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2024年6月

2024年6月24日 (月)

昔の名前で出ています

天気予報では今日も30℃超の気温、熱中症に気をつけ、京浜東北線の東十条駅から都営三田線の本蓮沼駅まで、9千歩の散歩です。




● 朝8時、京浜東北線東十条駅に降り立つ。 東十条駅のホーム東側は東北新幹線の高架橋と下十条運転区がある、西側は東北本線の列車線と貨物線が並行して走り、その先は線路際まで武蔵野台地が迫り崖となっている。 今日の散歩はホームの西側、台地の上から歩きはじめることにした。

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● 東十条駅から埼京線十条駅へ向かう「演芸場通り(=十条中央商店街)」がある。 今日は、演芸場通りに平行する裏道を歩き、埼京線の踏切を越え「十条銀座商店街」にぶつかる道を行く。

・・・・・・・・・・ まだ8時過ぎなのに、強烈な日差しで裏道を歩いても暑い!

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・・・・・・・・・・ 埼京線の「富士道踏切」がある。 “富士道”と言うのは、残念ながら富士山が見えるのではなく、この道の東端付近に「十条富士神社(北区中十条2)」があり、そこへ至る道ということ。 富士山を見たい人は、神社境内には「富士塚」があるから、それで我慢!、、、、踏切の南側には十条駅が見える。

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、「十条銀座商店街」の中程で、商店街を横切るようにぶつかる。、、、、朝8時半、十条駅に向かうサラリーマン、学生が足早に抜けて行く。

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● 十条銀座を横切って西へ歩く。 北区上十条3丁目に、鮮やかな赤い門のある「聖観音堂」なる小さな堂がある。 中には山下覚道(?)作という中国風の観音像が安置されているそうだが私は見たことはない。、、、、堂の前には、天明3年(1783)銘の大日如来像、延宝5年(1677)銘の青面金剛像の庚申塔などが祀られている。、、、、門の中に浮浪者が侵入して宿泊しているそうだ、それゆえ門は施錠されてる。 参拝する人は門の外から合掌!

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● さらに西へ歩き、環七通りと本郷通りが交差する姥ヶ橋交差点に出てきた。 交差点の角に、「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。 “姥ヶ橋”とは、石神井川用水の稲付川に架けられていた橋で、その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。 この乳母を憐れんで村人が供養のために建てたのが「延命地蔵尊」である。、、、、この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像だ。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘文が刻まれている。

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● 西が丘の、官舎の前をキョロキョロ、公営住宅の団地の中をウロウロ、ナショナルトレーニングセンターの前をブラブラ。 大きな建物ばかりで、首を空に向けて歩き、疲れた!、、、、「西が丘」は、戦後、米軍の管理下で東京兵器補給所、稲付射場などがあった処だ。 返還後は、国立西が丘サッカー場などの公共施設、集合住宅などが建設された。

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● 西が丘を抜け、北区清水町の裏道を歩き、中山道(=国道17号)に出る。

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・・・・・・・・・・ 中山道の地下に都営三田線「本蓮沼駅がある。 本蓮沼駅は板橋区に所在する。、、、、本蓮沼駅は昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、駅名の“本蓮沼”は、本線の計画段階では、駅名の仮称は“蓮沼駅”だったそうだ。 しかし、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅があったため採用されず、昭和36年(1961)までの駅所在地における地名であった志村本蓮沼町より名前を採った。 つまり、♪ 昔の名前で出ています ♪

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2024年6月20日 (木)

汚い春木川?

