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2024年3月

2024年3月31日 (日)

まだ早かった!

東京の桜は、例年より二週間程度遅れ、一昨日開花宣言が出た。 昨日・今日と連日の20℃超えの陽気、この分では、今日あたり一斉に開花して三分咲きぐらいにはなっているだろうと推測し、今日は妻と東京の桜の名所「隅田公園(台東区側)」に、散歩と買物を兼ねて行ってきた。




隅田公園のソメイヨシノは写真のごとく一分咲き(?) どの木も開花した桜を探す程、『まだ 早かったね!』 『やっぱり 満開までは一週間程かかるようだ!』

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● 対岸の墨田区側の桜並木も咲いてない! 『桜まつり』のボンボリと旗が目立つが、人影はまばらだ。

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● ソメイヨシノの桜並木を見ることができず観光客はチョイト残念。 八重桜、河津桜、花桃などが咲いて、落胆する花見客を慰めてくれる。 タンポポも参加して!

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● 公園には「三春滝桜」(平成25年(2013)福島県田村郡三春町から寄贈された)の子孫木が植えられてる。 こちらは三分咲きぐらいかな? 

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● 隅田公園の「桜祭り」は、今年は、3月17日(日)~4月7日(日)の期間で開催してる。 これでは、満開の頃にお祭り終了となりそうだ。 チョイト読みを間違えたかな!、、、、今日は神輿がくりだし、町火消しも出て、多彩なイベントがあるようだ。

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2024年3月27日 (水)

大塚から板橋区役所へ

先週は、『昨日は東 今日は西 春の彼岸の 墓参り』で、我が家の墓は家から遠い、東(千葉市)と西(八王子市)にあり墓参りに忙しい一週間であった。、、、、今日は久しぶりの散歩日和。 山手線の大塚駅から歩きはじめ、2本の道路を道なりに直進したらい板橋区役所の前に着いた。 都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万歩の散歩です。




● 山手線に乗車し、『今日はどこで降りようか?』 考えてる間に池袋に近づいた、池袋は巨大ターミナルなので私は好きではない、一駅手前の大塚駅で出車する。、、、、大塚駅は、明治36年(1903)4月1日に、日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)からは、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。

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・・・・・・・・・・ 北口に出ると、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 行先が決まらず、多くの人が駅に向かって歩いてくる、飲食店が並ぶ裏通りを歩く。、、、、この道を道なりに歩くと、「空蝉橋通り北交差点」を横断し「宮仲公園」の前で「宮仲公園通り」と名付けられた広い通りに合流した。

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● 工事中の宮仲公園(豊島区上池袋1)に「大谷大学開学の碑」がある。、、、、浄土真宗大谷派の教育機関は、古くから京都にあったが、明治34年(1902)に、この地に「真宗大学」が開設された。 その後大正2年(1913)に「高倉大学寮」と合併して京都に移転。 名称も「真宗大谷大学」を経て「大谷大学」となった。、、、、京都にあった大学が東京にキャンパスを設けたが、学生が集まらず、京都に戻ったのかな?

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● 宮仲通りは上池袋交差点で明治通りと交差しさらに直進する。 上池袋交番前までは、広い道路幅の道が続く。

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・・・・・・・・・・ 上池袋交番の近くに、お茶あがれ地蔵を祀る祠(上池袋3-47)がある。、、、、祠の中に、地蔵が一体、右脇には角柱状の庚申塔(宝永元年(1704)銘)が一基ある。 地蔵は「お茶あがれ地蔵」と呼ばれ、その由来は「元禄年間、借金に苦しんだ板橋の宿場女郎が夜逃げをした。 池袋村まで来たが、それ以上歩けなくなり、農家の戸を叩いた。女郎はお茶を、お茶を、と二言、三言云ったが、農家ではどうすることもできず、ついに女は死んでしまった。 その後、毎晩、女の死んだ時刻になると、お茶を、お茶をという声が聞こえるようになり、恐れおののいた村人たちは地蔵を造って女の冥福を祈った」と『武蔵野の地蔵尊(都内編)』に書かれているそうだ。 チョイト怖い話。

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・・・・・・・・・・ この先道は細くなり東武東上線の北池袋駅の方に向かう。




