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2024年4月

2024年4月29日 (月)

谷塚から八潮まで

東武伊勢崎線の谷塚駅から東に歩いて、つくばエキスプレスの八潮駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ゴールデンウィーク前半の最終日、何処にも行く予定の無い私は谷塚駅で降り、東の八潮駅まで散歩することにした。 連休中とあって、通勤通学客はいないが行楽地に行く人が多いのか、電車はチョッピリ混んでいた。

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● 谷塚駅の東、県道を越えると真言宗豊山派寺院の寶光山安楽院善福寺がある。 善福寺の創建年代は不詳だが、江戸時代中期までには既に存在していたものと推測されている。 昭和15年(1940)まで西新井大師の総持寺の末寺であったが、同宗派総本山の長谷寺に変更した。、、、、道を歩いていると立派な山門が目に入る、静かな境内に入ると本堂の優美な姿がまたまた目に入る。

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・・・・・・・・・・  門前に正徳3年(1713)銘の庚申塔、境内に元禄4年(1681)奉納の六地蔵がある
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● 草加市瀬崎の裏通りを歩く。瀬崎(せざき)の町は毛長川を境にして東京都足立区と接する住宅地。

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・・・・・・・・・・ 瀬崎の町の東端、伝右川の際に立派な「草加市スポーツ健康都市記念体育館」がある。、、、、草加市は昭和53年(1978)に「スポーツ健康都市宣言」を行った。 市民のスポーツ運動に関する基礎調査を行い、市民スポーツの拠点と国際大会等の公式試合が行える施設として「総合スポーツセンター」構想をまとめて、総工事費は23億8800万円を投じ、建設した体育館。 昭和59年(1984)に着工し、昭和61年(1986)供用開始。、、、、収容人数 1,277人のメインアリーナ、サブアリーナ、柔道場、剣道場、相撲場、卓球場、弓道場、1周220mのランニングコースなど施設も充実してる。

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● 伝右川を越えると、埼玉県草加市と八潮市の境に割り込むように「都営花畑第四アパート」(東京都足立区)がある。 おそらく23区で最北端の都営アパートと思われる。 大きな団地だが、団地内の多くの商店はシャッターをおろしたみたいだ! 近くの大型スーパーに負けたか?

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● 都営アパートを抜け、桑袋大橋(くわぶくろおおはし)を渡り綾瀬川を渡ると八潮市に入る。

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● 八潮市大曾根にある「大曽根八幡神社」に寄って行く、、、、大曽根八幡神社の創建は文亀2年(1502)の勧請といわれてる。 古くより当地の鎮守社であった。 江戸時代には当地の領主旗本森川家の崇敬を受けていた。 明治期には村社に列格していた。、、、、現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ。 拝殿は入母屋造りの銅板葺き屋根、向拝中央を唐破風、上部を千鳥破風とし、八幡太郎義家父子等の武将の活躍を浮彫りで表現してる。 社殿周りの彫刻は素晴らしい!

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● 大曽根八幡神社の南側に、真言宗豊山派寺院の光林山福壽院がある。 こちらにもチョイトお立ち寄り。 福壽院の創建年代は不詳だが、江戸時代前期には創建していたらしい。

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● 福壽院から八潮駅までは約2㎞、新興住宅地の中を駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの八潮駅に到着。 連休だからか(?)つくば方面に向かう親子連れが多い。 

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2024年4月26日 (金)

“代田”巡り

小田急線の世田谷代田駅から、京王井の頭線の新代田駅をとおり、京王線の代田橋駅まで、“代田”3駅を巡る1万歩の散歩です。




● 小田急線の世田谷代田駅は昭和2年(1927)4月1日、世田ヶ谷中原駅として開業した。 昭和20年(1945)7月1日には空襲により被災し営業休止し、翌年6月15日営業再開する。 昭和21年8月20日、世田谷代田駅に改称。 平成16年(2004)から地下化・複々線化工事に着手し、平成30年(2018)地下化・複々線化工事はほぼ完了した。、、、、現在は、地下2階に島式ホーム1面2線の緩行線が運行され、さらにその直下(地下3階)をホームのない急行線が通過している。 地上には小柄であるがモダンな駅舎があり、改札口はコンコースの両側に設置されている。 さすが、セレブの住む世田谷区をとおる小田急線らしいシャレた駅だ! 