我が家のある都営浅草線浅草橋駅から北総線の印旛日本医大行きに乗ると、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線と乗りれて秋山駅まで乗り換えなしに行くことができる。 今日の散歩は北総線秋山駅から、京成本線の菅野駅まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩




● そろそろ通勤通学時間にとなる朝8時、北総線「秋山駅」で下車する。 秋山駅は、平成3年(1991)3月31日、北総線の京成高砂駅~新鎌ヶ谷駅間開業のとき、同時に秋山駅も開業した。 秋山駅は北総台地の住宅地に、掘割による半地下構造で、相対式ホーム2面2線のホームを有する駅である。、、、、駅前は10数年前とチットモ変わらず、コンビニ、喫茶店などはなく、マンションに囲まれた静かなロータリーがあるのみ。 

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● 秋山駅から南のJR総武線市川駅・本八幡駅方面には幾度か歩いているので、今日はなるべく歩いたことのない裏道を散歩する。 駅前から大型スーパーの横を抜け、戦後宅地化されたと思われる住宅地(松戸市秋山)を歩く。

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・・・・・・・・・・ この辺りには地名を表すものは少なく、たまに見る住宅の表札に示された住所がたより。 マンホールの蓋に示された「まつどし」の文字、矢切の渡しのイラストをみて、『私は今、松戸市を歩いてる!』と実感する。

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● 松戸市秋山から市川市稲越に入ると、商店の建物がチラホラ現れ、自分が何処を歩いているか判断できて一安心! 千葉県立国分高校の裏から市川市曽谷の町へ。

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● バス通りに出ると、「曽谷春雨橋」のバス停、その脇に用水路のような川に架かる「春雨橋」、川の名は「春木川」。、、、、“春木川”と知ると、思い出すのは故松尾和子の歌う、湯村温泉(兵庫県、夢千代日記の舞台)をイメージした「春来川慕情」(昭和65年リリース)、私の好きな歌だ!

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・・・・・・・・・・ 歌のイメージとは大きく異なるが、この先、春木川に沿って歩くことにした。、、、、春木川は、千葉県市川市・松戸市を流れる利根川水系国分川の旧称。 市川市内を流れる春木川は度々、名誉の「日本一汚い川」にランクインしてる。 それゆえ、現在でも水質改良工事が行われている。 『春木川を、きれいにしましょう』の看板も剥げてきた!

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・・・・・・・・・・ 市川市東国分の町を南下した春木川は、「春木川排水機場」の先で「真間川」に合流し、東京湾へ流れ込む。

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● 外郭環状道路がホーム下を走る、京成本線の「菅野駅(すがのえき)」に到着。 菅野駅は大正5年(1916)2月9日に開設された。 開設当初の駅は相対式ホーム2面2線で、上りホーム側に駅舎があったそうだ。 しかし現在は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームの頭上に橋上駅舎がある。、、、、この付近は、砂地に松並木が映える江戸〜大正期の別荘地の名残が今も残る、都心から東に位置する高級住宅街だが、駅周辺には店舗も、スーパーも見当たらない。

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2024年6月17日 (月)

西糀谷・大森中

近ごろ起床時間が早くなり、4時過ぎには目が覚めていることが多い。 今朝も4時半過ぎに起床し、5時には新聞を読んでいた。 私が早起きになったため、妻もつられて起きてくる。 6時には朝食も済ませ、『さて、今日は何処へ散歩に行こうかな?』と声をかけると、妻は『私も一緒に行くよ!』と返事。 しかし、5分後には『やっぱり、行かない。 一人で行ってきな!』 その妻の心は『高島屋(デパート)で孫の服を買ってくる』、、、、と、云うことで、今日は一人で散歩する。

6時半に浅草橋の地下鉄ホームに立ち『どこへ行こうか』思案橋。 次の電車は『羽田空港行だ。 ヨシ、これに乗ろう』、、、、乗っては見たが『どこで降りよか?』迷い橋。 いつの間にか、京急蒲田を過ぎ “次は 糀谷!こうじや”と、聞いて慌てて飛び降りて、気まりが悪い、照れ屋橋。 糀谷で降りてみたが、東西南北何処へ行く? 気ままに歩いて9000歩、着いたところは「大森町」(京急の駅)

 