● JR埼京線、東武東上線を渡る「第一雲雀ヶ谷踏切」がある。 埼京線・東上線がしっ切りなしに通過する“開かずの踏切”だ! 歩行者は踏切脇の地下通路を利用して反対側に抜ける。 

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、東武東上線の北池袋駅。 北池袋駅はJR埼京線の池袋~板橋間にあり、ホームは埼京線の脇にある。 昭和9年(1934)5月1日、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年の東京大空襲により駅舎崩壊し、駅は休止・廃止となった。 昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。

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・・・・・・・・・・ 駅前の通りは一車線、大型は無理かも。 駅の周辺は下町風の閑静な住宅街。 地名の“池袋”だけ見ると、ネオン輝く繁華街だがね!

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● 大塚駅前から道なりに真直ぐ歩いて来た道は北池袋駅前をとおり、池袋本町1丁目・2丁目・4丁目が隣り合うT字路で行き止まる。 『さてさて、右へ曲がるか、左へ行くか、悩むね!』と、自分に言って思案橋。 若そうな女性が右に歩いて行くが見えた、『決めた!右へ曲がろう!』

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・・・・・・・・・・ 曲がった通りは商店街なのか、洋菓子屋、和菓子屋、信用金庫、雑貨屋と店が並んでる。 並んでいるのはココまで。 この先は、店が少なかった。 この道の先に何があるかは知らないが、このまま道なりに歩くことにした。

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● 池袋本町3丁目に入ると、池袋本町交番の脇に大きな鳥居がある。 「池袋氷川神社」の参道が拝殿まで続く。、、、、池袋氷川神社の創建年代は不詳だが、池袋という地名が永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」に記載されていることから、この頃には村鎮守として創建していたと推定されている。 祭神は建速須佐之男命、高皇産霊神、天照大御神、保食神、木花咲矢耶姫命の5神。、、、、現社殿は、昭和40年(1965)の造営。、、、、立派な富士塚のある、良く整備された神社。

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● 氷川神社から200m程歩くと、豊島区から板橋区に変わる。 さらに、200m程歩くと東武東上線の下板橋駅と大山駅の中間にある踏切に出た。 踏切の脇には東上線の留置線があり、鉄道オタクにはチョイト嬉しい踏切だ。

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● 踏切を渡り100m程歩くと、子易神社(こやすじんじゃ)がある。 子易神社(板橋区板橋2)の創建年代等は不詳だが、富士浅間神社の分霊を勧請したものと伝えられ、延宝2年(1674)に当社の記録が残っていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられている。、、、、安産・子育の守護神として祀られているそうだ。 70代半ばの私には、安産・子育の御利益は不要だ! 賽銭は少額(50円)にしておいた。 

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● 首都高の下を抜けて北に歩くと、板橋区本庁舎の脇に出た。 歩いて来た道は、本庁舎の前で中山道(=国道17号)にぶつかり、散歩もここまで。、、、、板橋区は昭和7年(1932)に市郡併合により成立した。 当時の庁舎は、旧北豊島郡役所(現在の板橋3丁目5-1)を使用したが、昭和20年(1945)の空襲で焼失した。 昭和22年(1947)に現在地に移転、移転後は数度の増築・建て替えが行われ、現在の庁舎は平成27年(2015)に竣工した。

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● 都営三田線の板橋区役所前駅は区役所の建物の下で直結している。 それにしても、『いたばしくやくしょまええき』とは、長い駅名だ!、、、、昭和43年(1968)12月27日に開業した、相対式ホーム2面2線の地下駅。

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2024年3月15日 (金)

近江商人の町(2)

近江旅行の2日目は、近江八幡駅前のホテルを出て、午前中に五個荘(ごかしょう)の街並みを歩き、午後は再び近江八幡に戻り近江八幡市内の散策、夕方にJRで京都に出て新幹線にて帰京。 チョイト厳しい行程だった。




● 朝9時、通勤通学客が利用する近江鉄道五個荘駅に降り立つ。 駅はもちろん無人駅。 運転手さんが改札係を兼務。 駅前には、コンビニ、喫茶店、パチンコ屋など一切なし! あるのは、町の中心に向かう道路と民家。 

