木根川薬師
9月に入っても、猛暑、熱帯夜が続いた。 今朝の天気予報では、最高気温は猛暑日以下の31℃、午前曇り、午後雨。 『この天気なら、熱中症のリスクは低く、雨も降らんだろう、午前中は散歩ができそうだ!』と言うことで、久々に散歩に出た。 京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで、1万1千歩の散歩。
● 四ツ木駅で下車すると、『アレ、傘さしてる人がいる?』、チョイト落ちてきたようだ。、、、、今日は四ツ木駅から高砂駅まで、押上線高架化工事の進捗を確かめながら歩くつもりで家を出たが、急遽予定変更、途中で雨が降ってもスグ散歩を中止できるように新小岩駅に向かって歩くことにした。
● 四ツ木駅前から東に蛇行しながら伸びる「渋江商店街」を歩く。 “渋江”は昔の地名である。 約400m程の商店街の両側に会員店舗全19店が、ポツポツと点在し営業している、チョイト寂しい商店街。、、、、下町の古い商店街は寂れていくね。
● 渋江商店街を抜け、東四つ木の裏道を歩く。 裏道は狭く曲がりくねり、高層の建物は見られない、最大3階建てだ!、、、、玄関前の柿の木に青い実を発見、秋だ!!
● 東四つ木一丁目の裏道に王子白髭神社の参道がある。 参道の奥で多くのやぶ蚊に守られ、静かに鎮座するご祭神の“貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)” 、、、、清和天皇の第七皇子貞辰親王が東国遊行の途中、元慶元年(937)、この地で亡くなった。 たまたま浄光寺に留錫中の比叡山慈覚大師は、親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行って以来、浄光寺がその古墳を管理したことに始まると伝えられている。、、、、神社は、もと上木下川村にあり、その地が荒川放水路(現:荒川)の敷地となり、大正8年(1919)、浄光寺とともに現在地に移った。、、、、参拝には蚊取り線香の持参をお勧めする。
● 王子白髭神社の参道を戻ると、天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺と言われてる「青龍山薬王院 浄光寺」がある。 その創立は貞観2年(860)と伝えられている。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、昔から「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。 応永年間(1394~1427)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶えるのを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。 以来関東屈指の古い寺院として一千年の法燈を伝え、天正19年(1591)徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜りながくその祈願所とされた。 江戸名所の一つとして文人墨客の訪れるのも多い。、、、、現在の浄光寺は大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)開削のため、上記の王子白髭神社などと一緒に現在地に移転した。
・・・・・・・・・・ 仁王門にある金剛力士像は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。 胎内に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したとされている。「阿形」「吽形」の両金剛力士像の大きさはともに275cmで、怒りを顔にあらわし、全身にに力がみなぎっている。
● 浄光寺から南へ歩くと中川に架かる上平井橋がある。 橋の下流側で中川に綾瀬川が合流し、その先には、頭上に架かる「かつしかハープ橋」に首都高中央環状線が走り、中川には「上平井水門」がある。、、、、ハープ橋と水門を横に見て上平井橋を渡る。 上平井橋は右岸 (西詰) の葛飾区東四つ木一丁目と左岸 (東詰) の西新小岩三丁目および五丁目の間を結んでいる。 橋は、2連の下路曲弦ワーレントラス橋で、昭和40年(1965)竣工である。
・・・・・・・・・・ 上平井水門とかつしかハープ橋
● 西新小岩の町を歩き、新小岩駅に到着。