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2024年10月28日 (月)

秋の北上線 1

28・29日の二日間、夫婦で紅葉を見に、北上線に乗ってきた! 東北新幹線で北上駅へ、北上駅から北上線で車窓の景色を楽しみながら横手駅まで行き。 横手城をチョイト見学。 その日の宿は、ほっとゆだ駅の近く湯川温泉に泊まる。 二日目は、北上線沿線の貯砂ダム、湯田ダムを見て北上市に戻る。 午後は北上市のみちのく民俗村を見学し、その後帰京した。



北上線は、北上駅(岩手県)と横手駅(秋田県)を結ぶ、路線距離 61.1 km、全線単線非電化のローカル線である。 起点の北上駅から、終点の横手駅まで全15駅をキハ100系気動車により、所要1時間20分程でワンマン運転が行われてる。 乗客は1両編成の車内にチョウド全員が着席できる程度である。、、、、北上駅を出ると北上川の支流:和賀川沿いに上り、途中ダム湖の錦秋湖などが車窓に見える。 今年は夏の暑さで紅葉の彩付きは悪いそうだ。 また錦秋湖の水位は低く、こちらも湖底が見えるほど。 絵葉書のような湖に映る紅葉は、チョイト無理だった! 県境を越え秋田県に入ると農村の景色に変わり、しばらくすると終点の横手になる。

・・・・・・・・・・ 北上駅の0番線ホームから、9時55分横手行きの1両編成の100系気動車が発車する。 この列車に乗り遅れると次は約4時間後の昼過ぎの列車まで待たなければならない。(北上線は一日に7本程の運転だ)、、、、北上線は、西横黒軽便線・東横黒軽便線として開業し、大正13年(1924)11月15日の全線開業の際に横黒線(おうこくせん、昭和41年北上線に改称)となった。 今年は開通100周年である。 それを記念して、北上、ほっとゆだ、横手の3駅で記念の鉄道カード(鉄道マニアには御宝カード)がもらえる。 私は、北上、ほっとゆだの2駅で入手できた、うれしい!
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・・・・・・・・・・ 北上駅から9駅目、ほっとゆだ駅は大正11年(1922)に鉄道省(国鉄)の西横黒線陸中川尻駅として開業した。 現在の駅舎は平成元年(1989)に建設された木造2階建てのもので、駅舎内に温泉施設のある珍しい駅。 総工費は1億2千万円。 2年後の平成3年(1991)には駅名を「ほっとゆだ」に改称した。、、、、北上駅で乗車した乗客のほとんどは途中駅で下車することもなかったが、この駅では10数人が下車した。 残りの乗客は私達を含めて、終点の横手まで乗車。
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・・・・・・・・・・ ほっとゆだ駅を過ぎると、北上線は県境を越えて秋田県に入る
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・・・・・・・・・・ 終点の横手駅へ到着。 横手駅は奥羽本線と北上線が乗り入れている。 明治38年(1905)6月15日に国有鉄道の駅として開業。 大正9年(1920)10月10日には西横黒軽便線(後の北上線)が開業。 単式ホーム2面2線と島式ホーム1面2線、合計3面4線のホームを持つ地上駅で、平成23年(2011)からは新築された橋上駅舎となっている。
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● “横手名物”と言えば、冬の“かまくら”、桜の“横手城”、昼食には“横手やきそば”。 思い出すのこのぐらい。、、、、せっかく横手に来たのだから、横手城を見に行こう!、、、、横手城は、その昔朝倉城といい、戦国時代(1550年頃)、現在の秋田県南部に勢力を築いた小野寺氏によって造られたと言われてる。 横手城は朝倉山を包むように横手川が流れ、背後は山、また山と奥羽山脈につづく独立した一箇の要害に建てられた平山城である。 城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし、土くずれを防ぐ土止めと、敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったので、別名「韮城」とも言われてる。 慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に横手城は落城し、二の丸跡には、昭和40年(1965)に三層の天守閣を模した展望台(通称:横手城)が建てられた。 天守4階からは横手盆地が一望できる!GOOD!
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・・・・・・・・・・ 横手城の登城口として現在まで残る高さ50m程のつづら折りの古道「七曲」はキツイ!
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・・・・・・・・・・ 城址公園のレストハウスでB級グルメの“横手やきそば”を食す。 一目見て、『アレ? ナポリタン!』2410281253220


● 城下に残る武家屋敷通りを歩く、、、、江戸時代、横手城から見て横手川の内側は内町と呼ばれる武家町で、羽黒町には中級武士が配置されていた。 しかしながら幕末の戊辰戦争で、庄内・仙台連合軍の攻撃を受けた横手城は炎上し、横手城下の内町は過半が焼失してしまった。 昭和60年(1985)代より地域の人達がまちなみ保全の活動を始め、平成の「街なみ環境整備事業」により街並みが整備され、黒塀や植栽などデザインを統一することで、かつての武家屋敷の趣きが一層感じられるまちなみが形成されている。
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● チョイト、モダンな建物を見て来た!
・・・・・・・・・・ 城下の高台に建つ旧日新館。 旧日新館は明治35年(1902)、旧制横手中学校(現:横手高校)の英語教師として赴任してきたアメリカ人チャールス・C・チャンプリ(喜劇俳優のチャップリンではない!)の住居として建てられたものだ。 建設:小坂亀松、大工:藤村初五郎の作。 建物は洋館にはきわめて珍しく、木肌も美しい素木造りの簡潔な住宅。 また、すぐれたデザインの玄関・バルコニーの柱頭飾り・窓の額縁・櫛(くし)型の庇(ひさし)など、明治期の洋風建築の特色をよく残している。
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・・・・・・・・・・ 町中に、横手の歴史とともに百有余年という老舗。 明治以来、平源旅館として数々の著名人が訪れ大切に受け継がれてきた本館と蔵は、国の登録有形文化財。(昭和天皇も宿泊した旅館) 蔵は明治初期、本館は大正時代の建築。本館正面は人造石塗り、薄いベージュのタイル張り、浮彫装飾などを施した大正ロマンを感じさせる外観で、内部は全てに天然秋田杉を用いた純和風という2つの趣を持っている。 現在は、ウェディングスペース「平源」となっている。、、、、もう一度、結婚式を挙げてみたくなる建物!
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● 今宵の宿は、ほっとゆだ駅から山の方に入る湯川温泉に予約済。、、、、ところが、只今の時刻は15時、宿には16時頃に到着すると伝えておいたが、横手発北上線の上り列車は17時半までナシ、これでは夕食に間に合わない。 妻と“男の決断”で、横手駅からタクシーで宿まで行くことにした。、、、、岩手県和賀郡西和賀町(旧湯田町)の土畑鉱山にはかつて3,000人以上の従業員とその家族が暮らしていた。 しかし昭和51年(1976)の閉山に伴い多くの従業員が鉱山を去り、過疎化が進んだ。 その土畑鉱山に古くから湧き出る良質な温泉を利用して温泉旅館が営業していた。 そのうちの一軒が、今宵御世話になる宿である。、、、、山の中腹に、廃墟化した土畑鉱山の跡が見えるが、3000人以上の人々が住んでいたとは思えない。 宿で、最盛期の鉱山住宅が並び建っている写真を見せてもらったら、本当の話であったと実感できた。 納得!、、、、温泉に入り、ゆったり まったり のんびりと 疲れを取って 明日も元気に頑張るぞ!
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