梅は咲いたか
京成曳舟駅から墨田区京島・文花、江東区亀戸の町を歩き亀戸駅まで、1万歩の散歩です。
● 我が家のある浅草橋駅から都営浅草線に乗り5駅目(駅から駅まで約10分)、スカイツリーのある押上駅の次が京成曳舟駅。、、、、京成曳舟駅は平成25年(2013)頃までは地上駅であったが、平成27年(2015)には上下線の高架化が完了した。 高架化後は相対式ホーム2面2線を有する高架駅となり、駅前のロータリーも整備され、周囲には数棟のタワマンも建ち並んでる。 1日平均乗降人員は約18,000人で、大きな駅ではないが、“やぼったい京成らしさ”が抜け落ち、明るいスマートな駅に変わった。
● 駅前から南に歩く。 駅の南に広がる京島地区は、第二次世界大戦による戦災から免れた地域で、戦後は緊急車両も通れない木造密集地区として重点的に整備が行われてる。、、、、京島地区には大正時代からの昭和初期の長屋などが現存し、古い家屋と町工場が混在し、東京でも下町の古い街並みが色濃く残っている地域である。 一方で狭い路地による車の通行の問題や、大規模地震などの災害時の対策も課題となっていた。 最近では、整備の効果が徐々に出始めており、救急車、消防車が通れなかった道も幅を広げ、少しづつ通れるようになってきた。 古い木造住宅は耐火建築に建て替えが進んでる。 小道の要所要所(小公園など)には、消防用の貯水槽、ポンプも設置されてる。
● 京島地区を抜け向島警察署を過ぎると、東武亀戸線の小村井(おむらい)駅がある。 駅前の踏切を渡り、墨田区文花2丁目に入る。
● 小村井駅の南西200m程の処に、旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の御分霊を勧請したと言われてる、小村井香取神社がある。、、、、現社殿は昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りの総檜造りである。、、、、江戸時代、当社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。「梅屋敷」と呼ばれた敷地は約3千3百坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったそうだ。 しかし残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 平成6年(1994)には、境内に「香梅園」が開設された。 梅の季節には80余種・約120本の梅が咲き、梅祭りが開催される予定だ! 今日、境内の梅は既に開花してた! 来週あたりは見ごろかも?
● 小村井香取神社の斜め向かいに「都営文花一丁目第二アパート」がある。 昭和47年(1972)に建てられた、12階建て、235戸が入る大きなアパート。、、、、チョイト最上階から、青空に伸びるスカイツリーに向かってパチリ!
● 小村井香取神社から300m程歩くと北十間川が流れてる。 この川を越えると墨田区文花から江東区亀戸に入る。
● 亀戸天神はまたの機会として、今日は亀戸香取神社に寄って行く。、、、、由緒では、『その昔、亀戸は亀の形をした小さな島で、亀島とか亀津島と呼ばれていたという。 社伝によれば、天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが当社の起源であるという。 承平天慶の乱に際し、平将門の追討に向かった藤原秀郷は、戦勝祈願のために当社に参籠した。乱の鎮定後、奉賽として弓矢を奉納し、勝矢と命名した。5月5日に行われる勝矢祭は、この故事に因むものである。このような由緒や武道の神として崇敬された香取大神の神徳に因み、現在ではスポーツ振興の神として広く崇敬を集めているとのことである。 明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、同23年(1948)再建。現在の社殿は同63年(1988)に落成したものである』、、、、池江璃花子、内村航平と書かれた灯篭が参道にあった。 祈願に来たのかな?、、、、亀戸香取神社は桜でも有名な神社だが、『梅は咲いたか 桜はまだっかいな』 『まだまだですよ!』
● 総武線の亀戸駅に到着、、、、今日は歩きやすい陽気だった! まだまだ歩く体力が残ってる!
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