五反野から西新井橋まで
東武伊勢崎線の五反野駅から、江北橋通り北側の裏通りを西へ歩いて、西新井橋バス停まで、1万歩の散歩です。
● 散歩の行先を決めぬまま浅草橋駅から都営浅草線・東武伊勢崎線と乗り継ぎ、『さて、どこで降りようか?』思案しながら乗っていた。 北千住駅を過ぎたあたりから、『これ以上乗っていたら散歩の時間がなくなる!』と思い、「五反野駅」で慌てて下車する。、、、、この駅は散歩で度々訪れており、目新しい発見も無く駅を出る。
・・・・・・・・・・ 駅を出て『さて、何処へ、どっちへ、いずれに行こうか?』悩んだ結果は、『西へ向かって歩いて見よう』、、、、江北橋通りの北側の裏通りを西に向かって平行に歩くことにした。
● 五反野駅から西へ、日光街道の手前に、「くもじい・くもみ」を思いだす、外壁が鋭角にトンガッタ建物がある。、、、、このお宅、『トンガッタ先にどんな部屋があるのかな?』、『寝るのは何処かな?』 できたら、お宅の中を拝見したいね!
● 日光街道を越え西へ向かうと、足立区梅田1、2丁目に道幅6m程、長さ350mの地元密着型の「ゆめろーど千代田商店街」がある。 昭和46年(1971)に結成された商店街で、現在40店舗程が加入しているそうだ。、、、、朝8時45分、まだ営業してる店は少なく、多くの店はシャッターが下りてる。 花屋さんは店が開いてる、デイサービス・訪問介護の建物の中ではミーティング中、玉子焼き屋さんは店中で店主が焼いてる、八百屋さんは品出し中、買い物客の姿は見えず。、、、、日中の買い物客がいる時間帯に来てみたいね!
・・・・・・・・・・ 商店街の「鈴や質店」、、、、昔ながらの風情ある店先と質蔵がいいね!
● 商店街を通り抜けると「旧日光街道」にでる。 50m程北に歩くと、街道の角に「石不動尊」(足立区梅田3)と記された小堂がある。 小堂のなかの不動尊は石製坐像で、台座に「耳不動尊」と記されている。 石不動は、別名「耳不動」と呼ばれ、耳を病む人の強い信仰を受けているそうだ。、、、、石不動の左脇に、昭和40年(1965)に再建された、「子育弥彦尊道 是より二丁行く」という道しるべがある。 石不動は、この先(西側)にある明王院の不動の一つだそうだ。、、、、私は耳が悪く補聴器の御世話になっているので、ここでは念ごろに手を合わせてきた。
● 石不動から西へ500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の万徳山梅林寺明王院がある。 明王院は、治承2年(1178)六条判官源為義の三男義広の草創で、五世久広のとき当院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めたことから、周辺の地名も梅田と呼ばれることになった。 また、赤いお堂のお不動様の寺、は「赤不動」として親しまれてきたそうだ。、、、、この寺には、石不動の脇に道標のあった、咳に効験のある八彦尊が祀られている。、、、、現在の堂々とした不動堂(本堂)は昭和48年(1973)に落成した。 本尊の不動明王は扉の中で顔は見えない、残念!
● 明王院から再び西へ向かうと、尾竹橋通り(=都道461号)に出る手前に公園「関原の森」がある。 ここには、昭和5年(1930)に建てられた「旧愛恵学園幼稚園舎」(現:愛恵まちづくり記念館)が残されている。、、、、今日は建物の前を通過するだけ。
● 尾竹橋通りに出て南へ200m程歩くと西新井橋の北詰となる。 この手前に東武バスの「西新井橋」バス停がある。 今日の散歩はここまで!
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