● 京浜急行の「糀谷駅(こうじやえき)」は、明治35年(1902)6月28日に羽田支線として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 思った以上に古い駅である。 現在の高架駅に変わったのは平成22年(2010)~平成24年(2012)。、、、、“糀谷”の地名の由来は判らないが、現在は糀谷駅の北側が“西糀谷”で、西糀谷と羽田空港に挟まれた一帯が“東糀谷”。 東西を冠しない、単なる“糀谷”の地名は消滅した。

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● 糀谷駅から駅前商店街をさけて、西糀谷の裏通りを歩く

・・・・・・・・・・ まずは、“裏通り”と言うより“裏路地”(西糀谷4)を歩いて見たら、ズ~ット奥で行止まり。 

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・・・・・・・・・・ 西糀谷4丁目に「糀谷神社」がある。 糀谷神社の創建年代は不詳だが、村民久左衛門が創建したといわれてる。(久左衛門と言われても、知ってる人はいるのだろうか? もちろん私も知らない) 明治維新後には村社に列格した。、、、、ここの神社の鳥居の横には天祖神社の社号標がある。(この糀谷・羽田地区付近には天祖神社が多いので間違いやすい)

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・・・・・・・・・・ 糀谷小学校の前を歩き、右に曲がって、また右に、次は左に歩いていたら、「叶仏堂(かなぶつどう)」(西糀谷1)の前に出た。、、、、堂内の中央に「庚申塔」がある。延宝6年(1678)に糀谷村庶民有氏で造立。 右隣には大日如来像がのった「六十六部供養塔」がある。 糀谷村の信仰を物語る石仏だ!

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・・・・・・・・・・ 叶仏堂から北へ歩くと、住宅地の路地の奥に「仲江名天祖神社」と刻まれた社号標がある神社が見える。 小さな境内だが、踏石が敷かれた参道を進むと鉄筋コンクリート造の社殿があります。 社殿も含めて境内が近年整備されたようだ、この神社も村民久左衛門が創建したと伝えられてる。 現在の社名は「東仲江名天祖神社」(西糀谷2)である。

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● 西糀谷の北端に流れる呑川。 そこに架かる「北糀谷橋」を渡ると北糀谷の町。

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● 北糀谷小学校の前をとおり、「大森中(おおもりなか)」の町に入る。 下町の雰囲気が残る町。

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・・・・・・・・・・ またまたあった小さな神社「堀之内三輪神社」、、、、大森周辺は武蔵国大森と称し、堀之内は大森の本村として伝承された古い地名だ。 堀之内は本村として早くから開け、住民は農業と漁業を生業として集落を形成し、氏神が住民の支柱だった。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として大国主命を祀り、村人の崇敬を集めたのが創始と伝わる。

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● 大森中の町を抜けると第一京浜(=国道15号)に出る。 国道を横断すれば京急の「大森町駅」

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● 「大森町駅(おおもりまちえき)」は、明治34年(1901)2月1日、六郷橋~官設大森駅間開通時に開業。 開業時は道路上の停留所であったが、明治39年(1906)に新設軌道上に移行し、のちに大森山谷駅と改称した。 現在は高架駅となった。、、、、綺麗で立派な駅だが、普通列車しか停車しない駅、チョイト可哀そう!

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2024年6月16日 (日)

水郡線の旅

6月13日・14日の二日間、夫婦で水郡線沿線を旅してきた。 水郡線は茨木県の水戸から福島県の郡山まで、久慈川沿いを走るローカル線。 全線開通は昭和9年(1934)12月4日、全線約140㎞には途中駅43駅ある、水戸から郡山までの所要時間は通しで約3時間強。 沿線途中には袋田の滝があるが、それ以外は全国的な名所はない、山間部をのんびり走る1~4両編成の気動車に揺られ夫婦二人旅である。




● 13日11時、特急“ひたち”で水戸駅到着。 水戸駅2番線ホームの端から常陸大子行きに乗換える。 2両編成の列車には、乗客の姿もまばら。 “間違いなく これぞローカル線”感動する!

