浅草の三十三間堂
日本列島に寒波到来、北陸は大雪、今朝の東京は北風が強く寒い! 遠出は避けて近場の散歩と決めた。 浅草橋の我が家から浅草まで歩いて来た。 9千歩
● 朝7時半過ぎ、運転手不足で1時間当たり4本から3本に減便中のコミニティバスの浅草橋駅北バス停(我が家の最寄りのバス停)前を出発。 外は寒い!
● 近くの鳥越神社に朝の御挨拶。 持ってる小銭の全て17円を賽銭箱に入れ、二礼二拍手一礼して『本日もよろしく!』、、、、風が強い、散歩止めようかと思ったが、行けるとこまで行こう!
● 鳥越神社の先から、浅草方面に伸びる「新堀通り」に入ると。 昭和40年前後(1960~1970)に「JUN」と共に一世を風靡した、ジャケットのブランド「VAN」のロゴが目に入る。 『懐かしいロゴだ!』、当時私は高校生、VANのロゴが付いた服にあこがれた思い出がある。、、、、蔵前4丁目に「VAN SHOP」があった。 早朝で店は閉まっていたが、ガラス越しに見る、アイビールックが懐かしい!(懐かしいけど、70過ぎた今の私には似合わない)
● 「かっぱ橋道具街通り」を歩く。 時刻は朝8時半、まだ多くの店は開いておらず、シャッターが下りたままの道具街。、、、、見るものもなく、つまらないので裏道を歩くことにする。、、、、相変わらず、北風は強く寒い! 日差しが欲しい!
● 地下鉄銀座線稲荷町駅と田原町駅の中程(台東区松が谷1)に、曹洞宗萬年山祝言寺(しゅうげんじ)がある。 太田道灌が室町時代に建立したと言われている祝言寺は、祝言村(現在の日比谷あたり)に建てたが、徳川幕府は江戸城の拡張により祝言寺を含め複数の寺を移転させ、現在の地に移った。 寺は、振袖火事、震災、戦災などで被災し、記録・遺物など一切残っていないようだ。、、、、現在の祝言寺の本堂は、昭和60年(1985)に竣工した(設計は内井昭蔵、施工は大成建設) 渋い黒を基調に繊細なデザインと丁寧な仕上げによる、落ち着いた感じの建物。、、、、また、山門と永代供養塔は平成18年(2006)の竣工(設計はテツク建築設計事務所、施工は大成建設) 特殊な形状のボーダータイルは、燻したような光沢が印象的で、重厚で格調高い雰囲気を演出している。、、、、私の好きな寺院建築の一つ
● 祝言寺の北、台東区松が谷2に矢先稲荷神社がある。、、、、寛永19年(1642)、時の三代将軍徳川家光は京都の三十三間堂にならって、国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立した。 三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われた。 矢先稲荷神社は、この三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 浅草の三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転するが、稲荷大明神は当地に残った。 神社は三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、矢先稲荷神社と称した。、、、、矢先稲荷神社は、その後も関東大震災、東京大空襲などで幾多の困難に遭うが、いずれも難をくぐりぬけて現在に至る。 昭和20年(1945)3月9日の空襲では神輿庫を残し焼失する。 戦後早々に仮殿にて復興後、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造の現社殿が再建された。、、、、浅草に三十三間堂があったことを知る人は少ないと思うね。 聞いてビックリ、知ってドッキリ、忘れてサッパリ!
● 北風ビュンビュン、寒さは変わらず、『もう今日の散歩は止めた、観音様に手を合わせて帰ろう!』