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・・・・・・・・・・ 五個荘の街並みに向かう途中、旧中山道(こんなところに中山道(?)東海道ではありません)に面して「旧五個荘郵便局」(国登録有形文化財)の建物がある。 大正14年(1925)に建てられた幾何学的デザインの郵便局は、昭和39年(1964)まで使用された。 

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● 駅から徒歩30分程で「五個荘金堂の街並み」(重要伝統的建造物群保存地区)がある。(注:“五個荘金堂”とは地名である)、、、、五個荘金堂地区は、近代日本経済の基礎を築いた近江商人の発祥地として広く全国に知られ、現在も商人たちの本宅と伝統的な農家住宅が調和のとれた美しい町並みをつくり出している。 五個荘金堂地区の歴史は古く、奈良時代に寺院が建てられている。 江戸時代には、大和郡山藩の金堂陣屋を中心に古代の条里制地割に沿って、弘誓寺や勝徳寺・浄栄寺などが町の周囲に配置され、集落が形成された。 五個荘金堂地区の近江商人は、主に江戸時代後期から明治・大正・昭和戦前期にかけて、呉服や綿・絹製品を中心に、革新的商法によって商圏を全国に広げた。

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● 五個荘金堂の近江商人屋敷「外村繁邸」、「中江準五郎邸」、「藤井彦四郎邸」も拝見。

・・・・・・・・・・ 外村繁邸、、、、外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年(1956)「筏」が野間文学賞を受賞した滋賀を代表する作家。 外村宇兵衛家の分家として江戸時代末期に建てられた屋敷で、総面積2395平方メートル・建物面積496平方メートルもあり、門を入ると川の水を取り入れた川戸と呼ばれる水屋があり、玄関に続く石畳の右手には広い庭がある。

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・・・・・・・・・・ 中江準五郎邸、、、、中江準五郎は、大正時代から戦前まで朝鮮半島で次々に百貨店を開設し『百貨店王』と呼ばれた三中井一族の末弟中です。 屋敷は切妻瓦葺で、蔵が2棟あり、庭は池泉回遊式で池のまわりには石灯籠や巨石を配しています。 蔵には、滋賀県唯一の郷土民芸品「小幡人形」が常設展示されています。

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・・・・・・・・・・ 藤井彦四郎邸、、、、五個荘町大字宮荘の出身で、「スキー毛糸」で知られる豪商、藤井彦四郎(1876~1956)の生家でもある旧宅。 現在は資料館として、総面積8155.3m2の中に屋敷・土蔵・展示館があり、現在の日本経済の礎を築いたといわれる近江商人の暮らしぶりはもとより、歴史や商法などがわかりやすく展示されている。 この旧宅は、住居というより迎賓館的に建てられたらしい。

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五個荘駅に戻り再び近江鉄道で近江八幡駅に向かう。 JRの近江八幡駅(近江鉄道の駅舎はホームの上)は立派!

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● 近江八幡市内は建築家ヴォーリズ夫婦が住んだ地で、町の随所に彼の作品が残されている。

・・・・・・・・・・ ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、日本名:一柳米来留〈ひとつやなぎ めれる〉、1880/10/28~1946/5/7)は、米国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、キリスト教信徒伝道者。、、、、明治38年(1905)、滋賀県立商業学校に英語教師として八幡町(現:近江八幡市)に着任。 宗教活動が問題となり学校を去る。 その後、関西を中心に建築家や事業家として活動を広げた。 明治41年(1908)、京都で建築設計監督事務所を設立し、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。 大正2年(1913)には、病気療養のため米国へ帰国し、メンソレータムの創業者:ハイドと再会し、日本でのメンソレータム販売代理店となる。 ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者となる。



・・・・・・・・・・ 急ぎ足で回ったヴォーリズ建築  写真の順に、日本基督教団近江金田教会(1950)、吉田悦蔵邸(1913)、ウォーターハウス記念館(?)、ハイド記念館(1931)、ヴォーリズ記念館(ヴォーリズの居宅)、旧八幡郵便(1921)、アンドリュース記念館(1907)、旧近江兄弟社 地塩寮(1940)、日本基督教団 近江八幡教会(ヴォーリズが建てた最初の教会の跡地)

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・・・・・・・・・・ メンソレータムの本家:近江兄弟社本社1階ロビーを「メンターム資料館」として開放し、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡を写真パネル展示している。 チョイトお立ち寄り。、、、、メンタームはその昔「メンソレータム」と呼んでいたが、現在はロート製薬の商標となっている。、、、、本社建物の向かいにはヴォーリズの像もある(鼻筋とおったいい男だ!)

