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2024年9月25日 (水)

築地ブラブラ

都営浅草線の東銀座駅で下車し、築地の本願寺、築地小劇場跡、築地カトリック教会、鉄砲洲稲荷神社と巡り、宝町駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 昭和通りと晴海通り交差する、交差点の直下に東銀座駅(ひがしぎんざえき)がある。 東銀座駅は昭和38年(1963)2月28日、都営地下鉄1号線(現:浅草線)と営団地下鉄(東京メトロ)日比谷線の東銀座駅が同時に開業した駅である。、、、、浅草線の駅は昭和通りの直下にある相対式ホーム2面2線の地下駅であるが、ホームに立っても反対方向行きのホームは見えない。 それは、上下線の線路の間に地下道(昭和通り三原橋交差点のアンダーパス)や駐車場があるため、ホームの向かい側は全面が壁となっているためである。 また、ホーム間の連絡通路は改札外にあり、改札内での上下ホームの行き来はできない。 上下線のホームを間違えると、地上に出るか?、地下のさらに地下にある連絡通路を利用することになり、年寄りには辛く厳しい駅である。
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・・・・・・・・・・ 東銀座駅の泉岳寺方面行改札を出ると、地下で歌舞伎座のビルに入り、歌舞伎座正面玄関前に出ることができる。、、、、現在の歌舞伎座は5代目の建物で、隈研吾の設計による地上29階建ての「歌舞伎座タワー」と一体となってる。 外観は4代目の建物によく似たデザインである。 
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● 歌舞伎座前から横道に入り、「旧日産本社ビル」(現:銀座六丁目スクエア)の前を通る。 懐かしいビルだ! 銀座4丁目の角に、現在の日産ギャラリーができる以前は、このビルの1階にショールームがあった。 加山雄三の若大将シリーズのロケ地でもあった旧日産本社ビル、取り壊されず、まだ残っていたか! 感激!、、、、昭和43年(1968)竣工の17階ビルである。 2009年までは日産自動車の本社ビルであった、その後、読売新聞東京本社の仮社屋として活用されていた。 現在は銀座六丁目スクエアとしてオフィスビルとなっている。
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● 築地の交差点、外人さんがスマホを場外市場に向けてパチリ! 築地市場は豊洲に移転したが、場外市場は今も元気に商い中!
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● 築地に古代インド様式(天竺様式)の建物がある。 “築地の本願寺さん”と呼ばれてるこの寺は、正式には「浄土真宗本願寺派 築地本願寺」と言う。 その発祥は、元和3年(1617)、西本願寺の別院として、JR浅草橋駅の南側:横山町(中央区)にあったことから「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。 しかし、明暦3年(1657)の振袖火事で焼失してしまった。 その後、幕府から八丁堀の先の海上への移転が許可された。 そこで佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(土地の名は“築地”)、延宝7年(1679)に「築地御坊」として再建された。 その後、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した本堂の再建では、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計による古代インド様式で昭和6年(1931)に起工、3年後の昭和9年に落成され現在に至る。 なお、施工は寺社建築を得意とする松井組(現:松井建設)である。 この建物は、インド様式の石造りで、本堂内は伝統的な真宗寺院の造りとなっている。、、、、広い境内に散見するのは外人観光客と、境内を斜めに横切り通勤する日本人のサラリーマン。
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● 築地本願寺から北へ200m程、NTTデータ築地ビルの外壁に、「築地小劇場跡」の碑がある。 築地小劇場は、土方与志と小山内薫が大正13年(1924)に開設した日本初の新劇の常設劇場である。 劇場の面積は100坪弱、平屋の建物で、客席は400~500席。 電気を用いた世界初の照明室を備えていた。 クッペル・ホリゾント(クッペル=ドーム、ホリゾント=舞台背景の幕)と呼ばれるドーム型の湾曲壁を設け、天井が高く、可動舞台を備えていた。 高度な照明設備と優れた舞台を備えていたため、演劇の実験室としての役割を果たしたそうだ。、、、、“新劇”と言われても、演劇には縁遠い私には“何が何だかさっぱり判らん”。 でも“築地小劇場”の名は知ってるぞ!
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● 築地の隣接する明石町、聖路加病院の隣りに「カトリック築地教会」がある。 カトリック築地教会は東京で最古のカトリック教会。 また当教会の聖堂は平成11年(1999)東京都景観条例により歴史的建造物に選定された。 さらに平成13年には中央区からも文化財に選定された。、、、、築地教会は、明治4年(1871)に鉄砲洲の稲荷橋近くにひらかれた「稲荷橋教会」を前身とし、明治7年に築地居留地(明石町)に移転した。 現在の聖堂は、関東大震災によって明治11年創建の旧聖堂が焼失したため、昭和2年(1927)に再建されたもので、教会としては珍しいギリシア神殿パルテノン風の建物である。、、、、ゴテゴテせずに白を基調とした簡素な聖堂で、落ち着いた雰囲気で祈りを捧げるのもいいね!
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・・・・・・・・・・ 教会の前に「暁星学園発祥の地」の石碑がある。 東京に住む人には、ミッションスクールとして有名な暁星学園を知る人は多いと思う。 その暁星学園の発祥は、カトリック築地教会敷地内に神学校として開設した家塾が母体となっており、設立は明治21年(1888)である。
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● 八丁堀駅方面に歩いて行くと「鉄砲洲稲荷神社」の前に出た。 『チョイト、手を合わせて行くか!』、、、、立派な富士塚もある神社で、御利益を期待して、100円硬貨を投げ入れ、二礼二拍手一礼。 御利益、宜しく!
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● 鉄砲洲稲荷神社から都営浅草線の宝町駅に出て帰宅する。
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