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・・・・・・・・・・ 小田急線は、新宿から来ると東北沢駅の手前で地下にもぐり、世田谷代田駅の先(梅が丘駅側)で地上に顔を出す。 世田谷区立代田小学校前の公園の下に複々線が見える。

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・・・・・・・・・・ 地名“代田”(だいた)の由来、、、、“代田”の地には昔、大きな窪地があった。 その窪地は、想像上の巨人「ダイダラボッチ」の足跡と言われ、代田村の名のダイタは確かにこの足跡に基いたものらしい。 現在の世田谷区代田の町の中央に世田谷代田駅はある。




● 小田急線の世田谷代田駅と京王井の頭線の新代田駅間は、かつて線路で繋がっていた。 それを説明する案内板が世田谷代田駅前に設置されている。 そこには『代田連絡線 1945(昭和20)年5月の戦火で大半の電車が被災した帝都線(現在:京王井の頭線)に電車を送り込むため、代田二丁目(現:新代田)駅と当駅を結ぶ右の地図のような線路が急遽敷設されました。当初は、電車を人力で移動させたといわれています。当駅北側の通路は、その代田連絡線を模ったデザインとしています。』と記されていた。 隣の地図では、方位は約90度傾いているが、小田急線と井の頭線が大きな円弧で結ばれていた。 (参考に昭和23年の航空写真を添付)、、、、世田谷代田駅から新代田駅まで、この代田連絡線の遺構を探しながら歩いて見た。 歩いて見たが、残念ながら遺構らしきものは何も見つけられず。 円弧の中程(現:代田5丁目17)の付近では住宅が密集し、線路跡を想わせる物は一切見ることはなかった。

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● 京王井の頭線の新代田駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の代田二丁目駅として開業した。 昭和41年(1966)に新代田駅に改称。、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、環状七号線の道路に面する橋上駅舎を持つ。 ホームは掘割内にあり、駅の上に環状七号線が通っている。、、、、当駅の周辺にも代田連絡線の痕跡らしきものは残っていなかった。

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● 新代田駅近く、住宅の駐車場の横(世田谷区羽根木1-5)に稲荷神社とその脇に庚申塔と地蔵尊があった。 稲荷神社はさておいて、立派な庚申塔と地蔵尊が並んでる。 右から一番目にあるのは板碑型の庚申塔で、高さは118㎝、造立年は元禄12年(1699)で、青面金剛の下に三猿が描かれており、下部には願主の名前が彫ってある。 隣の角柱型の庚申塔は、青面金剛と三猿が描かれ、高さは136㎝。 この庚申塔が最も古く、貞享4年(1687)の造立。 三番目は、少しだけ小さめの駒型の庚申塔。青面金剛に三猿である。造立は正徳元年(1711)。 さて左端の 舟型の地蔵立像は、念仏講中の立てた供養塔である。造立は元禄10年(1697)。 どれもこれも、彫りの深い立派な石仏だ!

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● 京王線の代田橋駅に到着したが、チョイト“代田橋”の橋がどこにあったか、探すことにした。、、、、“代田橋”は玉川上水に架かっていた橋と聞いていたので、代田橋駅の北側に平行する甲州街道を越えて杉並区に入り「水道道路」の方へ行ってみた。

・・・・・・・・・・ 『沖縄タウン 和泉明店街』なる飲食店街がある。 沖縄タウンは平成17年(2005)甲州街道の歩道橋改装に合わせてオープンした、70数店舗で構成する、総延長380mの懐かしい雰囲気の商店街。 沖縄の物産を売る店やソーキそば等を食べさせる食堂がある。

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・・・・・・・・・・ 和泉明店街の周辺には“代田橋”があったと思われる場所はなく、商店街で掃除してるおばさんに訊ねると、どうやら玉川上水の上を越えていた甲州街道に架かっていた橋らしい。 その部分の玉川上水は暗渠化され橋の跡は無いそうだ。 暗渠の入り口が甲州街道の下にあるから行ってみるように案内されたので、チョイト見て来た。、、、、『代田橋は、この辺りに架かっていたのか』自分を納得させる。

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● 代田橋駅に戻る。、、、、京王線の代田橋駅は、大正2年(1913)4月15日に京王電気軌道の駅として開業。 現在の駅構造は、相対式ホーム2面2線を持つ地上駅であるが、平成26年(2014)から連続立体交差事業に着手し、数年後には島式ホーム1面2線の高架駅となる予定。

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2024年4月25日 (木)

梅、桜の次は藤

梅はとっくに、桜も終わり、つつじに藤の時期となった。 今が見ごろと聞いて亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。



・・・・・・・・・・ 午前中から亀戸天神に向かう人で、神社前の蔵前橋通りはチョイト歩きにくいね!

