ちょいと千葉街道
JR総武線西船橋駅から千葉街道に沿って西(東京方面)へ向かって本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。
● 我家の最寄り駅:浅草橋から行先未定で総武線に乗り、『さて、今日はどこで降りようか?』 考えても決まらない、乗車した電車は西船橋行き。 終点の西船橋から歩くことにした。、、、、西船橋駅(にしふなばしえき)は、3社5路線が乗り入れる、JR東日本(総武線、武蔵野線、京葉線)・東京メトロ(東西線)・東葉高速鉄道(東葉高速線)の駅である。 利用客数は、すべての路線を合計すると千葉県の駅では最も多く、県内最大のターミナル駅である。 最大のターミナルだが駅前の賑わいは“いま一つ”、隣の船橋駅の賑わいには負ける! 集客力の無い駅前のラブホテル街と乱立するマンションが邪魔をしてるのかも?
● 西船橋駅から市川駅の西で江戸川を越えた処までは、千葉街道(=国道14号)がJR総武線(海側)と京成本線(山側)の間を平行してる。(千葉街道からJR、京成の線路までは約200m以内) 今日の散歩は千葉街道沿いに西(東京側)に歩くことにした。
・・・・・・・・・・ 西船橋駅前の千葉街道に出る。 脇には千葉街道を跨ぐJR武蔵野線のガードが見える。、、、、武蔵野線の新松戸駅~西船橋駅間(14.3km)が完工したのは昭和53年(1978)5月26日。 その年の10月2日から同区間の旅客営業が開始された。 このガードも同年に完成したものかも(?)
・・・・・・・・・・ 西船橋駅から北に200m程、小高い森の中に印内町春日神社が鎮座する。 印内町春日神社の創建年代は不詳だが、享保年間(1716~1736)には既に名前が残されているそうだ。
・・・・・・・・・・ 西船橋駅から徒歩5分位、千葉街道から脇道を覗くとブロック塀の中に“庚申”の文字が見える。 庚申塔があった。、、、、庚申塔には、寛政12年(1800)の銘があり「是より かまがやみち」と記されてる。 この庚申塔は近くからここへ移されたらしい。、、、、庚申塔の横に御影石に「無線電信所道」と書かれた道標があった(スゴイものを発見した気持ち、ヤッター!) これは、千葉街道のこの地から、北(現:行田団地)にあった、旧海軍の無線電信施設への道を示しているものらしい。 この海軍無線電信施設から、太平洋戦争開戦時、真珠湾攻撃の開始を司令する「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が打電されたのである。
・・・・・・・・・・ 京成本線の西船駅近く、千葉街道に面して葛飾神社がある。 葛飾神社の創建年代等は不詳。 葛羅(かずら)の井戸の西側に鎮座し元惣社明神とも一郡総社葛飾大明神とも称していたが、大正5年(1916)当地にあった熊野権現社に合祀され、葛飾神社と改称した。、、、、本殿を囲む玉垣の中に聳え立つクロマツは、幹が二股に分かれて社殿を覆うように枝が笠状に伸長し、その姿は社殿と一体化した景色を演出している。 クロマツの樹高は13m、幹回り3.42m、葉張り16.5mで、市内では最も太いクロマツと言うことだ。、、、、【ついでの話】神社のある船橋市の西隣:市川市の“市の木”はクロマツ。 市川・本八幡・中山の付近では、クロマツが多くみられる。
・・・・・・・・・・ 葛飾神社の西100m程の斜面に、庚申塔と薬師如来坐像が祀られている。 これは、薬師如来を主尊とする庚申塔だそうで珍しいものらしい。 薬師如来の顔がよく見えず、チョイト残念。
・・・・・・・・・・ 千葉街道の「中山競馬場入口交差点」付近で見つけた「競馬場入口」バス停。 『アリャ・マー なんと一日1本の運行だ! しかも18時台だ!』 反対方向行きのバスは、朝6時台に1本のみ。、、、、朝6時台に乗って何処かへ行き、18時台に帰って来る人向けの運行ダイヤと思われる。 どんな人が、どんな用事で利用すのか気になるね!
・・・・・・・・・・ 京成本線の東中山駅近くに来ると、千葉街道に2寺が続く。、、、、まずは、船橋市東中山にある浄土宗寺院の薬王山神将院東明寺。 東明寺は、弘治3年(1557)の創建。 古い寺らしいが、境内は狭く、建物は新しそうだ。
・・・・・・・・・・ 続いて、日蓮宗寺院の多聞寺は、寳珠山と号す。 多聞寺は、永仁6年(1298)に創建した。、、、、こちらの寺も、建物は比較的新しい。
・・・・・・・・・・ 多聞寺から100m程歩くと小栗原稲荷神社がある。 稲荷神社から多聞寺の裏山まで、かつては小栗原城があったそうだ。 小栗原城は標高20mほどの舌状台地先端部にあった城で、この稲荷神社が主郭と言われてるらしい。、、、、境内を綺麗に清掃されている方に出会いました。 本殿の床下を掃除しながら『本殿にシロアリが大量発生して困ったもんだ!』 拝殿前に来ると落ち葉を掻き集めながら『床下にホームレスが住み着いて、これまた困ったもんだ!』 シロアリもホームレスも、綺麗に清掃された社殿の床は住みやすいのかもね(?)
・・・・・・・・・・ 船橋市から市川市に入り、中山法華経寺へ向かう参道入口を通過
・・・・・・・・・・ 千葉街道から木下街道が分岐する地点(市川市鬼越2)に古い煉瓦作りの蔵のある中村家の建物がある。 中村家は、木下街道と千葉街道の交差点付近に位置することから、地の利を生かし、明治期においては陸軍御用達の馬糧商(ばりょうしょう)を営み、大正期になると味噌醸造業に転じた。 馬糧商時代の倉庫を転用するなどして、広大な味噌工場を有し、東京方面に出荷するほどの大規模醸造所であった。 敷地内の各建造物はおおむね明治後期のものらしい。 出桁造の主屋、煉瓦造りの蔵、石造風に化粧目地を施した洋風建築の事務所などが国の登録有形文化財に指定されている。
・・・・・・・・・・ 京成本線鬼越駅の近くには日蓮宗寺院の塚原山常開寺がある。、、、、常開寺は、中山法華経寺の上人が応安7年(1374)に創建した。
・・・・・・・・・・ 常開寺参道入口前で気になった床屋さん「アイカワ」 どうやら昭和レトロな雰囲気の床屋さん、赤青白のサインポールもグルグル回ってた、営業中だ!
・・・・・・・・・・ 真間川を越えると市川市役所前に「不知八幡森」、その先には「葛飾八幡宮」の参道がある。 本日の千葉街道の散歩はココまで、左に曲がれば本八幡駅だ。
● 本八幡駅から帰る、我が家のある浅草橋駅までは、電車に揺られて8駅、20分。