暑いので夏休みします!
連日の35℃超え。 後期高齢者の私には、この暑さの中、3時間程の散歩は堪える! しばらく『雅万歩』は夏休みにします。
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連日の35℃超え。 後期高齢者の私には、この暑さの中、3時間程の散歩は堪える! しばらく『雅万歩』は夏休みにします。
今朝の東京は、雨は止んだが太陽は顔を出さずの曇り空、湿度が高く歩きはじめると、スグに服の中は汗でびっしょりとなる。 気温は28度ぐらい熱中症を心配しながら、京成小岩駅から立石駅まで歩いてきた。 1万1千歩
● 久しぶりに京成本線の「京成小岩駅」で下車し歩くことにした。、、、、京成小岩駅は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 出口は駅前にバス停がある北口と路地の奥にある裏口のような南口の2ヵ所。 駅の開業は、90年以上前の昭和7年(1932)5月15日。(開業当時はおそらく畑の中の駅だったと思うね?)、、、、JR総武線の小岩駅と京成小岩駅は、直線距離で1.0㎞程離れており、乗換は現実的ではない。 乗換えるなら、隣のJR市川駅と京成の市川真間駅で乗り替えた方が楽だ!
● 京成小岩駅北口を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 北口付近から西に向かって奥戸橋を渡り、京成押上線の立石駅方面に伸びるバス通りがある。 歩いてる途中で雨が降ってきたらバスに乗れそうなので、今日の散歩はこの道を歩くことにした。
● 京成小岩駅から数分の所に「愛国学園」(江戸川区西小岩)の中学校・高等学校がある。 学校は昭和13年(1938)設立の女子校。 千葉県四街道市には系列の大学もある。、、、、『ちょいと、女学生のお顔を拝見!』と校門近くに行ってみたが、時刻は8時数分前、まだ通学時間には早すぎる、誰もいないので校舎だけ拝見して早々に立ち去る。
● 愛国学園正門から50m程西に歩くと、「鎌倉かなえ通り」と交差する角に「古代東海道道標」なるものがある。 石碑自体は比較的新しいものと思われる。 碑文には『日本は七世紀以降、都を中心に畿内参道の整備を行いました。都から東国へは東海道と東山道の二本の官道が敷設され、人や文物が往来していました。墨田区隅田と江戸川区小岩を結ぶ道は、武蔵国と下総国を連絡する古代東海道の一部と考えられます。』と彫られてる。
・・・・・・・・・・ バス通りに出てしばらく歩き、新中川に架かる「三和橋」を渡ると「奥戸小学校」がある。 小学校の正門の脇に、同様の要旨の案内図がある。 地図は南北逆さまであるが、京成小岩駅の先から隅田川岸まで赤い線で古代東海道が標されてる。(地図はクリックすると拡大します)、、、、今日の散歩は、まさしく古代東海道を歩いてた。
● 新中川に架かる「三和橋(さんわばし)」は、昭和36年(1961)の新中川掘削工事に伴い架橋された。 その後、橋の劣化も進み、 平成24年(2012)現在の橋に架け替えられた。 橋の形式は、3径間連続プレビーム合成桁橋、橋長119.0m、幅員18.0m。
● 三和橋に続き、中川に架かる「奥戸橋(おくどばし)」を渡る。、、、、奥戸橋は、右岸 (西詰) の東京都葛飾区立石八丁目と左岸 (東詰) の奥戸七丁目の間を結んでいる。 現在の橋は、昭和47年(1972)竣工であり、過去に幾度かの架け替えが行われている。 現橋は、旧橋の下流に、6億7500万円で建設された。 形式はゲルバー式鋼I桁 + 活荷重合成I桁・H鋼桁 + PCホロースラブ橋、全長299.6m、幅11.0m。
● 奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つである。 本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年(1961)に、夫々改築造営された。、、、、古代東海道沿いの古社なので、チョイト参拝していく。
● 「立石」の地名は、葛飾区立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、現在児童公園に併設する祠の中に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より当地に持ち込まれたと推定される。 また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたらしい。 江戸時代には高さ60センチ以上の大きさだったらしいが、後に、立石様を欠いて持つと病気に効くという信仰や日清・日露戦争時に弾よけのお守りとして欠いて持つ人が現れたこと、また地盤沈下などの結果、現在では地表に頭だけだしてる、チョイト悲しい状況だ。
● 古代東海道の一部を歩き、工事中の京成押上線「立石駅」に到着。 今日はここまで!