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・・・・・・・・・・ 正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官:菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって諸国を巡った。 そして寛文元年(1661)、江戸は本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが、亀戸天神の始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。 そして寛文2年(1662)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。 創建から300年超、歴史ある天神様だ!、、、、亀戸天神と藤の結びつきは? 江戸時代、亀戸は湿地で初代宮司が水を好む藤を社殿に植えたことが始まりらしい。 江戸の名所として五代将軍綱吉、八代将軍吉宗が訪れた記録もあり、多くの浮世絵などの題材にも取り入れられている。 将軍吉宗は白馬にまたがり江戸城から花見に訪れたのか?



・・・・・・・・・・ 境内は大勢の見物客と初夏の陽気で、気持ちはイライラ、気温はポカポカ。 色鮮やかに咲き誇る藤を見上げて首が疲れる。

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・・・・・・・・・・ 参拝する人は、正月の初詣の如く長い列。 孫の学業成就、宝くじ一等当選を祈願し、二礼・二拝・一礼、『よろしく!』。 

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・・・・・・・・・・ ポスターには『藤まつり 4月6日~4月30日』と記されていたが、ゴールデンウイークまではもちそうだ! ぜひ、みなさんお誘い合わせて藤を見に来てはいかが。 帰りの土産は船橋屋の『くず餅』をぜひ!

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2024年4月19日 (金)

会津の桜 2

旅の二日目、今日は旅行を計画した当初からの目的地である鶴ヶ城公園で花見をして、七日町の街歩きをする。

 

● 昨日「三春の滝桜」を見て、満開の桜は期待できそうもなく、せめて“散り始め”の桜であってほしいと思いつつ鶴ヶ城公園にやって来た。、、、、鶴ヶ城公園に入ると、天守閣周りの約1000本のソメイヨシノは全て葉桜。 私達の期待に反し花は散り、葉桜となってはチョイトガッカリ。 “鶴ヶ城と満開の桜”日本人の好きそうな被写体で、絵葉書もどきの写真を撮ろうと意気込んで来たが『コリャ、ダメだ!』 

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・・・・・・・・・・ 昨日、三春のタクシー運転手が言った『今年は咲くのが早かったですね』を思い出した。 公園内の立て看板には『鶴ヶ城さくらまつり 3/30~5/6』と書いてある、まだまだ開期中だ、虚しいね!

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・・・・・・・・・・ 桜は諦め城を見る。 鶴ヶ城は至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名した。 慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになった。 明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されたが、昭和40年(1965)に鉄筋コンクリート造にて天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元された。 平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えらた。
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● 鶴ヶ城から古い建物、レトロな建物、美味しい店、民芸品の店などが並ぶ、七日町(なのかまち)の街歩き。、、、、妻はもちろん見る・食べる・買う。 喫茶店ではケーキセット、味噌屋で田楽、漆器屋で置物。 私のリックはずっしりと重くなる。

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● “桜”を十分堪能した(?)会津旅行はココまで、会津若松駅から東京へ。

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2024年4月18日 (木)

会津の桜 1

3月29日の開花宣言を受けて、31日に隅田公園の桜を見に行ったがチョイト、ガッカリ、まだ早かった! 家に戻って妻と二人『やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たず』 時の勢いにまかせ、『東京の桜は飽きらっめて、福島の桜を見に行こう!』 翌日には、東京の桜に遅れること20日間、4月18日に鶴ヶ城公園の桜を見に行くことに決定する(夫婦二人の旅は意思決定も早い!) 急ぎ宿の予約と切符の手配も完了。、、、、旅の予約を済ませたら、今度は桜の開花が気に掛かり、夫婦で毎日『今日の鶴ヶ城公園の桜は〇分咲き』と報告し合う20日間。 4月10日を過ぎた頃には、既に“満開”の情報も入り、連日気になる一週間。