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● ヴォーリズの建築を堪能し、もう一つ近江八幡の古い街並みも拝見。、、、、近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展した。いわゆる近江商人の発祥の地である。  近世の風情がよく残る新町通り、永原町通り、八幡堀沿いの町並みおよび日牟禮八幡宮境内地は「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、時代劇の撮影場所としてもよく使われる。、、、、見何処の多い町で時間が足りない、また来よう!

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● JR近江八幡駅から京都に行き、新幹線で東京へ、、、、チョイト疲れた!!

2024年3月14日 (木)

近江商人の町(1)

14日、15日と滋賀県の近江の町を夫婦で歩いてきた。 米原から、近江鉄道を利用し、彦根、多賀大社、豊郷(とよさと)、五個荘(ごかしょう)、近江八幡の順に沿線の街歩きです。




近江鉄道は、明治29年(1896)6月16日に設立された滋賀県下で最古の私鉄である。 会社は近隣の鉄道会社やバス会社などと何度か合併を行ったが、親会社は変わっても、社名は設立時から一切変わることもなく今日まで続いている。 昭和18年(1943)には、箱根土地(現在の西武グループ)の経営傘下となり、鉄道、バス、観光などの事業を手掛けている。、、、、鉄道の現有路線は、本線:米原駅~高宮駅~八日市駅~貴生川駅 47.7 km、多賀線:高宮駅~多賀大社前駅 2.5 km、八日市線:近江八幡駅~八日市駅 9.3 kmの3路線。 全線電化され、2両編成のワンマン運転で運行している。、、、、主要駅である近江八幡駅や八日市駅でも1日の乗車人員は2008年度でそれぞれ2,000人チョイで、3,000人にも満たない。 米原駅~彦根駅~近江八幡駅にはJR西日本の東海道本線も運行しており、JRには大きく水を開けられ、鉄道営業は赤字となってる。 そのため、沿線自治体が財政支援している。 2019年には、近江鉄道の鉄道事業赤字問題で、鉄道の存廃について検討している滋賀県と沿線5市5町の会合が開催されたが、2020年に全線の存続が決定した。 2024年度(今年度)の上下分離方式への移行を目指している。 運行は近江鉄道が引き続き担い、施設は県と沿線10市町で構成される一般社団法人近江鉄道線管理機構が保有・管理する見通しとなっている。、、、、私も近江鉄道を応援する気持ちで、14日は電車、バス一日乗り放題の『お〜み満喫パス 』。 15日は電車一日乗り放題の『1デイ・スマイルチケット 』を購入して沿線の街歩きをしてきた。(運賃の元は取れたと思う)

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・・・・・・・・・・ 米原駅で新幹線から近江鉄道に乗換える。 近江鉄道の駅舎・ホームは在来線の隣りに小さく寄り添ってる。 乗車する客は私達夫婦を含めて10人程、『コリャ、赤字になるわ!』

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● 米原から近江鉄道で3駅目、彦根駅で下車。 彦根駅から徒歩15分、彦根城の入口にある滋賀県護国神社で旅の安全祈願。

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● 井伊直継により元和8年(1622)に完成した彦根城は、江戸時代以前からの天守が現存している12城の一つで、全国に5つしかない国宝の城の一つである。平野の中にある山に築城された「平山城」であり、石垣や堀・櫓など当時の遺構が多く残る貴重な城。 多くの大老を輩出した譜代大名 井伊氏の居城である。、、、、山頂に向かい長い急な石段を上り天守に到着。 しかし運悪く、訪れた日は天守の耐震対策工事中で、内部の見学はダメ、残念なり。

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・・・・・・・・・・ 天守の下には、江戸時代前期に作庭された大きな池泉回遊式庭園の「玄宮楽々園」がある。 このでっかい庭園、スゴイね井伊家!

