“代田”巡り
小田急線の世田谷代田駅から、京王井の頭線の新代田駅をとおり、京王線の代田橋駅まで、“代田”3駅を巡る1万歩の散歩です。
● 小田急線の世田谷代田駅は昭和2年(1927)4月1日、世田ヶ谷中原駅として開業した。 昭和20年(1945)7月1日には空襲により被災し営業休止し、翌年6月15日営業再開する。 昭和21年8月20日、世田谷代田駅に改称。 平成16年(2004)から地下化・複々線化工事に着手し、平成30年(2018)地下化・複々線化工事はほぼ完了した。、、、、現在は、地下2階に島式ホーム1面2線の緩行線が運行され、さらにその直下(地下3階)をホームのない急行線が通過している。 地上には小柄であるがモダンな駅舎があり、改札口はコンコースの両側に設置されている。 さすが、セレブの住む世田谷区をとおる小田急線らしいシャレた駅だ!
・・・・・・・・・・ 小田急線は、新宿から来ると東北沢駅の手前で地下にもぐり、世田谷代田駅の先(梅が丘駅側)で地上に顔を出す。 世田谷区立代田小学校前の公園の下に複々線が見える。
・・・・・・・・・・ 地名“代田”(だいた)の由来、、、、“代田”の地には昔、大きな窪地があった。 その窪地は、想像上の巨人「ダイダラボッチ」の足跡と言われ、代田村の名のダイタは確かにこの足跡に基いたものらしい。 現在の世田谷区代田の町の中央に世田谷代田駅はある。
● 小田急線の世田谷代田駅と京王井の頭線の新代田駅間は、かつて線路で繋がっていた。 それを説明する案内板が世田谷代田駅前に設置されている。 そこには『代田連絡線 1945(昭和20)年5月の戦火で大半の電車が被災した帝都線(現在:京王井の頭線)に電車を送り込むため、代田二丁目(現:新代田)駅と当駅を結ぶ右の地図のような線路が急遽敷設されました。当初は、電車を人力で移動させたといわれています。当駅北側の通路は、その代田連絡線を模ったデザインとしています。』と記されていた。 隣の地図では、方位は約90度傾いているが、小田急線と井の頭線が大きな円弧で結ばれていた。 (参考に昭和23年の航空写真を添付)、、、、世田谷代田駅から新代田駅まで、この代田連絡線の遺構を探しながら歩いて見た。 歩いて見たが、残念ながら遺構らしきものは何も見つけられず。 円弧の中程(現:代田5丁目17)の付近では住宅が密集し、線路跡を想わせる物は一切見ることはなかった。
● 京王井の頭線の新代田駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の代田二丁目駅として開業した。 昭和41年(1966)に新代田駅に改称。、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、環状七号線の道路に面する橋上駅舎を持つ。 ホームは掘割内にあり、駅の上に環状七号線が通っている。、、、、当駅の周辺にも代田連絡線の痕跡らしきものは残っていなかった。
● 新代田駅近く、住宅の駐車場の横(世田谷区羽根木1-5)に稲荷神社とその脇に庚申塔と地蔵尊があった。 稲荷神社はさておいて、立派な庚申塔と地蔵尊が並んでる。 右から一番目にあるのは板碑型の庚申塔で、高さは118㎝、造立年は元禄12年(1699)で、青面金剛の下に三猿が描かれており、下部には願主の名前が彫ってある。 隣の角柱型の庚申塔は、青面金剛と三猿が描かれ、高さは136㎝。 この庚申塔が最も古く、貞享4年(1687)の造立。 三番目は、少しだけ小さめの駒型の庚申塔。青面金剛に三猿である。造立は正徳元年(1711)。 さて左端の 舟型の地蔵立像は、念仏講中の立てた供養塔である。造立は元禄10年(1697)。 どれもこれも、彫りの深い立派な石仏だ!
● 京王線の代田橋駅に到着したが、チョイト“代田橋”の橋がどこにあったか、探すことにした。、、、、“代田橋”は玉川上水に架かっていた橋と聞いていたので、代田橋駅の北側に平行する甲州街道を越えて杉並区に入り「水道道路」の方へ行ってみた。
・・・・・・・・・・ 『沖縄タウン 和泉明店街』なる飲食店街がある。 沖縄タウンは平成17年(2005)甲州街道の歩道橋改装に合わせてオープンした、70数店舗で構成する、総延長380mの懐かしい雰囲気の商店街。 沖縄の物産を売る店やソーキそば等を食べさせる食堂がある。
・・・・・・・・・・ 和泉明店街の周辺には“代田橋”があったと思われる場所はなく、商店街で掃除してるおばさんに訊ねると、どうやら玉川上水の上を越えていた甲州街道に架かっていた橋らしい。 その部分の玉川上水は暗渠化され橋の跡は無いそうだ。 暗渠の入り口が甲州街道の下にあるから行ってみるように案内されたので、チョイト見て来た。、、、、『代田橋は、この辺りに架かっていたのか』自分を納得させる。
● 代田橋駅に戻る。、、、、京王線の代田橋駅は、大正2年(1913)4月15日に京王電気軌道の駅として開業。 現在の駅構造は、相対式ホーム2面2線を持つ地上駅であるが、平成26年(2014)から連続立体交差事業に着手し、数年後には島式ホーム1面2線の高架駅となる予定。
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