m。 手を合わせて帰ろう。、、、、さいふの中の小銭を全部、賽銭箱に投入。 紙幣はポッケにナイナイ。、、、、我が家までは徒歩3分、タダイマ!

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2023年9月12日 (火)

環七南通り

朝4時に起床した私、隣のベッドでは、平和な夢でも見て妻が熟睡中。 まだ薄暗い外に出てみると、爽やかな秋風が吹いていた。、、、、今日は朝食後散歩に出た。 何処へ行くか迷った挙句、東武伊勢崎線の梅島駅で下車し、西に向かって歩いてきた。 日暮里舎人ライナーの江北駅まで、9千歩の散歩。




● 押上駅で都営浅草線から東武伊勢崎線に乗り換え、車中で『どこで降りようか?』、なんとなく北千住駅から3駅目「梅島駅」で下車する。 今日の散歩はココからだ!、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に開業し、平成7年(1995)からは高架駅となる。 駅のホームは、高架島式1面2線構造だが、やや特殊な構造をしている。 ホームは幅が狭く異様に長い、長さは2編成分以上あり、上下線の電車が互い違いに停車するようになっている。 電車が停まる反対側の面は壁で塞ぎ線路が見えない。 長いホームの中央に階段・エスカレータ・エレベーターがある。 駅の出入口(改札口)は高架下で、旧日光街道に面した1ヶ所のみ。

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● 梅島駅で降りてはみたが、『さて! 何処に向かって歩こうか?』、、、、地図を見ると、駅の南側に、途中未完成部分がある「環七南通り」と言うチョイト広い道がある。 この道沿いに西に向かって歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 旧日光街道との交差点から環七南通りを歩く

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・・・・・・・・・・ 足立区梅田5丁目~関原3丁目の区間は道路未完成。 用地取得は済んでいるようだ。 工事説明板には令和6年度(2024年度)完成と書かれてた。

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・・・・・・・・・・ 関原3丁目の中央地点から西に向かって尾竹橋通り(関原小入口交差点)まで、再び環七南通りの完成部分が伸びる。、、、、歩く身体に汗が流れ下着まで濡れてきた、熱中症の危険を感じる。 ここで死ぬのはイヤダ! 急ぎ、公園で手拭いを濡らし首に巻き、さらに水分補給する。

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・・・・・・・・・・ 愛称:環七南通り(正式名:東京都市計画道路補助第138号線)は、足立区内の環状7号線にほぼ平行(南側約800m)に位置しており、足立区江北2丁目から葛飾区東金町2丁目を結ぶ道路。 足立区内の補助第138号線の道路延長は8,620mあり、綾瀬川以東の一部並びに梅田5丁目及び関原3丁目の一部については完成してるが、他の区間は工事中または計画中である。 (足立区のHPから)



・・・・・・・・・・ 尾竹橋通り西側から本木新道(興野公団住宅バス停)までの興野1丁目の区間は工事中

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・・・・・・・・・・ 本木新道から西へ江北2丁目までは、用地取得もまだか? 私にはこの先のルート不明! 環七南通り沿いの歩きはココまで!




● 本木新道から、引き続き西に歩く。 足立区西新井本町4丁目の裏通りに入る。、、、、今は廃業した店舗が数軒並んでいる。

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● 裏通りの奥に東京都住宅供給公社の興野町住宅がある。 この団地は、昭和33年(1958)に建設された4階建ての集合住宅全27棟760戸の団地。 緑に囲まれた住みやすそうな団地である。

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・・・・・・・・・・ 団地の中央にある公園では、中高年の方が20人ぐらい集まってラジオ体操?、、、、ラジカセから流れる曲は私の知るラジオ体操ではない。 じっくり聞くと、朝鮮半島の曲のようだ。 もしかしたら、この付近には朝鮮人が多いかも。

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● 尾久橋通りを走る日暮里舎人ライナーの江北駅が見えた! 駅の向かいに高野胡録神社がある。、、、、高野胡録神社の創建年代は不詳。 江戸時代には第六天社と称して高野村の鎮守であったといい、神仏分離令の際に胡録神社と改称したそうだ。

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● 尾久橋通り上にある日暮里・舎人ライナーの江北駅、、、、平成20年(2008)3月30日の日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた駅。 ホームは道路の頭上に島式1面2線構造である。、、、、開業してから15年、駅も車両もキレイだ!

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2023年9月10日 (日)

浅草で試し撮り

普段、私が散歩に出るときの持ち物は、財布、小物入れ、ipad、スマホ、カメラをバッグに入れて家を出る。 財布には緊急時に自宅までタクシーで戻れる程度の現金を入れ、医療機関の診察券と都内の交通機関の敬老パスが入ってる。 小物入れには、自宅のカギと補聴器の予備電池が入ってる。 ipadは迷子になったらGoogleマップで居所確認できるよう、それと休憩時の暇つぶしにネット利用。 スマホは緊急時に妻との連絡用(ほとんど使用せず)、SUICAの利用が主たる用途。 カメラはもちろん行動記録。 バッグの全重量は1㎏以上。 何といってもカメラが重たい。 ボディとレンズ一体で900g以上ありそうだ。、、、、ここで、チョイト考える! 私は母から『男は外に七人の敵在り』と教わり、家から出るとどんな敵(街の女性を含め)がいるかも知れない、“それなりの現金を常に持ってろ”と言うことだ。 でも、70歳を超えた今、勝負事はやらず、女の話もなく、もし支払いが必要ならクレジットカードが2枚、おさいふ携帯もある。 現金は持ち歩く必要ないかも?、、、、さらにチョイト考える! 若い時から外出時には腕時計をはめてる。 でも、今の時代、ipad、スマホ、カメラに時計機能が内蔵されてる。 腕時計は余分かも? 年老いて毎日が日曜日の人間が時刻を気にすることもない!、、、、ついでにチョイト考える! 迷子になったら居所確認用の地図、ipadで見てるが、同じ機能はスマホにもある。 二つは必要ないかも、でも老眼なので画面のでかい方が見やすいね!、、、、チョイトじっくり考える! 今の時代、写真撮影は、若い人を中心にスマホがお手軽、年配のご婦人はipadが便利、フイルムカメラを愛用したお年寄りは一眼レフにこだわり続ける。 私の散歩には、スマホ、ipad、一眼レフが御同行! 3つも要らね~な!