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多賀大社前駅前大鳥居をくぐり、古い家並みが迎えてくれる参道を20分程歩いて多賀大社へ向かう。 参道の家々には、笑顔の絶えない明るく幸せな家庭を願う、『笑門』と書いた笑門絵馬が玄関に飾られている。(家々に飾られた絵馬が街並みのワンポイントとなってる)

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多賀大社は、御祭神に伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祀る、旧社格が官幣大社の神社本庁の別表神社。 古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。 日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々を誕生させた。 生命(いのち)の神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えるそうだ。、、、、私たち夫婦は延命長寿を願い、縁結びの願いはパス!

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・・・・・・・・・・門前の茶屋では糸切餅という、こし餡を餅で巻いて、その表面に青・赤・青の3本の縞模様を描いた菓子も売ってる。 一口でいただいた、美味い!

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● 14日も夕方になり、急ぎ豊郷町の見学だ。 まずは、豊郷駅の北にある「豊郷小学校」を見てきた。、、、、豊郷小学校は、明治6年(1873)に近隣7ヶ村により設立された「成文学校」を引き継ぐ形で明治22年(1889)に設立された。 明治20年(1887)には当地出身の豪商・薩摩治兵衛などの地元有力者から寄付を得て校舎の新築(初代校舎)がなった。 昭和12年(1937)には丸紅の専務取締役であった古川鉄次郎が学校の新築費用の寄付を申し出、2代目校舎が建築された。 2代目校舎は、設計:ヴォーリズ建築事務所、施工:竹中工務店による、白亜の壮麗な鉄筋コンクリート造校舎である。 校舎のシンボルとして階段手すりにウサギとカメの像が設置されてる。 初代、2代目の両校舎とも国登録有形文化財である。、、、、平成の世になると、この校舎を取り壊して新しい校舎を建てる話が出て、一躍有名になった。(結果は保存することになった)、、、、私たちが訪れた日は耐震対策工事がおこなわれてた。 またまた残念であったが、2代目校舎の内部は見ることができた。

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● 豊郷駅の西側にある「伊藤忠兵衛記念館」を見に行く。、、、、その名の如く、商社:伊藤忠商事丸紅も同じ)の創業者の家である。 伊藤忠商事&丸紅の創始者、初代伊藤忠兵衛の旧邸、二代忠兵衛の生家を豊郷本家として当時のまま保存し、貴重な様々な資料が残されている。 屋敷内には蔵が二棟、茶室もある近江商人の大きな屋敷である。 “伊藤”と丸紅のマークを染抜いた染物が印象に残る。、、、、伊藤忠商事と丸紅のルーツが同じだったとは知らなんだ!

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● 今日はココまで、暗くならないうちに、近江八幡の予約したホテルへ向かう。 豊郷駅から近江鉄道で近江八幡駅へ。

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2024年3月11日 (月)

塔ノ山の三重塔

『今日は天気が良さそうだ、散歩日和だ』 何処に行こうか悩んだあげく、東中野駅で下車。、、、、東中野駅前を通り西新宿に向かう山手通りに沿って、東側の裏道を歩いて西新宿五丁目駅まで、1万歩の散歩です。

● 我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で26分、今日は東中野駅で下車した。、、、、東中野駅は、明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅(かしわぎえき)として開業。 4か月後の明治39年10月1日には甲武鉄道の国有化により国鉄の駅となる。 大正6年(1917)1月1日に、駅名を東中野駅と改称した。、、、、駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、西口・東口それぞれに橋上駅舎がある。 西口は駅前に山手通りがあり、その地下には都営地下鉄大江戸線が走ってる。 賑わいはないが、明るく、シャレた感じの駅だ!

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・・・・・・・・・・ 駅前の山手通り、、、、この通りの東側の裏道を、中野坂上、西新宿方向に歩くことにした。

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中野区東中野1丁目の裏道を歩く、、、、なだらか起伏の多い町

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● 東中野駅から裏道を歩いて約10分、緑に囲まれた広い境内の中野氷川神社がある。、、、、中野氷川神社は長元3年(1030)、源頼信が武蔵国の平忠常の乱を平定すべく武蔵一宮・大宮氷川神社から分祠し戦勝を祈願したのが始まり。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 現在の社殿は昭和44年築である。、、、、長い参道を歩き、大木の茂る境内は癒しの空気が漂ってる。