連日の猛暑に続き豪雨、今日は梅雨の中休み、久々の散歩となった。 東武伊勢崎線の小菅駅から北へ歩きはじめ、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩です。
● 東武伊勢崎線の小菅駅(こすげえき)は、大正13年(1924)10月1日に開業した。 小菅駅は足立区足立の所在であるが、“ほぼ駅前”と言ってもいい、東京拘置所の所在地は葛飾区小菅である。 “小菅”と言えば、年配の人は“高い塀の刑務所”を思い出すかも、現在は“刑務所”ではなく、日本最大の3000人収容の開放的・モダンな“拘置所”である。、、、、駅は荒川岸に位置し、ホームの東側には東京拘置所があり、一日当たりの乗降客は約6000人で、都区内の駅としては少ない方だ。、、、、今日の散歩は、この小菅駅から拘置所を囲む堀(古隅田川)に沿ってスタートする。
● 東京拘置所の北側に「五反野親水緑道」があり、緑道は五反野駅まで約900m続くそうだ。 途中にJR常磐線のガードがある。 ガードの脇に、昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑「下山国鉄総裁追憶碑」がある。、、、、下山事件とは、昭和24年(1949)7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則は午前8時20分頃迎えの公用車で出勤した。 途中、銀行等により、9時30分頃、日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 下山総裁は0時20分頃現場を通過した貨物列車により、轢断された事が判明したが、検視の結果、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、70余年前の事件であるが、今だ真相は解明されておらず、謎となってしまったか?
● 足は北に向かって歩く。 西綾瀬3丁目、弘道2丁目の都営住宅が点在する、入り組んだ裏通りを歩き環七通り「青井五丁目交差点」に出る。
・・・・・・・・・・ 途中に、真言宗豊山派の寺で安龍山正法院増福寺(足立区青井2)がある。 増福寺の本尊は阿弥陀如来。、、、、当寺は、正和元年(1615)に、慶龍和尚により開山されたと伝えられている古寺。、、、、小さな境内に、小さな本堂、チョイト可愛らしい寺。
● 環七通りを横断し、足立区一ツ家4丁目に入ると「一ツ家稲荷神社」がある。 一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592~1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかと言われている。 境内には数基の供養塔、地蔵、庚申塔がある。、、、、地元有志の氏神様のようだ!
● 熱中症に注意をはらい、汗をかきかき1万歩。 つくばエキスプレスの「六町駅」に到着。、、、、六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。
暑い暑い、連日の猛暑日にはマイッタ! 散歩に出られず扇風機とエアコンをガンガン回して家でグダグダ。 当分『雅万歩』は休みかな?
先月末、遅れてる梅雨入りの話題をニュースで見て、箱根の“あじさい電車”を思い出した。 私の妻は箱根には何度か行ってるが、あじさいの中を走る箱根登山電車を知らず、急遽『見に行こう!』と夫婦で話はまとまる。 早速、見ごろ時期を調べ、宿泊先を予約する。 宿を予約した翌日には、梅雨入り宣言があり、連日の雨模様。 『アジサイと雨はセットだが、できれば晴れた日に行きたいな!』と、気持ちはヤキモキ。 “神は我を見放さず”、旅行当日(7月3日)は晴天になった。 3日、4日と晴天どころか箱根も暑い、連日猛暑日の旅行となってしまった! “神は我を見捨てた!”、、、、、、と言うことで、妻と二人で一泊二日の箱根旅行をしてきた。
● 大改造中の小田急新宿駅、構内をチョイト・ウロウロ『切符売り場は何処だ!』 発車の5分前、「箱根フリーパス」(新宿~箱根湯本往復の乗車券と登山電車、ケーブルカー、ロープウェイ、海賊船、バスが乗り放題で6100円)とロマンスカーの特急券(1200円)を購入。 夫婦二人旅は気ままなもので、この時点で決まっているのは登山電車に乗ってアジサイを見ることと、宿泊先の宿だけである。、、、、ロマンスカーの車中で『今日は何処へ行くの?』 『とりあえず、フリーパスを買ったので行けるとこまで行ってみよう!』 これで決まり!!
