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2024年3月27日 (水)

大塚から板橋区役所へ

先週は、『昨日は東 今日は西 春の彼岸の 墓参り』で、我が家の墓は家から遠い、東(千葉市)と西(八王子市)にあり墓参りに忙しい一週間であった。、、、、今日は久しぶりの散歩日和。 山手線の大塚駅から歩きはじめ、2本の道路を道なりに直進したらい板橋区役所の前に着いた。 都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万歩の散歩です。




● 山手線に乗車し、『今日はどこで降りようか?』 考えてる間に池袋に近づいた、池袋は巨大ターミナルなので私は好きではない、一駅手前の大塚駅で出車する。、、、、大塚駅は、明治36年(1903)4月1日に、日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)からは、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。

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・・・・・・・・・・ 北口に出ると、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 行先が決まらず、多くの人が駅に向かって歩いてくる、飲食店が並ぶ裏通りを歩く。、、、、この道を道なりに歩くと、「空蝉橋通り北交差点」を横断し「宮仲公園」の前で「宮仲公園通り」と名付けられた広い通りに合流した。

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● 工事中の宮仲公園(豊島区上池袋1)に「大谷大学開学の碑」がある。、、、、浄土真宗大谷派の教育機関は、古くから京都にあったが、明治34年(1902)に、この地に「真宗大学」が開設された。 その後大正2年(1913)に「高倉大学寮」と合併して京都に移転。 名称も「真宗大谷大学」を経て「大谷大学」となった。、、、、京都にあった大学が東京にキャンパスを設けたが、学生が集まらず、京都に戻ったのかな?

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● 宮仲通りは上池袋交差点で明治通りと交差しさらに直進する。 上池袋交番前までは、広い道路幅の道が続く。

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・・・・・・・・・・ 上池袋交番の近くに、お茶あがれ地蔵を祀る祠(上池袋3-47)がある。、、、、祠の中に、地蔵が一体、右脇には角柱状の庚申塔(宝永元年(1704)銘)が一基ある。 地蔵は「お茶あがれ地蔵」と呼ばれ、その由来は「元禄年間、借金に苦しんだ板橋の宿場女郎が夜逃げをした。 池袋村まで来たが、それ以上歩けなくなり、農家の戸を叩いた。女郎はお茶を、お茶を、と二言、三言云ったが、農家ではどうすることもできず、ついに女は死んでしまった。 その後、毎晩、女の死んだ時刻になると、お茶を、お茶をという声が聞こえるようになり、恐れおののいた村人たちは地蔵を造って女の冥福を祈った」と『武蔵野の地蔵尊(都内編)』に書かれているそうだ。 チョイト怖い話。

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・・・・・・・・・・ この先道は細くなり東武東上線の北池袋駅の方に向かう。




● JR埼京線、東武東上線を渡る「第一雲雀ヶ谷踏切」がある。 埼京線・東上線がしっ切りなしに通過する“開かずの踏切”だ! 歩行者は踏切脇の地下通路を利用して反対側に抜ける。 

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、東武東上線の北池袋駅。 北池袋駅はJR埼京線の池袋~板橋間にあり、ホームは埼京線の脇にある。 昭和9年(1934)5月1日、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年の東京大空襲により駅舎崩壊し、駅は休止・廃止となった。 昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。

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・・・・・・・・・・ 駅前の通りは一車線、大型は無理かも。 駅の周辺は下町風の閑静な住宅街。 地名の“池袋”だけ見ると、ネオン輝く繁華街だがね!

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● 大塚駅前から道なりに真直ぐ歩いて来た道は北池袋駅前をとおり、池袋本町1丁目・2丁目・4丁目が隣り合うT字路で行き止まる。 『さてさて、右へ曲がるか、左へ行くか、悩むね!』と、自分に言って思案橋。 若そうな女性が右に歩いて行くが見えた、『決めた!右へ曲がろう!』

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・・・・・・・・・・ 曲がった通りは商店街なのか、洋菓子屋、和菓子屋、信用金庫、雑貨屋と店が並んでる。 並んでいるのはココまで。 この先は、店が少なかった。 この道の先に何があるかは知らないが、このまま道なりに歩くことにした。

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● 池袋本町3丁目に入ると、池袋本町交番の脇に大きな鳥居がある。 「池袋氷川神社」の参道が拝殿まで続く。、、、、池袋氷川神社の創建年代は不詳だが、池袋という地名が永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」に記載されていることから、この頃には村鎮守として創建していたと推定されている。 祭神は建速須佐之男命、高皇産霊神、天照大御神、保食神、木花咲矢耶姫命の5神。、、、、現社殿は、昭和40年(1965)の造営。、、、、立派な富士塚のある、良く整備された神社。

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● 氷川神社から200m程歩くと、豊島区から板橋区に変わる。 さらに、200m程歩くと東武東上線の下板橋駅と大山駅の中間にある踏切に出た。 踏切の脇には東上線の留置線があり、鉄道オタクにはチョイト嬉しい踏切だ。

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● 踏切を渡り100m程歩くと、子易神社(こやすじんじゃ)がある。 子易神社(板橋区板橋2)の創建年代等は不詳だが、富士浅間神社の分霊を勧請したものと伝えられ、延宝2年(1674)に当社の記録が残っていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられている。、、、、安産・子育の守護神として祀られているそうだ。 70代半ばの私には、安産・子育の御利益は不要だ! 賽銭は少額(50円)にしておいた。 

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● 首都高の下を抜けて北に歩くと、板橋区本庁舎の脇に出た。 歩いて来た道は、本庁舎の前で中山道(=国道17号)にぶつかり、散歩もここまで。、、、、板橋区は昭和7年(1932)に市郡併合により成立した。 当時の庁舎は、旧北豊島郡役所(現在の板橋3丁目5-1)を使用したが、昭和20年(1945)の空襲で焼失した。 昭和22年(1947)に現在地に移転、移転後は数度の増築・建て替えが行われ、現在の庁舎は平成27年(2015)に竣工した。

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● 都営三田線の板橋区役所前駅は区役所の建物の下で直結している。 それにしても、『いたばしくやくしょまええき』とは、長い駅名だ!、、、、昭和43年(1968)12月27日に開業した、相対式ホーム2面2線の地下駅。

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