« 白石 まち歩き | トップページ | 消えた遊郭跡 »

2023年11月19日 (日)

六義園・不忍通り

今日はチョイト遅めに家を出て、9時過ぎに駒込の六義園に行く。 六義園を散策し、その後は不忍通りに沿って歩き、JR御徒町駅まで、1万6千歩の散歩です。



駒込駅は明治43年(1910)11月15日に国有鉄道の駅として開業。 創業123年、駅の老舗だ!、、、、島式ホーム1面2線の地上駅であるが、改札は2か所ある。 西側(池袋方)の改札は、山手線ホームから階段を上った先の橋上駅舎(北口・南口)にある。 東側(田端駅寄り)には、階段を下りた先に改札(東口)がある。 地形が傾斜してるため、西側が掘割、東側が盛土上にホームがある珍しい構造となっている。、、、、山手線の駅の中では地味な存在である。 『山手線の駅名、順に言える?』、『駒込駅の特徴、言える?』、『駒込駅最寄りの名所は?』、『駒込駅は何区に在るか?』 何かとクイズのネタになりそうな駅だ!

2311190913260

2311190918530



・・・・・・・・・・ 駒込駅前には本郷通りがあり、本郷通りは跨線橋「駒込橋」で山手線を越える。 駒込橋は山手線 池袋~田端間が開通した時にできた橋。 現在の橋は平成3年(1991)に、地下鉄南北線の工事に伴い架け替えられた。、、、、橋の袂の「染井吉野桜記念公園」に先代の欄干の一部が保存されている。

2311190920010

2311190917040




● 駒込駅から徒歩数分、都立庭園の「六義園(りくぎえん)」に寄る。、、、、六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていた。 元禄8年(1695)、五代将軍:徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて回遊式築山泉水庭園を造り上げた。 柳沢吉保は文学的素養が深く、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」に由来して庭園の名称を「六義園」と名付け、“むくさのその”と呼び、館を「六義館」、“むくさのたち”と称したそうだ。 明治時代に入り、三菱創業者:岩崎弥太郎の所有となった当園は、昭和13年(1938)に東京市に寄付されて一般公開されることになった。、、、、今日は、紅葉を求めての来場者も多く予想され、普段は閉門している駅に近い染井門から入園できた。 開門直後に来たのだが、すでに多くの人が入園し、日本の美を求める外人も多くみられた。、、、、チョイト早すぎたようで、樹々の彩づきは、日光の手前(=今市=今一だ!)

2311190922520

2311190928530

2311190939080

2311190953490

2311190955429_stitch

2311190955540

2311191004560




● 六義園を出たら不忍通り(しのばずとおり)沿いに歩く

2311191018380

・・・・・・・・・・ 本駒込4丁目に「神明都電車庫跡公園」があり、そこには懐かしき50年程前の、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が保存されている。、、、、都電6000形は、昭和22年(1947)から28年まで290両が製造された車両で、公園にあるのは63番目で、昭和24年3月に造られ青山車庫に配属されたのを皮切りに、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年9月に神明町車庫に配属された。 その後、昭和45年(1970)に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車になった。、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となる。、、、、神明町車庫の管轄は、20系統の江戸川橋から須田町までと、40系統の神明町車庫前から銀座7丁目までであった。 銀座~日本橋~須田町~上野公園の区間では、私も40系統の都電に乗っていたと思うね! お世話になりました!

2311191024220

2311191028570

2311191025130



・・・・・・・・・・ 道灌山下交差点から、一本裏の通りである「よみせ通り」を歩く。 よみせ通りは、かつて、両側500m程に露店(夜店)が軒を並べ、夜の更けるまで賑やかであったことから、「よみせ通り」と呼ばれるようになった。 また、通りの中程には地蔵尊も祀られており、毎月24日に縁日が開催されるそうだ。、、、、道路で、お向かいのおばちゃん同士が世間話を始めるなど、下町の商店街として、いい雰囲気が残っているね!

2311191048490

2311191052380

2311191056390



・・・・・・・・・・ よみせ通りに直交する「谷中銀座商店街」(台東区谷中)にもチョイトブラブラ、、、、谷中で一番元気な商店街、通りの東端には「ゆうやけ段々」と呼ばれる石段がある。、、、、歩いているのは、観光客ばかり、外人もいる、猫好きもいる。 地元の人はどこにいる???

2311191103270

2311191103410

2311191110420

2311191112430



・・・・・・・・・・ 再び、不忍通りを歩く

2311191129100



・・・・・・・・・・ 不忍通りから横道を覗くと、木造3階建ての串揚げ屋「はん亭」(文京区根津2)が見える。 明治時代に建てられた建物は関東大震災や戦災もくぐりぬけ登録有形文化財にも指定された。 もともとは下駄の爪皮屋だったそうで、(爪皮=雨や泥などをよけるために下駄などの爪先につけるおおい)その後運送屋さんの独身寮にもなったそうだ。 今は串揚げ屋!

2311191218310



・・・・・・・・・・ 池之端二丁目交差点の角に、またまた都電が保存されてる。 ここは、かつて「池之端七軒町」停留所があった処。 20・37・40系統の電車は、須田町(神田)方面から中央通りを走り、上野公園の電停からは上野の山下を専用軌道で走り池之端七軒町で不忍通りに合流していた。 都電が保存されているこの場所はその合流点である。、、、、保存されている電車は7500形の都電。 7500形は都電で初めて冷房装置が搭載された車両である。、、、、(モノクロ写真は案内板にあった、専用軌道から不忍通りに合流する池之端七軒町)

2311191224220

2311191223579



・・・・・・・・・・ 不忍通りは、不忍池の西側をとおり上野四丁目交差点(「ABAB」の前)で中央通りに合流する。 ハイ、ココまでよ~~!

2311191228300

2311191234550

2311191244560




御徒町駅(おかちまちえき)は京浜東北線電車および山手線電車の2系統が停車するが、正式な線路名称は東北本線のみである。 大正14年(1925)11月1日、鉄道省東北本線の駅として開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅である。 アメ横、上野松坂屋の最寄り駅。

2311191306260

2311191306510

2311191308000

2311191308330

« 白石 まち歩き | トップページ | 消えた遊郭跡 »

散歩」カテゴリの記事

台東区」カテゴリの記事

豊島区」カテゴリの記事

文京区」カテゴリの記事