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2023年9月15日 (金)

下町商店街

今日は10週間ぶりに、上野駅近くの総合病院で泌尿器科の検診日。 特別悪いところなし、前立腺肥大の薬をもらい、また来てね!、、、、9時過ぎ外は暑そうだが、浅草橋駅近くの我が家まで歩いて帰ることにした。




● 昭和31年(1956)紀元節(2月11日)に地下鉄銀座線の稲荷町駅付近に開院した、チョッピリ古い永寿病院。 その後、名前は永寿総合病院と変わり、現在地の東上野へ移転した。 病院の運営母体である公益財団法人ライフ・エクステンション研究所は、生活習慣病検診の草分けであり、「活動年齢の延長」が理念である。 病院は、内科系・外科系・産科、婦人科・小児科等の科を有し、400床の総合病院。 台東区唯一の中核病院でもある。、、、、我が家の隣りの老夫婦、我が家の向かいの御老体、我が家から二軒先の御老人、みんなこの病院で亡くなった(合掌)

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● 病院から南東へ春日通りに面し、つくばエキスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅出口の脇に佐竹商店街のアーケードが見える。 春日通りは商店街の北端で南端は清州橋通り。 全長330mの全蓋式アーケードの商店街である。、、、、佐竹商店街は、台東区台東3丁目・4丁目の東側に、明治31年(1898)に商店街組合を結成した、金沢の片町商店街に続き日本で2番目に古い商店街である。 ちなみに、都内では人形町の商誠会は明治42年(1909)、渋谷道玄坂商店街が明治45年(1912)である。、、、、商店街名の“佐竹”は、江戸時代に当地に出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)があったことに由来する。、、、、私が記憶している佐竹商店街は、戦後の下町情緒豊かな商店街であったが、今は近くにできた大型量販店・スーパー等に負け、店主の高齢化もあり廃業した店も多い。 地元の住人としてはチョイト寂しいね!

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● 佐竹商店街を抜けた先にある都営住宅「台東小島アパート」は、東京五輪の昭和39年(1964)に建てられた。 整然と窓が並ぶ四角い巨大な建物は、頑固爺のような威厳を感じさせる。 そろそろ建て替えの時期かも? この建物の1階には、かつて三味線堀マートというスーパーがあったが、今は無い。、、、、名前の“三味線堀”は、寛永7年(1630)に近くの鳥越川を掘り広げて造られ、その形状から三味線堀とよばれた物資の集積場に由来する。  

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● 佐竹商店街南端から南へ150m程歩くと、コレマタ、おなじみの「おかず横丁」(台東区鳥越1)がある。 蔵前橋通りの北側に平行する通称「おかず横丁」、正式名は「鳥越本通り商盛会」。 戦火を免れた古い建物(看板建築・銅板建築・出桁造り)も残る下町の商店街。 何かとTVでおなじみの人も多いかと思う。、、、、しかし、この商店街も変わった! 商店街には私の小学校の同級生も多くいたが、どこも代が変わり、客も変わり、店は変わり、建物も変わり、知る人も居ない。

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● おかず横丁を抜けると、鳥越神社までは約150m。 手を合わせて帰ろう。、、、、さいふの中の小銭を全部、賽銭箱に投入。 紙幣はポッケにナイナイ。、、、、我が家までは徒歩3分、タダイマ!

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