高岡旅行 2
13日は雨晴温泉で御目覚め。 早朝の露天風呂で、“今日も頑張るぞ!”、、、、今日の目標は、瑞龍寺とともに“越中高岡三寺”を構成する、国泰寺と“伏木”の勝興寺への参拝。 さらに、北前船の寄港地“伏木”の貴重な建物を見学。 最後は高岡の千本格子の家並みである金屋町を歩いてみる。
● 高岡市と氷見市の境付近に位置する国泰寺は、雨晴温泉の近くではあるがバスなどの公共交通機関が無く、宿からタクシーで行くことにした。 山の静寂に包まれた国泰寺(こくたいじ)は、臨済宗国泰寺派の大本山である。、、、、国泰寺は、永仁2年(1296)に立てられた草庵に始まるとされる。 その後、種々の歴史があったが、明治の初め、全国に広がった廃仏毀釈の嵐は国泰寺にも広がり、寺は荒廃した。 窮状を直に見た山岡鉄舟は、再興を願い自らの揮毫で広く浄財を集め、寺を復興させた。、、、、三重塔、日本一の大きさを誇る石庭など見るべきものも多い。 しかし、今正月の地震による、伽藍の損傷、白壁の崩落や瓦の落下、墓石や灯籠の倒壊等、多大な被害に見舞われた。 方丈などの内部は修復工事中で、主な建物を外から見てきた。 チョイと残念だが、寺の再興を願うばかりなり!
● 高岡市を流れる小矢部川の河口に“伏木(ふしき)”の町がある。 その伏木の高台に浄土真宗本願寺派の寺院、雲龍山勝興寺(しょうこうじ)がある。、、、、勝興寺の起こりは文明3年(1471)の蓮如が越中砺波郡に創建した土山御坊に始まるが、現在の伏木に築かれたのは、天正13年(1584)である。 佐々成政が富山の役で敗退した後、一帯は前田利家が領し、1618年には前田利常により25石の寺領が加増されるなど、江戸時代にかけて加賀藩前田家の庇護を受けて境内が整備された。、、、、寺の敷地は土塁・空濠で囲まれており、越中の国府跡と言われてる。 境内は東を正面とし、総門、唐門を入った敷地南寄りに大規模な本堂が建ち、北寄りには大広間、書院、台所など寺僧の居住・接客用の建物群が軒を列ねる。 近世建立の堂舎群がまとまって残り、近世寺院の景観を残す点に価値が認められる。 建造物は、本堂と大広間・式台が国宝、唐門や経堂など十棟が重要文化財に指定されている。、、、、建造物の文化財が多く大きな建物だが、この猛暑では建物の中までサウナ状態、一通り見学すると汗びっしょり、国宝の良さを知るよりも、一風呂浴びた感じ! 今度来るときは雪の積もった冷蔵庫状態の時に来てみたい!
● 勝興寺から300m程歩くと、高台に「高岡市伏木気象資料館」がある。 ここは、かつて越中国守大伴家持が住んでいた館のあったところらしい。、、、、明治10年(1887)、北前船の有力廻船問屋であった能登屋藤井能三氏が岩崎彌太郎と約束して設置した伏木港の灯台兼測候所が初代のもので伏木港のすぐ近くにあった。 その後2度移転し、明治末期に現在の地に移転した。 現存する建物は明治42年(1909)に建てられた洋風木造建築で、旧伏木測候所である。 鉄筋コンクリート造3階建ての建物は、昭和13年(1938)建築の測風塔。 2棟とも国の重要文化財。、、、、こちらも、正月の地震で被災し、内部の壁には亀裂が入っている。 修復予算が付き次第、修理したいそうだ!
● こちらも高台にある「伏木北前船資料館」、江戸時代から廻船問屋を営んできた旧秋元家の邸宅である。 屋敷の部屋数は全部で16室。 江戸時代に建てられた土蔵には、屋根の上から港への船の出入りを見張る望楼が設けられている。、、、、狭い急な階段を上り望楼から伏木の町を眺めてきた!(小泉元首相も上ったそうだ!)
● 高岡商工会議所伏木支所の建物は明治43年(1910)に建てられた。 土蔵造りの洋風建物。 こちらは正月の地震で大きく被災し、『要注意』の貼紙がある。 閉鎖されてる。 修復可能か?不可能か?
● 伏木を歩いた後は市内中央に戻り、高岡の地場産業の基礎を築いた鋳物発祥の地「金屋町(かなやまち)」を歩いてきた。、、、、「高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区」として、平成24年に国から選定された。 400年の伝統が息づく金屋町は、昔の面影を“千本格子”で残している。 風情ある石畳に、千本格子の家が軒を連ね、いいね! 鋳物の町は、暑い熱い!
● 古き伝統の残る町“高岡”の夫婦二人旅はここまで! 記念に仏壇の“おりん”を買ってきた。 チン~~~~~
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