・・・・・・・・・・ と言うことで、散歩の持ち物を整理しようと思ったが、どれもこれも手放せず! やっぱり、持って歩きたい、整理できないね!、、、、しかし、腰痛で整形外科に通う私には、カメラの重さが腰に堪える。 そこで、昨日、軽いカメラに買い替えた。、、、、これまではSONYの「α7Ⅲ」、新しい機種はSONYの「α6700」 フルサイズカメラからAPS-Cカメラに変更し、チョッピリだけど、重量を200g程の軽量化した。

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今日は、カメラの試し撮りで浅草をブラブラ。 9千歩


● 只今7時30分、地下鉄浅草駅にある地下商店街に行ってみた。、、、、昭和28年(1953)に完成した地下街には、呑み屋、雑貨屋、すし屋、床屋、マッサージ店、占い館など20軒程の店舗が並ぶ。 レトロな昭和の雰囲気が残る空間として、最近人気上昇中。、、、、立ち食い蕎麦屋は営業中、他の店はまだ熟睡中。

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新仲見世通り、まだシャッターが下りてる

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雷門前に外人さんが集まってきた! 仲見世は人通りも少ない

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● 朝8時、本堂は開門し早起きの外人さんの姿も見られる

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● 9時、そろそろ店も営業開始。 雷門前でも多くの外人さんが記念撮影中。

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● 雷門前の浅草文化観光センターの8階からパチリ!

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・・・・・・・・・・ 今日も暑い、これ以上ブラブラすると熱中症間違いなし、帰宅する!

2023年9月 6日 (水)

木根川薬師

9月に入っても、猛暑、熱帯夜が続いた。 今朝の天気予報では、最高気温は猛暑日以下の31℃、午前曇り、午後雨。 『この天気なら、熱中症のリスクは低く、雨も降らんだろう、午前中は散歩ができそうだ!』と言うことで、久々に散歩に出た。 京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで、1万1千歩の散歩。




四ツ木駅で下車すると、『アレ、傘さしてる人がいる?』、チョイト落ちてきたようだ。、、、、今日は四ツ木駅から高砂駅まで、押上線高架化工事の進捗を確かめながら歩くつもりで家を出たが、急遽予定変更、途中で雨が降ってもスグ散歩を中止できるように新小岩駅に向かって歩くことにした。

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● 四ツ木駅前から東に蛇行しながら伸びる「渋江商店街」を歩く。 “渋江”は昔の地名である。 約400m程の商店街の両側に会員店舗全19店が、ポツポツと点在し営業している、チョイト寂しい商店街。、、、、下町の古い商店街は寂れていくね。

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● 渋江商店街を抜け、東四つ木の裏道を歩く。 裏道は狭く曲がりくねり、高層の建物は見られない、最大3階建てだ!、、、、玄関前の柿の木に青い実を発見、秋だ!!

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● 東四つ木一丁目の裏道に王子白髭神社の参道がある。 参道の奥で多くのやぶ蚊に守られ、静かに鎮座するご祭神の“貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)” 、、、、清和天皇の第七皇子貞辰親王が東国遊行の途中、元慶元年(937)、この地で亡くなった。 たまたま浄光寺に留錫中の比叡山慈覚大師は、親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行って以来、浄光寺がその古墳を管理したことに始まると伝えられている。、、、、神社は、もと上木下川村にあり、その地が荒川放水路(現:荒川)の敷地となり、大正8年(1919)、浄光寺とともに現在地に移った。、、、、参拝には蚊取り線香の持参をお勧めする。

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● 王子白髭神社の参道を戻ると、天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺と言われてる「青龍山薬王院 浄光寺」がある。 その創立は貞観2年(860)と伝えられている。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、昔から「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。 応永年間(1394~1427)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶えるのを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。 以来関東屈指の古い寺院として一千年の法燈を伝え、天正19年(1591)徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜りながくその祈願所とされた。 江戸名所の一つとして文人墨客の訪れるのも多い。、、、、現在の浄光寺は大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)開削のため、上記の王子白髭神社などと一緒に現在地に移転した。

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・・・・・・・・・・ 仁王門にある金剛力士像は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。 胎内に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したとされている。「阿形」「吽形」の両金剛力士像の大きさはともに275cmで、怒りを顔にあらわし、全身にに力がみなぎっている。

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● 浄光寺から南へ歩くと中川に架かる上平井橋がある。 橋の下流側で中川に綾瀬川が合流し、その先には、頭上に架かる「かつしかハープ橋」に首都高中央環状線が走り、中川には「上平井水門」がある。、、、、ハープ橋と水門を横に見て上平井橋を渡る。 上平井橋は右岸 (西詰) の葛飾区東四つ木一丁目と左岸 (東詰) の西新小岩三丁目および五丁目の間を結んでいる。 橋は、2連の下路曲弦ワーレントラス橋で、昭和40年(1965)竣工である。 

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・・・・・・・・・・ 上平井水門かつしかハープ橋

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● 西新小岩の町を歩き、新小岩駅に到着。

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