連休は家で“じっと我慢の男の子” 最終日の今日、夫婦で世田谷の豪徳寺(ごうとくじ)に行ってきた。
● 新宿から小田急線の各駅停車で10駅目、豪徳寺駅で下車する。 豪徳寺駅は昭和2年(1927)4月1日に開業した。 駅は、東急世田谷線(大正14年(1925)開業 )と立体交差するため、当初から盛土の上にあり高架化されていた。 現在の豪徳寺駅は、複々線化された高架駅で、緩やかなカーブ上に相対式ホーム2面4線を有する。、、、、駅名は、そのものズバリ、近くの古寺の名を拝借。(ただし、寺の豪徳寺最寄り駅は世田谷線の“宮の坂駅”)、、、、私は大学生頃から小田急線を利用しているが、下北沢、経堂、成城学園前などの駅と比べると、乗り換え駅であるにもかかわらず目立たない地味な駅である。 いつまでも、各駅停車しか停まらない駅!
・・・・・・・・・・ 豪徳寺駅ホーム下を走る東急世田谷線
・・・・・・・・・・ 豪徳寺駅から東急世田谷線沿いの商店街を歩いて豪徳寺に向かう
● 豪徳寺(ごうとくじ)は、元臨済宗の寺院で、今は曹洞宗の寺院。 山号は大渓山(だいけいざん)。、、、、世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられている。 天正12年(1584)に曹洞宗に改宗。 高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、豪徳寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士 」より豪徳寺と改号した。、、、、緑で覆われた広い境内の空気は爽やかなり。
・・・・・・・・・・ 松が並ぶ参道を通り「山門」に至る。 山門の扁額には「碧雲関」という文字が書かれてる。 「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味するらしい。
・・・・・・・・・・ 山門を入ると正面に延宝5年(1677)建立の「仏殿」がある。 仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されている。
・・・・・・・・・・ 仏殿の奥に、昭和42年(1967)に造営された「法堂(本堂)」がある。 堂内には聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置され、さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られているそうだ。
・・・・・・・・・・ 法堂のさらに奥に「開祖堂」があるが、開放されておらず、見ることができなかった。 堂内には、豪徳寺を開山した和尚や大師の像、歴代住職、藩主の位牌が安置されているそうだ。
・・・・・・・・・・ 境内のシンボル的な建物として、平成18年(2006)に落慶した、高さ22.5mの「三重塔」がある。 塔には釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されているらしい。
・・・・・・・・・・ 豪徳寺と言えば“猫”、、、、さて、豪徳寺と猫の繋がりは、寺のHPには『ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。 寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。 雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。 それが彦根藩主の井伊直孝でした。 豪德寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興しました。 その後、豪德寺では、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられました。招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願うたくさんの参詣者が訪れています。 堂内には招福観音菩薩立像が安置されています。』と記されてる。、、、、その「招福殿」の周囲には、参拝者が奉納した招き猫がウジャウジャ。 堂には、アニメの聖地となったのか(?)、外人がウジャウジャ。 ちなみに奉納する招き猫は、一匹500円(小)から7000円(大)なり。 我が家の妻は、1000円の小ぶりの招き猫を奉納。 猫に奉納するより、亭主に奉納した方が御利益あると思うよ!
・・・・・・・・・・ 豪徳寺は井伊家の菩提寺、墓所には幕末の大老13代直弼の墓、豪徳寺中興開基2代直孝の墓をはじめ、歴代藩主や正室たちの墓が並んでいます。 平成20年(2008)に国史跡に指定された。 広い墓所に、一家合計300基の墓石が並んでいるそうだ。
● 豪徳寺から再び豪徳寺駅に戻るのはつまらないので、一駅新宿寄りの梅ヶ丘駅まで歩いてきた。、、、、梅ヶ丘駅は昭和9年(1934)4月1日 に開業。 2面4線を保有する高架駅で、乗降人員は1日あたり3万人を数えているが、各駅停車しか停まらない駅。