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● 氷川神社の参道入口は大久保通りにあり、通りの南側は中野区中央1丁目の町である。 この町には「塔山小学校」があり、その町の町会は「塔ノ山町会」、マンションは「塔の山ハイツ」と、何だか“塔山”、“塔ノ山”などの地名が存在していたようだ。 調べてみたら、現在の中央1丁目には、昭和6年から昭和42年頃まで“中野区塔ノ山町”という町があった。

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・・・・・・・・・・ 塔山小学校の脇の道を南へ歩くと、地名の由来があった!、、、、ナント! この地に三重塔があったのだ。 地名は“塔のある山”と言うことだ。 その塔は昭和20年(1945)の空襲で焼失した「宝仙寺の三重塔」である。 宝仙寺は、塔のあったこの地から約400m西に在り、塔のあったこの地は寺の飛び地であった。 また、この三重塔は中野村の農民:飯塚惣兵衛夫妻が施主となって建てられたそうだ。、、、、塔の跡地は、中野東中学校の北端にフェンスで囲われ保存されている。

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● 宝仙寺の三重塔跡から20m程歩くと、小さなお堂に祀られている庚申塔があった。 その形は、一見してアレだ!、、、、この庚申塔は、元々は山手通りの旧道にあたる道と青梅街道の旧道の交差するあたりに祀られていた庚申塔らしい。 昭和20年(1945)の空襲で破壊されてしまったが、地元の人々が崩れ落ちた石片を集めてセメントで固め改めて奉ったそうだ。 元々の破壊される前の庚申塔には『宝永五戊子十月吉日』と刻まれていたそうで、“宝永五”とは宝永5年(1708)のことで、江戸時代中期に作られたそうだ。、、、、この庚申塔は地元では「石棒さま」と呼ばれてるらしい。

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● 山手通りと青梅街道が交差する「中野坂上交差点」に出た。 これより、交差点角の「ハーモ二-タワー」(地上28階/地下2階 高さ125m 1997年竣工 )の裏通りを歩く。

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・・・・・・・・・・ 西新宿の高層ビルを見上げる中野区本町1丁目の裏通り歩き、豊水橋で神田川を越え、中野区から新宿区に入る。

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● 西新宿に入ると、寂れた商店街の一画(西新宿5-23)に「淀橋庚申堂」がある。 堂の中に3基の庚申塔が祀られてた。 この庚申堂は、元々は、寛文4年(1664)に造られた、その後、昭和の空襲で焼失したそうだ。 昭和29年(1954)に庚申堂は地元の庚申講の人々により再建された。、、、、西新宿の再開発はドンドン進み、いずれこの庚申堂も移設される運命かも(?)

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● 都営大江戸線の西新宿五丁目駅に着いた。 今日の散歩はココまで!

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2024年3月 9日 (土)

強風の千本桜

昨日までの寒い雪の日とは変わり、今日は暖かな日となる天気予報を信じて、妻と新川千本桜(千葉県八千代市米本)を見に行くことにした。




● 朝9時に家を出た、『チョイト風が強いね、チョイ寒だ、マフラー持ってきてよかった、地下鉄で行こう!』 我が家から地下鉄の駅(浅草橋)までは徒歩1分強と近い。 地下駅に潜ると、寒さは忘れてしまった。 都営浅草線から京成本線に乗り入れ勝田台駅へ向かう

 

勝田台駅到着、暖かな電車からホームに出ると、北風が吹き荒れてる。 『タワマンが近くに在るのか(?)ビル風かも(?)寒い!』

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● 駅前のバス停へ、米本団地行きのバスが出た直後だ! 日陰に北風が吹きすさぶバス停で15分程待つ。 桜を見に行く人が多く、バス停はスグに長蛇の列。 『オイ オイ こんな寒い日に花見に行くのか?』 自分のことを忘れ、愚痴が出る。

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● バスの終点:米本団地で花見客を満載したバスから下車。 バス停の脇には米本団地(よなもとだんち)が並び建っている。 米本団地は、昭和45年(1970)に旧日本住宅公団が造成した賃貸住宅で、住棟数106棟、管理戸数3020戸の巨大団地。 浅草橋の我が家からここまで1時間半程だが、物凄く遠くに来た感じだ! こんな遠くに、こんな大きな団地があるとは、ビックリ!