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● 水戸を出ると車窓には緑がいっぱい、久慈川も見える。、、、、車窓から撮った写真は『AGC(旧旭硝子)の熱線吸収ガラス』により、青みがかってしまう。 熱線吸収ガラスは、原料に熱線吸収成分を加え、グリーンやグレーに着色し温度上昇の原因となる赤外線を吸収するので、車内の温度が一定に保たれているそうだ。 日差しも眩しくなくて、いいね。 でも、折角の素晴らしい景色の写真がチョイト残念!

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● 12時30分、袋田駅(昭和2年開業)に到着。 降りたのは私達二人だけ! 袋田駅の1日平均乗車人員(令和4年度)は64人である。 駅前に停まってる「袋田の滝」行きのバスに乗るのも二人だけ! 

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● 駅から二人だけの貸し切りバス(?)で7分、「袋田の滝」に到着。 滝の入口周辺には数件のみやげ屋が店を開いてる。 観光客の姿も少ないがチラチラ見える。 皆さん自家用車で来たようだ、今の時代、列車に揺られてやって来るのは我が夫婦だけ!、、、、みやげ屋が並んでる、昭和の時代の観光地のようだ、いい雰囲気だ!

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・・・・・・・・・・ 滝に向かうトンネルの前で入場料300円を払い、“いざ滝へ”。 トンネルは昭和54年(1979)完成、長さ276m。

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・・・・・・・・・・ トンネルの途中には「恋人の聖地」モニュメントがある。 チョッピリ恥ずかしかったが、若いカップルが『記念の写真を撮りましょね!』と言ってくれた。

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・・・・・・・・・・ さらにトンネルを進むと国名勝「袋田の滝」の正面(第一観瀑台)に出た。 滝の大きさは、高さ120m、幅73m。
初めて見る滝の大きさにビックリ『スゲー、こんなにデカイとは思っていなかった!』、、、、滝の下流には「吊り橋」も見える

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・・・・・・・・・・ トンネルの一番奥にはエレベーターがあり、滝の上部が見える第二観瀑台へ上る。 袋田の滝の別名:四段の滝が見渡せる。 『紅葉シーズンになると、観光客で賑わうのも納得できるね!』

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● 今宵は、滝の近くの袋田温泉で露天風呂に入り、常陸牛の夕食を堪能。

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● 14日は宿の車で水郡線「常陸大子駅(ひたちだいごえき)」(袋田駅の隣り駅)まで送ってもう。、、、、「常陸大子駅」は、JR水郡線統括センターのある山間の大きな駅で、留置線含めて10線以上ある。 転車台も残っている。 駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅。 昭和2年(1927)3月10日、鉄道省の駅として開業した。 令和4年(2022)度の1日平均乗車人員は223人。

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・・・・・・・・・・ 駅前に静態保存されている「C12 187」は、昭和13年(1938)7月27日に日本車輛製造名古屋工場で製造され、九州各地で運用された後、昭和42年(1967)に水戸機関区に配属され、昭和45年(1970)まで使用された蒸気機関車。 黒く輝く車体はカッコいいね!

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● 只今時刻は9時10分、次の郡山行きの列車は10時45分、それまで大子の町歩き。、、、、駅前から延びる「駅前中央通り」と「本町通り」を歩いて見た。 大正・昭和の活気あった街並みには当時の雰囲気が残っている。

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・・・・・・・・・・ 通り沿いに建つ国登録有形文化財の建築、、、、旧樋口病院入院棟(昭和30年築)、旧大子銀行本店(大正6年築)、旧外池呉服店店舗(明治29年築)、大子カフェ店舗兼主屋・土蔵(大正5年築、大正元年築)

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・・・・・・・・・・ ひな祭りには、神社の参道にある百段階段に緋毛氈(ひもうせん)をかけ、多くの雛人形を置く1日限りのイベント『百段階段でひなまつり』で全国的に有名な「十二所神社」に参拝。、、、、神社は祭神として天神七代、地神五代の十二代十七神を祀り、当地の開拓の守護神として神亀4年(727)に鎮祭された。 慶長の始めに佐竹義宣公の寄進にて社殿を改築したが、明治43年、火災にて社殿・神宝を悉く焼失した。、、、、14日はこの6月で一番暑い日、まして大子町は全国でも一番暑い日(天気予報で発表35℃)であった。 そんな日に、100段の階段の上り下りは、年寄にはキツイ!