さらに気に掛かることが発生! 先週から私の体調に異変が、朝顔を洗うと鼻血ブー、トイレで気張ると鼻血ブー、風呂で湯船から出ると鼻血ブー、数日鼻血ブーが続いた。 『コリャ大病の予兆かも?』普通の人ならそう思うであろう。 私の場合、このような場面は20年ほど前から度々あり、その都度病院で鼻の中の血管を焼いてもらい、止血してきた。 今回もそうであろうとは判っていたが、旅先で鼻血ブーは他人の迷惑になるので、医者へ行ってきた。、、、、医者の診たては同じ『鼻の中に太い血管が出てるから、止血するよ!』 『おねがいします』 これにて一件落着! 安心して18、19の二日間、夫婦で会津鶴ヶ城の桜を見に行ってきた。




● 会津若松へは郡山で磐越西線に乗換えて約1時間で到着するが、郡山から磐越東線で二駅目:三春駅の近くに枝垂れ桜で有名な「三春の滝桜」があると知り、急遽寄って行くことにした。 三春駅で下車する。 

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・・・・・・・・・・ 三春駅から「三春の滝桜」までは、タクシーで15分ぐらい。 三春町の家々には、それぞれ各種の桜の木があるようで、どこの家も桜が咲いてる。 道路際にも桜の木、ハナモモの木もある。 春、真っ盛り!

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● 「三春の滝桜」に到着。、、、、駐車場にはツアー旅行のバスがズラリ!  臨時の売店もある。 しかし、駐車場の一角に立てられた看板を見ると、ナント、滝桜の開花状況は、“落花”となってる。 さらに『今年の観桜料の徴収は終了しました。 ご自由にお入りください。』、、、、滝桜は完全に散ってた。 樹齢1000年以上、高さ13.5m、根回り11.3mの桜の大木と、周囲の菜の花を見て諦める。 残念!、、、、ポスターにあった満開の滝桜で我慢しよう!

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・・・・・・・・・・ 花の無い滝桜にガッカリした私を慰めるように、タクシーの運転手が一言『郡山の枝垂れ桜番付では、東の横綱が滝桜で、西の横綱は“地蔵桜”です。 地蔵桜を見て行きますか? まだ、少し花が残っていると思いますよ』(地蔵桜は、郡山市にある樹齢400年の枝垂れ桜である) 再度来ることはないと思い、返事は『見て行きたいですね』、、、、地蔵桜は三春の滝桜の娘と言われてる枝垂れ桜で、樹齢は約400年、妖艶なピンクの花が特徴と言われてるそうだ。、、、、まだ咲いてた! 地蔵さまにも賽銭をはずみ手を合わせる。

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・・・・・・・・・・ 滝桜、地蔵桜を見たあとは、タクシーで郡山駅まで送ってもらう。 この間、運転手の話では、今年の桜の開花は例年に比べい早いそうだ。 さらに一言『喜多方の“日中線の枝垂れ桜並木”もいいですよ!』(後で、運命の一言となる)、、、、郡山駅から磐越西線で会津若松へ向かう。

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● 会津若松駅に到着すると、ホームの向かい側に数分後に出発する只見線が停まってる。 私の咄嗟の判断で、只見線に乗り喜多方へ行くことにした。 会津鶴ヶ城公園の桜は翌日にして、三春のタクシーの運転手が言った「日中線枝垂れ桜並木」を見に行くことに。 

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・・・・・・・・・・ 東京を出るときは予定していなかった喜多方に到着。 喜多方は10年ぐらい前に来たことがあり、今回は街歩きではなく、枝垂れ桜に徹する。

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・・・・・・・・・・ 「日中線枝垂れ桜並木」とは、昭和59年(1984)に廃線となった国鉄の日中線(栃木県今市~会津若松~喜多方~山形県米沢まで計画していた路線)跡に約3㎞にわたり、約1000本の枝垂れ桜咲き誇る並木道。 日本最大級の枝垂れ桜並木!、、、、喜多方駅から400m程歩くと並木道が始まる。 観光客も少なく、線路跡は平坦で舗装してあり歩きやすい。 枝垂れ桜の花びらが舞う3kmの並木を自称:我が家の吉永小百合と歩いてきた。 3kmの道は長いが、二人で満足できた花見となった。

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● 日中線の枝垂れ桜並木を歩き疲れたあとは、会津の奥座敷:東山温泉でのんびり、ゆっくり、温泉三昧。

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2024年4月13日 (土)