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・・・・・・・・・・ バス停の近くに立て看板。 強風の寒さに震えながら見ると、『県下有数 約700本 河津桜』 ここまで来たら、見ておかないと、妻と励まし合って新川へ向かう。

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● 印旛沼から流れ、幕張付近で東京湾に注ぐ新川の土手約4.6㎞に、700本の河津桜が咲く「新川千本桜」がある。、、、、妻と端から歩き始めた。 『強風にめげず咲いてる!』 『小さな葉が出てきてる、そろそろ葉桜となるな』 『それにしても、風が強く寒いね!』 

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・・・・・・・・・・ 強風にあおられ、衣装がフラフラ、髪の毛もフラフラ、コスプレ写真は撮れそうにないね!

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・・・・・・・・・・ 千本桜はまだまだ続くが、寒さに勝てず『もう帰ろう!』の一言。 100本程見た、来た道を戻る。

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● 夫婦の帰りの話題は“桜”にあらず、“駅に着いたら何食べる?”、“暖かいラーメン!”、“鰻もいいね!”、“コーヒー飲みたい!

2024年3月 4日 (月)

東から西まで

京浜東北線の十条駅から、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、東から東に歩いて西まで、1万3千歩の散歩です。




● 昭和6年(1931)8月1日に京浜東北線の電車のみが停車する下十条駅が開業した。 昭和32年(1957)に下十条駅は町名変更により東十条駅に改称。、、、、現在の東十条駅のホームは地上島式2面3線構造で、中線(2・3番線)は主に東十条止まりの列車が使用する。 改札は北口と南口、どちらも橋上駅舎である。 北口は平成16年(2004)に東側(東十条商店街の側)出入口が改良され、エレベーターとエスカレーターが設置された。

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・・・・・・・・・・ 東十条駅ホームの東側に東北新幹線の高架橋があり、その隣にはかつて下十条運転区があったが、現在運転区は廃止された。 しかし線路は京浜東北線東十条駅構内として残り、現在も京浜東北線の電車の留置に使用されている。

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● 北口正面には、万国旗が頭上ではためく「東十条商店街」が伸びる。 いまの世、万国旗で客寄せする商店街とは、これぞ下町、昭和レトロを感じさせる商店街だ。 この付近には、中国、韓国、フィリピン、ベトナム・・・・東南アジアの人も多いから、万国旗がふさわしいかも?、、、、、朝8時、店は営業前で閉まっているが、通勤通学で多くの人が行き交う商店街

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・・・・・・・・・・ 商店街は800m程で、北本通り(=国道122号)の神谷一丁目交差点で終わる

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● 東十条商店街からチョイト歩くと、環七通りをとおして隅田川に架かる「新神谷橋」がある。 新神谷橋を渡ると、北区神谷から足立区新田に入る。、、、、現在の新神谷橋は、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、歩行者は橋の両端で、橋上の歩道に接続する急な階段を利用するため、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区新田の町に入ると、引き続き、荒川を越える鹿浜橋がある。 「鹿浜橋」は昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m、幅20.0m、 ゲルバー式鋼鈑桁 。、、、、橋から見る上流側には、川口のタワマンが一望でき、眺めは良い!

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● 鹿浜橋を渡り終え、鹿浜3丁目、環七通りと平行する北側の裏通り「神明通り商店会」を歩く。 神明通り商店会は、鹿浜の地で50年以上続く昭和の面影を残した商店会です。 平成の時代には装飾街路灯、道路のカラー舗装を完成した。 現在は10店舗の加盟商店で頑張っているそうだ。、、、、寂しくなる商店街、頑張って!

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・・・・・・・・・・ 神明通り商店会の中程に、通り名となった古内天祖神社(神明神社)がある。 古内天祖神社は、鹿浜にある天祖神社だが、創建年代は不詳となってる。 鹿浜村小名古内の鎮守社として祀られていたそうだ。

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● 古内天祖神社の北側に寺の屋根が見えた『チョイト行ってみよう!』、、、、寺は真言宗智山派の医壷山福寿院寶蔵寺であった。 寶蔵寺は、弘安年間(1278~1288)、鹿浜村南部に創建、江戸時代には、末寺8ヶ寺を擁する小本寺格の寺院だった。 寛保2年(1742)以降に当地に移転した。、、、、現在の堂宇は大正14年(1925)に再建されたもので、往時の盛容偲ぶべくもない。 瓦葺き寄棟で唐破風付き、障子の火頭窓があり、古風な佇まいに親しみが持てる。

