八広から南千住
天気予報では、暖かくなり散歩日和となるそうだ。 今日は、京成押上線の八広駅で降り、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅前をとおり、南千住駅まで1万歩の散歩です。
● 関東大震災があった大正12年(1923)9月1日より2カ月程前の、7月11日に「荒川駅」として開業したが「八広駅」の始まりである。 荒川駅は荒川(当時は荒川放水路)の土手上に位置していたことに由来している。 駅名は平成6年(1994)4月1日に「八広駅」に改称したが、駅の位置は変わっておらず、ホームの先には荒川橋梁がある。、、、、駅名の「八広」は町名の八広に由来する。 町名の「八広」は、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い寺島町6・8丁目、隅田町4丁目・吾嬬町西5~9丁目の8地区が合併して成立したため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名された。、、、、駅の高架化が完成した平成11年(1999)からは、ホームは3階となり、1番線が片面、2・3番線が島式の2面3線構造。 朝ラッシュ時には1番線が通過列車専用となり、2番線が上り、3番線が下りホームとなる。 改札は2階で1ヶ所のみ。
・・・・・・・・・・ 駅周辺には大きなスーパーは無く、駅前の喫茶店は無く、パチンコ屋も無く、カラオケも無く、下町の家並みだけが目に入る!
● 八広駅から鐘ヶ淵駅に向かう、鐘ヶ淵通り(都道:補助第120号線)の拡幅工事が始まっている。 現在は「Ⅰ期区間」として、墨田区墨田3丁目~東向島5丁目の約370mの幅員を20~23m(既存の道路幅の倍以上)に拡幅してる。 拡幅の目的は、防災拠点への避難路(補助120号線)の整備と沿道の不燃化促進による延焼遮断帯の形成を目指し、街路整備と沿道まちづくりの一体的な整備を行っているそうだ。、、、、いずれ起きると思われる、大震災に向けての対策か? 整備を着実に進めて欲しいね。
● 鐘ヶ淵駅前を歩く。 この駅前踏切を見ると、必ず“自らの脱臼事件”を思い出し、以来、踏切の横断、写真撮影などに注意するようになった。、、、、思い出多い踏切である。
● 隅田川に架かる「水神大橋」を渡り、墨田区堤通から荒川区南千住の町に入る。、、、、水神大橋(すいじんおおはし)の橋名は東岸の墨田区堤通2にある「隅田川神社(水神宮)」に因む。 橋が架けられたのは平成元年(1989)3月で、隅田川の橋としては新しい方だ。 工事は橋の組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという方法を利用した。、、、、両岸の汐入公園(荒川区)、東白鬚公園(墨田区)は東京都の防災拠点として位置づけられており、そのため双方を繋ぐ連絡橋として千住汐入大橋と共に計画された。 当初は歩行者専用橋で、接続する道路の整備が完了した平成8年(1996)より自動車道路供用が開始された。、、、、橋の諸元は、種別:鋼道路橋、形式:3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長:157.0m、最大支間:102.0m、幅員:17.0m、着工:昭和59年(1984)、竣工:平成元年(1989)
● 水神大橋の上から汐入公園の方を見ると、川岸に「隅田川旧防潮堤」の一部が残されている。 公園が整備される以前は、この防潮堤が川の両岸に構築され、高度成長期の“どぶ川”として隅田川は親しみある川ではなかった。 今は、川下の中央区まで「隅田川テラス」が整備され親しみやすい川となった。
● 汐入公園を抜けると、JR南千住駅の東側に広がるJR貨物の隅田川駅がある。 フェンスの隙間から覗きながら南千住駅へ向かう。 電気機関車が並んでる、鉄道オタクにはたまらん光景!
● 南千住駅に到着。 駅前に、東京駅行きのバスが停車してる。 『ラッキー このバスは浅草橋駅前を通る しかも敬老パスで料金は払わずOK』 我が家までのんびりバスに揺られて帰ることにした。
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