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● 大子の町歩きを終え、10時45分の列車で「常陸大子駅」を出発。 1両編成の郡山行きに乗り、再び久慈川沿いに、次なる「磐城石川駅」をめざす。 

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● 常陸大子駅を出て約1時間、茨木県から福島県に入り、磐城石川駅に到着。、、、、磐城石川駅は、昭和9年(1934)12月4日の開業。 単式ホーム1面1線(1番線)と島式ホーム1面2線(2・3番線)、合計2面3線のホームを持つ地上駅。、、、、令和4年(2022)度の1日平均乗車人員は446人と水郡線の駅では乗降客の多い方だ! だけど、私達と一緒に降りたのは数人程、乗った人はゼロ!、、、、駅前には何もない。 町には食堂もない。 有名な観光地もない。 なぜここに下車したか? 私が、駅から北東に約8㎞程行った「千五沢ダム」を見たかったからだ。、、、、それにしても何もない駅で、ダムへはタクシーで行くほかはなく、そのタクシーも駅前には停まっていない。 親切な駅長(?)が、タクシー会社に電話してくれた。

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● 磐城石川の町を抜け、「千五沢ダム(せんごさわだむ)」に到着。、、、、千五沢ダムは東北農政局により昭和50年(1975)に阿武隈水系北須川に建設されたかんがい専用ダムである。 しかし、当初予定したかんがい面積が半分に減少したため、ダムの貯水容量に大きな空き容量が生じる結果となった。 福島県はこの空き容量を洪水調節を行う治水容量として活用することとなり、洪水調節を行うための施設改修(洪水吐き改築、放流施設新設、管理設備改修等)を行なった。 ダムの諸元は、型式:中央コア型アースダム、ゲート:ゲートレス(自然調節方式)、堤高・堤頂長:43m・176.5m、総貯水容量:1300万m3、管理者:福島県、本体着工/完成年:2014/2024年、施工会社:清水建設・青木あすなろ建設・あおい。、、、、このダムは湖(母畑湖)に4本の洪水吐けが出て、水位が上がると洪水吐けの開口部から水が流れ、大雨などの非常時には洪水吐けの頂部を乗り越えた水か自然に流れ下るようにできている。、、、、小さなダムだが、珍しい形状のダムだ!、、、、(注:::以下の写真で、最初の1枚(航空写真)は現地のダム案内板に表示された写真)

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● ダムを見終え磐城石川駅に戻るタクシーの中で、妻から一言『このまま郡山の駅まで乗って行こう!』、、、、というわけで、水郡線の旅はここまで。

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2024年6月15日 (土)

古い記事は削除!

サーバーの空き領域確保のため、古い記事(2017年以前の記事)を削除しました。 もう見られません、諦めてください!

5月末から約半月の間、雅万歩は休みましたが、明日から再び記事を掲載するつもりです。

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2024年6月11日 (火)

大変だ、本当に! 

ブログのサーバー容量の使用率が99.9%以上となり、『雅万歩』の記事が掲載できない状態です。 対策としては、凄く簡単で過去の記事・写真を削除すれば空き領域が増えて、再び記事を掲載することができます。 作業は簡単“屁の河童”である。、、、、、と言いたいところだが、、、、、記事は、2010年から今年までの14年分、写真は3万枚以上がサーバに格納さてれている。 これは、私の貴重な“散歩日記”であり、一気に削除・消滅するには忍びない。 そこで、バックアップをとり、記事を印刷し、写真も整理しながら、空き領域を増やすことにした。 これが、かなり面倒で時間がかかり、マイッタ!、、、、、、ブログの新たな記事掲載まで、もうしばらく時間をください!(医者通い、散歩に旅行に、時間の合間をぬって、サーバーの整理に励みます)            雅万歩

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