京成立石から京成関屋

今日の散歩は、京成押上線の京成立石から京成本線の京成関屋まで歩いてきた。 1万1千歩




● 京成押上線の四ツ木~京成立石~青砥間では、11か所の踏切の解消と、京成立石駅の高架駅化を目指し、只今、高架化工事が行われている。 今日の散歩は工事の進行状況の確認を兼ね、京成立石駅から歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 京成立石駅で下車

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・・・・・・・・・・ 京成立石駅の橋上駅舎は既に閉鎖され、ホームから橋上の改札に向かう階段も閉鎖されてる。 改札口は上下線別に仮の改札口が設けれてた。

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・・・・・・・・・・ 下りホームの北側には、仮の下り線となる線路を敷設中。 立石名物であった「呑んべい横丁」の跡にも仮の下り線が敷かれる。

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・・・・・・・・・・ 駅から葛飾区役所に向かう商店街も立ち退き、道の両側は白い仮囲いで隠された。 いずれこの仮囲いの中に新しい葛飾区役所(葛飾区総合庁舎)が建てられ、移転する予定。

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● 京成立石駅前へ移転を予定している葛飾区総合庁舎。 現在の本館(4階建て)+議会棟(3階建て)は昭和37年(1962)竣工。 新館(7階建て)は昭和53年(1978)竣工。 現在は、スペース不足、耐震性能不足、災害対策拠点としての機能不足などなどで、早く移転できることを祈るばかり。

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● 葛飾区役所前の通りを歩き、水戸街道(国道6号)を横切り、都営白鳥一丁目アパート前を通り過ぎると、曳舟川親水公園に出る。 曳舟川に沿って長く伸びる公園には、まだ花が咲き残る桜並木が続いてる。 花見は今日・明日が最後、来週は完全に葉桜になっていると思うね!

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● 宝町(たからまち)二丁目に「宝町八幡神社」がある。 江戸時代初期に開村した宝木塚(ほうきづか)村の鎮守として創建されたそうだ。 創建年代は不詳。 現在の社殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、屋根は傾き、やや朽ち果てた感がある。 歴史を感じるかな?、、、、台風・地震で倒壊しないうちに修理して欲しいね!

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● 堀切菖蒲園駅近くには、「堀切天祖神社」が鎮座する。 天祖神社は、永万元年(1165)伊勢の神宮の神領であった葛西御厨〔かさいのみくりや〕の堀切村の鎮守として、皇大神宮より勧請したという。 現在の社殿は昭和41年(1966)に建てられた鉄筋コンクリート造。、、、、境内には八幡宮、稲荷社、天神社が祀られ、また境外末社として菖蒲七福神、菖蒲十二支神があり、多くの神さまを集め、地元の神明さんとして幅広く尊崇をあつめてる。

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● 堀切橋で荒川を越える。 堀切橋の上流側に平行する京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始まった。 京成本線荒川橋梁は昭和6年(1931)12月19日に供用を開始した。 以来、京成本線の橋梁として、現在では1日に約14万人以上の利用がある空港アクセスの主要路線の一部として活躍してる。 しかし、京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低いのが特徴で、治水上の弱点といわれ、橋梁のかさ上げが求められていた。 その荒川橋梁の架け替え工事が始まった。

・・・・・・・・・・ 堀切橋から見る京成本線荒川橋梁。 道路橋より低い位置に架かっているのが判る。

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・・・・・・・・・・ 荒川が氾濫しないよう工事の早期完成を望む。 ここから氾濫すると、台東区浅草橋の我が家は床下浸水するかも?

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京成関屋駅は京成本線の日暮里~青砥間の開業と同時である、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、各駅停車しか停まらない小さな駅だが、駅の向かい側に東武伊勢崎線の牛田駅があり、乗り換え客が多い。

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2024年4月 8日 (月)

阿佐ヶ谷から都立家政

浅草橋から中央・総武緩行線に乗車し、御茶ノ水で座席に座る。『さて、どこで降りようか?』 新宿過ぎるとチョイト車内は空いてきた。 東中野で多くの学生が下車し、中野を過ぎたらガラガラ。 このまま乗ってると終点の三鷹まで行くことになる、どこかで降りなくては! 阿佐ヶ谷に着くと、入学式に向かう真新しい制服の女子中学生の親子が降りる、仲の良さそうな親子を見ていた私もつられて降りた。 阿佐ヶ谷駅前で暫し思案、とりあえず駅の北側にある神明宮に行ってみよう。 その後は、なりゆきまかせ・・・・・