● 箱根湯本~強羅間の沿線に、1万株以上のアジサイが咲く箱根登山電車(大正8年開業)。 スイスの登山鉄道の技術も取り入れた、まっ赤なカッコイイ登山電車に乗る。 乗客の日本人は数人、多くは外人観光客で、車内は日本人の私達が海外旅行しているようだ!、、、、アジサイも調度見ごろで『いい時来たね!』
● 登山電車の次は大正10年(1921)開業のケーブルカー、強羅(標高541m)~早雲山(標高750m)間を所用10数分程で運行している。 新宿を出てからこれまで乗り物の乗り継ぎは、“待ち時間 ゼロ”とスムースに移動できてる。 しかも、大混雑はなく、まさに日本が誇る世界的な観光地“箱根”の交通機関だ!、、、、ケーブルカーに乗ると、イタリア人らしき若者が私に席を譲ってくれた、通じるか私も英語で『thank You!』 その光景を見た妻は、イタリア人をますます好きになる。
● 箱根ロープウェイは、早雲山線(早雲山~大涌谷)、桃源台線(大涌谷~姥子~桃源台)の2路線で構成されてる。 まずは、早雲山から大涌谷(標高1044m)へ向かう。 ロープウェイのゴンドラは定員18名だが、乗客の皆さんが座れるように人数を調整してくれる。 私達夫婦もアメリカ人か?、カナダ人か?、どこかのかわいい娘と彼氏の二人連れと同乗。 2組のツーショットを撮影。
● 大涌谷では、1個食べれば7年寿命が延びると言われる大涌谷名物、延命長寿の「黒たまご」を食べる。 「黒たまご」は、生卵を温泉池でゆでると、地熱と火山ガスの化学反応で殻が真っ黒になった“ゆで玉子”。 4個入り500円、二人で2個づつ食べ腹を満たす。 寿命は14年分延びたはず?
● 再びロープウェイに乗り、大涌谷から芦ノ湖の湖畔「桃源台」へ向かう。 ロープウェイの窓はアクリル板で固定されており、開閉できない。 猛暑日の空を行くゴンドラの中はサウナ状態、流れる汗を拭けども拭けども、飛び出す汗で『暑い~ 暑い~! 芦ノ湖へ飛び込みた~い!』
● 桃源台から芦ノ湖の観光船「海賊船」で湖上遊覧。 船の中は、乗客の半数が中国・韓国・ベトナムなどのアジア系、4割は欧米系、残り1割弱が日本人。 聞こえる声は中国語・韓国語・英語・フランス語・イタリア語だか、何語だか、サッパリ判らん! 子供の声も、コレまた大きい! 日本語の会話は聞こえない! 船内放送の日本語の観光案内は聞いてる人がいるのかな?
● 一日目はここ芦ノ湖まで、来たルートを戻り、今宵の宿、強羅の「月の泉」へ向かう。、、、、部屋付きの専用露天風呂で疲れを癒し、夕食の懐石料理を堪能し、『与は満足じゃ!』、、、、夕食の話題の一つ『明日は何処に行きましょうか?』 『美術館巡りするか? 宿の前の“箱根美術館”、モネのある“ポーラ美術館”、登山鉄道脇の“彫刻の森美術館”を見ようか?』 『いいね!』、、、、再び風呂に入り「Good Night」
● 一夜明け、朝食前に重大事発生!、、、、『おい、大変だ“箱根美術館”は今日(木曜日)は休館日だ!』 『どうするの?』 『どうしようもないので、箱根美術館は飛ばして、ポーラ美術館へ行こうか?』 『私、一度も行ったことがない箱根神社へ行きたい』 『箱根神社は芦ノ湖の湖畔だぞ! また昨日行った海賊船に乗るのか?』 『いいじゃないの、美術館は入館料取られるけど、海賊船はフリーパスだから何回乗っても只よ!』 『ヨシ、了解!』、、、、と言うことで、暇な二人はもう一度強羅から大涌谷、桃源台をとおり、海賊船に乗り箱根神社へ向かったのである。
● 元箱根で海賊船を降り、箱根神社へ向かう。、、、、箱根神社は、古来、箱根大神の鎮る山岳信仰の霊場である箱根山に、入峰修行中の万巻(まんがん)上人が、箱根大神の霊夢による神託をうけて、奈良時代初めの天平宝字元年(757)に芦ノ湖畔の現在地に鎮斎した。 平成19年には、鎮座1250年祭が行われた古大社である。 鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣の風儀を生み、以来執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤い社として栄えた。 近世、箱根道の整備と共に庶民信仰の聖地となり、箱根の権現様として親しまれ、開運厄除・心願成就・勝運守護・交通(道中)安全・縁結びに御神徳の高い神様として、箱根山信仰はいっそう盛んになったそうだ。、、、、元箱根港から湖畔を歩き、老杉の参道を抜け、100段以上ある階段を上り、拝殿に参る。 肺活量の少ない私には、拝殿前で息はハアハア、汗はダラダラ、腹はペコペコ、願い事は一言『疲れました、無事に帰らせてください!』、、、、拝殿から下り、湖上の鳥居に寄って行く。 鳥居の前は、カップルが記念撮影する順番待ちで行列状態。 私達、年寄りカップルは記念撮影をパス!(人前で記念撮影なんてできないよ!できないよ!)
● 箱根神社に参った後は、湖畔でゆっくり昼食休憩し、再びロープウェイ、ケーブルカー、登山電車で箱根湯本駅へ戻り、帰宅する。