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2023年11月14日 (火)

七ヶ宿ダム

毎年秋になると、当たり前だが我が夫婦の結婚記念日がやって来る。 今年は娘が、宮城蔵王の山裾にある鎌先温泉の「湯主一條」という宿を予約してくれた。 一泊の温泉旅行だが、宿泊先が先に決まったので『さてさて何処を観光しようか?』 初日(11月14日)は私の好きなダム見学で「七ヶ宿ダム」、二日目は宿泊先の最寄り町である白石市の街歩きを予定し、出発進行!




● 9時過ぎに東北新幹線の白石蔵王駅に降り立つ。 在来線の白石駅とは離れており、新幹線専用の駅である。 白石蔵王駅の令和4年(2022)度の1日平均乗車人員は約700人と少ない、閑散とした駅である。 当駅は東北新幹線の福島駅~仙台駅間(79.0㎞)の中間地点として、昭和57年(1982)6月23日の東北新幹線(大宮駅~盛岡駅)暫定開業に合わせて開業した。 中央に通過線(上下各1線)があり、その外側に上り線側が島式ホーム1面2線と下り線側が単式ホーム1面1線で合計2面3線を有する高架駅。、、、、駅名には“蔵王”の文字があるが、蔵王山頂行きのバスは廃止され、“蔵王”へ行くのは山形からがメインルートである! 駅名から“蔵王”が消えるかも?

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● 白石蔵王駅から一日5往復(土日は3往復)の七ヶ宿町営バスに乗る。、、、、宮城県の南西端、蔵王連峰の南に位置する七ヶ宿町(しちかしゅくまち)は福島県と山形県に接する小さな町である。 白石市から新潟方面に抜ける国道113号線が七ヶ宿町に入った処(渓谷)に「七ヶ宿ダム」がある。 町営バスは白石市からダム堤体、ダム湖に沿って七ヶ宿町へ向かう。 運賃はナント、全線均一の200円だ! 乗客は私達夫婦を含め4人、白石蔵王駅から約40分、ダム管理所のある処で私達を降ろしてくれた。

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・・・・・・・・・・ まずは、ダムの全体が見える展望台へ、、、、ここには誰もいない! チョイト寂しい展望台、、、、ダムのプロフィールは、型式:中央コア型ロックフィルダム、堤高:90m、堤頂長:565m、総貯水容量:1億900万m3、管理者:国土交通省、本体着工:昭和56年(1981)8月24日、完成:平成3年(1991)10月22日、本体施工:佐藤工業・フジタ・青木あすなろ建設。 当ダムの目的は、洪水調整、灌漑用水供給、水道用水供給。 特に水道用水は仙台市を中心に8市9町に供給してる。、、、、ダム湖の湖底には七ヶ宿町の町名の由来となった七つの宿場の一つ渡瀬宿が沈んでいる。

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・・・・・・・・・・ 洪水吐を望む、、、、湖水の水量は少なく、洪水吐ゲートから流れ落ちる水はナイ、チョイト残念!

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・・・・・・・・・・ 堤頂にも人影はナシ、、、、堤頂から眺める、ダム湖(七ヶ宿湖)、下流側の渓谷

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・・・・・・・・・・ ダム湖の岸に七ヶ宿ダム管理所がある、、、、ダム情報・建設資料など展示物を拝見し、ダムカード(蒐集する人も多いそうだ)もいただいてきた。 ちなみに、本日の見学者の一番乗り。 日暮れになれば、最終の見学者になっているかも?

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● 約1時間ダムを見学し、只今時刻は11時過ぎ。 帰りの町営バスは、本日3本目の13時半までナシ、まだ2時間以上先だ!、、、、私『どうしよう?』 妻『タクシー呼ぼうよ、こんな処まで来てくれるかな?』 私『まだ昼前だ、とりあえず白石の町の方に歩いて見よう!』 、、、、ハイキング気分で国道113号線を夫婦が歩く!、、、、歩くこと1時間余り、やっと民家が見えてきた、されどバスは来ず、、、、さらに歩いて30分、農家のおじさんが声をかけてきた。 『どこから来たの? 何処へ行くの? バスは来ないよ!』 別れて、再び歩く!、、、、そして、ナント、農家のおじさんが、車で追っかけてきた『白石へ行くから乗んな!』、、、、白石のう~めん屋さんまで乗せていただき、有難うございます!

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● 車に乗せていただき、予定より早く白石でう~めんを食べることができた。 『ヨシ、時間も余ったから、白石城へ行こう』


・・・・・・・・・・ 白石城は、中世の頃は白石氏(刈田氏)の居館だった。 戦国時代末期には城主が何度か変わり、江戸時代には仙台藩家臣の片倉氏の城となり、明治維新まで存続した。  その後、白石城は陸軍省、大蔵省の管轄を経て、明治7年(1874)に民間へ売却され取り壊された。 明治33年(1900)には城跡が益岡公園となった。、、、、昭和62年(1987)、NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されたのを機として、正宗の家:臣片倉景綱が注目され、景綱が預かった白石城の復元の機運が高まる。 城の復元は原型に忠実に行うよう計画された。 復元工事は平成4年(1992)に始まり、平成7年(1995)に三階櫓、大手の一ノ門と二ノ門、土塀の復元が完了した。 その後も、東日本大震災などで被害が出たが、市の熱意で復旧工事が行われ完了した。、、、、木造による復元で学術的にも評価されている。 天守閣に登る階段は木造で滑りやすく、ものすごく急である、滑って落ちそうで危ない階段だ。 年寄りには無理かも? スカート姿の女性も、上り下りには要注意!(盗撮されるかも?)

 

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・・・・・・・・・・ 白石城のある公園内に、天照大御神を主祭神とし伊達政宗と片倉景綱が合祀されてる「神明社」がある。 創建は大同2年(807)、本来は白石の別の地に鎮座していましたが、度重なる大火で社殿を失ったため、明治33年(1900)に現在の地(白石城二の丸跡)に移転した。、、、、地元の神様、鎮守様だそうだ。 参拝して行こう!

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● 本日の宿は鎌先温泉「湯主一條」、、、、今から約600年前の室町時代、白石の木こりが鎌の先で岩の隅を打ったところ温泉が湧き出たことから、「鎌先温泉」という名がつけられた。 「湯主一條」は、この地で綿々と歴史を紡いできた老舗旅館だそうだ。 大正、昭和の時代までは、湯治場として賑わっていたそうで、現在個室料亭(食事処)となっている木造本館2棟(国の登録有形文化財)は、湯治場時代の相部屋であったとのこと。、、、、泊まった後で知ったことだが、“じゃらんnet”では「泊まって良かった宿ランキング第1位」の宿だった!!

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明日は白石市でも散策して帰ろう! おやすみなさい!

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