 

阿佐ヶ谷駅は、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として中央線に追加開業した。 昭和39年(1964)には複線のみ高架化、2年後の昭和41年に高架複々線化工事完了。、、、、住宅街の駅であり、駅周囲には商店街も多い。 南口の大きな商店街、北口のアーケード街などもある。、、、、朝の時間は都心に向かう通勤客が駅に向かって来る。 駅から出ていく人は学生ぐらいかな。

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● 駅前の小学校は入学式、親子で新調した服を着て、新入生とお母さんが校門を入る。(お父さんは数年前のよれよれスーツ!)




● 小学校の前に阿佐ヶ谷神明宮がある。 阿佐ヶ谷神明宮は、建久元年(1190)頃の創祀と言われてる。 建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部が伊勢神宮に参拝し、神の霊示を受け、宮川 (三重県)の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として祀られているとのこと。 天照大神を主祭神に、月読命・須佐之男命を配祀する。、、、、、桜が咲く境内は広く、風格を感じさせる立派な社殿が並んでる。 見通しの良い拝殿からは、白砂の庭の奥に三棟の美しい御殿が見える。 中央に天照大御神、右に月読命、左に須佐之男命が祀られているとのこと。

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● 参拝も終え、『さてさて どっちに向かおうか?』 向かう先のあてもないので、気ままに裏道をあることにした。 阿佐谷北5丁目の住宅地をブラブラ。、、、、アトリエ風の建物、小さな庭のある木造住宅、綺麗に清掃された裏道、まさしく東京の中流住宅地だ!

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● 裏道を歩いていたら「Aさんの庭」公園があった。、、、、チョイトかわった名前:「Aさんの庭」の公園は、阿佐谷北5丁目の裏通りにある小さな可愛い公園(約830㎡)で、平成22年(2010)に開園した。 「Aさん」とは特定した人物ではなく“皆さん”と言うことらしい。、、、、ここにはかつて、昭和初期の杉並の文化・生活を今に伝える貴重な住宅があった。 庭にはバラが咲くかわいらしい住宅だったそうだ。 地元では、「ばらの家」と呼ばれ親しまれていた。 「トトロが喜んで住みそうな家」として、宮崎駿監督著「トトロの住む家」でも紹介されたそうだ。 平成21年(2009)2月、火災により住宅は焼失し、その跡地に、宮崎駿監督の公園デザインによる区立公園が整備された。

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早稲田通りを横断し、杉並区阿佐谷北から中野区大和町に入る。 再び裏道を歩く。

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● 流れる水量の少ない妙正寺川を越えると、中野区若宮の町に入る。

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● 西武新宿線の都立家政駅に伸びる、“かせいチャンの町”と称する「都立家政商店街」に出た。 この道を歩けば駅に着く、迷わず歩くだけだ!

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● 西武鉄道新宿線の都立家政駅は、昭和12年(1937)12月25日、旧制東京府立高等家政女学校(現:東京都立鷺宮高等学校)の近くに「府立家政駅」として開業した。 昭和18年(1943)、東京府から東京都に変わり、駅名も都立家政駅に改称。、、、、各駅停車しか停まらない小さな駅だが味がある。

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● 阿佐ヶ谷駅から都立家政駅まで9千歩の散歩でした

2024年4月 6日 (土)

も一度 花見

一週間前は“開花”宣言直後の花見で、ガッカリ、残念! 今日は“満開”直後の花見で、綺麗だ、満足!、、、、上野公園に行ってきた




● 午前9時過ぎ、上野駅から花見客がゾロゾロ。 屋台はオープン前の準備中。 東京国立博物館前は入場前の長蛇の列。 動物園は既に開園しお客さんが入園。

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上野公園の桜は満開! まだ午前中、場所取りも少ない、桜の下の宴会はまだだ! 静かに花を見て歩く。

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● 桜からチョイト離れて、医薬祖神の五條天神社と古くからこの地にあった花園稲荷神社に寄って行く。

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不忍池を一回り。 こちらも花見客がゾロゾロ。 それにしても、半数以上は外人だ! 8割以上は東南アジア系の人たちだ! 欧米系の外人さんは皇居周辺の千鳥ヶ淵・靖国神社で花見かな? 

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