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2023年10月17日 (火)

砂町は砂村町

東京メトロ東西線南砂町駅から北に向かって、JR総武線亀戸駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 東京メトロ東西線の南砂町駅(全て音読みで“みなみ すな まち”です、訓読みにして“なん さ ちょう”とは読まないで!)は、昭和44年(1969)3月29日に開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、コロナ前の東西線は、千葉方面からのアクセスが良く、年々利用客が増加し、一時期一日利用者数が150万人近くに達し、朝の通勤ラッシュ時間帯の混雑率が200%前後となった。 そこで南砂町駅では、ホームを1面増やし2面3線構造とし、駅の混雑緩和をはかる改良工事に着手した。 ところがドッコイ、コロナで利用者が減り、着工前の段階では2020年度完成予定となっていた工事は、その後2027年度完成予定へ大きく変更された。

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・・・・・・・・・・ 南砂町駅に到着した都心方面に向かう三鷹行きの電車は満員、東西線の混雑緩和は急務だ!

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明治通り(=都道306号)に沿って北上する

・・・・・・・・・・ マンションの前にはゴミの山、、、、収集したゴミを焼却するのは大変な仕事だ!

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・・・・・・・・・・ 南砂の中心(?)、明治通りと葛西橋通りが交差する「南砂四丁目交差点

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・・・・・・・・・・ “砂町”という地名の謂れは、江戸時代「宝六島」と呼ばれていた地を砂村新左衛門一族が開拓したことにより「砂村」という地名が付き、大正10年(1921)7月の町制施行とともに「砂町」となった。 ところで、“砂村”は一族名で、“砂”の“村”ではない。 町制施行では、“砂村”に“町”を足して“砂村町”とするのが正しかった(?)。 砂町は現在の北砂、南砂、東砂、新砂にあたる。



・・・・・・・・・・ 仙台堀川公園(川の多くを埋め立てた親水公園)を横切る

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・・・・・・・・・・ 北砂2丁目の志演尊空神社(しのぶそんくうじんじゃ)に立ち寄る。、、、、志演尊空神社は、志演神社と、尊空神社が昭和22年(1947)に合併して志演尊空神社となった。 志演神社は、当地八右衛門新田村を開拓した際に菅原長寛が稲荷神を勧請して創建した。 後に、徳川綱吉が鷹狩りの際に志演神社と命名した。 尊空神社は、伏見宮家・守理法親王の御子で知恩院第三六世門主だった尊空親王を奉斎していた神社である。、、、、社号の“しのぶそんくう”は難読だ!

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・・・・・・・・・・ 数ある商店街の中で戸越銀座商店街と肩を並べて全国的に有名な商店街、その名は「砂町銀座」。、、、、戦前は30軒位の普通の商店街であった。 昭和7年10月1日、当時の商店会の記念式典で城東区選出の東京市会議員宇田川氏により『この通りが早く砂町銀座と呼ばれるような一大繁華街となられん事を望む云々』の祝辞を受け、その晩早速役員会を開き通りの名を砂町銀座にしてしまったそうだ。、、、、今日、立ち寄った時刻は9時前、店の多くは開店準備中。 商店街の途中から裏道に入る。

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・・・・・・・・・・ 砂町銀座の北側、100m程の距離で平行する裏通りに「こうづけ堀通り」の道路名。 名前の脇に「吉良上野介下屋敷堀跡」と記されてた。 周囲をキョロキョロ探すが、極々普通の裏通り、それらしき遺構もない。、、、、討ち入りしたのは、本所松坂町の吉良邸だ。

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● これより、小名木川、中央銀座商店街、大島6丁町目団地、昭和橋通りの順で、2020/8/2の散歩コースを逆さに歩いて亀戸駅へ到着。

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