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● 環七通りと平行に歩き、西新井大師西駅を目指す。 途中、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地の団地を抜ける。

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● 団地を抜けると、尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅がある。 散歩はココまで。

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2024年3月 2日 (土)

本八幡から西船橋へ

北風が吹き付ける中、総武線の本八幡駅から、中山の法華経寺を避けるように、その北側を歩いて西船橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 土曜の朝8時、通勤通学する人がチョイト多い本八幡駅で下車する。、、、、ホームに立つと、北風が身体に痛くあたる。

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・・・・・・・・・・ 本八幡駅へ来るまでの電車の中で、『今日は本八幡駅から北東に向かい、中山の法華経寺の北側へ行ってみよう』と決めてきた。 細かいルートは気分に任せて!




● 本八幡駅から呑み屋が並ぶ小路を抜け千葉街道に出る。 葛飾八幡宮一の鳥居の斜め前に「八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」がある。 奥行・幅ともに20m弱のほぼ四角な藪である。 ここはのは、「禁足地」とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。 しかし藪は、千葉街道に面し、20m四方もない広さ、こんな処で迷う人も居ないであろう。 おそらく、昔は鬱蒼とした藪がもっと広い範囲にあったことと思われる。、、、、平将門の怨念と言われてることもあり、藪の中央にある不知森神社に手を合わせて行く。

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● 「八幡の藪知らず」の斜め前、市川市役所庁舎の脇道に、京成本線の踏切がある。、、、、写真奥の建物は市川市役所

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・・・・・・・・・・ 踏切を越え、市川市八幡の住宅地を歩く。 この町も、隣の菅野の町と同様に、静かで綺麗な高級住宅地である。 どこの家も洒落た造りで街並みを形成してる。

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● 八幡の住宅地の一画に、「龍馬がゆく」などを手掛けた脚本家「水木洋子邸」(現:市川市所有)がある。、、、、10時から公開してるようだが、今は8時半、内部拝見はまたの機会に!

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● 水木洋子邸からチョッピリ北へ歩くと、「アーデル通り」に出た。、、、、“アーデル”? 『はて? アーデルとは?』、、、、調べてみたら、市道0125号はネーミングライツ事業で企業名を冠した道路名になっているそうだ。 その企業とはフィットネスクラブを運営する「株式会社アーデル・フィットネス・リゾート」という名の会社。(な~んだ!)

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・・・・・・・・・・ アーデル通りの八方橋を渡り真間川を越える。 ここからは市川市北方の町。2403020842530

・・・・・・・・・・ 北方(きたかた)の町も住宅地である。 文人も多く住んでたそうだ。 中山競馬場にも近い町で、競馬好きは住んでみたい町かも。 中山の法華経寺にも近い町。、、、、“北方”は、住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称した。 読みが難読なので読みやすくしたそうだ。

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● 北方3丁目の小高い処に鎮座する「子之神社(ねのじんじゃ)」、、、、子之神社は、高台の閑静な住宅街の中にある。 大己貴命を祭神とし、亀山天皇の御代文永年間(1270年代)に建立された。、、、、一の鳥居をくぐると、69段の急な階段がある。 登りきると拝殿がスグ目の前にある。 年寄りには少々きつい。、、、、拝殿前から市川の町を見渡すことができる。 眺望バツグン!

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中山の法華経寺の北側を大きく迂回し、市川市若宮2丁目に来ると、法華経寺の「奥の院前に出た。 奥の院は、日蓮宗の創始者・日蓮がはじめて説法をした場所であり、又、日常が法華寺(後の法華経寺)を建立した場所でもある。 チョイト立ち寄って行こう!

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● 所々に畑が残る船橋市西船の町を歩く。 朝から北風が吹き、高台の町を歩くと、吹き飛ばされそうになる。

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京成西船駅を遠くに見て、京成本線の踏切を越えると千葉街道に出る。

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● 総武線のJR西船橋駅に着いた。 今日は、北風が吹き付ける寒い散歩だった!

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