八広から東あずま
京成押上線の八広駅から、東武亀戸線の東あずま駅まで、9千歩の散歩です。
● 墨田区の北、荒川沿いにある京成押上線の八広駅は、大正12年(1923)7月11日、「荒川駅」として開業した。 開業当初の駅は荒川(当時は荒川放水路)土手上に位置していたことから、“荒川駅”を名乗っていたが、昭和7年(1932)に墨田区の西側に接する「荒川区」が成立し、紛らわしい状況が続いた。 平成6年(1994)4月1日、紛らわしかった駅名を、当時地名から「八広駅」に変更した。、、、、荒川区は、現在の荒川(=荒川放水路)に接しておらず、区の周囲半分は隅田川に接している。 現在の荒川が荒川の本流となる以前は隅田川が荒川の本流であった。 つまり、荒川区は荒川(=現:隅田川)沿いあったが、荒川放水路が荒川と名乗ったため、“荒川”から離れた。 荒川区には、“荒川”は流れておらず“荒川駅”も無く、“荒川”を名乗るは都電荒川線と荒川遊園地だけだ、寂しいね!
・・・・・・・・・・ 八広駅は相対式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の構造である。 相対式ホーム(1番線)は上り線用、島式ホーム(2、3番線)は下り線用であるが、平日の7時9分発から9時16分発の上り電車は全て島式ホームの2番線から発車する。 相対式ホームは閉鎖され、1番線は優等列車の通過線専用となる。 2番線は上り各駅停車の待避線となる。、、、、島式ホームから人影が見えない相対式ホームを眺め、満員の普通電車を待つ心はイライラ、ムカムカしてるかも?
● 八広駅から押上方面に向かう八広中央通りにでると、八広5丁目の交差点裏で、紫地色に「八広庚申堂」と染め抜いた旗がコッチャコ~イとなびいてる。 ホイホイつられて庚申堂へ向かう。、、、、庚申堂の門柱脇に櫛型角柱型の馬頭観音がある。右側面に「天下泰平」左側面に「村内安全」とあり、裏面に紀年らしき彫りがあるが読めない。、、、、正面には、3基の石仏を祀った庚申堂がある。 堂内には、左に享保5年(1720)造立の舟型光背型の地蔵菩薩。 中央は元禄2年(1689)造立の駒型庚申塔。 右には造立年代不詳の観音菩薩像が祀られている。、、、、境内の右端には、大師堂があり弘法大師の座像が祀られている。これはこの場所が、南葛八十八ヶ所の第54番札所だったから。
● 八広中央通りを押上方向に歩いてゆくと、東京朝鮮第五初中級学校の正門前に「八広四丁目交番」がある。 交番横の植込みに隠れるように道標が1基ある。 道標には、「右 や久しみち」「左 ゑとみち」と記されてる。、、、、“やくし道(薬師道)”というのはかつてこの近くにあった木下川薬師を指すようだ。 その木下川薬師は、荒川放水路(現:荒川)の開削工事によって川の中央に水没するため、荒川の向こう岸にある浄光寺とともに移転した。 浄光寺(葛飾区東四つ木1)は青竜山薬王院浄光寺という天台宗の寺院で、現在も木下川薬師を配してる。、、、、植え込みの道標は尖頭角柱型で、やくし=木下川薬師、ゑと=江戸である。 造立年は不詳であるが、享保年間(1716~1735)のものと言われてる。 植込みで見えない側には「大畑村講中」とあるらしい。 江戸幕府八代将軍徳川吉宗の時、吉宗公が木下川薬師に参詣することになり、その道標として大畑村の村民が要所に道標を建立したものの一基であるとされている。(嘘か、真か、わしゃ知らぬ?)
● 薬師道の道標から20m程南へ歩くと信用金庫の前に、彫刻家:池田宗弘による作品「旅人ー仲間と」がある。 墨田区の景観施策の一環である「まちかどアート」という取り組みで、平成6年(1994)度に設立されたそうだ。 池田宗弘は「真鍮直付け彫刻」という独自の技法で作品を製作するのが特徴だそうだ。、、、、私にはよくわからないが、街角で見かけるような情景で面白そうな作品である。
● 八広中央通りをさらに歩き、真言宗智山派正覚寺の横を入ると「三輪里稲荷神社」(八広3)がある。、、、、三輪里稲荷神社は、慶長19年(1614)出羽国湯殿山の大日坊長が大畑村(八広、東墨田、立花の一部)の総鎮守として羽黒大神の分霊を勧請し三輪里稲荷大明神として鎮座した。 通称の「こんにゃく稲荷」と呼ばれ、初午の日に授与される「こんにゃくの護符」は、のどや風邪などの病に効くといわれている。、、、、、政界用語では“こんにゃく”は100万円の札束を言う。 裏金として“こんにゃく1丁”なら100万円、2丁なら200万円。 私なら1丁と言わず、2丁でも、3丁でも貰うのだが、万病に効きそうな“こんにゃく”だからね!
● 三輪里稲荷神社に参った後は、裏道に入り八広中央通りから外れてしまった。 八広はなみずき通りを横断し、さらに裏道を歩くと、東武亀戸線と平行する都道476号(=丸八通り)に出た。
● 東武亀戸線の「東あずま駅」に到着、今日の散歩はここまでとする。、、、、昭和3年(1928)4月15日、平井街道駅として開業したが、昭和20(1945)平井街道駅は廃止された。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業した。
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