南千住
今日の散歩は、北の隅田川、南の都電荒川線に挟まれ、国道4号(=日光街道)の西側に広がる荒川区南千住1丁目と6丁目をブラブラしてきたので、気になった数件を紹介する。 1万2千歩
● 江戸時代に“南千住”という地名はなかった。 慶長9年(1604)日本橋を起点として五街道が定められ、奥州街道の第一の宿場が千住宿であった。 千住宿の中心は本宿と呼ばれ、現在の北千住(足立区)である。 千住宿は次第に発達し、南北に伸びていった。 南に伸びた千住宿は、大川(=現:隅田川)の南(対岸)にあった当時の小塚原村・中村など村にも広がり、明治時代には“南千住町”となる。 つまり、南千住は千住の南外側に位置する町である。、、、、現:南千住駅は、JR常磐線、東京メトロ日比谷線、つくばエキスプレス線が乗り入れるターミナル。 西側の駅前には賑わいはなく、静かな駅だ!(駅の東側、汐入地区にはタワマンが建ち並び、ショッピング街もある)
● 南千住6丁目には、昭和37年に完成したプロ野球大毎オリオンズ(現:ロッテ)の「東京球場(=東京スタジアム)」があった。 35000人収容の東京球場は当時大毎オリオンズのオーナーで大映映画社長、永田雅一の発案により、竹中工務店の施工で、28億円の巨費を投じて建設され、その年から大毎オリオンズ(昭和39年から東京オリオンズ)のホーム球場となる。、、、、その後、球場は下町のファンに愛され続けたが、集客は伸び悩み、昭和46年(1971)、大映は球団の経営権をロッテに譲渡し本社の経営再建に乗り出すものの倒産。 関連子会社の東京スタジアムも赤字が膨らみ、経営権は翌47年に国際興業社主の小佐野賢治の手に移った。 小佐野は球場を使用するロッテに球場の買取を求めたが、ロッテとの交渉は決裂し、昭和47年球場の閉鎖となる。 開場からわずか11年目のことだった。、、、、昭和52年(1977)都が買収し、球場を撤去し、跡地は大半が荒川区の管理する荒川総合スポーツセンター・南千住警察署などに変わった。(現在、球場跡を示す遺構は何も残っていない)
・・・・・・・・・・ 東京救助跡地に建つ荒川総合スポーツセンター、南千住警察署
・・・・・・・・・・ 東京球場の建設は戦後の話、では建設前の東京球場の敷地は?、、、、ここ荒川区南千住には、明治12年(1879)に操業を開始した官営の千住製絨所(明治新政府によって設立され、被服生地を製造 )があった。 同工場は戦後は民間に払い下げられ、大和毛織が所有する生地工場となったが、昭和25年代(1950年代)に入ると業績が悪化。 工業用水として使用していた井戸の枯渇や様々な規制、労使間争議の慢性化などによって経営難に陥り、昭和35年(1960)に閉鎖された。 閉鎖された大和毛織の跡地は、当時の大映の永田雅一が約10億円で取得し、東京球場が建設されることとなった。、、、、東京球場跡の北側にある、スーパーマーケットのLIFE、都立荒川工科高等学校なども千住製絨所の跡地である。
・・・・・・・・・・ LIFEの脇に残る製絨所の煉瓦壁の一部。 都立荒川工科高等学校のグランド脇にも煉瓦塀の一部が残っているが、今日は煉瓦塀が仮囲いで覆われて、何やら改修工事してるようだ。、、、、貴重な文化財であり、産業遺産、風景遺産でもある煉瓦塀、大切に保存してもらいたい。
● 南千住6丁目にある、私好みのチョイト古そうで興味をそそる建物
● 南千住6丁目の南隣は1丁目。 南千住1丁目には都電荒川線始点・終点である三ノ輪橋停留場(みのわばしていりゅうじょう)がある。、、、、明治44年(1911)4月16日、東京鉄道の停留場として開業。当時は終点。 大正2年(1913)には、王子電気軌道の停留場が開業、東京市電との接続地点となる。 昭和17年(1942)に王子電気軌道が東京市に買収され、東京市電三河島線(現・荒川線)となる。、、、、お年寄りが多く利用する、昭和の下町の停留場。 バラが咲くころはカメラマンも多くなるね!
● 三ノ輪橋停留場の脇には、長さ約400mの下町商店街「ジョイフル三の輪」があります。 都電荒川線の前身である王子電気軌道の開通が大きく影響して形成された商店街。 映画・TVドラマのロケ地としても使われている、昭和レトロな商店街。、、、、午前9時、どちらの店もまだ営業準備中で、静かな商店街!
・・・・・・・・・・ 商店街の中程に、嘉永年間(1848~1854)創業のそば屋「砂場総本家」がある。 日本で1番古い「砂場」である。 営業時間内に来たら、ぜひぜひ食することをお薦め!
・・・・・・・・・・ 商店街から一本裏道に入ると、開運・芸術・延寿の神として中島弁財天が祀られている。 東日本大震災で配管が壊れ廃業した至近の銭湯「弁天湯」から像を譲り受けた商店街が、ほこらを作って祭ったそうだ。 高さ70cm程、大正時代創業の「弁天湯」女湯脱衣場の庭にあった弁天さまらしい。 女を視る目には相当の年季が入っている神さまかも?
● 南千住6丁目を中心に歩き疲れ、南千住駅前からバスで帰る!