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2024年5月17日 (金)

別所温泉 1

17日、夫婦で信州最古の温泉地と言われてる別所温泉に一泊してきた。 一昨年は娘共の家族と訪れたが、今回は夫婦二人旅である。 私も妻も別所温泉は3度目で、周辺の主な観光地(善光寺、上田城、北向観音堂、安楽寺など)は来たこともあり、知らぬ所をのんびり巡ることにした。




● 10時上田駅に到着。 上田駅から徒歩7分の至近にあるが、上田城とは方向が異なるためか、訪れる人の少ない「常田館製絲場(ときたかんせいしじょう)」寄って見た。、、、、常田館製絲場は明治33年(1900)創業の製糸工場。 笠原工業株式会社構内に常田館製絲場に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が国の重要文化財に指定されている。 国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末建築の長野県最古の鉄筋コンクリート5階建倉庫群など、製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残る貴重な文化遺産だ。、、、、笠原工業の方に許可を頂き、内部を見せてもらった。
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・・・・・・・・・・ 明治38年(1905)に建てられた「五階繭倉庫」。 木造土蔵造瓦葺、国内唯一の木造5階建繭倉である。 各階間口24間、奥行5間、120坪の総5階、床面積延600坪(約1,983m2) 当初、諏訪式製糸の特徴の一つである多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建築された。 21cm角の通し柱が5.4mおきに設けられている他約18cm毎に繭を乾燥・保管する蚕籠を乗せる蚕架の桟を挿し入れる直径3cm程の穴が開けられ向かい合っていた。 土蔵造の外壁は白漆喰塗。、、、、現在、内部には製糸機器などはなく、笠原工業の製品倉庫として一部使用されている。
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・・・・・・・・・・ 明治45年(1912)建築の木造土蔵造4階建ての「四階繭倉庫」 大きさは各階間口6間、奥行12間、72坪の総4階建て。   開口部は各階南北に両開き鉄扉と内側ガラスの引戸が1箇所ずつあるのみで、東西には窓が一つも無く当初から干繭倉として建てられたらしい。
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・・・・・・・・・・ 長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造5階建て建築物である「五階鉄筋繭倉庫」  大正15年(1926)竣工、鉄筋コンクリート造、5階建の倉庫。 木造5階建繭倉と異なり、干繭倉として建てられたもので、入口は両開きの鉄扉が東と二階東角に設けられている。 階高も、約240cm~345cmと木造繭倉より高くなっている。
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・・・・・・・・・・ 明治41年(1908)に建てられた「常田館/事務所兼館主住宅」 木造瓦葺2階建、床面積は1階50坪(163.78m2)、2階41坪(136.63m2)、、、、「常田館」の名称は、笠原組製糸が上田工場を建設した地が常田地籍であり、その地名をとり称号としたもの。  洋館風事務所として建築され、当初1階は館主宅として、2階広間と客間4部屋は結婚式や従業員の打ち合わせ・慰労会等多目的に使用された。 現在は昭和天皇皇后両陛下行幸啓の際の玉座を初めとして、養蚕・製糸等に関する資料・器械・美術品を展示している。
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● 上田駅から、上田電鉄別所線に乗り「下之郷駅(しものごうえき)」で下車する。 下之郷駅は大正10年(1921)6月17日、上田温泉電軌により、川西線の駅として開業した。 昭和14年(1939)川西線が別所線に路線名称を変更、また同年9月1日には社名変更により上田電鉄となる。、、、、島式1面2線のホームを持つ地上駅であり、駅前のロータリー状の広場より構内踏切を通って入構する。 駅舎としての建物はホーム上にある朱塗りの柱が特徴的な建物だけ。 一日平均乗車人員は160名程。 これでも、当駅は上田電鉄の登記上の本社所在地となっている。
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● 下之郷駅で下車したのは、「生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)」の最寄り駅である。 駅から徒歩5分、生島足島神社に参拝。、、、、生島足島神社は、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。、、、、創建の年代は不明だが、神代の昔、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地に留まり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献じたと伝えられている。 生島神は生国魂大神、足島神は足国魂大神とも称され、共に日本全体の国の御霊として奉祀される大神である。 平城天皇の大同元年(806)には神戸の寄進があり、醍醐天皇の廷喜の代(901~922)には名神大社に列せられる。 建治年間(1275~1278)には北条国時が社殿を営繕し、地頭領家も祭祀料の田地を寄進する。 戦国時代以後も真田昌幸・信之等の武将を始め、代々の上田城主も神領を寄進し、社殿を修築する。、、、、池の中央の島にある本殿はまわりを老樹に囲まれて建っている。 この池を巡らせて神域とされる島をつくる様子は「池心の宮園池」と称され、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされる。 現社殿は昭和15年(1940)に国費をもって竣工された。
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・・・・・・・・・・ 境内にある歌舞伎舞台は、間口九間(16.36m)、奥行七間(12.27m)で農村歌舞伎舞台の中で最大規模を誇る。 伝えでは、明治元年(1868)に建設され、内部には回り舞台やせり上がりもあるそうだ。 その後校舎や集会所としても利用されたという。 江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を完全に伝えており、長野県宝に指定されている。
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・・・・・・・・・・ 池にはカメ、コイはもちろん居るが、アヒルも居る。 一袋100円の餌を買って、アヒルに遊ばれる妻。
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● 再び上田電鉄に乗り終点の「別所温泉駅(べっしょおんせんえき)」に到着。 別所温泉駅は、大正10年(1921)6月17日、上田温泉電軌の別所駅として開業。 昭和5年(1930)駅名を別所温泉駅に改称。 単式ホーム1面1線の地上駅。 現在の駅舎は昭和25年(1950)に改築され、現在の外観となった。 上田丸子電鉄時代からの駅舎で、当時の社紋が残ってる。
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・・・・・・・・・・ 電車の発着時、出迎え、見送りをしてくれる、和装制服の袴を着用して勤務する観光協会の女性職員。 観光駅長さん
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● 別所温泉に来たらまずは、北向観音(きたむきかんのん)に御挨拶。 北向き観音は、天台宗の寺院で、近くにある常楽寺が本坊である。 寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825)円仁(慈覚大師)によって、常楽寺とともに開創された。 安和2年(969)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。鎌倉時代の建長4年(1252)には北条国時によって再建された。 現在の堂は、享保6年(1721年)に再建され、昭和36年(1961)に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となる。、、、、北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。 善光寺の方に向いているのか? 旅の無事を祈り、『今年も、やってきました。 無事、帰れますように。』夫婦で合掌、、、、東南アジアの大学生らしき観光客が境内にチラホラ。 何やら騒がしい団体だ!
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● 今日のお宿は、北向観音を見下ろす、展望露天風呂のある老舗旅館。 部屋は上田の町が遠望できる見晴らしの良い最上階! 美味しい夕食頂いて、Good Night!
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