目白から長崎まで
東京では、連日の猛暑日は終わったようだ、気温は35℃以下。 朝晩も涼しくなってきた。 朝の予報で、今日の最高気温は34℃と聞いて、早速、散歩に出ることにした。、、、、山手線の目白駅から、西武池袋線の東長崎駅まで、1万歩の散歩です。
● 東京に生まれ70余年東京に住み続けてる私であるが、“目白”という場所には縁遠く、学生時代は“目白駅”で下車したことはない、サラリーマン時代には仕事・商談などで来たことはない。 私にとって“目白駅”は山手線の通過駅である。 今日は久々に、そんな通過駅で降りてみようと家を出た!、、、、「目白駅」は、明治18年(1885)3月1日の日本鉄道品川線の品川~赤羽間の開業から、なぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と目白駅の2駅が仲良く開業した。 以降、明治39年(1906)には国有化され国鉄の駅となる。 大正8年(1919)に建設された2代目の旧駅舎は日本初の橋上駅舎となった。 平成12年(2000)に改築された、3代目の現在の駅舎も橋上駅舎である。、、、、駅の隣りは、学習院大学、学習院中・高等学校。 駅の向かいは川村中・高等学校。 さらに周辺には各種の専門学校が多く、ラッシュ時の駅は学生が多いね!
● 目白通りに面してたつ「目白聖公会」(新宿区下落合3)は、日本聖公会に属するキリスト教の教会である。 日本聖公会の教会は東京には全部で32の教会があるそうだ。 ここ目白聖公会は目白駅から徒歩5分程の目白通り沿いにあり、かつて目白通りに馬車が通っていた大正7年(1918)、病院の建物を改造し最初の礼拝が始まったとのこと。 現在のロマネスク様式の聖堂は、昭和4年(1929)に坪井正太郎の設計で建てられた。 戦災からも免れ、東京の聖公会の教会では唯一の戦前からの建物である。 昭和60年(1985)に英国トゥルロー教区にあるエピファニー修道院から、百年余り前に造られた美しいステンドグラスの寄贈を受けた。 聖人を描いたステンドグラスの美しさには、息を呑む。
● 聖公会の教会から北に入ると、尾張徳川家伝来の美術品の保管・研究を目的に昭和6年(1931)に設立された徳川黎明会の建物がある。 ここは、尾張徳川家の美術品などの管理をする処のようだが、残念ながら内部は一般公開されていない。 従って外から眺めるだけです。 建物(昭和7年築造)は、銀座和光(服部時計店)や東京国立博物館を設計した渡辺仁である。
● 徳川黎明会のある豊島区目白の高級住宅街をブラブラ
● 目白の裏道を歩いて西へ向かうと、西武池袋線の「椎名町駅(しいなまちえき)」に出た。 椎名町駅は大正13年(1924)6月11日に開業した。 駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 平成23年(2011)に橋上駅舎が完成し、供用を開始した。、、、、椎名町という地名は江戸時代後期にはすでに存在し、町屋は現在の目白にあり、椎名町駅からは比較的離れた位置にあった。 昭和39年(1964)11月までのは、現在の南長崎1~6丁目と目白4・5丁目に椎名町という町名が付けられていた。 “椎名町”という地名からは、昭和23年(1948)に12名が毒殺された帝銀事件の舞台となった帝国銀行椎名町支店を想いうかべる人も多く、イメージの悪い「椎名町」という地名は消え、現在は「長崎」となっている。 今は“椎名町”の地名は無く、商店街名などに名を残している。
● 椎名町駅北口の真ん前に、真言宗豊山派の蓮華山金剛院がある。 金剛院の創建年代は不詳だが、聖弁(永禄6年1563寂)が開山、江戸時代中期に現在地へ移転したといわれてる。、、、、金剛院の朱塗りの山門は安永9年(1780)に建立された。 天明期(1781~1788)に度々発生した大火の折、当時の和尚が先頭に立ち、多くの罹災者を金剛院で収容し助けた。 その功績が将軍 徳川家治の耳にとどき、褒賞として、山門を朱塗りとする名誉ある許可を受けた。 金剛院は村民から赤門寺(あかもんでら)の名で慕われた。 本堂は昭和29年(1954)に建てられた鉄筋コンクリート造である。、、、、境内は手入れの行き届いた植え込みや樹木のある静かで美しい情景が広がっている。 歴史ある板碑、馬頭観音碑、庚申塔、記念碑、顕彰碑なども境内にあり、金剛院の長い歴史を物語っている。
● 明治元年(1868)の神仏分離令まで、隣の金剛院が別当寺であった長崎神社がある。 長崎神社は、その名の通り豊島区長崎にある神社である。 創建年代は不詳であるが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社と称せられていた。 明治の神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を祭祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至ります。、、、、神社の西側に、帝銀事件の現場があったそうだ! それらしき遺構などは残っていない。
● 椎名町駅から隣の東長崎駅までは、「椎名町駅前中央通り」、「長二サミット通り商店会」、「長崎小学校前通り明和会」、「長崎三友会」、「長崎十字会」と商店会が連続してる。、、、、時刻は9時過ぎ、全ての店が開いてるわけではないが、開店準備で忙しそうな裏通りの商店が続く!
● 東長崎駅に着いた! 東長崎駅は大正4年(1915)4月15日に開業した(来年は開業110周年だ!) 島式ホーム2面4線の地上駅。 、、、、駅周辺はかって“長崎村”であったが、鉄道開業時に駅名が「東長崎」となったのは、長崎県長崎市の長崎駅と区別するためであった。
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